14 過去生
「……ねえ、アリエス」
オーランド修道院へと続く道を歩く最中。この森に足を踏み入れた時の三割増しでとっつきにくいオーラを醸し出すアリエスに、意を決して優姫は話しかけた。
「さっきのことだけど、何かすっごく気になること、言ってたみたいだけど」
大きな歩幅に負けないよう小走りの為、切れ切れになる言葉。
アリエスは変わらずハイスピードで歩を進める。
「レオが、ヴァルゴにしたことって、何?」
霧が晴れる直前、アリエスは意味深な発言をした。優姫にとって気にならないわけがなく、それを尋ねることは当然の行動だとも言えた。
しかし、アリエスは射抜くような空色の瞳を向けるが、一向に口を開こうとしない。優姫は小走りを全力疾走に変え、アリエスの正面に回り込んで、語気強く言い放った。
「レオは何をしたの!?」
そこでようやく足を止めたアリエス。優姫は一瞬怯んだが、引かない。
わずかに落ちた沈黙の後、ようやく彼はその重い口を開いた。
「……私は、〈白羊宮〉アリエスだ。今も、昔も」
その言葉の意味が分からず、優姫は眉をひそめた。しかしアリエスはそのまま続ける。
「記憶があるのだ、私には――先代ゾディアックとしてのアリエスの記憶が、な」
「……それって――」
先代ゾディアックとしての記憶。
その言葉の意味することに、優姫は考えを巡らす。
アリエスが、アリエスだったという記憶。それは――。
「――前世ってこと?」
優姫が恐る恐る発した言葉に、アリエスはゆっくりと、しかし確かに頷いた。
「過去生がゾディアックであった記憶を持った者がいたなど、今まで聞いたことはない。まして同じ星宿を持って生まれるなど……」
この意味が分かるか、とアリエスが問う。そこにある表情があまりに冷たく見えて、優姫はその問いに答えることを躊躇ってしまう。
しかしそれを察したようにアリエスは表情を幾分崩すと、自嘲するように息を吐いた。
「旅を失敗したゾディアックは、その生を終えても己の役目からは逃れられない――転生を経ても」
アリエスが発した言葉を、優姫は一言一句逃さず噛み砕き理解しようとする。
過去にもアリエスはアリエスであったという記憶。
現在もその記憶を持っているということ。
そして先代ゾディアックは、旅を失敗した。
生まれ変わった今も、同じ星宿として旅をしなければいけないということ。
「それじゃあ、私も……?」
優姫は考えた末に導き出した答えを、言葉にはせずに確認した。アリエスはそれが正しいのだというように頷く。
アリエスは過去にも〈白羊宮〉アリエスだった。ならば、今代のヴァルゴであるという優姫もまた、過去に〈処女宮〉ヴァルゴであったということなのだ。
「なぜ、私にだけ過去の記憶があるのかは分からない。お前にはヴァルゴであった記憶はないようだし、過去にゾディアックであったと王都を訪れる者もいなかった。恐らくは私の場合が特殊なのだろう」
「私の前世が、ヴァルゴ……」
でもそれなら、と反論したい気持ちに襲われる。特殊なことなら、もうひとつある。
「でもそれなら、どうして私はちきゅ――異世界に生まれてるの? だって異世界からゾディアックが召喚されたのは例がないって言ってたじゃない。今まで、ずっとずーっと、ゾディアックはこの世界だけに生まれていたのに、どうして今回に限って……」
首を捻る優姫。アリエスもまたその問の答えは見つけられないようで、沈黙が落ちた。
「……ねえ、もしかして、レオって何か知ってるんじゃない?」
優姫はレオと初めて会った時のことを思い出していた。
レオは、優姫がこの世界に来る前――つまりは日本にすでに現れていたのだ。異世界から誰がどうやって自分を召喚したのか。同様に、異世界の住人であるレオが、一体どのようにして日本に現れたのか――思えば、その疑問は今のアリエスの話の疑問に通じるものがあるのではないか。
しかし、そんな考えを口にした刹那。
「あの裏切り者が!」
アリエスの怒声が轟いた。びくりと優姫の肩が震える。
「あの裏切り者が、関係などあるものか! ユウキ……、お前は何か勘違いをしていないか? 奴に助けられた、と言ったな。それが優しさだと? それが善意によるものだと?」
優姫を射抜く空色の瞳。優姫はアリエスの問に答えることが出来なかった。
「……奴が大罪人であると断言出来る理由を教えてやろう。私には過去生の記憶があると言ったな。だから、私は覚えているのだ――私自身の最期をな」
最期――前世の自分が息絶えるその時。
優姫はそれを想像して身震いした。自分が死ぬ瞬間を覚えているということは、精神的に一体どれほどの重荷を与えるのか。少なくとも、優姫にとってそれは恐怖でしかなかった。
「周囲に倒れるかつての仲間達、レオが握る血塗れの刃。そして、奴は……その刃で私を切った。……そこから広がる痛みと熱、喉を込み上げる血に声を出すことすら叶わず、視界が狭まりやがて何も見えなくなり……私は、死んだのだ」
全て覚えている――アリエスは絞り出すように、優姫にとって衝撃的な事実を告げた。
「私は、レオに殺された。だから断言出来るのだ、その光景を見ていたからこそ、奴は大罪人だと」
「……そ、んな」
あまりの衝撃に、優姫は言葉を失う。それと同時にひどい混乱に陥った。
アリエスが嘘を言っているようには見えない。しかし優姫はどうしても全てを受け入れることが出来なかった。それは願望と言えるものだったかもしれない。
けれども、アリエスに対してそれを口に出すようなことはしない。
押し黙ることしか出来ない優姫。その肩に手を置かれ顔を上げると、そこにはそれまでの怒りをあらわにしたものとは打って変わって、表情を柔らかくしたアリエスがいた。
「ユウキ、お前はレオに近付くな。今生でお前を守るのは、〈白羊宮〉アリエスである私の役目だ」
優しく微笑むアリエスの姿――金の髪と空色の瞳を持つ青年の笑顔を初めて見た優姫は、一瞬どきりとする。
「さあ、行くぞ。森の出口までもうすぐだ」
道の脇に控え目に立てられた看板を指差し、アリエスが言う。そこには、森の出口はすぐそこだということと、オーランド修道院までの距離とが記されていた。
優姫は小さく返事をしながら、一瞬ときめいてしまった胸を押さえた。
よくよく考えれば、アリエスもまたレオと同じく美男子の類に分けられるのだ。レオが少し影のある憂いを秘めた美青年だとしたら、アリエスは見目麗しい正統派な美青年だと言えた。
優姫は歩き出したアリエスの背を見つめながら、歩を進める。歩きながら、レオがヴァルゴにしたことについて聞きそびれたことを思い出した。しかし、やはりそのことを口にするのは躊躇われ。
修道院に向けて二人は歩き続ける。
それぞれの想いを抱きながら。