12 勉強と小さな命
優姫の持つ石サピロスが光を指し示したのは、王都シャングリラの北。地図にも小さく載っているオーランド修道院に、ゾディアックが持つ石らしき宝石を持つ修道女がいる、というのがアリエスからの情報だった。
しかしながら、そこへ向かうには広大な森を抜けなければならず、二人は王都からさほど離れていない街に立ち寄り、仕度を整えることにしたのだった。
「まず、その軽装を何とかするがいい。私はあちらの店に用があるから、終わったらまたここで落ち合おう」
優姫とアリエスは、街の中央広場である噴水の前で再び落ち合う約束をしてから、お互いの用事を済ます為に別れることにした。
優姫の服装はこれからの長旅に不向きであると、金貨を二枚受けとった優姫は、多くの店が並ぶ大通りへと抜ける。
「そりゃそうだよね、制服で旅なんて、聞いたことないし。そもそもセーラー服着てる人なんているわけないしね」
だからといって、どのような服装が正しい旅人の姿であるかも分からない優姫は、道ゆく人々に視線を巡らせファッションチェックをする。
しかしその服装には統一感があるわけでもなく、優姫はますます混乱してしまった。
「……もう、全っ然分かんない。だいたい服くらいお城で用意してくれればいいのに!」
とりあえず一通り歩くが、どんなものを買うか決められず、盛大にため息をつきながら袋を叩く。城から貰った袋にはいくつかの傷薬と包帯、わずかな携帯食、それと果物ナイフサイズの短剣しか入っていなかったのだ。
「戻ってアリエスに見立ててもらおうかな……」
諦めて広場まで戻ろうと、踵を返す。
その時だった。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
呼びかけられて振り返ると、そこには中年の男がいた。にこにこと愛想を振り撒き近寄って来る男を警戒し後ずさりつつも、優姫は男がしている前掛けの印字を見て立ち止まる。
「お嬢ちゃん、服をお探しかな?」
『服のダンカン』――何の飾り気もないネーミングセンスに失笑しながらも、とりあえず聞いてみようかと優姫は口を開く。
「おじさん、私、長旅に相応しい服を探してるんだけど……」
それなら、といっそうにこやかな笑顔を浮かべながら後ろの建物を指差す。前掛けと同じ名の看板を掲げた店はちんまりとしていたが、ショーケースに飾られた服はそれなりのようにも見えた。
店内に進むと優姫は鏡の前にと促され、男は手早く商品を見繕い始めた。優姫が物珍しげにぐるりと見回した店内には、Tシャツのようなものからアリエスが身につけている甲冑の類まで、所狭しと置かれている。
「今の流行りはミシャ織のローブなんだが、動きやすさを重視するならこっちのクーラッセ地方特産の絹で出来たワンピースなんかもいいと思うがね」
そう言って優姫の前に出されたのは、綺麗な刺繍が施された裾の長いゆったりした服と、肌触りの良さそうな膝丈の白いワンピースだ。ワンピースには腰の部分を絞れるリボンとポケットがいくつか付いており、見た目も随分可愛らしい。
この世界の流行りや特産などと言われてもピンとこなかった優姫も、思わず手に取り、体に合わせてみる。大きさも丈も丁度良かった。
「でもスカートじゃ制服とあんまり変わんないか」
レギンスのようなものでもあればな、とワンピースを持ったまま店内を物色する。幸いなことに目星のものをすぐ見つけることが出来た優姫は、男に他に薦められた革のブーツと水色のジャケットとともに一式を買うことに決めた。
「いいじゃん、いいじゃん」
試着室で新しい服に着替え、鏡に全身を映した優姫は感想を漏らす。
そんな優姫の斜め後ろで、男は両手を揉みながらしきりに目で何かを訴えていた。そのことに気付いて、優姫はアリエスから渡された金貨を取り出した。
「お会計ってこれで足りますか?」
「金貨……!? あ、ああ、足りるとも!七百ジニーだから二枚とも頂くけど大丈夫かい?」
金貨を渡された途端、男は目を見開いたが、鏡の前にすぐに向き直った優姫は気付かない。
「じ、じゃあこれがお釣りだよ。ありがとうな」
銅貨を三枚渡され、優姫は笑顔で例を述べ踵を返す。しかし出口から足を踏み出そうとして、そこに立ちはだかる人影に阻まれた。
「アンタぁ……」
そこにいたのは、随分とふくよかな中年の女性。その視線は優姫を通り越して金貨を握り締める男に向けられている。
目の前で眉を吊り上げて仁王立ちしている女の前から恐る恐る優姫が避けると、女は持っていた籠を置いて長袖の服をたくし上げながら男ににじり寄っていった。
「か、母ちゃん! いつからそこにっ!?」
「あんたって人はっ! 恥ずかしくないのかい、こんな女の子からぼったくろうなんて!」
「ひいいっ! すまん、すまんっ」
少なくとも優姫のクラスメイトの男子の誰よりも立派な腕を振り上げて、女は男を叱り付ける。
優姫は呆気に取られながら、ただぽかんとその様子を見ていたが、よくよく考えてみてようやく、自分が危うく騙される所だったのだと気付いた。
「あたしはそんなしょうもない男と結婚したわけじゃないよ! ほら、さっさとあの子に金貨を返しなっ」
「ごめん、ごめんよ母ちゃん、俺が悪かった」
しかし目の前で繰り広げられる夫婦喧嘩に、文句を言うタイミングを逃した優姫は、とりあえずほとぼりが冷めるのを待つことにした。少しばかりアリエスを待たせてしまうかもしれないが、仕方ないだろう。
「ごめんね、お嬢ちゃん。もうこんなことしないように強く言って聞かせたから、今回は許してくれないかねえ?」
深々と頭を下げるダンカン夫妻。
妻に頭を押さえつけられるように頭を下げているダンカン夫の目の回りは痣が出来ている。騙された張本人である優姫も、思わず同情してしまうほどの力関係がそこにはあった。
「本当にすまない……でも最初は騙すつもりなんかなかったんだ。ただ金貨を目の前にして、目が眩んじまったというか何というか」
言い訳混じりに金貨を二枚とも返した為に、またぎろりと睨まれ身を縮こめるダンカン夫の様子に、ついに優姫は助け舟を出した。
「大丈夫です。私も異世界の通貨のコト、勉強になりました。旦那さんも反省してくれてるみたいだし、もう許して上げて下さい」
そこまで言って、優姫は目の前の二人が目を丸くして固まってしまっあことに気付く。何かおかしなことを言っただろうか、と首を傾げると、ダンカン妻がわなわなと震えながら口を開いた。
「あの、今、異世界とおっしゃいました?」
「え? はい?」
ダンカン夫妻の顔が青ざめる。
「あ、あの、束のことお伺いしますけど、もしかしてあなた様は……ヴァルゴ様、でいらっしゃいますか?」
「あ、はい」
ヴァルゴ、という名前で呼ばれることは、優姫にとって不本意だったが、そのことは事実なので正直に答える。すると、ダンカン夫妻は今度は頭が地面についてしまうのではないかというくらい、さらに深々と腰を折ってみせた。
「ああ、この世界を救って下さるゾディアックの方になんという無礼を……! 申し訳ありません!」
「すみません、すみません……っ」
ぺこぺこと頭を下げ続けるダンカン夫妻に、優姫は慌てて歩み寄る。
「そんな、止めてください。本当に大丈夫ですからっ! それよりこの服、本当はいくらなんですか? お代、払わないと……」
「まさかまさか! 頂くわけには参りません。夫の無礼のお詫びに差し上げます」
「ええっ!? でも……」
いくら何でも、この一式をタダで貰うわけにもいかず優姫は食い下がる。しかし結局ダンカン妻の強すぎる押しに負け、譲り受けるような形で、長旅に相応しい衣服を手に入れることになった。
放っておけば、土下座にまで発展しそうな夫妻を何とか宥め、優姫は店を後にしようとする。
「……でも、本当にいいんですか? コレ、安くはないですよね?」
「いいんです。元々はこの馬鹿夫が欲を出したのがいけないんですから」
あくまで譲るという姿勢を崩さないダンカン妻と、どことなく納得いかないような顔で落ち込むダンカン夫の姿に、優姫は苦笑した。
「……あ、でも、もしひとつだけヴァルゴ様にお願い出来れば、と思うことが」
踵を返しかけて、ぽつりと背後で呟かれた声に優姫は振り返った。
「今、お腹に赤ちゃんがいて……撫でてやってもらえませんか。ゾディアックの祝福が得られますように――」
にわかに頬を赤らめながら微笑むダンカン妻。そんな彼女は自分の腹を愛おしそうに撫でていた。
優姫は思わぬ頼みに、二つ返事で頷いた。
その後、広場へと戻った優姫は、とうに用事を済ませ戻ってきていたアリエスから、冷たい視線を向けられることになったのだった。