10 私、やります
「おい、くっつくな鬱陶しい」
「はあ!? くっついてなんかいないわ、ちょっと騎士団長サマは自意識過剰なんじゃないかしら?」
本当……この人は口を開けば文句ばかり。
言葉遣いが汚いだの、食事のマナーがなってないだの、身嗜みがはしたないだの。もういいかげんうんざり。
「本当に可愛いげのない女だな。踊り子は金を払わなければ愛想も振り撒けないのだな」
それさえなければ、見た目だけはいいのに。見た目だけはね。
「お前みたいなのが〈導星〉で、ゾディアックとしての務めを無事果たせるのやら…もっとまともなやつがそうであったのなら、俺もこんなに気を揉まなくていいんだがな」
私だって、あんたが〈獅子宮〉じゃなかったらとっくにお別れしてるわよ。
いつも仏頂面の人なんかよりも、どうせ一緒に旅するなら優しい人のほうがいいもの。
「はあ……」
「はあ……」
本当、大っキライ。
この冷血漢!
◇◇◇
「……」
優姫は目が覚めるなり、しかめっ面で起き上がった。
今見た夢――それは再び音が存在する自分とレオとが並んで歩く夢。ただし、二人が仲睦まじい様子は皆無だ。
「えー……、何、やっぱり仲悪いわけ?」
優姫は頭を抱えてぼやいた。
今の夢は、誰がどう見たってそうだと言えるだろう。一度目は間違いだろうと言い聞かせることも出来たが、二度ともなると、今まで見ていた音のない夢が優姫の幻想であって、この夢こそが事実なのだということを認識せざるを得なかった。
涙が出そうになるのをすんでで堪えて、優姫は立ち上がり朝日の差し込む窓辺へ向かった。
眼下に広がる城下街。
人々の往来はまだ少ないが、民家らしき建物の煙突から上る煙りや、窓辺に干された洗濯物が、この街に息づいている人達の生活を窺わせた。
「平和そうに見えなくもないけど……ん?」
そう呟いてから、遠くに白い団体を見付けた。それがアリエスを含む騎士団一行であることに気付くのに、そう時間はかからなかった。
「こんな朝早くに、何してるんだろう」
何気なく眺めていた団体が近付くにつれ、優姫は彼等の様子がおかしいことに気付く。足を引きずり歩く者や背負われている者が大勢いるようだ。目を凝らすと、騎士団が纏う白い甲冑が薄汚れているようにも見える。
何かあったのかな――そんなことを考えていると、部屋の外が騒がしくなっていることに気付いた。
静かに扉を開け外を窺う。
そこには、朝早い時間にもかかわらずバタバタと走っていく人々の姿があった。優姫はその中から、タイミングよく目の前を通り過ぎようとした、タオルを両手一杯に抱えた若いメイドを捕まえる。
「あの、何だか騒がしいみたいですけど、どうかしたんですか?」
「あっ! ヴァルゴ様! ……それが騎士団の方々が怪我をされておいでで。ヴァルゴ様はまだお部屋でお休み下さい。申し訳ありませんが、私はこれで」
口早に言って会釈すると、メイドは再び駆け足で去っていった。優姫はそんな後ろ姿を見送りながら立ち尽くす。
そういえば、異形の怪物が出ると言っていた。自分だって獣に襲われかけたのだ。
「三百年の災厄……」
昨日の晩餐でのウィルヘルムとアリエスの話を思い出し、呟く。
優姫だって、真っ当な人間だ。もし人が困っていたら、手を差し延べるし、出来ることなら助けたいと思う。でも、それは自分が出来る範囲内でのことだけだ。人には出来ることと出来ないこと、得手不得手がある。
ゾディアック、そしてヴァルゴ――それらは何度考え直しても、自分の身には不相応な大役としか思えない。
優姫は丁重に断るつもりで、部屋を飛び出した。
◆
人の波について行き辿りついたのは大広間だった。そこにあった光景に優姫は息を飲む。
優姫を城まで連れてきた騎士団は、ある者は怪我を負い、ある者は倒れ伏し動かない。そんな彼等を手当てするメイドや医者らしき人間達で広間は溢れていた。そんな中、広間の最奥にはアリエスが椅子に腰掛けうなだれている。
優姫は慌てて彼の元へ駆け寄った。
「……アリエスさん、これって」
その声に顔を上げるアリエス。額には血が流れた跡があったが、それはすでに乾いている。
「ヴァルゴか……。これを見ろ。これがこの国の、いやこの世界の現状だ。どこからともなく現れる怪物や獣は、日に日に力を増してやがては我等の手に負えなくなるだろう」
疲労が色濃く滲み出たアリエスの声は、昨日とは打って変わって力無い。
「世界の人々の命運は我等ゾディアックにかかっているのだ」
その言葉に、優姫は固まる。
断らなきゃ――そう思うのに、うまく声を出せなかった。
困ってる。
助けたい。
でも、私なんかが本当に出来るの?
私は何も知らないのに。
助けたい。
でも、怖い。
どうしたらいいの。
帰りたい。
様々な感情が心中を巡る。優姫は傷付いた騎士団の面々を見た。皆アリエス同様若く、中には自分より年下なのではないかと思えるような幼顔まである。彼等は命を賭して人々を守るべく奔走しているのだ。
「〈処女宮〉の星宿を持つ者は長らく生まれてこなかった。……〈処女宮〉だけが、まるで隠されたかのようにな。ゾディアックはかけてしまっていて意味をなさないのだ。……昨日の陛下の言葉は真実だ。お前は待ちに待った希望の星――頼む、ヴァルゴ」
アリエスは優姫に向かって頭を下げた。それに倣うように、他の手当てを受けていた騎士やメイド、医者までもがすがるように頭を下げ懇願する。
「お願いします」
「お願いです、ヴァルゴ様」
「お願いします」
「どうか我等の希望の星に」
「お願いです、どうか」
立ち尽くす優姫の前に平伏す人々。そんな彼等を前に、用意していた断りの言葉を口にすることも出来るはずもなく。
「ヴァルゴ」
最後のアリエスのひと声に、優姫はついに折れた。
「……分かりました」
昨日あんな剣幕で、断る権利はないと言い放ったアリエスの弱った声。その声を突っぱねることが出来るほど、優姫は非情にはなれなかった。
「分かりました。私、やります」
優姫の声は予想以上に広間に高く響いた。
同時に沸き起こったの歓声と安堵のため息。人々は拍手でヴァルゴの決心を讃えた。
とてつもないことを言ってしまった――優姫は心の中で、そう独りごちる。
「ヴァルゴ! それでは、〈導星〉として旅立ってくれるのだな」
「……はい。成功出来るように、がんばります」
空色の目を細め微笑むアリエスに、思わず優姫も笑顔で答える。若干ひきつっているのは、わずかに後悔する気持ちがあるからだ。
「そうか、そうか……! それでは早く陛下に知らせねば」
「アリエス殿、怪我の手当てを……」
「私は平気だ。他の者達の手当てに回ってくれ」
医者が声をかけたが、アリエスはマントを翻し大広間を後にする。優姫はその背を見送りながら、不安げにため息をついた。