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浮気現場を目撃されたのですからそうなります

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/08/03



 メリーナ・ディオリエの婚約が破棄されたのはつい先日の事だった。


 薄々まぁ、そうなるんだろうな、と思っていたので別に痛くもかゆくもない。有責なのはメリーナではなく婚約者であったヘルン・フィオスカーレなので。


 元々この婚約はフィオスカーレ伯爵から持ち掛けられたものであった。

 メリーナは将来ディオリエ子爵家を継ぐ。そこにヘルンが婿入りする形であるはずだった。


 メリーナの父とヘルンの父とが貴族学院時代、友人として親交を深めていたのもあって決められた婚約である。親同士の友情のためというわけではないが、それに近しい感じで結ばれた婚約。

 家同士の利があるか、となるとそこまでではないが、不利益があるでもなかったために結ばれたもの。


 フィオスカーレ伯爵家には、他に余っている爵位があるわけでもなかったのでヘルンはどこぞに婿入りできなければ仕官となって身を立てるか、平民となって生きていくかのどちらかでしかない。


 正直な話、後継者の婚約者を探すよりも家を継がない子の結婚相手を探す方が大変なので考えようによってはヘルンは運が良かったと言える。

 婿入りする形ではあるが、それでも貴族として生きていけるはずだったのだから。


 だがヘルンは自らその手で未来を潰した。


 一応幼い頃から知っていた相手だ。

 そうなってしまった事は残念だけど、メリーナにはどうしようもない事であった。


 この婚約を決めたのはメリーナではない。勿論ヘルンでもない。

 両家の父親が話し合って決めたもの。


 なのでメリーナが何かを言ったところでそう簡単にこの婚約がどうなるわけでもなかったし、ヘルンだってそう思っていたから甘く見ていたのだろう。



「ねぇ聞いたのだけれど、婚約がなくなったのは本当ですの?」

「えぇ、本当よ」

「一体何があったの? あ、これ聞いて大丈夫なやつかしら?」


 学院での授業が終わり、各々が寮の部屋へ戻る前、一応自由時間として認められているのでメリーナは声をかけてきた友人たちと共にサロンへ寄った。


「学院に通うようになるとほら、世界が広がった感じがするじゃない? 今まであまり接する事のなかった人とも話をする事ができるわけだし」

「そうね。それで私たち知り合えたのだもの」

「学院で知り合えなかったらあとは成人後の社交かしら……でも、中央と辺境と距離があるような所はそれでも知り合える機会が少ないのよね」


 友人であるマリシアとリネッタの言葉にメリーナも頷く。

 王都周辺に領地を持つ所謂中央貴族と呼ばれる者たちと、国境近くに領地を持つ辺境貴族と呼ばれる者たちとでは、学生時代を除けば後はもう社交シーズンくらいでしか関わる機会がない。だがしかし社交シーズンは社交シーズンで各々忙しかったりするので、そちらで友好を深めようとすると中々上手くいかない。


 故に学生時代に知り合えなければ成人後に知り合うのは難しかったりもする。


 マリシアは中央貴族と呼ばれる側でリネッタは辺境貴族と呼ばれる側だ。メリーナもどちらかと言えば辺境寄りである。


「で、ほら、生まれも育ちも違う相手がたくさんいて、新鮮な気持ちになったりする」

「そうね。知らなかった事がたくさんあるわ」

「国内の話でこれだもの、世界ってもっと広いのでしょうね」


「私の元婚約者のフィオスカーレ令息もそんな感じで色んな人と知り合って、そこで今までにない考え方を知ってしまった」

「あぁ……もしかしなくても」

「あれかしら、既に婚約者が決まっているという事実を妬まれたり……?」

「どうやらそうみたい」


 結婚相手は親が決めるもの。

 これがこの国の貴族の常識である。なんでも他の国では自由恋愛が認められつつあると言う噂も聞くが……噂はあくまでも噂だ。メリーナはその真相を知らない。


「他人の足を引っ張ったところで自分が高みに行けるわけではないのにね」

「それでもやる人はいるのよね。まぁ、落ちていくのを見るのが楽しい、とかいうどうしようもない精神性で娯楽ついでに人を貶める者もいるのは事実ですけれど」

「あぁ……引っ掛かっちゃったのですね……」


 マリシアとリネッタの表情が同情に満ちたものに変わる。


 よく聞くか、と言われるとそこまででもないが、まぁやっかみがあるのは事実だ。

 自分の婚約が決まっておらず、将来が見えない不安から既に未来が決まっている相手を妬んで相手の心を不安に陥らせようとして余計な事を吹き込んだりする、なんていう話は遠い世界のお伽噺くらいに耳にする事もある。


 メリーナは知らなかったが、恐らくヘルンはそういった性格の悪い相手の一見するとヘルンを心配した風を装った言葉にまんまと乗せられてしまったのだろう。


 え? もう婚約者が?

 学生時代の自由である短い時間に既に決まった相手とか、それじゃ恋を楽しむ事もできないだろ?

 今から縛られるとか息が詰まったりしないか?


 自由でいられるのなんてあと少しなんだからさ、今楽しまないでいつ楽しむんだ?


 言葉の裏を読むことができれば先の見えない連中の不安からくる足の引っ張り合いだと気付けたかもしれない。もしくは、そういった相手がどいつもこいつも女とは縁のない、相手にされる事もないのが一目見てわかるようなものであったなら、ヘルンも僻みか? なんて思えたかもしれない。


 だがその中にはヘルンよりも身分が上の相手もいて、一見するだけでは本当に短い独身期間を楽しんでいるかのようだったからだろうか。ヘルンはコロッと彼らの言葉に乗せられてしまったらしかった。



 ……そのようであるらしかった、と言われても正直メリーナはそこまでわからなかった。

 婚約者とべったり、という状況が急に距離を取ろうとしていたのならメリーナも流石に気付くだろうけれど、メリーナもメリーナで新しくできた友人たちとの関係を優先する事だってあったし、それ以外の――婚約者として共に参加するようなパーティーで蔑ろにされるような事もなかったから。


 会場入りだけして後は放置されてさっさと友人たちのところへ……なんてされたりしていればメリーナももう少し自分に構って下さいな、とか言ったかもしれないが、放置されたりするわけでもなかったし、自分そっちのけで別の令嬢とダンスを……なんてしていたわけでもなかった。


 ある程度一緒にいて、そこそこの時間が経ってからお互いに友人たちの所へ行く。

 メリーナとしてはそれで全然問題がなかったし、だから浮気をしていたなんて気付かなかったくらいだ。


 そう。ヘルンはどうやら浮気をしていたらしい。


 これは全部終わってから知ったので、傷ついたとかそういう事もなかった。

 あらそうでしたの!? と驚きはしたものの、悲しむまではいかなかった。何故なら全部終わった後だったので。



 どうやらヘルンは彼を取り巻く友人たちの中の身内の令嬢と浮気をしていたらしい。

 その令嬢は病弱らしく、メリーナは悪い意味で彼女の名を知っていたがクラスが異なるのもあって関わった事はない。


 病弱であるからか、授業に出てくる事もあまりないとか、そのせいで友人がいないとか、男性との距離が近いとか。他の令嬢たちの噂ではよく令息に擦り寄っているという話であったが、メリーナは件の令嬢を見る機会がなかったので何とも言えなかった。

 病弱ならマトモに立っていられなくて、令息の手を借りたとかそういうのが悪く言われているだけかな……? とは思ったが、じゃあ真相を確かめようとまでは思わなかった。

 ヘルンもどうやらその令嬢と近しい距離にいたらしいけれど、直接現場を見たわけではないので何も言える事がない。


 ただ、学院が休みの日にお互いに出かける約束をしていた事があったが、そのうちの何度かが友人の見舞いに行きたくて……とかそういう理由でキャンセルされたくらいだ。

 その友人がどうやらその令嬢であったようなのだが。



「えっ、全然知らなかったって事?」

「そうなのよね。流石に私もその令嬢の所に行くとか言われてたらちょっとくらい気分を害したかもしれないけれど、友人の中に実際あまり身体が強くない方がいらっしゃるみたいだったから」

「あぁ……モルゲッテ伯爵のところのご子息がそうでしたわね……」

「貧血で倒れたのなら見かけましたわ」

「私もその話を聞いてたから、てっきりその方だとばかり」

「それは仕方ありませんわね」

「それで気付けは無茶ですわ、流石に」


 ヘルンの友人たちが全員元気いっぱい殺しても死にそうにないタフな方々ばかり、であったならちょっとくらい「ん?」となれたかもしれないが、本当にちょくちょく体調を崩す令息が友人にいたのもあって浮気だなんて思っていなかったのだ。

 むしろ心底から友人を案じているのね、と思っていた程だ。


「それで、その、婚約が破棄になったわけなんだけど。

 多分決め手はベリオス劇団の公演を見に行くって言ってた日ね」

「あぁ、言ってたわね。婚約者と一緒に行くって」

「でも中止になったんでしたっけ?」


「そうなの」


 休み前にメリーナは楽しみにしている公演だったから、ちょっと浮かれて友人たちに話はしていたのだ。

 ところが当日になってヘルンに友人の調子が良くなくて……ととても曇り切った表情で心配で楽しむどころじゃないとまで言われてしまって、でしたらお見舞いに行かれては? と送り出したのだ。


 公演は別に一人で行けばいいかな、と思っていたのだが、送り出してからチケットはヘルンが持っていた事を思い出して一人で見に行く事もできなくなってしまった。

 当日に空いた席があればチケットも購入できたかもしれないが、恐らく遠くの席でロクに見れないような場所しか空いてないだろうな、と思ったメリーナはそれじゃあ仕方ないかと開き直って一人で街をぶらぶらしていたのである。


 そこで出会ってしまったのだ。


 誰にって、ヘルンの父、フィオスカーレ伯爵に。


 伯爵は城に出向いていて、その帰りであったらしい。

 チケットを用立てたのは伯爵で、あの公演はかつて自分たちも学生時代に当時の妻と見ていた思い出のものであるとかで、是非二人にも……という話だったのだが、しかし公演がそろそろ始まるはずの時間にメリーナが一人でぶらぶらしているのを見てしまっては、素通りもできなかったらしい。


 声をかけられた以上メリーナも正直に答えた。


 友人が体調を崩していて心配だから、と言っていたのでお見舞いに行かれてはと送り出しましたと。


 一人で見に行こうにもチケットはヘルンが持っていたから自分はとりあえず街を適当に見て回っているところです、なんて言われてしまえば、伯爵もそれ以上何も言えなかった。


 メリーナの中では一緒に見舞いに行くという考えはなかった。

 ヘルンの友人とメリーナは別に親しいわけでもないし、体調が悪い時に対して親しくもない相手が来ては余計な気を遣うだけだろうと思ったので。気心の知れた相手ならまだしも、メリーナがついてきては休まるものも休まらないのではないか、と思ったからこそメリーナはついていくとは言わなかった。


 結果として予定のあった休日が急遽暇になってしまったけれど、まぁそういう日もあるわよね、と受け入れておひとり様なりの楽しみを見つけようとしていたのだ。


 メリーナからそう言われて伯爵は申し訳なさを感じたらしいが、別に伯爵が悪いわけでもない。

 いいんですよ、ヘルン様は友人思いの優しい方です、なんて言ってそれからメリーナは伯爵と別れた。


 伯爵にも他に用事があるだろうと思って、これ以上ここで話をしていても伯爵が気まずい思いをするだけだと、メリーナなりに気を使った結果だった。



 その後、ヘルン有責での婚約破棄の話がメリーナの父親から届いた手紙で決まったのである。


「突然の展開すぎませんか」

「私もそう思ってビックリしました」


 そう、確かに驚いた。

 手紙には父のとても躊躇いました、みたいな雰囲気がにじみ出た文字で、でも真実を伝えておかないとヘルンが復縁を申し込んできた時にお前が何も知らないまま受け入れたりするかもしれないから……というわけで事の経緯が綴られていたのである。


「なんでも、私と別れた後フィオスカーレ令息はその友人――かのご令嬢と共に公演を見に行かれたようですの」

「まぁ、それはあまりにも厚かましすぎませんか!?」

「むしろ時間に間に合っているならそれって最初からそのつもりだったのでは!?」


「今にして思えばそうだったんでしょうね。私は少し早めに行ってパンフレットとか見ながらあれこれ話をするのかな、とか思ってたりしたわけなんですけど。

 そう考えると浮かれてたのね、私」

「浮かれたっていいのよ。婚約者とのデートでしょ? 浮かれて当然よ」

「結果がアレってなると浮かれるどころか怒っていいくらいだわ」


「最初からそのつもりで、恐らく近くで待ち合わせをしていたのでしょうね。で、どうにもタイミング悪く、というか良く? フィオスカーレ伯爵がご子息と見知らぬ女とが劇場に入っていくのを見てしまったらしくて」

「まぁ」

「まぁまぁまぁ、浮気現場を直接抑えられてしまったのね」


「相手が私だったら言い逃れもできたかもしれないけれど、お父様でしょ?

 夫婦の思い出の公演、いずれ夫婦になる私と共に見ておいで、そんな感じで用意したチケット。

 ところが実際は婚約者ですらない女と共に公演を見ようとしている実の息子。

 私も楽しみにしていたけれど、伯爵からすれば思いを踏みにじられたわけでしょ? 裏切られたと言ってもいい。しかもどうやら私がすっぽかしたから、たまたま近くにいた友人のご令嬢と一緒に……なんて言ったらしいのよね」

「まぁ、何も知らなかったら後から悪者にされてるやつじゃありませんの」

「でも既に伯爵と私は会って話をしてるから」

「あっ、そうよね。そういう意味ではよかったわ。後から色々言われなくて済むもの」


「その後も学生時代の自由を楽しみたいとか謳歌したいとか色々言ってたようなんですけれど、流石に婿入り予定の男がそんな不誠実な真似をしていると知ってしまっては……このまま婚姻などさせてもロクな事にならぬ、と伯爵様直々の判断を下したみたいで。

 私のお父様と話し合った結果、婚約は向こう有責で破棄、となったというわけ」


「あぁ、だからか知らないけど、そういえばフィオスカーレ令息数日前から学院を欠席していましたわね」

「家に呼び戻されてのお説教は確実よね……」


「ちなみに私の新しい婚約者に関しては今お父様が探してるみたい。

 フィオスカーレ令息と浮気相手らしかったお相手との事はそれ以上私も存じ上げませんの」

「……ま、ロクな事にはならないでしょうね」

「そういえばあの方も見かけてないような」

「あちらも家に呼び戻されたのかしら? どうでもいいけど」


 でも、と友人二人は顔を見合わせて頷き合う。


「学院に復帰したとしても、近づいてきたりしないわよね……?」

「近づこうものなら私たちも協力して追い払いましてよ」

「浮気そのものは私気付いてなかったから、もっと上手くやってれば、とは思わないでもないんだけど」

「そこはもっと傷ついたりするものでは?」

「知ったと同時に終わってたから傷つく以前の話なのよ」

「それもそうね……私も同じ立場なら傷つく部分を通り越して怒りはするかも」

「よし、今のうちにそっと噂流して復帰しても復縁なんて言い出せないようにしておきましょう。こういうのは根回しが大事でしてよ」


 メリーナがどうしたいと言うでもないうちから、ポンポンと二人して決めてしまうのでメリーナは特に何も言う事がない。


「私の友人たちがとても頼もしいですわ……」


 なので、メリーナはとりあえず冷めてしまったものの用意してあった紅茶を飲みながら友人たちの話に耳を傾けるのであった。

 次回短編予告


 エシュターには婚約者がいる。幼馴染で昔からずっと好きだった相手。

 結婚を待ちわびて楽しみにしているエシュターに、ある日手紙が届いた。

 それはもう一人の幼馴染からの手紙だった。


 次回 幼馴染ではあるけれど

 幼馴染だからって必ずしも仲が良いとは限らない。

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