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デクスターの憂鬱

ゴポコポゴポ。

ゴコポゴコポゴポゴポ。

「ふ…うあっ」

朝の気持ちの良い風が吹き込んでくる。

ベッドの脇をささっと走り去った黒い影——七面鳥は先週から預けられているゴールディング夫人のペットだ。

デクスターは寝不足の頭を左手で掻きながら伸びをした。

窓際の観葉植物はキラキラした陽射しを浴びて鮮やかな緑色をしている。

タオル地のスリッパが裸足に心地よい。

皺一つないシャツに腕を通し、いつものチャコールグレーのベストを羽織る。

前髪をセットしていると、部屋の外から七面鳥が首を伸ばして、ゴポポ?と鳴いた。

「デクスター!」

ウィルの無邪気な足音が聞こえる。

「今日の夕飯はLe canineだよね!」

そうだった。そんな約束をした気がする。ウィルは近所の手頃なフランス料理屋のメニューが大好きだった。

「そんなに楽しみなのか。」

ウィルは僕の母親の学生時代の友人の子供で、その人が出張に行く間居候している。

何故僕の家なのか?それは僕が聞きたい。

ウィルの父親は、悪いステレオタイプに従ったバンドマンらしく、家庭環境は複雑だと聞いた。

そんな事情を知ってか知らずか、真っ黒な巻毛とカラメル色の肌にはキラキラした黒い眼が映えている。


Le canineの店主はエレノアといい、デクスターとは旧知の中だった。

「いらっしゃいませ、あらデクスターじゃない。」

「こいつ、君の作るコンフィをいたく気に入ったみたいでさ。」

「嬉しいわ。そうだ、今日私の兄さんたちが来てるから、特別に新作を作ってみたの。食べて行かない?」

「それはありがたいな。ぜひ頼むよ。」


店内を見渡すと、テーブルは7割方埋め尽くされている。繁盛している様だ。

カウンター席の端に2人、見慣れない人物が談笑している。時折店の奥に話しかけているようだ。

揃いのピンストライプスーツを着て、首元にイカしたスカーフを仕込んでいる。いかにもフランス人といった仕草だ。ウィルも物珍しいのか、チラチラと彼らを気にしている。

 

すると間もなく熱々の皿が運ばれてきた。ニンニクとハーブと、芳しいラム肉の匂いが鼻腔をくすぐる。

「お待たせしました、お客様。ジゴ・ダニョー・ブーランジェールよ。こちらはプロヴァンスのハーブで育った仔羊の肉を伝統的に焼き上げた料理です。秘伝のスパイスが自慢なの。ボナペティ。」

「うわぁー」ウィルは感嘆の声を上げると、説明もまともに聞かずに肉を解体しにかかった。

「ウィル、料理の説明は聞いてから食べるものだよ。」

「待ってなんかられないや!だって、どうして運んでから説明するの?」

 デクスターはやれやれと頭を振った。

丁寧に切り分けて口に運ぶと、柔らかなラム肉のジューシーな肉汁が口一杯に広がり、ニンニクの香ばしさと病みつきになる様なピリッとしたスパイスがたまらない。

結局食欲がそそられたのか、2人はいつもの倍ほどたらふく食べた後、満足して席を立った。

ウィルは焼きたてパンのおかわりをしたくて名残惜しそうにしていたが、デクスターの財布が不安になったので連れ出されてしまった。


「ラム肉、すごく美味しかったよ。常設メニューにしてくれないのかい。」

「あら、好評だったなら嬉しいわ!」エレノアは意外そうにして、はにかんだ様に笑った。

「あれが好きじゃない人なんて何処にもいないだろう。きっと他のお客さんたちも喜ぶさ。」

「そう言ってもらえて安心したわ。実は、私の兄さんたちあんまり食べてくれてないのよ」

「そうなのかい?さぞかし満腹なんだね」

 エレノアが考え込む様にしていると、ウィルがこう言いかけた。「だってあの人たちニンニク食べられないんだよ。あの人たち、ヴァ…」

「エレノーア‼︎我が愛する妹よ!」さっきの二人組がいつの間にかそこに立ってエレノアの肩に手を回している。

「おやその子は君の甥かい?かわいいね。おっと失礼。君がデクスターさんだね。」

「いや、この子は居候なんだ。あなたは?」

「デクスター、私の兄さんのジョンソンよ」

「私がジョンソン」彼はそっくりなもう片方の兄弟に目配せをした。

「…私がジャクソンだ」「お見知り置きを」

「いつも妹が世話になっているよ…」


 ジャクソンが話している間、ジョンソンはウィルに話しかけた。

「君!馬鹿なことをするなよ、この店にヴァンパイヤなんていない!わかったか?」

「でもおじさんたち、影もないしにんにく食べれないんでしょ?」

「か、影が見えないのか?ちゃんと幻術を使ってきたのに…」

「ほらやっぱり。おじさんはヴァン…」

「わかった、わかったから勘弁してくれ!妹にはバレたら困るんだ!」

「どう言うこと?」

「君には関係ないさ…」ウィルは大きく息を吸い込むと、下唇を前歯で噛んでVを発音する形にした。

「しっ……しっ、落ち着いてくれ。」

 お洒落な紳士はとりみだしてソワソワしながら話し出した。


「君に伝わるかわからないが…妹は親がヴァンパイヤだと知らないんだ。幼くして捨てられてね。妹だけは日の中も歩けるし、レア肉さえ食べていれば弱らないんだ。」


「私達が人の血を吸うと知ったらどう思うか……だから我々はアステカの秘宝を探し出し、満を持して血を欲さないデイウォーカーになるつもりなのだ」


「んー、おじさんファンタジーが好きなんだね。」

「ヴァンパイアなんて思いつく君だって好きだろう?」

「変な人」

「うるさいな」

 

「2人とも、お肉はあまり好きじゃなかった?」とエレノアが率直に聞いた。

「とんでもない!どうしてそう思ったんだ!これから全部……全部完食するつもりだったんだぞ、せっかくだから持ち帰って配ろうとしてたところだ!」とジャクソンが言うと、ジョンソンが慌てて彼の紳士靴を踏んだ。


「あら、それはよかったわ‼︎気に入らなかったらどうしようかと……そんなに好きなら秘伝のソースとスパイス詰めて渡すわね」

「それは……うん、とても嬉しいよエレノア!」

「僕らはそろそろお暇するよ。家族の会話を邪魔しちゃ悪いからね」と革財布をしまいながらデクスターは笑って言った。

「またいらしてね!おチビちゃんも。」とエレノア

 ウィルもバイバイと手を振って歩き出した。


 カランと閉じられたガラス戸の奥では、悶えるジョンソンが双子の兄弟に「次はお前が食え」と必死の形相でハンドサインを出していた。

「変な人達だったね」ウィルは呟いて、デクスターは稀に見る洒落た服装を思い浮かべながら「彼らはフランス人なんだよ」と答えた。


 家に帰ると、七面鳥がソファの手前で優雅に休んでいるところだった。ウィルはソファに這い上がると、まじまじとその鳥を見つめた。

「七面鳥って美味しいのかな」ぽつり、と呟く。

七面鳥の皮膚が青白くくすんだ。

「食べちゃだめだぞ、その鳥は隣のお婆さんの大事なペットなんだよ。」慌ててデクスターが言った。

「食べやしないけど、ちょっとふと思っただけ」

「何で皮膚の色が変わるの?」とウィル。

「感情によって血管が縮んだり広がったりするのがよく見えるから、らしいね。」

 

ゴールディング夫人は、いいお屋敷の家政婦だったそうで、七面鳥は雇い主の息子が農場で拾ってきたものだと言った。

「この七面鳥はねぇ、すごく賢くて、あたしたちが言ってることに反応して赤らんだり青ざめたりするのよ。何なら飼い主のゲイルぼっちゃまより賢くてねぇ、」

「ゲイルぼっちゃまはトウモロコシ農家に追い回されていたこの鳥をその場で買い取ったらしいのよ。何がそんなに良かったのか、聞いても目が綺麗だったとしか言わなかったわ。」


「ゲイルぼっちゃまったら、お父上の書斎から変な日誌みたいなものを出してきて、暖炉のそばで居眠りして本を焼いちゃったのよ。いい子なんだけど、天然なのが玉に瑕でね……翌朝からあの子はこの街に引っ越すことになったのよ。実はその前の晩、私はお父上が難しい顔をして何人かで密会してるのをみてしまったのよね。秘密結社めいていたわ。」


「確かにぼっちゃまは地図やら古びたアンプルやら、何だか変なものばかり書斎で見つけては無くしてしまっていたけれど、きっとあの会合で何かあったのね。私の雇用も打ち切られてしまったから、ぼっちゃまは言わなかったけれど、お家を勘当されてしまったんだと思うのよ。ぼっちゃまが出ていって今までこの鳥を私が世話してきたけど、そろそろ親にも会ってきたいし、預かって欲しいのよ……」


 ウィルが興味深そうにこう聞いた。

「ねぇデクスター、七面鳥の眼ってどうして青いの?」

「うん?」「あぁ、それは顕微鏡で見た時に虹彩の凹凸が特殊で、青い光の反射でそう見えるんだよ……ん?」

デクスターがその鳥を覗き込むと、ひどく人間的な青い目にじっと見つめ返された。


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