王が多すぎる国
私は、アルディア王国宰相、セラス・ヴェントと申します。
このたび我が王の命により、東方の遠き島国と国交を結ぶため、騎士団長ガルド卿とともに長い海を渡りました。
その国は、たいへんに豊かで整然としていました。
道は清潔に舗装され、民はよく働き、役所の者たちも礼儀正しく応対してくれます。
ただ、会談室に案内されたとき、私は少なからず戸惑いました。
そこには玉座がありませんでした。
立派な机と椅子、国旗はありました。
しかし、王が座るべき高貴な位置がないのです。
やがて、一人の落ち着いた風貌の男が部屋に入ってきました。
「総理大臣です。どうぞよろしくお願いいたします」
私は慎重に尋ねました。
「失礼ながら、あなた様がこの国の王であられますか?」
「いいえ、違います」
「では、宰相の立場でいらっしゃいますか?」
総理大臣は穏やかに微笑みました。
「かなり近いところかと思います」
同業者であることがわかり、私は少しだけ肩の力を抜きました。
「では、この国の王はどなたでしょうか」
総理大臣は、わずかに間を置いて答えました。
「国民です」
通訳が無言で頷くのを見て、私は言葉を失いました。
「つまり……この国には、王が一億人以上いらっしゃるということですか?」
「一億二千万人ほどになります」
隣に控えていたガルド卿が、静かに剣の柄に手を置きました。
「宰相殿……これはもう、帰るべきでは」
「待て、ガルド。まだ早い」
私は深く息を整え、改めて総理大臣に向き直りました。
「王の命は、どのようにして受け取っておられるのですか」
「国民の皆様に、選挙という形で多数決をしていただいております」
「王が……多数決を、ですか?」
「はい」
「王命が割れることも、ままあるのですか」
総理大臣は静かに頷きました。
「日常的に起こります」
その声には、静かな疲労が滲んでいました。
私は心の中で深く同情しました。
我が国でも、王のご機嫌を伺い、そのご意志を正確に汲み取るのは容易い仕事ではありません。
しかし、我が国に王は一人だけです。
この国では、王が多すぎる。
「税は、誰が納めるのですか」
「国民、すなわち王の皆様です」
「王が、自ら税を納められる……?」
「そうです。そしてその税の使い道についても、常に様々なご意見をいただきます」
「納得していただけるのですか?」
総理大臣は、ほんのわずかに肩をすくめました。
「説明を尽くします。理解を求めます。しかし、完全にご納得いただけることは……なかなか難しいですね」
その言葉には、深い諦念と、それでも職務を全うしようとする静かな覚悟が感じられました。
やがて、私はさらに奇妙な話を耳にしました。
この国では、時折、王の一人が自国の国旗を燃やして抗議の意思を示すというのです。
「王が……自らの旗を、燃やすのですか?」
「本人は『国家への抗議』だとおっしゃいます」
「しかし、その国家の王は、他ならぬ本人自身では?」
総理大臣は、遠くを見るような目で静かに答えました。
「そこが、難しいところなのです」
ガルド卿が低く唸りました。
「御乱心としか思えません」
私も同感でした。
我が国で王が自らの旗を燃やせば、それは即座に心の乱れとみなされるでしょう。
「批判は、もちろん許されているのでしょう?」
「はい、できます」
「宰相を、政策を、強く批判することも」
「可能です」
「それなのに、なぜ旗を燃やすような行為に及ぶのですか」
総理大臣はしばらく沈黙した後、静かに言葉を続けました。
「言葉による批判だけでは、届かないと感じるのでしょう。象徴を傷つけることで、自分の怒りや不満を、より強く示せると考えるのかもしれません」
私は、ようやくこの国の本質を理解しました。
この国は、王がいない国ではない。
王が多すぎる国なのです。
そして王が多すぎるがために、自分が王であるという自覚を失い、臣民の顔をして国を罵る王が出てくる。
それは批判ではなく、罵倒に近い。
言葉で争うのではなく、自国の旗を焼くことで傷をつけたい。
その欲望まで自由と呼ぶのは、さすがに無理がある。
総理大臣は、そんな王たち全員の前に、毎日立っているのです。
私は深く頭を垂れました。
「宰相閣下……どうか、どうかご自愛ください」
総理大臣は、疲れた顔に柔らかな笑みを浮かべてくれました。
「あなたも、宰相殿。ご武運を」
こうして我々は、無事に国交樹立の調印に至りました。
報告書の末尾に、私はこう記しました。
——当該国は、王政の体をなしていない。
しかし「王が多すぎる国」として理解すれば、その仕組みのおおよそは把握できる。
ただし、宰相という職は、想像を絶するほど過酷である。




