ご機嫌でなにより。
日が傾き始めて、だらだらしそうな日差しが窓の向こうから降り注がれる時。
「んーっ」
伸びをしてから窓に近づいて、そっと開く。
雨が止んだ後の湿った空気がふんわりと流れこむ。すーって空気を飲むと喉が潤う感覚がした。
「ちょっ、登るなっ」
新しい空気が入ってから一歩遅れて、茶色くふわふわな毛の塊がひょこっと頭を突きつけて来た。新しい風が気に入ったのか、それとも中が暑すぎたのか。
それよりも、花粉がだんだん近づいてくるみたいだ。鼻の奥がじんわりしてて、嫌。
急いで窓を閉めようとしたけど、毛の塊が邪魔でうまく閉められない。窓に挟まれてもこの茶色い毛の玉は退くつもりはないらしく、すんっとしたまま窓の外を覗いていた。
「もーっ、あんた邪魔」
このままじゃ嫌だから、無理矢理茶色の猫を、きなこを抱え上げて窓を閉める。
少し不満そうにこちらを眺めてくるけれど、仕方ない。花粉症はきついから。
「……む…」
その顔を見ると、無性にムカついてきた。こちはら一生懸命に働いてお金を稼いで、それでなんとか生きているのに、こいつは単に可愛いからってご飯も寝床も貰って、それが当たり前だと思ってて。
「せめて愛嬌たっぷりじゃなきゃ、筋合いにならないのよ。あなたの立場をわかってる?」
じろじろと見ていると、向こうも何か感じた事があるものか、そっと目があった。
まん丸いお目目が私を捉える。
なーんか可愛いなぁ。
「ねね、あなた。私によって生きているんだから、私に可愛がるれても文句はないのでしょう?撫でられるのも好きなんでしょう?」
抱え上げたきなこをぎゅーっと抱えて、そのまま日当たりのいい椅子に腰掛ける。
「覚悟しなさいよぉ、可愛いのが悪いんだから」
理不尽な苛立ちを抱えながら、きなこのほっぺたに自分の頬をくっつけて、すりすり。
擦った。擦りまくった。
すりすりすりすり。
柔らかい茶色い毛と、ちょっとツンってしてる髭と、ごろごろとうるさく響く喉と、嫌そうにばたばたしてる両足が、たまらなく愛おしい。
すりすりすり。
やっぱりこんな可愛い生き物は愛でられて当然だ。愛されるために生まれたに違いない。
「ひゃああー…」
すっきりした。
10秒くらいのすりすりの後、ぱっときなこから離れる。この子もまた気が済んだのか、咄嗟にぱっと飛び降りてしっぽをぴーんと伸ばしたまま歩き始める。ご機嫌そうでなにより。
またも時は流れて、紅を帯びた空がだんだん輝きを増していく中。
集中力が途切れる寸前。いや、無理矢理切れるのを我慢していた最中。
「ちょっ、とぉ…」
きなこがぴょんっと飛んで、私の机に陣取る。
茶色い毛が丸く、玉のようになってて、モニターが見えなくなる。
ちょっとだけ見えるモニターには、言葉にならない文字列が無限に打たれるばかりだった。
「消えたらあなたのせいだから…」
突然とキーボードに登ってきたきなこのせいで、ひょろひょろと保てていた集中はぷちっと切れてしまう。後戻り出来なるくらい、緊張が消える。
今までやったのが消えても、まぁいいっかってなるくらい。だらだらとしたくなっちゃう。
「どうせ、誰かさんのせいで仕事できないし…」
そう自分に言い聞かせるように言ってから、机に顔を埋める。正確には、きなこの背中に。
柔らかな毛並みが鼻をくすぐる。瞼を撫でる。
ふんわりと、ひだまりの匂いがする。
日向ぼっこが大好きな猫らしく、ひだまりの匂いが充実していて、安心する。
気持ちよかった。
背中に顔を埋めていたせいで、息がそのままきなこに届いて、私に戻ってくる。
猫の体温と、私の息で温められたきなこの背中に何度かすりすりしてから、顎を乗せる。そのままぐりぐりと、ちょっと強めに背中をいじった。
「嫌そうにしやがって。こっちは仕事が出来なくなったんだから、こっちが満足するまで我慢しなさいよ。クビになったらあんたのせいだから」
ぐりぐり。昔よりだんだん固くなっていくのはきっと、筋肉がついたからなのだろう。
「さ、仕事よ。帰りなさいっ」
ある程度満足したところで、きなこをそっと持ち上げて、床に下ろした。
きなこは振り返りもせずすたすたと、今度もまたしっぽをぴんと立たせたまま歩き始める。
ご機嫌さうでなにより。
またも時は流れて、空にはお日様の光は消えた頃。たくさんの星々が自分を見てとばかりに体を張る時。
すなわち、退勤時間を過ぎた頃。
「仕事終わんねぇ……」
昼も夕方も、そして今も同じように、モニターと睨めっこをしているばかりの私だった。
誰かさんのせいで、夕方までやっていた作業が台無しになってしまってて、それを作り直したらこんな時間。もし相手が人間だったら訴えるに違いない。
「……自分だけ楽しそうにして」
私に残業を強いられた当の本人は、他の人達によってふらふらと振られる猫じゃらしを全力で追いかけていた。ぴょーんって飛び上がり、両足で捕まって、くりくりと噛み砕いて、気が抜いたら懐からそっと逃げられて、また飛び上がりの繰り返し。
なんと猫らしい遊び方。
許せない。こっちは生きるために必死なのに、あっちは遊ぶだけでご飯貰えて偉い偉いされて、不公平極まりない。
そんな思いでガタガタガタとキーボードを叩いていたら、あっという間に仕事は片付けられ。
「終わっちゃった…」
一時間にも及ばず残業は終わってしまった。
「おわりーっ!」
予想より早く終わったのが嬉しくなってつい、思いっきり声を出しながら伸びをした。
それに気づいたきなこがそそくさと私に近寄って、すりすりと顔を擦り付ける。
必要な時にだけ甘えてくるなんて、やっぱり猫は悪い生き物だ。自分勝手だ。
でもまあ、今は気持ちいいから。
「帰ろっか、きなこ」
みゃっ、て返事と共に席から立つ。
何って言ったんだろう。
わからないけれども、足取りはとことこ軽やかで、時に私に顔を擦って、ぴんと立ったしっぽはぷるぷると小刻みに震える。
まぁ、ご機嫌そうで何より。
「今日はいわしだ食べるぞーっ」




