32.溺れる男
町娘の装いに不釣り合いの高価なネックレス。それはプロポーズの時に送られるような一世一代の代物であり、15歳という年齢に対して分不相応であった。
(こんなの絶対にもらえないっ…!!)
存在感を示しながら輝きを放つ宝石に指紋を付けることも恐ろしく、手で触れることなく顔を上に向けた。
「これ早く取って!」
泣きそうな顔でシュヴァルツを見るが、彼はマリエッタ以上に泣きそうな顔をしていた。というかもはや泣き出している。
「気に入らなかったかな…僕としたことが…うぅ…」
両手で顔を覆い、ショックで地面に膝をついてしまった。肩を小刻みに震わせながら、15歳の少女の前で盛大に狼狽えている。
それは異様な光景で、周囲にいた人達は怪訝そうな視線を向けて来た。中には、マリエッタに対して非難するような目を向けている者もいる。
「ちょっ…!恥ずかしいから早く立ち上がって!これじゃ私が悪いことをしたみたいじゃない!」
「マリエッタは悪くないよ。僕がこんな物を選んでしまったから…全部全部僕のせいなんだ…あぁ…」
「いつもは自信満々のくせに、なんでこんなところでネガティブ思考発揮すんのよ!めんどくさい!いいから早く立って!」
「立ち上がるから、それ貰ってもらえる?」
「いやそれはちょっと…」
「ああ゛ぁ…やっぱり僕のせいでマリエッタに不快な思いを…これはもう許してもらえるまで芋虫の如く地面に這いつくばるしか…」
「ああもうっ!!とりあえず今は付けておくから、さっさと立ち上がりなさい!」
ジメジメと言い訳を繰り返すシュヴァルツに、腹を立てたマリエッタが声を荒げた。すると、彼はすくっと立ち上がり、膝の土埃を手で払って満遍の笑みを見せる。
「受け取って貰えて嬉しいよ。それ婚約の予約だから、18歳の誕生日に改めてプロポーズさせて貰うね。それまで大事に取っておいて。」
「は……………………?」
(何言っちゃってんのコイツ……)
先ほどまで狼狽えていた成人男性はどこにも見当たらない。マリエッタの目の前にいる男は、憎たらしいほど自信に満ちた顔で微笑んでいる。
「次はデザートに甘い物でも買って来ようか?」
固まるマリエッタに、シュヴァルツがにこにこ顔でエスコートの手を差し出す。
「って、誰が流されるかぁっ!!」
「ん?ここでプロポーズの約束を交わした甘い余韻に浸っていたいってことかな?大歓迎だよ。」
マリエッタが怒り任せにシュヴァルツが差し出した手のひらを叩くが、良い音がするだけで彼が痛がる素振りはない。
「ちがーう!なんでこんな時だけポジティブ思考なんだよ!」
「マリエッタの町娘姿が可愛いからかな。はぁ…どれだけ眺めても飽きない。」
ぷんすか怒るマリエッタの横で、シュヴァルツは蕩けるような表情をしている。その横顔から幸福が溢れ出ていた。
「マリエッタ」
意地を張って反対側に顔を向けるマリエッタに、シュヴァルツが甘やかな声で彼女の名を呼ぶ。その声音は真摯で、慈愛に満ちていて、とてもじゃないが無視できるものではなかった。
不本意ながらも、ゆっくりと彼の方を向く。
「愛してる。」
「…….っ」
真正面から向けられた愛の言葉に思わず肩がびくつく。
いつもの冗談めかしている彼とは違い、その瞳は本気だった。吸い込まれるように惹きつけられ、目が離せない。このままだと呑み込まれそうで怖くなる。
「こんな言い方じゃズルいかもしれないけど、マリエッタじゃなきゃダメなんだ。僕のこと嫌いじゃないなら側にいて欲しい。絶対に幸せにすると誓うから。」
「………私のことなんて何も知らないくせに。」
俯いたマリエッタの口から本音が漏れ出た。
(初対面でプロポーズされて、そのまま勢いで付き纏われて…結局あの時の猫かぶりが良かったってだけでしょ?ほんとは誰でもいいくせに…)
心に刺さった棘が痛んだ。
これまで知らないふりをし続けた心の棘。だからシュヴァルツと向き合うことが嫌だった。中身が伴わないと分かれば、すぐに飽きられるとそう思っていた。
「姉が大好きで、彼女のためならどんなことでも出来る頑張り屋さん。口にする辛辣な言葉よりもずっと心が優しく、人の中身を見てくれる。そして、こんな僕の頑張りだって認めてくれる素敵な人。」
「え?」
唐突に話し始めたシュヴァルツに、顔を上げたマリエッタが目を丸くする。
(私のことそんな風に見ていてくれたの…?見た目だけじゃなかったの?)
肯定の言葉が降り注ぎ、視界がキラキラと煌めき出す。彼女の心を優しく包み込む。それは少しだけくすぐったくて、身を預けたくなるほど心地よい。マリエッタは、純粋に嬉しさを感じていた。
だが、彼の言葉はここで終わりではなかった。
「そして、僕の心を掴んで離さないほど魅力的で、僕が人生をかけて幸せにしたいと思った唯一の相手。」
真っ直ぐに見つめてくる茶色の瞳。それは決して揺れることなく、マリエッタのことを視界に収め続ける。
その真摯な眼差しには、普段の彼からは感じられない灼けつくような熱が込められていた。
「そんなの…」
真っ直ぐに熱を向けられたマリエッタが怯んだ。
彼の熱量に応えられるほど自分の気持ちに自信がない。でもいつものように軽く遇らうには、今の彼は真剣過ぎた。彼女の中に困惑が広がる。
(なんて言えばいいんだよ…)
上手く言葉に出来ず口籠もる。
すると、彼女を見つめていた茶色の瞳が柔らかさを帯びた。緊張を解いて、いつもの柔和な表情で笑いかけて来た。
「今は疑ってもらって構わないよ。信じられないだろうから。その代わり、僕の側で僕の気持ちが本当かどうか見定めて。離れずにいて。」
「うん。」
(離れたいほど嫌いなわけじゃないし、この距離感なら別に….)
シュヴァルツの自分優位な提案に、こくりと素直に頷いたマリエッタ。それを見た彼が破顔して歓喜に湧く。
「ちょっと待って…僕のマリエッタが可愛い…素直に頷いたんだけど。一生側にいてくれるって、もうこれプロポーズの了承ってことだよね?くうっ…悦びで心臓爆発しそう…1回川に…」
「は…。もう溺れてきたらいいと思う。」
「ん?僕はいつだってマリエッタという愛の大河に溺れて…」
「なら、そのまま沈んじゃえ。」
「うん、一生離してあげないから覚悟して。一緒に溺れよ?」
ニヤリと微笑むシュヴァルツ。
「………っ」
(なんなのこの男はっ!!)
ああ言えばこう言うでちっとも懲りないシュヴァルツ。
マリエッタが何を言っても彼の大き過ぎる愛に変わりはない。彼女の苛立ちが増すだけだ。
その後盛大にヘソを曲げたマリエッタは、シュヴァルツのお菓子を使った決死のご機嫌取りによって、なんとか機嫌を戻していたのであった。




