25.優しい嘘
目の前に咲いた大輪のような笑顔。
辺り一面がぱっと明るくなる。
フィニアスの口元は緩み、自分でも分かるほど優しい顔をしていた。
それほどまでにエリーナの笑顔は魅力的で、心から安寧を感じるのだ。普段控えめの彼女が、自分に笑顔を見せてくれることが何より嬉しかった。
(事実を伝えるのは酷か…)
綻ぶ表情の下で、フィニアスの中に迷いが生じていた。
本当はこの場で、メロウナの一件をありのままに伝えようと思っていた。
元より、相手を気遣うための嘘は苦手で、率直な物言いで速く物事を進めたいタチである。エリーナに対しても、仕事の時と同じように忖度なく振る舞うつもりだった。
それなのに、エリーナを前にするといつも慎重になってしまう。不本意に傷つけまいと、無意識に言葉を選んでしまうのだ。
「養子入りの件だが、先日伯爵夫人と話して許可をもらってきた。既に申請は済んでいて、今は承認待ちの状態だ。完了したらまた報告する。」
結局、メロウナのことには触れず事実のみを伝えたフィニアス。
彼は相変わらずの無表情だが、内心はエリーナの反応が気になって仕方なかった。つい紅茶を飲むスピードが速くなる。
「ありがとうございます。あの…お義母様は何か言っていませんでしたか?」
エリーナの取り繕った顔に、隠しきれない不安と恐怖が浮かぶ。
あれほど自分に執着していたメロウナが簡単に手放すとは思えなかった。
自分に対する罵詈雑言の数々或いはフィニアスへの無茶な金銭要求など、何かしら口にしていたに違いないと想像に容易い。
(自分への言葉なら、戒めとしていくらでも受け止めるわ。勝手をしたんだもの。でも、これ以上フィニアス様のご負担になるのは…)
満開だった花は、すっかり色をなくして萎れてしまっていた。不安を隠すようにきゅっと唇をキツく結んでいる。
エリーナの様子を目の当たりにしたフィニアスが、一拍置いて口を開いた。
「伯爵の側にいたいから領地に戻ると。あと、娘達のことを頼むと言っていた。」
「そう…でしたの…」
震える声で答えたエリーナ。
顔色一つ変えずに淡々と答えたフィニアスの言葉に、胸が苦しくなってしまった。
(なんてお優しいお方なの……)
テーブルの下で両手を握りしめる。
あのメロウナがそんなことを言うはずがない。この言葉は、フィニアスが自分を気遣って吐いてくれた優しい嘘だとすぐに分かった。
「あの家に未練はないか?」
何か言葉をかけてやりたくて気付いたら口にしていたが、すぐに後悔した。
(事情があったにせよ、生まれた家と切り離したのはこの俺だ。今更こんなことを聞いてどうする。)
「いや、何でもない。」
じっと見つめてくるエメラルドグリーンの瞳から目を逸らし、視線を遮るように片手を翳した。
「少し前の自分なら不安に思っていたかもしれません。でも今はフィニアス様がいて下さいますから。」
微笑むエリーナは、フィニアスの言葉を無かったことにはしなかった。
いつだって真摯に向き合ってくれる彼に対して、自分も誠実であろうと素直な気持ちを伝えたのだ。
「……そうか。」
翳していた手で口元を覆うフィニアス。その声は低く、普段よりも強張っていた。
(少しは好意的に見られていると思っても良いのだろうか…)
不意にそんなことが頭を過ぎる。
自分の中で明らかに増幅している欲、それはもう見て見ぬふりをするには大き過ぎて限界だった。余裕が無くなっていく。
その様子を見たエリーナの顔に焦りの色が浮かぶ。
「申し訳ありませんわ。私ったら、つい甘えてとても失礼なことを…どうかお忘れになって下さいませ。」
(旦那様になるお方に対して、配慮が足りなかったわ。私がお支えしなければならないのに。)
自分の言葉で不快にさせてしまったと勘違いしたエリーナが、慌てて謝罪の言葉を口にした。下品にならない程度に頭を下げる。
「!!」
すると、腕を伸ばしたフィニアスが優しい手つきでエリーナの頭を撫でてきた。
「もっと甘えてくれて構わない。」
「………っ」
頭に乗る気持ちの良い体温と、甘さ帯びた低音がエリーナの心をざわつかせる。嬉しさと恥ずかしさが同時に押し寄せて来て、どうして良いか分からなくなる。
こんな風に甘やかしてくれる存在は、フィニアスが初めてだった。嬉しい反面、もし彼に失望されたら…という後ろ暗い気持ちがチラつく。
「いつも優しくして頂いているので十分ですわ。今度は私がお支えする番ですもの。」
今すぐに寄りかかってしまいたい本音を押し隠し、淑女の笑顔で微笑むエリーナ。しかし、フィニアスにはお見通しだった。
「素直に甘えておけ。」
フッと鼻で笑われてしまった。
「で、でもっ…」
赤くなる顔で抗議の声を上げようとするが、動揺してしまって言葉が続かない。
「次の休みは買い物に付き合ってくれ。楽しみにしてる。」
「分かりましたわ。」
甘い顔で微笑まれてはもう何も言い返せない。エリーナは赤い顔で俯いたまま頷き返した。
ガゼボは甘い雰囲気に包まれ、その後も二人は言葉を交わしながらお茶を楽しんだのだった。




