24.制裁
フィニアス達がこの部屋を訪れてから僅か数分、ひどく狼狽したメロウナの顔は急速にやつれていた。
焦点の定まらない眼球は不自然に揺れ、小さく動く唇からはぶつぶつと言葉にならない声を発し続けている。
前屈みになった彼女の背中は小さく、エリーナ達を言いなりにさせていた時の傲慢さは見る影も無くなっていた。
「もう一度言おう。ここにサインを。」
正気を失っているメロウナに圧力を掛けるフィニアス。その脇で、無表情のシュヴァルツが彼女の手首を掴み無理やりペンを握らせた。
「養子入りを認めて彼女達に一切関わらないというなら、この証拠は燃やしてやろう。」
虚な瞳をしているメロウナの前で、興味を引くように証拠書類をチラつかせる。
「今すぐそれを返せえええええっ!!!…んがっ」
いきなり目をカッ開いて叫び出したメロウナ。
フィニアスに飛び掛かろうとテーブルに片足を乗せようとしたが、その瞬間シュヴァルツに後ろ髪を掴まれて動きを封じられてしまった。
無理やり天井を向かされているせいで声が出ない。怒りで震える奥歯を噛み締め、狂気の視線を向けた。
失望したフィニアスがため息を吐く。
「無駄足だったな。シュヴァルツ、伯爵夫人は領地に戻って伯爵の看病に専念したいそうだ。よって、このケルフェン伯爵家に関わる全てを法に基づき、婚約者である俺の管理下に置く。至急手配を。」
「了解です。」
「んぐぐぐぁ゛っ…………」
シュヴァルツに締め上げられているメロウナが頭の血管を浮き上がらせて反論するが、それは言葉にならない。
そこへシュヴァルツが凍てついた視線を向ける。
「心を病んだ夫の側にいたいなんて、素晴らしい夫婦愛ですね。だから死ぬまで全うして下さいよ。」
一切感情を感じない声音で吐き捨てたシュヴァルツ。その口元は優しく微笑んでいるが、瞳に浮かぶのは燃えるような憎悪だけだ。
「×××××××××ッ…!!!!」
締め付けを緩めても、メロウナの口は意味不明な高音しか発しない。会話が成り立たず、完全に精神が崩壊していた。
フィニアスが無言で立ち上がる。
シュヴァルツはそれを撤収の合図と受け取り、猿轡をしてメロウナのことを縛り上げた。外に控えさせていた部下に引き渡し、荷馬車で領地まで輸送するよう指示する。
荷馬車がケルフェン伯爵家の領地に到着するのは早くて明日の夕刻。シュヴァルツはそれまでに全ての諸手続きを終わらせるため、ひと足先に早馬で駆けて行った。
この邸にはまだ使用人が数名残っていたが、フィニアスは彼らのことを実害を与えられるほどの度量も技量もないと判断した。
正式に権限を得てから一掃することにして、緘口令だけを敷き、彼も公爵邸に戻るため馬車へ向かう。
「あんな女にエリーナは長年虐げられてきたのか…」
一人きりの車内、無意識に口をついて出た言葉に激しい怒りと憎しみが沸いてきた。これまで感じたことのないほどの激情が全身を駆け巡る。
それはどれだけメロウナを痛めつけても解消されないだろう。他人のためにこれほどまでに腹立たしく思うことは初めてのことだった。
それと同時に、これまで心を殺して苦労して来たエリーナにはいつだって笑顔でいてほしいと強く思う。
「出来れば自分の手で、と思うのは些か欲深いだろうか。」
エリーナのことを思うと、自然と顔が綻んだ。
窓ガラスに映る自分の顔を見て、思わず片手で口元を覆う。ここにシュヴァルツがいれば、間違いなく揶揄われていただろう。
愛おしい笑顔を心に浮かべながら、フィニアスは冷静な頭で事後処理の算段を付けていたのだった。
それから数日、フィニアスとエリーナの二人は約束していた通り、庭園にあるガゼボでお茶をしていた。
気を利かせたネルによって、エリーナは金の刺繍が入った涼しげなシフォン素材のワンピースを着ており、アクセサリーも金で統一されている。
向かい側に座るフィニアスは上着を羽織っておらず、胸元の開いた白シャツの腕を捲り上げてラフな装いをしている。
テーブルには一口サイズの軽食と菓子が並び、中央に置かれた花瓶には、庭で採取したルドベキアが飾られていた。
「好きな花は見つかったか?」
ティーカップに口をつけながら、フィニアスが問い掛ける。その横顔は穏やかだ。
「ええ、お庭で見つけたルドベキアの花に心を惹かれましたの。」
「ルドベキア…」
花に関心の薄いフィニアスには馴染みのない名前だった。名称だけでパッと思い浮かべることが出来ない。
微かに困ったような顔をしていると、控えていたロナウドが視線で花瓶に挿された黒と黄色の小さな花を示した。
「あまり見ない花だな。どんな所が気に入ったんだ?」
「黄色と黒の組み合わせがとても素敵なお色味で、それがフィニアス様の…」
ここまで口にした所で、自分が何を言おうとしているか自覚したエリーナ。真正面から好意を伝えているようなものだ。
(私ったら、なんてことを言おうとしているのよっ…)
みるみる内に顔が赤くなっていく。
顔に集まる熱を感じて思わず両手で顔を覆うが、耳まで赤いため恥ずかしがっていることが丸わかりだ。
俯いて硬直していると、向かい側からとても穏やかな空気が漂ってきた。
「嬉しいものだな。今度花束にして贈ろう。」
揶揄うことも無かったことにもせず、真正面からエリーナの気持ちを受け取ったフィニアス。
顔を上げると、柔らかな表情で見つめるフィニアスと目が合った。それだけできゅっと胸が締め付けられて呼吸が苦しくなる。
(なんて勿体無いお言葉…分不相応だと分かっているのに、どうしよう…とても嬉しく思ってしまうわ。こんなにも幸福を感じて良いのかしら…)
胸がいっぱいで涙が込み上げそうになる。
泣くのを堪えたエリーナは、涙の滲む瞳を細めてとびきりの笑顔を向けた。




