13.脱出
嫌そうな顔をするマリエッタとは対照的に、笑顔で会話を楽しむシュヴァルツだったが、素早く入り口に視線を動かした後、真面目な表情に切り替わった。
「そろそろ行きましょうか。」
シュヴァルツがエリーナに向けて言う。
「あの、行くというのはどこに…」
エリーナは不安そうに胸の前で両手を組み、シュヴァルツに尋ね返した。その細い声は緊張で僅かに震えている。
「フィニアス様の待つ公爵邸ですよ。万が一不当な扱いを受けていた場合、すぐに連れてくるようにと厳命を受けているのです。」
「どうして…」
信じられない表情で目を見開く。
(フィニアス様に助けていただく理由なんてないのに…)
喜びよりも大きな不安が心を覆う。
助けてもらう価値が自分にあるとは思えない。助けた後で失望されるのが怖い。そして何より、こんな自分に優しくしてくれた初めての相手を困らせたくなかった。
「私のことは大丈夫ですわ。ですからどうか、妹だけお願い出来ないでしょうか。不躾なお願いで申し訳ありません。」
腰を折って深く頭を下げるエリーナ。
相変わらず美しい所作なのだが、全身から悲愴感が漂っている。
意思を固めた彼女の背中を見たマリエッタが、すかさず割り込んできた。
「お姉様!助けてくれるって言ってるんだよ。今逃げなきゃいつまでもここに閉じ込められちゃう。一緒に行こう!」
「でも黙って消えてしまっては、お義母様が驚いてしまうわ。教育してもらった御恩だってあるもの。マリエッタは先に行きなさい。私はきちんと話を付けてから向かうから。」
「そんなこと言って…!また折檻を受けたらどうするの?お姉様が辛い思いをするのはもう嫌なのっ。」
冷静な顔で淡々と話すエリーナに、マリエッタが半泣きになりながら訴えかける。
一方、彼女の言葉を聞いていたシュヴァルツは怖い顔をしていた。
(折檻までしてたのか…これは無理矢理にでも連れて行かないと、取り返しのつかない事態になるな。)
意地でも首を縦に振ろうとしないエリーナを見たシュヴァルツは、強硬手段を取ることにした。
「エリーナ様、これお願いじゃなくて命令ですからね。ここで連れて行かなければ、代わりに僕が罰せられることになります。だから一緒に来てくれますよね?」
有無を言わせぬ笑顔で、圧を掛けるシュヴァルツ。
彼女の性格上こんな言われ方をしたら心を痛めると思ったが、今は気にしていられなかった。
「お姉様、お願いだからっ……」
マリエッタもエリーナに縋り付く。その大きな両目からは涙が溢れ出ていた。
「…はい。私の我儘でご迷惑をお掛けして申し訳ありませんわ。一緒に参ります。」
二人に迫られ、観念したエリーナが深々と頭を下げる。自分のせいで他の人が傷付くなど耐えられなかった。
「では行きましょう。もし誰かに見つかった場合、僕が話をつけるのでお二人は後ろにいてくださいね。」
「うげっ」
「分かりましたわ。」
シュヴァルツが意識して明るく声を掛ける。
彼にウインクを飛ばされたマリエッタは呻き声を上げ、エリーナはしっかりと頷いた。
地下室は邸の入り口から離れた位置にあり、階段を登って一階に出た後は長い廊下をまっすぐ歩かなければいけない。
廊下のちょうど中央にあるダイニングルームまでは厨房や洗い場など使用人の仕事場が多く、人に見つかる可能性が最も高い。
エリーナの華奢な足元を考慮したスピードで、シュヴァルツが周囲を警戒しながら先頭を行く。
(今日は晩餐の予定があるから、今の時間使用人の配置は厨房とダイニングルームに偏っているはず…ここさえ乗り切れば…)
事前にメロウナの予定と邸の見取り図を頭に叩き込んでいたため、状況を正確に把握することが出来る。シュヴァルツは、急く気持ちを抑えて慎重に進み続けた。
「もう大丈夫です。」
玄関を出て建物から少し離れた所でシュヴァルツが後ろを振り向き、エリーナ達に笑顔を見せた。
「ありがとうございます。」
「ヒヤヒヤしたけど、出て来られたー!」
二人とも安堵の表情をしたが、エリーナの微笑みは一瞬だけでまたすぐに顔を曇らせた。
(家出同然で出てきてしまったわ…こんなことをして本当に良かったのかしら…)
半分勢いでマリエッタとシュヴァルツに付いてきたものの、実際に邸から一歩外に出ると大きな不安が押し寄せてきた。
しかし、だからと言って、今更一人で戻ると言い出す勇気もない。不安な気持ちを隠して、シュヴァルツの後に続く。
人目を避けながら辿り着いたのは裏門だった。門の向こう、道路を挟んだ向かい側に地味な馬車が停まっている。
その馬車を目指して歩く三人。もう辺りは真っ暗だった。
「なんでいるんですか……………」
夜目が効くのか、何かに気付いたシュヴァルツが闇に向かって呻く。
(誰かいるのかしら?)
エリーナもシュヴァルツの視線の先を見て目を凝らすが、暗闇しか見えない。
「遅かったな。」
暗闇の中から姿を現したのは、漆黒のコートを着たフィニアスだった。




