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【BL】ハルキゲニアのふたり  作者: 平手武蔵
春夏秋『冬』
7/16

Ep.7 side 春樹

 冷たい風が窓を叩き、木々の葉もすっかり落ちた冬。玄弥さんに電話をかけてから、もう二ヶ月近くが経っていた。あの後、僕は諦めきれずに何度か発信ボタンを押したけれど、コール音が虚しく響くだけで、玄弥さんが出ることはなかった。留守電にメッセージを残す勇気もなかった。

 さすがに少し落ち込んだけれど、不思議と以前のような深い絶望感はなかった。白木先生は根気強く話を聞いてくれたし、佐々木さんも、あの図書室での一件以来、良き友人として屈託なく話しかけてくれるようになったからかもしれない。誰かに話を聞いてもらえる、理解してもらえる、というだけで、心はこんなにも軽くなるんだな、と初めて知った。


 そうしているうちに、僕自身も少しずつ変わってきた気がする。以前なら考えられなかったけれど、クラスメイトと冗談を言い合ったり、グループワークで積極的に発言したりすることも増えた。周りからは「春樹、最近明るくなったよな」「なんか雰囲気変わった?」なんて言われる。

 休み時間には、隣のクラスの女子がわざわざ僕の席まで来て、「この前の数学のノート、見せてくれない?」なんて声をかけられることもあって、その度に佐々木さんに「またモテてるー!」とからかわれたりもする。自分ではよく分からないけれど、やっぱり顔は良い方……なのかな。口が裂けても、人前でそんなことは言えないけれど。


 そんなある日の昼休み。佐々木さんと購買で買ったパンをかじりながら話していた時、ふと彼女が言った。


「ねえ、春樹くん。そんなに会いたいならさ、こっちから会いに行っちゃえばいいんじゃない?」

「え? 会いに行くって……どこに?」

「ほら、玄弥さん、日本代表なんでしょ? 年明けにさ、国立競技場でエキシビジョンマッチがあるんだって! 相手は、あのオールブラックス!」


 佐々木さんが興奮気味にスマホのニュース画面を見せてくる。黒いジャージを着た、屈強な選手たちの写真。そして、その試合の告知。


「オールブラックス……」


 玄弥さんが、日本代表としてあの最強チームと戦う。想像しただけで胸が熱くなる。でも……。


「……そんな特別な試合、チケットなんてとっくに売り切れてるよ、きっと」


 僕が言うと、佐々木さんは「だよねー」とうなずきながらも、諦めきれない様子でスマホを操作し始めた。


「あー、やっぱり! 全席完売だってさ……残念」


 画面を見て、二人で大きなため息をついた。まあ、そうだよね。そんな簡単に会えるわけがない。


「……その試合のことかい?」


 不意に、背後から声がかかった。振り返ると、職員室に戻る途中だったのか、白木先生が僕たちの会話を聞いていたようだった。


「あ、白木先生」


 先生は僕たちの手元にあるスマホの画面をちらりと見て、穏やかに続けた。


「日本とニュージーランドのエキシビジョンマッチだろう? 実はね、ラグビー好きの友人に誘われてチケットを取っていたんだが、急に外せない用事ができてしまってね。払い戻しもできないし、どうしようかと思っていたところなんだ」


 白木先生は少し困ったように笑いながら言った。そして、僕の目をまっすぐ見て、意味ありげに続けた。


「もし君さえよければ、そのチケットを譲ろうか? 《《君が応援したい選手》》も、出場するんだろう? せっかくの機会だ。無駄にするより、君が直接その目で見てくるのが一番いい。代金のことは、本当に気にしないでくれ。無駄にするより、ラグビーが好きな君たちに見てもらった方が、チケットも喜ぶだろうから」


 先生はそう言って、僕の肩を軽くポンと叩いた。その言葉には、単なる親切以上の、僕の気持ちを理解し、後押ししてくれるような温かさがこもっていた。

 僕と佐々木さんは、顔を見合わせた。信じられないような偶然。いや、これは先生の計らいなのかもしれない。断る理由なんて、どこにもなかった。僕たちは、同時に力強くうなずき合った。


 ◇


 そして、試合当日。冬の澄み切った青空の下、新しくなった国立競技場は、試合開始前からものすごい熱気に包まれていた。桜のジャージや、オールブラックスの黒いジャージを着たファンたちが、期待に満ちた表情で続々とゲートへ吸い込まれていく。僕と佐々木さんも、その人の波に揉まれながら、ようやく入口近くまでたどり着いた。

 見上げる巨大なスタジアム。そのスケールに圧倒される。こんな大きな場所で、玄弥さんは戦うんだ。日本代表として、あのオールブラックスと。


「すごい人だかりだねー!」


 隣で佐々木さんが白い息を吐き、興奮した声を上げる。僕もうなずきながら、胸の高鳴りを抑えきれずにいた。白木先生から譲り受けたチケットを、僕はコートのポケットの中で強く握りしめる。


 本当に、ここに玄弥さんがいるんだ。


 あの日、僕の肩を支えてくれた大きな手。雛人形を並べる時の、不器用だけど優しい指先。少し照れたように笑う顔。僕の頬に触れた、チクッとした感触。全部、昨日のことのように思い出せる。

 電話に出てくれなかったこと。折り返しがなかったこと。その理由は分からないままだ。もしかしたら、もう僕のことなんて、本当に忘れてしまったのかもしれない。迷惑だったのかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられるように痛む。


 でも、それでも。

 僕は、玄弥さんに会いたい。


 ただ、一目だけでもいい。遠くからでもいい。あの大きな背中を、力強く走る姿を、この目で見たい。そして、心のどこかで願ってしまうんだ。もしかしたら、僕の声が、僕の想いが、この大観衆の声援の中に紛れて、ほんの少しでも、玄弥さんに届くんじゃないかって。

 コートのポケットからチケットを取り出す。僕と玄弥さんとの繋がりを、再び手繰り寄せてくれた一枚の紙切れ。


「行こう、佐々木さん」

「うん!」


 僕は期待と不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えながら、人々の熱気と、冬の澄んだ光が混ざり合うスタジアムの中へと、その一歩を踏み出した。

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