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【BL】ハルキゲニアのふたり  作者: 平手武蔵
春『夏』秋冬
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Ep.4 side 玄弥

 蒸し暑い夏の夜。泥と汗にまみれたジャージを脱ぎ捨て、ようやく辿り着いた自宅マンションのシャワールームは、俺にとって唯一、完全に一人になれる場所かもしれなかった。今日の練習もキツかった。日本代表に選ばれてから、プレッシャーも練習量も段違いだ。熱いシャワーが、酷使した筋肉の張りをじわじわと和らげていく。


 ……ったく、体が資本とはいえ、毎日これじゃあな……。


 シャンプーを泡立て、ガシガシと坊主頭を洗う。首筋にシャワーを当てながら、ゴシゴシと太い腕を洗う。プロップというポジションに必要なこのゴツい体。小さい時からデブと言われて、昔はコンプレックスだったが、今はこれが俺の武器だ。そして、この体のおかげ、というわけでもないだろうが、俺にもようやく彼女ができた。

 チームを応援してくれるファンの子で、目がくりっとしてて、素直で、まあ……普通にかわいい。きれいだとも思う。おかげで、長年こじらせていた童貞も、つつがなく卒業できた。世間一般で言えば、順風満帆ってやつなんだろう。練習はきついが結果は出てるし、プライベートだって、人並みには満たされているはずだ。


 湯気で曇りかけたシャワールームの大きな鏡に、ぼんやりと自分の姿が映っている。シャワーヘッドを壁に戻し、全身に湯を浴びながら、俺は鏡の前に一歩近づいた。


 水滴が俺のデカい体を、つーっと伝う。鍛え抜かれた大胸筋は確かにあるが、その上にはしっかりと厚い脂肪が乗っかっている。腹筋だって、力を込めればその存在はわかるが、普段は柔らかな肉の下に埋もれている。プロップとして相手を受け止め、押し込むためには、この重さと厚みが必要だ。まさに、ぶつかり合いのために最適化された、重戦車のような肉体。

 日々のトレーニングの成果を実感する。だが、鏡の中の自分が、どこか物足りなそうな、満たされない目をしているように見えた。


 ふいに、あの日の感覚が蘇る。よろけた春樹を支えた時の、俺の手の中にあった、驚くほど細い肩の感触。Tシャツ越しでもわかる、華奢な骨格と、微かな熱。あの頼りないほどの薄さ……まるで、力を入れたら壊れてしまいそうな……。


 ……妖精、か。


 思わず口走っちまった言葉。その響きが、妙に自分の中に残っていた。シャワーの湯が肩を叩く中、濡れた腕が無意識に肩へと触れ、鏡の中の俺は、自分の体を抱きしめるような格好になっていた。まるで、あの時支えた春樹の体を思い出すように。……ハッとして、すぐに腕を解く。何やってんだ、俺は。


 あいつも、結局、あのひなまつりから一年も経たないうちに、遠くに引っ越しちまった。 最後にわざわざ挨拶に来た時、やけにしょんぼりした顔をしてたのを覚えてる。「元気でな」なんて言って頭を撫でたけど、本当はもっと何か、気の利いたことでも言えればよかったのかもしれない。連絡先は交換した。なのに、結局俺からは一度も連絡しちゃいない。……なんていうか、できなかったんだよな、正直。


 あいつは……多分、俺のことを好きだったと思う。恋愛的な意味で……だ。最初は、出張であまり帰ってこない父親の姿を俺に重ねていると思った。でも、それは違うと途中から気付いた。


 時間が経てば経つほど、あいつに対して、どう向き合えばいいのかわからなくなった。だから、これで良かったのかもしれないなんて、無理やり自分に言い聞かせたりもした。でも、時々こうやって、ふと思い出しちまう。


 シャワーヘッドからの水滴が、体を伝って足元に落ちていく。


 なんで今、あいつのことを思い出すんだ?

 彼女もいて、満たされてるはずなのに。

 俺は……本当は男が好きなんだろうか。


 大学の頃、一度だけ、同じ学部の少しチャラい感じの男に、妙に馴れ馴れしく肩を組まれて、「二人で飲みに行かない?」なんて、やけに近い距離で囁かれたことがあった。その瞬間、背筋がゾッとして、思わずそいつの手を振り払っていた。不快感、いや、はっきりとした嫌悪感だった。あの感覚は、今でも覚えている。


 だから、違うはずなんだ。俺は、男が好きなわけじゃない。


 でも、春樹は……あいつのことは、どう説明すればいい? あの儚げな姿、潤んだ瞳、触れた時の熱。思い出すたびに、胸の奥が妙にざわつく。これは、あの時の嫌悪感とは全く違う、もっと別の……熱っぽい何かだ。


 結局、俺はどっちなんだ? 何を求めてるんだ?


 シャワーの音だけが、広く、やけに静かなバスルームに響いていた。


 ピンポーン。


 突然のチャイムの音に、思考が中断された。……ああ、彼女か。来るって連絡があったんだった。タオルで乱暴に体を拭き、バスローブを羽織る。


「……おう」


 ドアを開けると、真由美が少し上気した顔で立っていた。甘い香りがふわりと漂う。


「今日も練習、お疲れ様!」


 部屋に招き入れ、ソファに座る真由美の隣に腰を下ろす。他愛ない会話。彼女の笑顔。……悪くない。悪くないはずなんだ。なのに、どこか満たされない。


 やがて、自然な流れで唇が重なり、互いの体を求める。彼女の滑らかな肌、甘い声。目を閉じる。暗闇の中で、俺はきっと別の姿を探していた。

 白い光の中に浮かび上がる、細いシルエット。栗色に見える色素の薄い髪。こっちを見つめる、少し潤んだ瞳。触れたら消えてしまいそうな、儚い存在。俺が「妖精」と呼んだ、あの日の少年――。


 現実の熱い吐息。脳裏に焼き付いた幻影。ぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。俺は一体、誰を抱いているんだろう。答えが出ないまま、今日も俺は愛に溺れる。

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