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【BL】ハルキゲニアのふたり  作者: 平手武蔵
春夏秋『冬』
10/16

Ep.10 side 春樹

 通路の少し脇。周りの喧騒が少しだけ遠のいたような場所に、僕と、まだ少し顔を赤らめ、どこか落ち着かない様子の玄弥さんだけが残された。

 数年ぶりの再会。あのひなまつりの日以来だ。緊張で、喉がカラカラになる。記憶の中の優しいお兄さんは、今、目の前で、日本を代表する屈強なラガーマンとして立っている。


「……久しぶりだな。春樹」


 先に沈黙を破ったのは、玄弥さんだった。その声は、記憶の中よりも少し低く、太くなっている気がした。


「お久しぶりです、玄弥さん。試合、すごかったです」

「ああ、サンキュ。……大きくなったな」


 玄弥さんは、どこか距離を置くように、当たり障りのない言葉を並べる。そして、僕から視線を逸らすように言った。


「じゃあな。彼女、待たせてるんだろ。早く行ってやれ」


 その言葉に、胸がチクリと痛む。でも、ここで引くわけにはいかなかった。


「待ってください! 彼女じゃなくて、佐々木さんは本当に友達で……! それに、もう少しだけ、話がしたいんです!」


 僕が食い下がると、玄弥さんは苛立ったように、こちらを睨みつけた。


「話すことなんてねえよ! なんでそんなに突っかかってくんだよ! 彼女がいるくせに、俺にまで気があるみたいな顔すんじゃねえよ!」


 まるで心臓を思い切り掴まれたかのような衝撃だった。


 玄弥さん……僕が佐々木さんと付き合ってるって、本気で勘違いして……嫉妬してるんだ!


 ――いや、待って。そんなはずはない。だって、玄弥さんは女性が好きなストレートだ。そんな関係になるなんて、ありえない。そうに決まってる。


 それなのに、さっきの言葉はなんだ? 僕と佐々木さんの関係を、まるで責めるような響きは……。


 頭の中で、バラバラだったピースが、カチリ、カチリと音を立ててはまっていく。


 あの時、電話に出てくれなかったこと。折り返しがなかったこと。さっきのファンサービス中の、遠くを見るような、何かを探しているような目。僕を見て、隣の佐々木さんを見て、硬くなった表情。全部、繋がった。


 僕を避けていたんじゃない。僕の気持ちが迷惑だったんじゃない。僕を、一人の相手として、強く意識していたから。

 忘れられていたんじゃない。むしろ、忘れられずに、ずっと心の中で戦っていたから。屈強な肉体の奥、ひた隠しにして、たった一人で。


 一方的に線引きしていた気後れが、すうっと潮が引くように消えていき、代わりに、熱い何かが胸の奥から湧き上がってくる。勇気が、そして、どうしようもないほどの愛おしさが溢れ出してくる。


 僕は玄弥さんを見つめ返した。


「玄弥さん」


 その大きな肩がびくりと揺れる。


「佐々木さんは、彼女じゃないです。ただの、大切な友達です」

「だ、だから、どっちでもいいって……」

「よくないです。どっちでもよいなんてことは、ないんです」

「春樹、お前、何を……」


 しどろもどろになる玄弥さんの言葉を、僕は静かに遮った。


「玄弥さん、僕のこと、好きなんですね」

「なっ……! なに、言ってんだ、お前……!」


 玄弥さんの顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。


「僕も、玄弥さんのことが好きです」


 今度は、僕から告げる番だった。


「ずっと、あのひなまつりの日から、ずっと好きでした。あなたの大きな背中も、不器用な優しさも、ラグビーに打ち込む真剣な顔も、全部。だから……ちゃんと、僕を見てください」


 玄弥さんは、耳まで真っ赤に染まっていた。視線を必死に彷徨わせ、その大きな体を持て余すように、後ずさりして通路の壁際へと追い詰められていた。日本を代表する屈強なラガーマンも形無しだ。そんな姿すら、たまらなく愛おしかった。


 長い、長い沈黙の後、玄弥さんは、まるで降参するように、ぐしゃぐしゃと自分の頭を掻きむしった。


「……ああ、もう! 分かった、分かったから! 今度だ! 今度、ちゃんと話す! だから……」


 玄弥さんは、僕から目を逸らさず、両手で僕の肩をガシッと掴んだ。


 いきなりのことで、僕は息を呑む。大きな手のひらが、コート越しでも分かるほどの力で、僕の細い肩を捕らえている。

 目の前には、至近距離にある玄弥さんの顔。汗ばんだ額、必死に何かをこらえているような険しい眼差し。わずかに唇が震えていた。


「俺の家に来い」

「え……?」

「もう一度言わせんな! とにかく、今日はもう解散だ!」


 そう言うと、玄弥さんは僕に背中を向け、早足で去っていこうとする。


「はい! 分かりました!」


 僕は、その大きな背中に向かって、力の限り叫んだ。玄弥さんは一度だけ足を止め、こちらを振り返らずに片手をひらりと上げて、雑踏の中へと消えていった。


 ◇


 玄弥さんと連絡先を改めて交換し、家に行く日取りを決めてから、僕の毎日は、以前とは違う意味でフワフワしていた。

 テレビで見る玄弥さんは、相変わらず立派で、遠い存在に見えた。でも、もう気後れはなかった。あの人の心の壁を、僕が壊したんだ。そう思うと、不思議な勇気が湧いてきた。


 そして、約束の日。


 僕は、クローゼットの中から、お気に入りの白いコットンシャツを選んだ。コートの下に着るものだからこそ、手を抜きたくなかった。少しシワが寄っていたので、アイロンをかけて丁寧に伸ばす。

 ボトムスは、細身のきれいなシルエットのチノパン。派手ではないけれど、自分なりに一番清潔に見える組み合わせを選んだ。

 髪も、ワックスを少しだけつけて、軽く整える。鏡に映る自分は、いつもより少しだけ、大人びて見えた気がした。


 高鳴る胸を抑えながら家を出た。玄弥さんのマンションは、うちから電車で三駅ほどの場所にあった。

 玄弥さんに会える。その期待で胸は晴れやかなのに、心のどこかでは、また拒絶されたらどうしようという黒い雲が渦巻いていた。

 今朝、テレビの天気予報が『午後は大気の急変に注意してください』と言っていたのを、どうして僕は、すっかり忘れてしまっていたんだろう。


 地図アプリを頼りに、彼の家の近くまで来た、その時だった。


 さっきまでの青空が嘘のように、急に冷たい風が吹き付けた。まずい、と思った瞬間、空が急速に暗くなり、大粒の雨がポツポツとアスファルトを叩き始める。それはあっという間に、ザアアァァッ、とバケツをひっくり返したような、猛烈な雨に変わった。


「うわっ!」


 傘なんて持っていない。あっという間に、全身ずぶ濡れだ。近くに雨宿りできる場所もない。


 どうしよう。こんな姿で、玄弥さんの家に行くわけには……。


 せっかくのお洒落も台無しだ。僕は、激しく打ち付ける雨の中で、途方に暮れるしかなかった。

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