ep 8
冒険者ギルドに正式登録し、マリー、カーシャと共にパーティー「獣の咆哮(仮)」を結成したレオは、ついに初めての依頼を受けることになった。ギルドの依頼掲示板に数多く貼られた依頼の中から、マリーが選んだのは「近隣の森に生息するゴブリンの討伐および巣の調査」という、新人向けとしては比較的安全とされるものだった。
それでも、レオの表情には緊張の色が隠せない。
「ゴブリンって、実際どんなやつなんだ? 話には聞くけど…」
アルテナの街を出て、目的の森へ向かう道すがら、レオはマリーに尋ねた。
「ゴブリンは、身長が1メートルほどの小柄で緑色の肌をしたモンスターよ。知能は低いけど、意外と動きは素早くて、汚れた短剣や棍棒、鋭い爪で攻撃してくるわ。基本的に群れで行動することが多くて、一体一体は弱くても、数で押されると厄介。油断するとあっという間に囲まれるから気をつけて」
マリーは、背負った槍の柄を軽く叩きながら、経験者としてのアドバイスを的確に伝える。
「なるほど…。群れで来るのか。気をつけます」レオはゴクリと唾を飲み込み、腰に下げた剣の柄を握りしめた。
「レオさん、大丈夫ですよ。あなたはとても強いのですから。私たちがついています」
カーシャが、レオの緊張を和らげるように、優しい笑顔を向けた。
「ありがとう、カーシャ、マリーさんも。…うん、俺、頑張るよ!」
二人の信頼に満ちた眼差しに、レオは勇気づけられ、顔を上げた。
森の中へと足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。昼間だというのに木々が鬱蒼と生い茂り、太陽の光はまだらにしか届かない。辺りは不気味なほど静まり返っており、鳥のさえずり一つ聞こえなかった。
「何か…嫌な予感がするな」
レオは、背筋を走るかすかな悪寒を感じ、周囲を警戒しながら呟いた。
「大丈夫よ、レオさん。どんな時も、私たちは一緒にいるから」マリーが力強くレオの肩を叩いた。
「そうですよ、レオさん。私たちも一緒です。きっと、乗り越えられます」カーシャも、励ますように声をかける。
仲間の言葉に、レオの心に灯った不安の炎が少しだけ和らぐのを感じた。
(そうだ、俺は一人じゃない)
三人は互いに頷き合い、さらに森の奥へと慎重に進んでいった。
しばらく進んだその時だった。ガサリ、と茂みが揺れる音。
「キシャァッ!」
木の陰から、緑色の醜悪な顔が飛び出してきた。鋭い爪を振り上げ、涎を垂らしながら、一体のゴブリンがレオたちに襲い掛かってきたのだ。
「わあっ!」
レオは、突然の出現に驚きながらも、マリーから教わった通りに即座に剣を抜き、盾を構えた。
「レオさん、落ち着いて!まずは一体ずつ確実に!」マリーが叫び、槍を繰り出す。
「カーシャ、援護を!」
「はい!『ファイア・アロー』!」カーシャが短く詠唱すると、その杖先から炎の矢が放たれ、ゴブリンの肩を焼いた。
ゴブリンは素早い動きでレオたちを翻弄しようとするが、マリーの的確な槍捌きとカーシャの魔法援護、そしてレオの必死の剣と盾によって、徐々にその動きは鈍っていく。
そして、ついにレオの剣が、ゴブリンの胸を捉えた。
「やった!」
初めて自分の手でモンスターを倒したという確かな感触に、レオは思わず声を上げた。
しかし、安堵する間もなく、茂みの奥から「キシャア!キシャア!」という甲高い叫び声と共に、さらに数体のゴブリンが姿を現した。
「まだ来るか!」
レオたちは、次々と襲い来るゴブリンの群れとの乱戦に突入した。
レオは剣を振るい、ゴブリンの棍棒を盾で受け止める。しかし、一体のゴブリンが死角から飛びかかり、その鋭い爪がレオの左腕を浅く切り裂いた。焼けるような痛みが走る。
「くそっ!」
血の匂いに興奮したのか、ゴブリンたちの勢いがさらに増す。
「レオさん、下がりなさい!」マリーの槍が唸りを上げ、レオを庇うようにゴブリンの一体を貫いた。鮮血が飛び散る。
「『ウィンド・カッター』!」カーシャの魔法が風の刃となり、ゴブリンたちの体を切り裂き、焦げ臭い匂いが立ち込めた。
しかし、ゴブリンの数はなかなか減らない。倒しても倒しても、次から次へと新たなゴブリンが茂みの奥から現れるのだ。
「二人とも、気をつけろ! こいつら、思ったより多いぞ!」レオはゴブリンの攻撃を剣で弾きながら叫んだ。
「大丈夫!レオさんこそ、無理しないで!」マリーも必死に応戦しながら叫び返す。
レオは剣を振るい、盾で攻撃を防ぎながら、ゴブリンたちを蹴散らしていく。だが、一体のゴブリンが足元に絡みつき、その爪がレオの足をかすめた。バランスを崩し、レオはよろめく。
「レオさん!」
マリーとカーシャが心配そうに声を上げた。
「大丈夫だ…。まだ、やれる!」
レオは歯を食いしばって立ち上がり、再び剣を構えた。しかし、じりじりと体力を奪われ、呼吸も荒くなってきている。
ゴブリンの群れは、まるで無限に湧いてくるかのように、執拗にレオたちに襲い掛かってくる。三人は背中合わせになり、互いを守りながら必死に戦った。しかし、徐々に活動範囲は狭められ、追い詰められていくのを感じた。
その時、ゴブリンたちの動きがピタリと止まった。そして、まるで道を開けるかのように左右に分かれる。その奥から、他のゴブリンたちとは明らかに違う、ひときわ大きな影が現れた。
体長は他のゴブリンの倍以上あり、筋骨隆々とした体には無数の傷跡。手には歪な形状の巨大な棍棒を握りしめ、その凶悪な顔つきからは、他のゴブリンにはない狡猾な知性が感じられた。
「グオオオオオオオッ!」
地響きのような咆哮と共に、ゴブリンキングがその姿を現した。
「なっ…! あれは…ゴブリンキング!?」マリーが驚愕の声を上げる。
「くそっ! まさか、こんなところにキング級がいるなんて…聞いてないぞ!」
レオは、ゴブリンキングの放つ圧倒的な威圧感に、思わず後ずさりしそうになった。
ゴブリンキングは、その巨体に見合わぬ俊敏さでレオたちに襲い掛かった。棍棒の一撃は、大地を揺るがすほどの威力を持つ。レオは盾で受け止めようとしたが、あまりの衝撃に腕が痺れ、剣ごと数メートルも吹き飛ばされてしまった。
「レオさん!」
マリーの槍も、ゴブリンキングの分厚い皮膚にはじかれ、カーシャの魔法も効果が薄い。ゴブリンキングは、まるで赤子の手をひねるかのように、二人を翻弄する。
「ぐっ…! なんて力だ…!」
地面に叩きつけられたレオは、口の中に広がる鉄の味を感じながら呻いた。
「レオさん! ダメよ、こいつは強すぎる! ここは一旦引くわよ!」
マリーが、ゴブリンキングの攻撃を必死にかわしながら叫んだ。
「…そうだな。このままじゃ全滅だ…!」
レオは悔しそうに頷いた。しかし、ゴブリンキングは、そんなレオたちの考えを見透かしたかのように、退路を塞ぐように立ちふさがった。
「グオオオオオオッ!」
ゴブリンキングは勝利を確信したかのように雄叫びを上げ、再びレオたちに襲い掛かろうとする。
(もう…こうなったら…!)
レオは、ボロボロの体でゆっくりと立ち上がり、覚悟を決めた。この仲間たちを、ここで死なせるわけにはいかない。
「百獣の王ッ!!」
レオの全身から、眩い光が迸る。その光の中で、彼の身体は急速に変化を遂げていく。筋肉が盛り上がり、骨格が軋み、全身が黒褐色の硬い体毛に覆われていく。
光が収まった時、そこに立っていたのは、身の丈3メートルはあろうかという巨大な熊だった。鋭い爪と牙、そして何よりも圧倒的な質量とパワーを感じさせるその姿に、ゴブリンキングすらも一瞬動きを止めた。
(熊の力で、奴を押し返す!)
レオ(熊)は、大地を揺るがすような咆哮を上げると、ゴブリンキングに向かって猛然と突進した。
「グオッ!?」
ゴブリンキングは、突如として現れた巨大な熊の突進に驚き、慌てて棍棒で受け止めようとするが、その巨体ごと数歩後ずさった。
レオ(熊)は、その隙を逃さず、鋭く太い爪をゴブリンキングの胸板に叩き込んだ。浅くではあるが、確かな手応え。
「グガアアアアアッ!」
怒り狂ったゴブリンキングが、棍棒を力任せに振り回す。レオ(熊)もまた、その怪力と、見た目に反した俊敏さで攻撃をかわし、あるいは分厚い毛皮と筋肉で受け止めながら、反撃の爪を振るう。
森の中に、獣の咆哮と金属音が激しく響き渡る、壮絶な戦いが繰り広げられた。
「レオさん…!」
その凄まじい戦いを目の当たりにしたマリーは、一瞬呆然としていたが、すぐに我に返った。
「カーシャ! レオさんを援護するわよ! あのキングの動きを止める!」
「はいっ!」
マリーは槍を構え直し、ゴブリンキングの側面に回り込むように突進した。カーシャも再び杖を構え、集中力を高めて魔法の詠唱を開始する。
「『ライトニング・バインド』!」
カーシャの放った電撃の鎖が、ゴブリンキングの足に絡みつき、その動きを一瞬鈍らせた。
「今よ、レオさん!」
その隙を突き、マリーの渾身の槍撃がゴブリンキングの脇腹を捉える。そして、レオ(熊)の強烈な爪の一撃が、ゴブリンキングの棍棒を持つ腕を砕いた。
「グギャアアアアアアアアッッ!!!」
致命的なダメージを受け、ゴブリンキングは断末魔の叫びを上げた。その巨体がゆっくりと傾ぎ、やがて大地に轟音と共に倒れ伏した。
キングを失った残りのゴブリンたちは、恐れおののき、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「はぁ…はぁ…やった…」
レオは元の人間の姿に戻ると、その場に糸が切れたように崩れ落ちた。全身が鉛のように重く、指一本動かすのも億劫だった。
「レオさん! 大丈夫!?」
「レオさん、しっかり!」
マリーとカーシャが、血相を変えて駆け寄り、レオの体を抱き起こした。
「ああ…なんとか…な…」
レオは、霞む視界の中で、心配そうに自分を覗き込む二人の顔を見て、力なく微笑んだ。
激しい戦いの末、レオたちはゴブリンキングの討伐という、初めての大きな試練を乗り越えたのだった。