ep 3
広大な草原に、剣戟の音と悲鳴が響き渡る。
「くっ、数が多い…!」
金色の髪を振り乱し、槍を振るう少女騎士マリーは、必死の形相で迫りくる盗賊たちを迎撃していた。彼女の槍術は見事なものだったが、次から次へと湧いてくる盗賊を相手にするには、あまりにも多勢に無勢だった。疲労の色が濃くなり、動きも徐々に鈍ってきている。
「マリーさん! どうかご無事で…! 今、護衛の方々の治療を急いでいます!」
豪華な馬車の陰では、青い髪の清楚な少女カーシャが、血を流して倒れている貴族の私兵たちに応急処置を施していた。その手は震え、表情には焦りと不安が色濃く浮かんでいる。彼女の治療魔法の光が明滅するが、負傷者の数は多く、とても追いつかない。
馬車の中では、さらに幼い二人の姉妹が肩を寄せ合い、恐怖に震えていた。姉のユリは、泣きじゃくる妹ミネの小さな手を固く握りしめ、必死に励ましの言葉をかけていた。
「大丈夫よ、ミネ。きっと、誰かが助けに来てくれるわ…」
しかし、その言葉とは裏腹に、ユリ自身の顔も蒼白だった。馬車の外から聞こえてくる怒声と金属音、そして時折上がるうめき声が、絶望的な状況を幼い姉妹にも容赦なく伝えていた。
その、まさに希望が潰えようとした瞬間だった。
「ん? おい、なんだありゃ?」
盗賊の一人が、不意に草原の向こうを指差した。
他の盗賊たちも視線を向ける。地平線の彼方から、土煙を巻き上げ、信じられない速さで何かがこちらへ向かってくるのが見えた。
「馬か…? いや、馬にしちゃあ速すぎるぞ…!」
「なんだ、あの動きは…獣か?」
それは、まるで黄色い稲妻だった。しなやかな四肢で大地を蹴り、一直線に馬車へと疾走してくるその影は、瞬く間に距離を詰めてくる。
(よし、見えた! チーターのスピードなら、奴らに反応する隙を与えずに接近できる!)
その黄色い稲妻こそ、ハヤブサからチーターの姿へ変身した獅子田怜央だった。風を切り、草原を駆けるチーターの身体能力は、怜央の想像を遥かに超えていた。視界の端で景色が猛スピードで流れていく。
(まずは、あの襲われている馬車と、女の子たちを助けなきゃ!)
怜央は、襲撃されている馬車の集団の中で、ひときわ狙われているように見える豪華な馬車にターゲットを絞る。盗賊たちが馬車を取り囲み、今にも乗り込もうとしているのが見えた。
間に合え――!
馬車まであと数メートルというところで、怜央はさらに強く念じた。
(ここだ! 今度はパワーだ!――ライオンに変身!)
疾走するチーターの身体が、再び眩い光に包まれる。そして、その光が収まった時、そこにいたのは、草原の王者たる雄大なライオンだった。黄金の鬣たてがみを風になびかせ、筋骨隆々とした巨体が大地を踏みしめる。
ゴォォォオオオオオオンッッ!!!
突如として眼前に現れた巨大なライオンの姿と、腹の底に響き渡るような咆哮に、馬車の周囲にいた盗賊たちは一瞬にして動きを止めた。
「な、な、なんだぁっ!?」
「ば、化け物だぁーっ!!」
「どこから出てきやがった!?」
狼狽し、武器を取り落とす者さえいる。その圧倒的な存在感は、戦い慣れているはずの盗賊たちの戦意すらも一瞬で萎縮させた。
(よし、ビビってるな! 今だ!)
怜央は、その一瞬の隙を逃さなかった。大地を力強く蹴り、盗賊たちとマリー、カーシャたちの間に躍り出る。そして、再び天を衝くような雄叫びを上げた。
グルルルルル…ガァァァァオオオオオオオオッッ!!!
「きゃあ!?」
「な…何!? あんなに大きな獣…味方、なの…?」
槍を構えたまま硬直していたマリーは、目の前に立ちはだかったライオンの背中に、一瞬、絶望ではなく不可思議な安堵感を覚えた。カーシャは、あまりの出来事に声も出せず、ただ大きく目を見開いてその神々しい獣の姿を見つめている。
(まさか…神様が、私たちの祈りを聞き届け、救世主を遣わしてくださったというの…!?)
馬車の中からその光景を見ていたユリとミネは、恐怖に強張っていた顔をわずかに綻ばせた。
「助けに…助けに来てくれたんだわ…!」
巨大なライオンの勇ましい姿は、子供たちの瞳に確かな希望の光を灯した。
「ひ、怯むな! たかが獣一匹だ! 数で押し切るぞ! やっちまえ!」
盗賊のリーダー格らしき男が、恐怖を怒声で打ち消すように叫び、仲間たちを鼓舞する。数ではまだ自分たちが有利だと判断したのだろう。我に返った盗賊たちは、再び武器を構え直し、脂汗を滲ませながらも、一斉にライオンの姿の怜央へと襲い掛かった。
(ならば…遠慮はいらねえな!)
振り下ろされる剣、突き出される槍、投げつけられる短剣。しかし、それらの攻撃は、怜央の強靭なライオンの肉体にはほとんど意味をなさなかった。分厚い筋肉は刃を弾き返し、鋭い爪は鋼鉄のように硬い。
「ガアアッ!」
怜央は咆哮と共に、襲い掛かってきた盗賊の一人を前足の一薙ぎで吹き飛ばす。人間など赤子同然の膂力だ。別の盗賊が横から斬りかかってくるが、それを巨大な顎で噛み砕かんばかりに威嚇し、体当たりで数メートル先まで弾き飛ばした。
盗賊たちの攻撃は、まるで巨岩に小石を投げつけるようなものだった。怜央は、まさに百獣の王のごとき圧倒的な力で、次々と盗賊たちを薙ぎ倒し、蹴散らしていく。時には鋭い爪で武器を破壊し、時には力強い体当たりで集団をまとめて吹き飛ばす。
その戦いぶりを、マリーとカーシャは息を飲んで見守っていた。
(強い…! なんて力なの…! あれほど大勢いた盗賊たちを、たった一匹で圧倒しているなんて…!)
マリーは、目の前で繰り広げられる蹂躙劇に、畏怖と、そして確かな感謝の念を抱いていた。
(本当に…神様が遣わされた聖獣様だわ…!)
カーシャは胸の前で手を組み、祈るようにその姿を見つめていた。
怜央の獅子奮迅の活躍によって、戦況は瞬く間に一変した。あれほど威勢の良かった盗賊たちは、次々と戦闘不能になり、数を減らしていく。やがて、恐怖に完全に支配された者たちは、武器を放り出して逃げ出し始めた。
「これで、終わりだ!」
怜央は逃げる盗賊たちを深追いすることはせず、残って抵抗しようとした最後の数人を叩きのめし、戦闘不能にした。あっという間に、あれほど騒がしかった戦場は静まり返り、後には呻き声を上げる盗賊たちと、呆然と立ち尽くすマリーたちが残されただけだった。
(すごい…これが『百獣の王』の力か…。ライオンのパワー、半端じゃない。これなら、この異世界でもなんとかなるかもしれない!)
荒い息を整えながら、怜央は自らの力に確かな手応えを感じていた。アドレナリンが全身を駆け巡り、初めての実戦での勝利に、わずかな高揚感すら覚えていた。