閑話・友との会話
「え!? 本当にお見合いしたの!?
「はい」
目の前にいる少女――「佐藤弥生」の言葉に、花純はこともなげに応じる。
今日の花純は、白のインナーにロングスカート、薄手のアウターという落ち着いた洋服を着ていた。
その落ち着いた雰囲気は、知らない者が見れば二十代ほどの大人の女性に見えるかもしれない。
小さな喫茶店の中で、花純と向かい合っている弥生は、肩にかかるほどの髪に切れ長の目を持ち、クールな印象を感じさせる顔立ちの少女。
花純にとって最も親しく、最も信頼しているといって過言ではない友人だ。
「私、花純のそういうところ、マジですごいと思うわ。軽く引く」
「ひどいです」
心底そう思っていることが伝わってくる弥生の言葉に、花純は苦笑を返す。
実際、花純自身、自分が世間一般の時流や考え方から外れたことをしている自覚はあるため、そんな反応になってしまわざるをえなかった。
「で、どうだったの?」
「とりあえずは、婚約を前提とした許嫁として、お付き合いを続けさせてもらうことになりました。
実際に結婚するかは、これから次第といったところですが、個人的には前向きに考えてます」
「まじか」
花純から発せられる言葉に、弥生は愕然とした表情で呟く。
この令和の、自由恋愛至上主義の時代に、祖父が、しかも酒の席で冗談半分でした結婚話を真剣に実現させようとする女がいるなど、他人に言っても信じてもらえないだろう。
「その許嫁くんの写真ないの?」
「ありますよ」
弥生の言葉にスマホを取り出した花純は、二人で撮った写真を見せる。
「っていうか、あんた着物!? え、重……」
写真に写った自分の着ている服を見て、率直な感想を零した弥生に、花純は思わずそう言ってしまう感情に共感するように答える。
「私もすごく迷ったんですよ? 本格的なお見合いでもないのに、お着物を着ていくのはさすがに重いのではないかとか、変に思われるんじゃないかとか……
でも、私がどんな人間なのか知ってもらうにはこれが一番かと思いまして。これで縁が切れるようなら、それまででしょうし」
「まあ、そういう考え方もあるか……で?」
花純の言葉に納得したようなしていないような曖昧な反応を見せた弥生は、その結果を尋ねる。
「普通に褒めてくれましたよ」
「ま、初対面でツッコむわけないか」
着物を着た花純に対する許嫁の少年の反応を聞いた弥生は、眉間に皺を寄せるようにして思案気に呟くと、改めてスマホに映る日幸に視線を落とす。
「まあ、顔は普通ね。どっちかといえば、ちょっといい方かも、くらいか」
品定めをするように日幸を見る弥生は、深くため息を吐いて花純に視線を向ける。
「別に彼がダメってわけじゃないけどさ。あんたなら、もっと上の男狙えるでしょ? ちょっと変わってるところあるけど、見た目はいいし、家事万能でお淑やかで清楚で男を立てる、いわゆる古き良き女じゃない。
このままいけば将来男なんて選びたい放題よ? なのに、ちょっと失礼な言い方かもしれないけど、この人でいいわけ?」
日幸に不満があるのではなく、純粋に結婚願望が強い自分のことを心配してくれているからであることを分かっている花純は、弥生を安心させるように答える。
「私は、別に見た目に不満はありませんよ。清潔感もありますし、この素朴な感じは好感があるくらいです。
あとは、月並みなことを言えば、やはり人間性というか、相性が大事だと思いますから。
やはり、お互いに尊重し合えなければ、恋人でも夫婦でも、人の関係はうまくいかないでしょう?」
「ま、そうね」
思いやる気持ちは双方向であるという花純の意見には、弥生も同意をする。
「まだ一度会っただけですし、お互いに多少なりともよく見られようとしていましたから、全てがわかったわけではないでしょうけど、個人的には印象はよかったです。
それだけで、私にとっては結婚を前向きに考える相手としては十分です。なので、もう少し彼のことを知ってから答えを出そうと思います」
初対面で人の全てがわかることなどほぼない。だからこそ花純は、日幸との関係を長引かせてその人となりを見ることにしたのだ。
「ま。言ってることは分かるけど。あんた、人がいいから、この人がよほど悪くない限り自分から断らないんじゃない?」
「そうかもしれませんね。でも、それならそれでいいじゃないですか」
弥生の言葉に、花純は小さく微笑んで応じる。
その様子からは、少なくとも今のところは日幸と本気で結婚する可能性を考慮している花純の心中を窺い知ることができた。
「ま、あんたの人生だし? あんたがそれでいいならいいけどさ、結婚って人生の墓場って言うじゃない? そんなに急がなくてもいいんじゃ?」
「いいじゃないですか、人生の墓場。一度きりの人生が行き着くところ。夫婦は死ぬまで一緒に添い遂げるのですから、むしろそのくらいでないといけません」
「……ものすごい前向きな考え方ね」
そんな花純の態度に、呆れたような感心したような様子で呟いた弥生は、深く息を吐いて言う。
「あんたの結婚願望っていうか、昔主義? みたいなのは知ってたけど、正直ここまでとは思わなかったわ」
親友であり、それなりに付き合いが長い弥生も、花純の価値観を本当の意味では借り切ることができていなかったことに、驚きを覚えていた。
そして、そんな弥生に花純は、さも当然のように答える。
「女の幸せは結婚と出産ですよ? もちろん夢や目標があって社会で努力する女性は素敵だと思いますし、能力と才覚がある女性が正しく評価されるのはいいことだと思います。
でも、夢や目標があるわけでもない。生活のために仕事をするとか、暮らしのためになんとなく働くというくらいなら、むしろ結婚して家庭に入って、子供を育てられる社会の方が、女の人はおよそ幸せに生きられるのではないでしょうか。
職場で苦労するか、家庭で苦労するかの違いでしかありませんし、それはもう運というか巡り合わせじゃないですか」
花純の意見を聞いた弥生は、わずかに考え込むようなそぶりを見せて軽く頬杖を突く。
「まあ確かに。仕事も結婚も、結局は人次第って考えたら、あんたみたいに早い内からある程度見極めて選ぶっていうのも案外悪くないのかもね」
花純の言葉に引っ張られていることを感じながらも、弥生は自嘲するように肩を竦める。
「金銭的な理由などを鑑みて、現実的か、実現できるかは別の話として、私は少し前くらいの価値観の方が好きなので、正直、私は今の社会が求めるような女性像に、女性としての魅力を感じないんですよね」
古風な考え方に感銘を受け、高校生にして真面目に結婚を考えている花純の忌憚のない言葉に、弥生は苦笑を噛み殺しながら答える。
「現代のコンプラに反逆するみたいな感じ、嫌いじゃないよ」
「そんなつもりはないんですが……昔言われていたような女性らしい女性って良くないですか? 家庭を守る、みたいな」
自身の中にある憧れを映した目を細め、沁み入るように言う花純を見て、弥生は小さく嘆息する。
「まあ、都合はいいかもね」
「ひどいです」
自分のようにある程度見慣れていなければ目を奪われてしまうであろう微笑を浮かべ、その華やかさの自覚がない花純を揶揄った弥生は、小さく息を吐く。
「ま、話を戻すけど、彼と上手くやれそうならそれでいいんじゃない?」
花純の心情は共感できないが、少なくとも今のところは本人たちの問題であり、あまり口出しをすることもない。
花純自身に相手を見極める意思があるのならば、相手がよほどうまく騙さない限りは、下手な恋愛感情や同情がない分、冷静で客観的に分析できるともいえる。
「確かに、人生の幸不幸なんて、他人が決めるもんでもないだろうし、お見合いだろうが、政略結婚だろうが、本人がいいと思えばそれでいいか。
将来のことなんて分からないんだから、ある程度は見込みと覚悟っていうのは同じことだし」
不安は残るものの、花純自身が決めた相手を理由もなく否定することはできない。今は様子を見守る時だと判断した弥生は、小さく嘆息して言う。
お見合いだろうが恋愛だろうが、結局未来が分からない以上、将来の可能性も不安も織り込んで、今分かることで決めるしかない。
今分からないことで悩んでも時間と労力の無駄というものだ。
「とりあえず花純が幸せになれればそれでいいよ」
「はい。ありがとうございます」
結局一番大事なことはそれなのだと口にした弥生に、花純は心からの感謝を述べる。
自分のことのように心配してくれる弥生に、花純はかけがえのない友人を得ることができた幸運を噛み締めていた。
「彼、同じ学校なんだっけ?」
「はい。転校してくるそうです」
「そっか」
他愛もない雑談の中で得た情報を確認した弥生は、花純を一瞥して思案の光をその双眸に宿す。
(……花純、男にモテるからなぁ。許嫁君も大変そうだ)
学校での花純の評判を知っている弥生は、転校生としてやってくるという許嫁の少年が、どんな変化をもたらすのかを想像し――小さく口元を吊り上げる。
「これから面白くなりそう」
その小さな呟きは花純の耳に届くことはなく、手にした紅茶と共に弥生の喉の奥へと流し込まれていった。