お見合い3
「っていうか、なら、尚の事俺が相手でいいんですか? いや、自分で言うのもなんですけど、俺って将来の見込みがあるかって言われると、自信を持って大丈夫って言えるような人間じゃないですよ」
花純がお見合いをした理由を聞いた日幸は、率直に抱いた疑問を口にする。
花純が結婚――それも専業主婦を目指しているのならば、自分がその相手として適当かは分からない。
正直に言えば、こんな美人と親しくなれる機会をふいにするのはもったいないが、期待を裏切って失望されるよりはマシだろう。
花純と違い、自分の未来に明確なビジョンもなく、夢も目標もない自分が、花純の望む夫になれるのかは分からない。
「今俺とお見合いで結婚したら、将来後悔するんじゃないですか?
さっき言ってたみたいに、大人になって経済力とかそういうのがはっきりしてから相手を見つけた方が、現実的っていうか……」
「優しいんですね」
お見合いを断る方便ではなく、自分の言ったことを真剣に受け止めて考えてくれる日幸の言葉に、花純は微笑みかける。
「祖父母もお見合い結婚で、お互い顔も知らずに結婚したそうです。それで、これは祖母の受け売りなんですが――結婚は妥協と勢いなんだそうですよ」
「はあ?」
しかし、そんな意見も想定していたのか、楚々として話を切り出した花純に、日幸はどこか気は抜けたような反応を返す。
「例えば、ですが」
そう言って日幸を見つめた花純は、抑制のきいた声で淡々と話し始める。
「私達が仮にお付き合いせずにお別れしたとします。これから先、国本さんには私よりも素敵な女性が現れるかもしれませんし、私にもそういう男性が現れるかもしれません。
でも、それはどこまで行っても、〝そういうことがあるかもしれない〟という可能性でしかないんです」
その花純の意見には、日幸も共感し、納得できるところが大いにあった。
「妥協するといえば、諦める、無難なところで手を打つというふうに聞こえますし、飾らずに言えばそれは真実でもあるのでしょう。
でも私は、妥協するということは、手に入るかも分からない理想を追い続けるのではなく、『今手に入るものを選ぶ』ということでもあるのだと思います」
「……!」
真剣な眼差しで言う花純に、日幸は息を呑む。
この人しかいないという結婚相手と出会えるのならば、それに越したことはないだろう。そしてそれを、多くの人は望んでいる。
だが、現実はそんなに甘くはないことは、まだ高校生である日幸にも分かっていた。
しかし花純は、それを分かった上で、妥協を「現実を選び、手に入れること」と、前向きに捉えている。
その考え方は日幸にはなかったものであり、自分とは違う視点で物事を見ている花純に、素直に尊敬の念を覚えていた。
「未来のことなんて誰にも分かりませんよ。それこそ、国本さんがすごい人になるかもしれないではありませんか。
だから私は、自分が手に入れたい未来のために、どんな今を選ぶのかを大切にしたいと思っています。
うまく伝わるかは分かりませんが、私は私を好きになってくれた人を好きになる努力をするのではなく、私が結婚したいと思った人を好きになりたいんです」
「それって……」
少し気恥ずかしそうにしながら言う花純に、日幸は思わず頬を赤らめる。
確かに、日幸の考えにも一理ある。告白してくれた人を受け入れ、付き合いをしていく中で、その人を好きになるという選択肢も花純にはあった。
しかし、花純はそうはしなかった。
それは、告白してくれた人を好きになって結婚するのではなく、結婚する相手を好きになりたいという花純の考えに由来するもの。
その二つは花純にとって似て非なるものであり、許嫁である日幸は後者にあたる。
つまるところ、花純は祖父達が酒の席で半ば冗談で決めた許嫁という関係を真剣に考え、日幸を結婚相手として前向きに受け入れてくれているということだ。
「お見合いですからね」
そんな日幸の反応を見た花純は、恥ずかしさを誤魔化すような笑みを浮かべる。
「なんだか、こういう話をするのは恥ずかしいですね」
「そうですね」
そう言って微笑んだ花純の言葉に、日幸も照れて火照った顔を隠すように顔を伏せて頷く。
(許嫁、結婚か……真剣に考えたことはなかったけど、こんな子と付き合えたなら、いいだろうな)
花純の様子を窺いながら、日幸は考える。
確かに花純は容姿端麗だが、それ以上にその考え方や立ち振る舞いが日幸の中にあった価値観とあまりにも違っていることが興味深く、それでいて一緒にいて居心地が良い。
今、日幸の心の中は、花純をもっと知りたいという気持ちで占められていた。
「すみません。初めてのお見合いで話すには、少し重かったですね」
「そんなことないですよ。面白いっていうか、ためになったっていうか、すごいなって思いました」
「なら、良かったです」
「もうすぐ時間ですね」
「本当だ」
そうしていると、時間を確かめた花純の言葉が日幸の耳に届く。
言われてから時計を見れば、すでにお見合いが始まって二時間近い時間が経っていた。
(このまま終わったら、彼女とはどうなるのかな? またこんな感じで会えるのか? ――いや。そうじゃないだろ。これはお見合いなんだから)
このお見合いが終わってほしくないという気持ちが自分の中で大きくなっているのを感じ、日幸は考えを整理する。
花純が言っていたことを思い返し、自分が何をするべきかを考えた日幸は、覚悟を決める。
「米澤さん」
「はい」
日幸の気配が変わったのを感じたのか、花純も姿勢を正して真摯な面持ちで耳を傾けてくれる。
(このまま関係が続く可能性じゃなくて、彼女と親しくなれる選択をする)
今日のお見合いをこのまま終えてしまえば、花純と日幸の関係は結局祖父達が酒の席で勢いで話した許嫁めいたもののままだ。
これで縁が完全に切れてしまうということはないのかもしれないが、「いつか手に入るかもしれない理想ではなく、今手に入るものを選ぶ」という花純の言葉が脳裏にこびりついている。
(今日はお見合いしてるんだ。なら、お見合いらしい結論をださないと、彼女とは終わっちゃうかもしれない)
「今日はとても楽しかったです」
「私もです」
意を決した日幸は、感謝の言葉を述べてから、自分を落ち着かせるように深呼吸をして、話を切り出す。
「特に考え方とか、ものの見方とか、俺にはないものばかりで、もっと米澤さんのことを知りたいと思いました。
正直、結婚についてはもっと大人になってからのことだと思ってて、真剣に考えたこともなかったですし、今でもまだ実感はないんですけど、俺はこれからも米澤さんと親しくしたいと思いました」
今日のお見合いを受けた理由は、祖父が美人だといった許嫁を見てみたいという好奇心が大きな理由だった。
だが日幸は、花純ともっと親しくなりたいと感じている。
「だから、俺と結婚を前提にお付き合いをしてください! ……あれ? これじゃ結婚の申し込みじゃ……あれ、じゃあこういう時はなんて言うんだ?
すみません。そうじゃなくて、あ、いやそうじゃないんですけど、あの、えっと……もう少し、前向きにこの関係を続けさせてください」
一世一代の決心に不安と緊張でガチガチになりながら言葉を絞り出した日幸は、言うべきことが定まらずに狼狽する。
「うう、格好悪い」
(しまった。今まで告ったことなんてなかったし、そもそもお見合いなんてしたことないし、こういう時なんて返すのが正解かなんてわかんない)
人生で初めて告白した緊張と、格好よくできなかった恥ずかしさで顔を真っ赤にした日幸は、混乱したまま、おそるおそる対面する位置に座っている花純に視線を向ける。
(ヤバい。今ので嫌われたり、キモいとか思われたらどうしよう)
人生最大級の失態に内心で不安に駆られた日幸が様子を窺うと、その視線に気づいた花純は、蕾が開くように表情を綻ばせる。
「では、私達は婚約者候補の許嫁ですね」
「……! はい!」
自分のことを嗤うのではなく、優しく受け止めて微笑みかけてくれた花純の言葉に、日幸は安堵と喜びを露わにして力強い声音で頷く。
そんな日幸の反応を見た花純は、口元を隠す上品な笑みを浮かべて目を細める。
「では、折角ですから、お互い親しく呼び合いませんか? もしよければ、名前で呼んでください。私も国本さんのことはお名前で呼びますから」
「妹以外の女の人を下の名前で呼ぶのって最近なかったから、ちょっと緊張しますね」
花純の提案に気恥ずかしげに応じた日幸は、対面する位置に座っている和服の美少女を見据えると、小さく咳払いをして気持ちを整理する。
「……花純、さん」
緊張しながら日幸が名前を呼ぶと、花純は花のような微笑を浮かべる。
「はい。日幸さん」
自身もまた日幸の名を呼んだ花純は、それを聞いて顔を赤くしている日幸を見て囁く。
「呼び捨てでもいいですよ?」
「それは……もう少し時間をください。さすがに恥ずかしいです」
そんな花純の言葉に、日幸は照れながら応じる。
その言葉を聞いた花純は、優しく目を細めて微笑むのだった。
「では、そうしてもらえる時を楽しみにしていますね」
◇◇◇
「夢じゃないよな」
お見合いを終え、花純と結婚を前提とした許嫁となったその日の夜、自分の部屋でベッドに横たわっていた日幸は、そう呟いてスマホの画面を見る。
そこにはしっかりと、「米澤花純」の名前があり、許嫁となってから撮った二人の写真が入っている。
「こんな美人と、俺が結婚できるかもしれないなんて……」
写真に写る花純に見惚れていた日幸は、おもむろにメッセージをやり取りすることができるアプリを開く。
そこには、正式に婚約者候補の許嫁となった花純と日幸のやり取りが残されていた。
『至らぬところも多いと思いますが、これからよろしくお願いいたします』
『こちらこそよろしくお願いします』
お見合いの後に交換したお互いの連絡先。すでに何度か行われているやり取りの中の一文を見て、日幸は思わず顔をにやけさせる。
「うへへ……よし。花純さんに、結婚してもらえるように頑張るぞ!」
正式に結婚を視野に入れた許嫁になったとはいえ、これで終わりではない。
むしろ、これからお互いを知り、結婚するかを決めるのだから、これからが本当の始まりであるともいえる。
花純に結婚相手として認められず、「やはりこの話はなかったことに」などという事態にならないようにと己に言い聞かせた日幸は、ベッドの上で満面の笑みを浮かべる。
こうして、令和の時代には少しだけ珍しい価値観を持つとある大和撫子の美少女と許嫁になった、とてつもなく幸運で平凡な少年の日常が始まった。