夢と現実
祖父母の家に引っ越した日幸は、それからこちらで高校に転入するのための試験を受けるなどの準備をして過ごした。
父と母は荷解きをしてから、祖父母と共に農業をして働きはじめており、日幸自身、新しい環境での生活に馴染めるのか不安はあったものの、祖父の家で暮らす分にはさほど不自由はなく、三日も経つ頃には田舎の日常にも慣れ始めていた。
※
「日幸。ゲームせんか?」
そんなある日、突如祖父に呼び止められた日幸は、思わぬ誘いに戸惑いながらもその申し出を受ける。
「いいけど」
日幸の祖父「国本幸助」は多趣味で、子供や孫と遊ぶためにテレビゲームや一部ネットゲームも嗜んでおり、今まで盆や正月に帰省した時にも、時折遊んでもらったことがある。
そんなこともあって母屋にある祖父の部屋へ入った日幸は、少し古いタイトルではあるが、いわゆる格闘ゲームに興じた。
「……強ぇ」
「どんなもんだ」
それほどゲームを嗜んでいるわけではないとはいえ、還暦を過ぎた祖父に完膚なきまでに叩きのめされた日幸は、その腕に感服する。
「よし、もう一戦だ」
「ああ」
子供のようにはしゃぐ祖父の申し出に再びコントローラーを握り、ゲームを始める。
「そういえば、ハルはいくつになった?」
「十六。誕生日が来たら十七だけど?」
大戦の最中に突然話しかけられた日幸は、苦戦を強いられる操作キャラの心中を代弁するかのような険し面持ちでコントローラーを操りながら答える。
しかし、片手間で操作しているにも関わらず、祖父のテクニックの前に日幸は、あっけなく敗北してしまう。
「彼女はいるんか?」
「……」
勝負が決まったと同時におもむろに投げかけられた祖父からの問いかけに、日幸は思わず沈黙してしまう。
別にその質問が気に障ったわけではない。ただ、突然そんなことを尋ねられてどう答えるべきかを迷ってしまったというのが正確なところだ。
「あ~もしかして興味なかったか?」
それをどう判断したのか、祖父が気を使って言うのを聞いた日幸は、小さく首を振って答える。
「……いや。そんなことはないよ。少なくとも、俺はできるなら欲しいと思ってる」
「そうかそうか」
それを聞いて満足したように破顔した祖父は、コントローラーを置いて日幸に向き直る。
「――なあ、ハル」
「ん?」
「お前、お見合いしてみる気はないか?」
祖父の口から発せられた言葉に日幸は硬直し、静寂の落ちた部屋にテレビから流れるゲームの軽快な音だけが響く。
「お見合い?」
思いもよらぬ言葉に日幸が感情の整理がつかない声で繰り返すと、祖父がそんなことを口にした経緯を説明し始める。
「爺ちゃんの悪友に、米澤って爺がおるんだけどな。ハルが生まれた頃、あいつにも孫娘が生まれてな。酒の席で、何なら自分の孫同士お見合いさせるかって話が出たことがあるんだ。
まあ、そうは言っても所詮は酒の席でのことだったし、冗談半分だったんだが、お前達がこっちに住むことになったって話をしたら、この間『あの時の話、覚えてるか』って言ってきてな。ならお見合いさせるかって話になったんだ」
(なんてコテコテな……)
その時のことを思い返しながら言う祖父の言葉に日幸が抱いた最初の感想は、素っ気ないものだった。
孫が生まれて浮かれた祖父が酒の席でその話をして、友人同士が酔ったノリと勢いでした冗談が現実になろうとしているらしいことは、別に問題ではない。
そんな話をしようがしまいが祖父の自由であり、好きにすればいいと日幸自身は考えている。
ただ一つ気になるのは、お見合いの提案を相手側からしてきたということだった。
「それ、相手の女の子は了承してるの?」
「当たり前だろ。爺ちゃんも驚いたくらいだからな」
自分とお見合いをする女の子の意思を尋ねた日幸に答えた祖父の表情からは、「世の中には不思議なことがあるもんだ」と言いたげな心中がありありと浮かんでいる。
実際、相手――祖父の友人達が勝手に話を進めたというのではなく、当事者である女性も了解しているというのだから奇妙だ。
ひと昔、ふた昔前ならそういうこともあるのかもしれないが、今の時代に祖父が結んできたお見合いをするのは滅多にないことなのではないだろうか。
これが由緒正しい家柄とか、お金持ちだとかならば、そんな風習が残っている可能性もあるのかもしれないが、幸いにしてと言うべきか、残念ながらというべきか、国本家は極めて普通の家庭である。
そんな話が持ち上がるのは不可解だが、実際そうなっているのだから仕方がない。
「そっか……」
祖父の言葉に呟き、日幸は思案を巡らせる。
(お見合いってあれだろ? 堅苦しい恰好して、料亭みたいなところで顔合わせして、「ご趣味は?」とか聞くやつ。正直めんどいなぁ)
「強制するわけじゃないからな。嫌なら断るぞ」
そんなことを考えていた日幸に、祖父が一言付け加える。
正直なところを言えば、お見合いそのものにネガティブなイメージはあまりない。というより、話で聞いたことがある程度で、何かを思うほどに興味もないと言った方が正確かもしれないが。
ただ、いずれにせよ、まだ高校生である日幸にとっては、お見合いをしてまで恋人づくりや結婚をするほど、事態は切羽詰まったものではない。
結果、その心の天秤は、お見合いへのマイナスイメージよりも、「堅苦しそうなことをするのが面倒くさい」という単純な理由で、否定的な方へと傾いていた。
(爺ちゃんもああいってくれてるし、ここは断っておくか)
「一応言っておくと、爺ちゃんもその子は知ってるが、気立てもいいし、ものすごい別嬪だぞ。正直、その辺の芸能人やアイドルなんかよりもな」
しかし、祖父の口から出たその言葉に、日幸は一瞬動きを止め、思考を整理し直す。
別嬪――すなわち、美人あるいは美少女。
人並みの健全な男子であり、思春期の青少年にとって、その言葉は無視できないものだった。
「しゃ、写真とかはないの?」
「ないな。見合いとはいっても、仲人を立てるような正式なもんじゃないし、爺ちゃん同士の口約束みたいなもんだからな。ま、会ってのお楽しみってところだ」
だからこそ日幸は、興味がなさそうな体裁を取り繕って尋ねるが、祖父から返ってきたのはあまりにも無情な答えだった。
もっとも、そんな日幸の心中など、祖父にとっては手に取るように分かっていたことではあるのだろうが。
この世に美人や美少女に興味のない男子がいるだろうか。
少なくとも、癖ではない限り存在しないと日幸は断言する。
そんな女性をお見合い――結婚を前提にお付き合いする間柄として面識を持つことができるのだ。
その利点を上回るデメリットがお見合いを断ることで生じるのかといえば、精々時間が失われることと、次会った時に少し気まずくなる程度。
日幸の中では打算と欲望の天秤が大きく揺れ動き、そして最終的には、祖父の言う別嬪さんに対する興味が、お見合いをする面倒くささを上回るのは必然だった。
「……とりあえず、会ってみるくらいならいいよ」
「そうか。次の日曜日でいいか?」
「うん」
そうして話は流れるように進み、あっという間にお見合いの日を迎えることになった。
お見合いの場所として指定されたのは、町にある料亭。
祖父の属する農家の団体や、自治体などが忘年会などでよく利用する、リーズナブルでちょっと融通が利くお店らしい。
(き、緊張する……)
祖父の顔を知っていた店の女将さんに案内され、通さられた座敷の広間で、日幸は固くなってその時を待っていた。
一秒が何分にも感じられ、心臓の音が煩いくらいに鼓膜に響いてくる。
正式なお見合いではないからか、日幸の同伴者は祖父一人しかおらず、スマホを見る余裕すらなく、ただその時を待って
「待たせたな」
「おう」
予定の時間が来る五分ほど前になって座敷の扉が開いたかと思うと、一人の老人が入ってくる。
祖父とのやりとりを見る限り、この人物が米澤という友人なのだろう。
「お。それが幸助の孫か」
「は、はじめまして」
その視線が自分に向いたのを見て、日幸は歩く会釈をする。
「おう」
少し黄ばんだ歯を見せて笑った老人が座敷へ入ってくると、その影から一輪の花が現れる。
桜の色を思わせる淡い桃色の落ち着いた着物に身を包んだその人物は、日幸の正面で正座をして深く頭を下げる
「お初にお目にかかります」
「……!」
三つ指をつき、深く礼をした女性の鈴を転がしたような美しい声が耳に届く。
目の前にいるというのに、どこか現実味のない遠くから響いているようなその声に聞きほれていると、下げられていた頭がゆっくりと上げられる。
黒曜石を思わせる艶やかな射干玉の黒髪がわずかに揺れ、健康的な白い肌と薄く紅を挿した唇が目を引く。
わずかなあどけなさを感じさせる可愛さと美しさを両立させた顔立ちは、思わず見惚れてしまうほどに整ったものだった。
「『米澤花純』と申します」
時間が止まったように感じられる中、米澤花純と名乗ったその少女は花のように微笑んでいた