撫子の花言葉
「こうして二人で話すのは、俺が米澤さんに告白した時以来かな」
「そうですね」
当時を思い返し、わずかに哀愁を思い返しているような天平の言葉に、花純は静かに応じる。
弥生は、天平が花純に好意を持っていて狙っていると勘違いしていたが、実際にはすでに告白し振られている。
それを弥生が知らなかったのは、たとえ友人であろうと、花純が話すようなことをする人物ではないからだ。
「国本君と話したよ」
「聞いています」
日幸と話したことを明かす天平の言葉に、花純は楚々とした声音で応じる。
「二人のことは噂になってたからね。すぐに耳に入ったよ」
転校二日目とはいえ、二人が許嫁だという話は、校内でそれなりに知れ渡っている。
しかも天平はその人当たりの良さから友人も多く、密かに好意を持つ女子からもそういう情報が早々に伝わる。
すでに振られていることが知られていないため、弥生が言っていたように天平の花純に対する好意は、噂が独り歩きしている。
言い換えれば、天平に好意を持つ女生徒達からすれば、ライバルを除外できる好機でもあるということだ。
「――俺が振られたのは、彼がいたからなのかと思ったけど、会ったのは最近だったんだね」
「はい」
今朝日幸から聞いた話では、二人が許嫁になったのはほんの少し前。それまでは互いも認知していなかったということ。
そして天平が花純に振られたのは、それよりもずっと前。つまり、自分が振られたことは許嫁という存在の有無に関係しないのだと、天平は分かっていた。
「一応確認しておきたいんだけれど、米澤さんは国本君との関係に納得しているのかい?」
「当然です。むしろ、私からお願いしたことです」
「そうか」
念のため、花純自身の意見を確認した天平は、小さく呟くと、少し寂しげな表情で話を続ける。
「未練がましいことを言うんだけど、なんで俺じゃダメだったのかな?」
自分が振られたことは分かっている。それはそれで割り切っている。
だが、それで花純への好意を忘れられるほど、恋心というものは単純なものではない。少なくとも天平はそうだ。
だからこそ、天平は花純の真意を確認せずにはいられなかった。
「彼とは許婚になって、俺は振られた。――その違いは何だったのか、俺のどこが彼に劣っていたのか教えて欲しい」
自慢ではないが、天平は自分にそれなりの自信を持っている。
モテている自覚はあるし、自分と恋人になりたがっている女生徒が多い自覚もあり、また自分自身、生まれ持った容姿を含めて、勉強も運動も、それ以外も努力している自負がある。
自分と日幸で何が違ったのか、日幸にあって自分になかったものは何なのか、花純に選んでもらえなかったのはなぜなのか、天平は純粋に知りたかった。
そんな天平の疑問に、花純は思案するように視線を伏せ――ゆっくりと唇を開く。
「何もないと思いますよ」
「え?」
花純から返された予想外の言葉に、天平は思わず声を零してしまう。
そんな天平の言葉に伏せていた視線を上げ、まっすぐに見つめ返した花純は、改めて先程の問いかけに対して答える。
本来ならそんなことは答えるものではないのかもしれないが、告白してくれた天平に対する誠意として自分の思いを伝えるべきだと、花純は考えていた。
「あなたが日幸さんに劣っているところなんて何もないと思います」
まだ許嫁になって間もないため、全てを知っているわけではない。
だが、花純の目には日幸が天平に勝っているところは思い至らなかった。――少なくとも、今は。
「え? じ、じゃあなんで……」
それを聞いてわずかに狼狽する天平に、花純は心底怪訝そうに尋ねる。
「日幸さんがあなたに劣っていることが理由になるのですか?」
「――!」
こともなげに紡がれた花純の言葉に、天平は思わず息を呑む。
「優れていることも、劣っていることも、交際する異性を選ぶ基準にはなりえない」。
――そんな当たり前のことを告げた花純の言葉は、天平に頭を殴られたような衝撃を覚え、自らの思い上がりを教えるものだった。
正直に言えば、天平は日幸に劣っているところはないと思っていた。
もちろん、全てが全て上とまでは言わないが、総合的に見れば自分の方が勝っている。
なのに自分が選ばれず、日幸は選ばれたのか納得できない。
――そんなことを思った時点で、無意識に日幸を下に見ていたのかもしれない。
あるいは、自分の方が上ならば、選ばれるのは自分だと無意識に考えていた。
人には確かに優劣があるが、単純に比べるものではない。
そんな当たり前のことに思い至れなかったことに、天平は己の驕りを感じていた。
「あなたのことは嫌いではありません。もし、告白を受け入れてお付き合いをしていたら、好きになることもできると思います。
ただ、少なくとも私は、あなたとそういう関係になりたいと思ってはいません。それに――」
そんな天平に対し、花純は自分の想いを確かめるように、一つ一つ言葉を選びながら、丁寧に答える。
花純が天平の告白を断ったのは、少なくとも一目惚れしたわけでもなければ、傍から見ていて恋愛感情を持つほどに今は惹かれていないからだ。
もし、告白を受け入れ、付き合っていたら好きになる努力をしていただろうし、好きになることもできるだろう。
だが、少なくとも花純には、今そうする意思はなかった。なぜなら――
「日幸さんは、私の許嫁ですから」
普段と変わらない優しい声音で紡がれたその答えは、しかし揺るぎない花純の意思が感じられた。
「……米澤さんは、それでいいのかい?」
まるで一輪の花のように、たおやかでありながらも強い想いを秘めた花純に、天平は少し寂しげな表情で問い返す。
「はい」
好きになった相手と結婚するのではなく、許嫁を好きになって結婚するとも取れるその意志を確かめる言葉に、花純は迷うことなく頷く。
「そうか……ありがとう。時間を取らせて悪かったね」
花純の微笑みを見た天平は、自身の思いを押し殺して言う。
天平の言葉に、頭を下げて一礼した花純が身を翻す。
(もし――もし、俺が君の許嫁だったら、君は俺を好きになろうとしてくれたのかな)
その様子を哀愁の色を帯びた目で見ていた天平がふとそんなことを考えると、それを見透かしていたかのように花純が再び振り返る。
「私は、多分あなたが思うより勝手で、相手の理想が高いんです」
「え?」
あらためて向かい合った花純に見つめられ、天平は目を丸くする。
まるで心を見透かしたかのような言葉に狼狽する天平に、花純はわずかに恥じらうように頬を赤らめて話を続ける。
「私は好きな人には尽くしたいタイプなんです。ご飯を作って、掃除や洗濯、それ以外にも色々と身の回りのお世話をして喜んでもらいたいんです。
いえ、むしろ私がいなければ生きていけないくらいにしてしまいたいんです」
思い描く未来を想像しているのか、慈しむように語る花純は、どこか遠くを見ているような目をしていた。
それが、自分ではない、ここにはいない「誰か」を見ているのではないかと天平が気づいたと同時に、花純が続く言葉を紡ぐ。
「私に優しくしてくれて、大切にしてくれて、でも私がいないとだめな人。
私は、そういう人を好きになりたいんです。
だから……こう言ってはなんですが、あなたは私が尽くすには、人ができすぎています」
見惚れるような微笑みと共に話を締めくくった花純は、再度一礼すると、今度こそ振り返ることなく走り去っていく。
「――ハハッ」
その姿を呆然と見送っていた天平は、思わず噴き出してしまう。
「まさか、そんな理由で振られるとは思いもしなかったな」
小さく独白し、空を仰いだ天平の目は、わずかに潤んでいた。
※※※
「日幸さん」
天平と別れた花純は、待ち合わせ場所にいる日幸の元へと駆け寄り、わずかに乱れた呼吸を整える。
「すみません。遅くなってしまって」
「大丈夫。全然待ってないから」
「以前約束していたお買い物ですが、土曜日にいかがですか?」
「分かった。じゃあ、待ち合わせ時間と場所を決めようか」
自転車を押しながら肩を並べて歩く日幸と花純は、二人の帰路が分かれるその時までささやかな対話の時間を楽しむのだった。




