(そっか、これ……研究、所、の……)
無事に神樹での一仕事を終えたものの、《紛う者》との戦闘で想像以上に消耗していた晶子。気を失うように眠りについていたが、夢も見ない程に深い睡眠の果てに目覚め、意気揚々とハウスへ帰還しようとした。
——のだが。
「……暇すぎる……」
あれよあれよという間に寝かされていたベッドへ押し返され、現在は神樹の中でも比較的綺麗に残っていた巣の中で療養と言う名の軟禁状況であった。
(いや、うん……そら、あたしが寝てから丸々一週間も経ってるとは思わんかったし、皆からしたら気が気じゃなかったんだとは思うよ、うん)
目覚めた当初、晶子はスッキリとした気分で覚醒したため、気分転換も兼ねて景色を見ようとベッドを抜け出した。
そこまでは良かったのだが、丁度巣の入口を出たタイミングで弦達と鉢合わせし、彼女達と目が合った次の瞬間には、いつの間にか鑪によってベッドに寝かされていたのだ。
理解が追い付かず呆然としていた晶子だったが、目を覚ました事に安堵して泣き出した弦や子供達、新、満をあやしたり、族長からもグチグチちくちくと御小言の嵐。
(アルベートに助けを求めても自業自得って言われるし、鑪さんなんか無言の圧力が凄くて、とてもじゃないけどまともに顔見れなかったし……)
結局、こちらの身を案じてくれる一同に対し、晶子が折れる形で今もベッドの住人と化しているという訳である。
(まあ、寝ながらでも話は聞けるからって事で、あたしが気絶した後の事を色々と教えて貰ったから良いけどさ。まさか、未來さんが結構近くにいたとは……)
弦から未來の事を聞かされて、晶子は天井を見上げながら頭を抱えた。淀みの精霊が直接接触して来たという観点から考えても、恐らく何処かに控えていたのだろう。
しかし、問題は晶子が未來の存在は愚か、精霊がこちらに干渉出来る程近くにいた事に気が付かなかったと言う部分である。
(女神の力を授かった事で、あたしは世界に流れるマナを読み取れるようになった。おかげで再編する時にも役立ってるし、何気に相手の弱点というか、マナが一番集まってる中核的な部位を見つけれるようになったし……でだ。そんな状態のあたしが、全くもって未來さんのマナを捕まえる事が出来ない……相当な欠点では??)
思い返せば、帝都の地下道で接敵した際も、目前に来るまで未來の存在に気付けなかった。帝都から帰還後に仲間内で未來について気付いた事などを話し合う中で、『未來が他者に認知されなくなっている』という結論に至った訳だが——。
(これあれか? あたしが『女神から授かった力』って部分がフィルターに引っ掛かって、この世界の住人判定になってんのか? そうだとしたら、この先も一生あたしは未來さんの事を目と鼻の先に来るまで気付けないっつう事なんすが……)
仮にその予測が当たっていたとすれば、晶子が未來の気配を察知する事はこの先も出来ないだろう。
面と向かって対話したのは帝国での一度きりではあるが、弦の話を聞く限り未來は何処にでも出没する可能性がありそうだ。
(……これってつまり、そう遠くない未来で、あの人と真正面から戦わないといけなくなるって事だよね)
淀みの精霊の口ぶりからしても、女神に対して相当の恨みを持っている。そんな存在の下で暗躍する未來も同様であり、なんなら彼女の方が激しい憎悪を抱いているようだ。
(確実に追っかけて来るっしょ……なんせ、アイツ等からしたらあたしは嫌いな女神の使者だし、精霊に至っては折角撒いた不穏の種の潰されて怒り心頭って感じなんじゃないかな)
弦と族長を再編する際の言葉を思い出し、晶子は顔を顰めて小さな舌打ちを零す。あの時は淀みが体を侵食する痛みと苦しみで意識が朦朧としていたが、今思い返すと腹立たしい事この上なかった。
「女神の犬上等じゃい! あんにゃろ、ぜぇったいにいつか土下座で謝罪させてやるからな!!」
「でっけぇ独り言だなオイ」
全身をバネのようにしならせて起き上がった晶子が両腕を振り上げてそう吠えれば、丁度今し方見舞いに来たアルベートが呆れたように肩を竦めた。
「だってさぁ!!」
「はいはい、淀みの精霊から喧嘩売られたって話だろ? この三日間くらい、聴覚機能にタコができるかってくらい聞かされたっての」
そう言って、アルベートはベッド脇に置かれていたスツールを寄せると、そこへどかりと腰掛けた。
「にしても、あっちからちょっかいかけてくるとはな。俺様も予想外だぜ」
「あたしもよ。てっきり『世界の隙間』的な所に引きこもって、表に出てこないと思ってたのに……」
女神から聞かされた話では、精霊は隔離されている亜空間に淀みで穴を開ける事によって現世に干渉しているようだった。
(隔離された空間と現世との間にどれくらい次元の壁があるのか分かんないけど、穴開けた程度ならって勝手に勘違いしてたわ……)
晶子の認識では、淀みの精霊が出来るのはあくまでも人々の不安や憤りを煽るだけで直接的な接触は手先である未來にやらせているのだと思っていた。
しかし、相手方が未來を介さず直々に晶子へ危害を加えてきたとなれば、対策を練る必要がある。
「……これも、女神が封印されて境界が曖昧になってるって部分に繋がって来るのかな?」
「あり得そうだな。境界が曖昧になるっつう事は、それこそ現世と常世の境目があやふやになるようなもんなんだろ? そうなっちまったら、現世は死者や怨霊で溢れかえって大変な事に成っちまうだろうよ」
アルベートの言うように、もし淀みの精霊がいる亜空間と現世が完全に一つになってしまえば、精霊が世に放たれるのも同義。
そうなってしまえば、世界には淀みが溢れかえり、過去以上の災いや争いが発生しても可笑しくないだろう。
「何とか先手を打って行動出来れば良いんだけど……それも難しいよね」
「未來の行動が先読みできりゃワンチャンって感じだけどなぁ。けど、アイツの気配は俺様ですら掴めねぇんだから、現実的じゃねぇな」
当然ではあるが、この世界の住人であるアルベートには未來のマナを感知する事が出来なかった。
晶子が気絶した後のあの場において、殺気立つ未來のマナを正確に感じ取れたのは弦唯一人。本人はどう言った原理で己がそれを察知出来たのか分かっていなかったが、晶子の脳裏には消える間際に言葉を交わした二人の英雄の顔が浮かんでいた。
「多分、弦ちゃんが未來さんのマナに気付けたのは、黒羽と白雲が彼女達の力を譲ってくれたからだと思う」
「あー……未來にとっちゃあ、黒羽と白雲はかつての仲間であり、心を許せる友人でもあったんだもんな」
晶子の言わんとしている事をすぐ理解してくれたようで、アルベートがしかめっ面になりながら何度も頷く。
「で、もいっこ。これは完全にあたしの予想なんだけど、未來さん……黒羽達に会いに来てたんじゃないかな?」
あくまでも予想の範疇を越えないが、十中八九当たっていると思っていた。
「なんでだよ?」
「考えてもみてよ。女神を憎んで淀みの精霊の手先に堕ちて、遠い昔の友人達に激重感情持ってる人がさ、わざわざ何の関わりも無い女の子の所にそう頻繁に会いに来ると思う?」
帝都の地下道において、未來は晶子と共にあった鑪に対して『裏切り者』の烙印を押していた。それほどまでに、鑪達七英雄は未來にとっての心の支えであったのだ。
「未來さんと初めて会った時、あの人は鑪さんを『もう仲間でも戦友でもない』って拒絶の言葉を口にしてた。それを踏まえると、今回鑪さんが未來さんの存在に気付けなかったのって、向こうからある意味絶縁されてるからじゃないかなって」
「それと弦が未來に気付けたのと何か関係があんのかよ?」
「にっぶいなぁ……。この神樹にいた有翼族の中で唯一あの人と直接会話をして、魔法の扱い方を学んでんのよ、弦ちゃんは」
首を傾げて尚も分からないと言いたげなアルベートに、晶子が苦笑しながら説明する。
「実は一昨日、弦ちゃんに未來さんと出会った時の状況を聞いたのよ。そしたらさ、未來さんと初めて会ったのは、弦ちゃんが一族の皆に隠れて密かに魔法の練習をしている時だったそうなの」
「ってーなると、陣番になる前って事になるよな?」
「うん。何度も何度も試行錯誤してみたのは良いものの、全く上達しない魔法の腕に嫌気がさして、ある時思い切って全力のマナを解放する直前で声をかけられたんだって」
音も無く突然現れた未來に驚愕したものの、相手はどこか焦燥した様子だったので戸惑いの方が大きかったとは弦の談だ。
「これもあくまであたしの予想なんだけど、弦ちゃんが全力を出した時に体の中のマナバランスが崩れかけたんじゃないかな? それを整える為に黒羽達がほんのちょっと手助けしたんだと思うの」
「あぁ~……未來はそん時に黒羽達のマナを感じ取ったんだな。で、会いに来たと」
「恐らく」
晶子の説明を聞き、アルベートも納得したようだ。
「でも、結局あの二人は未來の前には現れなかった」
「うん。黒羽も白雲も、未來さんが淀みの精霊の手先になってるって察したんじゃないかな? 女神もまだ、未來さんがあっち側なの知らなかった頃だろうし」
未來と出会う直前、警告を投げかけて来た女神の様子からして本当に知らなかったと思われる。
だが分からないなりに、淀みの精霊に関係する何かである事だけは察知し、必死に晶子達へ伝えようとしていたのだろう。
「正直、未來さんについてはイレギュラーすぎて対応に困ってんのよ。あたしの知ってる未來さんは最初こそ敵対はすれど、こっちの話をきちんと聞いてくれる良い人だったし」
理性的でどこか人間離れしているような大人の余裕のある女性、それが晶子の知る未來だ。しかし、この世界の未来はどちらかと言えば、人間らしく感情に振り回されているように見える。
全てを奪っていく女神を憎み、自身から離れていくかつての仲間に怒り、そしてそれらを繋ぐ存在たる晶子へ殺意を向ける未來。
(ゲームの未來さん、ホントに頼れるお姉さんって感じだったからめっちゃお世話になったんだよなぁ。特に周回後の強化ダンジョン、敵が馬鹿固くってえぐいくらい攻撃力高い雑魚がわんさか出てくるけど、未來さんだと超絶楽だったんだよね~)
「っと、いけね。あんまりベラベラくっちゃべってたら、弦の嬢ちゃん達にどやされちまう」
過去の思い出に晶子が思いを馳せていると、アルベートがスツールから飛び降りた。
「え、なになにあたしもしかして面会謝絶にでもなってんの??」
「別に謝絶って訳じゃねぇよ。ただ、ちぃとばかし過保護な面々がいるから、あんまり駄弁ってるとなんで寝させてねぇんだっつってすっ飛んでくんだよ」
「想像以上!! そんなに!? 晶子さんってばもう元気いっぱいなんですが!?」
確かに今回は過去最長に眠っている期間が長かったが、今の晶子はマナも全身に行きわたって絶好調だった。
「なんならもっかい《紛う者》と戦えそうなくらい元気なんだが??」
「おいやめろ!! 冗談でも言うんじゃねーよそんな事!」
軽口で言ったつもりの晶子だったが、どうやら地雷を踏んだらしい。赤く染まった目元のランプを釣り上げてアルベートが怒鳴った事に、身を竦めて縮こまる。
「なっかなか目覚めねぇお前に、俺様達がどれだけ心配したか分かるか!? いくら女神から力やらを貰ってるからって、命は一つしかねーんだぞ!! だいたい、お前は何でも噛んでも再編すりゃいいって思ってるがよ、お前が死んだら誰がお前を再編するんだ!!」
「ご、ごめんて……ちゃんと反省はしてるから」
アルベートの怒りようには晶子も反論出来ず、素直に謝罪を繰り返すしか無かった。そんなしおらしい姿に、一先ずは落ち着きを取り戻したらしいアルベート。
「ったく……この世界の為、推しの為って一直線になんのはお前の良い所なんだろうがよ、それで晶子に何かあっちゃ意味がねぇだろうがよ」
「はい……弦ちゃんと新くんにも注意されました……鑪さんからも……」
泣きながら必死に訴える弦と新とは正反対に、ただただ無言の圧力をかけてくる鑪を思い出して、晶子の額から冷や汗が流れ出す。
猫かわいがりしている自覚のある弦達の泣き顔にも大分心を抉られたが、一言も発さず腕を組んでこちらを見下ろすだけの鑪が怖すぎて、晶子は咄嗟に正座してしまう程だった。
「当り前だわ。ま、帝国と神樹の問題を続けて解決したんだし、ちょっとくらい休んでも罰は当たらねぇだろ。ダリルからの連絡もまだだしな」
「でも……」
いくら仲間達に諭されようと、猶予のあまり残されていない世界を救わなければいけない使命感から言葉を濁す晶子。
「でももかかしもねぇよ!! 良いから、お前は俺様達全員からOK出るまでここを出さねーからな!! 分かったか!?」
だがアルベートは、そんなものは知った事かと言わんばかりに遮り、そう一言告げて返事も聞かずに巣を出て行ってしまったのだった。
「……はぁ~……」
有無を言わせぬ彼の勢いに圧倒されて暫し固まった晶子だったが、溜めていた息を大きく吐き出すと反射的に伸ばした手を下ろした。
(……再編者が聞いてあきれるよ……ゲームの主人公達なら、この程度で昏睡する事も無いのに)
「……主人公とあたしを比べても仕方ないけどさ」
比較した所で意味が無い事は、晶子自身が一番分かっている。WtRsの主人公と晶子では、そもそもの経験が違うのだ。
(主人公達は、世界を放浪する無名の冒険者だって説明書に書いてあった。来歴も何もかもが空白で情報は少ないけど、この世界の住人である事には違い無いはず。でも……)
晶子は異世界から召喚された、元ただの一般人である。召喚者の女神によって自身が何度も周回プレイし、各能力も装備も最強になるくらいには育てていた主人公の能力をそのまま引き継いでいるが、根っこの部分は社畜を極めていた趣味に没頭しがちな女のままだ。
それが突然、見知った世界であったとはいえ救世の為に戦えと言われても、土台無茶な話なのである。
(ま、あたしはそれでも、推しの幸せを見届ける為に戦う決意をした訳ですが。……あたし、召喚された事で頭のネジ数本ぶっ飛んでんのかも……?)
「……駄目だ、寝すぎて気が滅入ってるのか変にマイナス方向に考えが寄っちゃう」
とは言いつつも、恐らく巣からそう遠くない場所で鑪辺りが見張っているだろうと予想し、晶子は仕方ないと再び大きく溜息を吐いてベッドに潜り込もうとした。
——こんこん
「んぇ?」
不意に聞こえた小さなノックオンに、晶子は気の抜けた声を上げてしまう。しかも、音の発生源が唯一の入口からでは無く、ベッドの真横にある窓からなのだから猶更だった。
(新くん達か? いや、皆だったらわざわざこんな所から来なくても良いはず。じゃあ……誰?)
晶子が訝し気に眉を顰めて外に視線を向ければ、こちらを覗き込んで来る二体の人形と目が合った。
一体はアルベートよりも小さく貧相な作りをした頭部のプロペラで浮かぶブリキ人形、もう一体は赤いボタンの目をした薄汚れたウサギのぬいぐるみだ。二体とも何を言うでもなく晶子を見つめたままであり、ぬいぐるみのボタンが日の光に照らされてかキラリと輝いた。
「人形……? こんなところに何で」
(それにこの子達、どこかで見たような……?)
首を傾げながら、何の迷いも無く窓を開いてしまう。その瞬間、晶子の身に言いようのない違和感が走り抜けた。
(待って、あたしなんで窓開けて)
「あなたが、めがみさまからおやくめを、もらったひとだね~?」
「め、めmmmmめ、めがみ、めがががが、めがみ、おやくmmmめめめめ!!」
意図せず体が起こした行動に混乱する中、そんな晶子の事などまるで見えていないかのように人形達が話し出した。
「おやくめ? 何の事? 君達は一体……」
「ぼくたち、おむかえにきたんだぁ! さあ、いっしょにいえにかえろぉ!」
全く対話にならない人形達に嫌な予感がした晶子が逃げ出そうとしたが、それよりも早くにぬいぐるみが動き出す。
晶子の顔に至近距離まで近づいて来たかと思うと、赤いボタンが数度、怪しげな輝きを放った。するとまるで霞がかかったかのように思考が纏まらなくなり、瞼が段々と重くなっていく。
「こ、れって……」
「あんしんしてぇ! ぼく、これでもあんぜんうんてんがとくいだからさぁ!」
そう言うなり、ブリキの人形がどこにそんな長さが収納されていたのかと言う程に腕を伸ばして晶子の体に巻きつける。そうして上手く力の入らない晶子を優しく抱き上げると、ぬいぐるみと共に空へと飛び立った。
(そっか、これ……研究、所、の……)
一瞬だけ激しく揺れたタイミングがあったものの、以降は穏やかに飛び続ける人形達。
その正体と自分が一体どこへ攫われるのかようやく見当が付いた瞬間、晶子の意識はゆっくりと暗闇の中に落ちていったのだった。
次回更新は、10/3(金)予定です。




