とある灰色の恩愛
自分を怒鳴りつけた戦士の前に立ち庇ってくれた晶子を見た時、弦はその背に『言葉にならない安心感』を覚えた。
生まれてこの方、誰かから必要とされる事も愛される事も無かった弦にとって、背に庇ってくれる相手なんて存在しなかった。それがまさか見ず知らずの少女、しかも他種族の異邦人にそんな感情を抱くとは。
困惑する弦を知ってか知らずか、戦士達からの暴言を倍以上にして返す晶子にいつの間にか緊張は解けていた。
「よろしくね、弦ちゃん……で良かったかな?」
それどころか、陣番を任されている弦に対して微笑みかける晶子の表情からは娘を見る母のような暖かさが溢れていて、その顔を見た途端、体の奥底から沸き立つような熱が弦の全身を駆け巡った。
これまで経験した事のない類の感情を向けられて言葉が出ず、弦は激情を表現するために火照った顔で何度も頷き返すしか出来なかった。
(どうして、こんな気持ちになるのかしら……それに、この方とは初めてお会いしたはずなのに、なぜだかずっと前から知っている気がする)
浮遊魔法での移動中、何やら難しい顔で思案している晶子の様子を眺めながら不意にそんな事を考える。
弦は生まれてから一度も神樹の外へ出た事は無い。色々と理由はあるが、一番は父親を含む一族の者達が許さなかったからだ。
鮮やかな翼の色を自慢に思う者達からは灰色という色を、父親からは最愛の命を奪って生まれて来た忌み児として疎み嫌われていた。
忌々しい存在だと言葉の暴力に晒され、時に手をあげられ、何時しか弦にとって当たり前の日常になってしまった。
(わたしもお父さんみたいに頭が良かったり、強い魔法が使えれば……)
同じ色の翼を持つ父は、誰よりも回る知恵を買われて族長にまでのし上がった。しかし、弦には冴えわたる頭脳も、強力な魔法を自在に扱う力もない。
辛うじて族長の娘だからと最低限の生活は出来ているが、それも新の口添えがあってこそだった。
(……そもそも、私が生まれなければお母さんは……)
過去、何度も父に言われた言葉が頭の中をぐるぐると廻り、高ぶっていた弦の気分はどんどんと沈んでいく。
そんな落ち込みを吹き飛ばす程、晶子の口から紡がれた言葉はまさに驚愕だった。
「有翼族では黒は禁忌、って言うか、忌み嫌われる色なのよ。理由は三つあって、一つは神子の新くんが純白の光を司る存在であること。二つ目は、単純に黒=禍々しいものの象徴って思い込み」
「三つ目はなんだよ」
「黒い翼は、常世に落とした忌み子を想起させるからよ」
(どうして……?)
まるで全てを見て来たかのように話す晶子に、弦は戸惑いを隠せない。何十年、下手すれば百年以上の間、閉鎖的になっている有翼族しか知らないはずの情報をなぜ彼女が知っているのか。
外から自分達を害しに来た者なのかと一瞬疑ったものの、弦は一先ず自身に課せられた役割を果たそうとする。
だが、そうして晶子を見ていればいる程、彼女を疑う必要を感じなくなっていった。
「これこの魔法陣、弦ちゃんが作ったの!?」
浮遊の魔法陣を描いたのが弦だと知ると大袈裟な程に驚愕したり。
「そ、その人、ホントにただの旅人? 閉鎖的な神樹に忍び込ん……だのかは分からないけど、誰にも気づかれずに入るなんて……」
魔法の師について話した際に、やけに引き攣った顔で動揺していたり。
「ホンマに弦ちゃんは優しいなぁ。どっかの誰かさんらみたいに、純粋な気持ちで異文化知ろうとしとる客人を馬鹿にしたりせんと、すんなり教えてくれるからありがたいわぁ」
「それにしても、神子さん直々に招待した客に向かって、その態度はどないなんやろなぁ? この後、また神子さんに会う予定もあるし、お宅の教育どないなっとんのかって聞いとかなあかんなぁ」
かと思えば、集落に入った途端無粋な視線と嘲笑を向けてくる一族の者に対し、清々しいまでに嫌味を返す。
「凄いねぇ、ちゃんと弦ちゃんと神子様が分かるよ! ここの弦ちゃんの髪とか、神子様の雰囲気もしっかり織られて、もうホント、天才!!」
「もきゃ~!! 可愛いが過ぎるわよお嬢ちゃんんんん!!」
一番の反応は『黒黴病』の発症によって隔離されている子供達と関わっていた時だっただろうか。
子供達の中でも特に人懐っこい子と戯れる晶子の姿は、本当の親子なのではと錯覚する程だった。
(……あぁ、この人の素はこっちなのね)
真剣な表情で何事かを思考している時もそうだが、子供達と関り、アルベートや鑪、そして弦に笑顔を向けている時は殊更生き生きとしているように見える。
(感情表現が豊かで、素直で真っ直ぐ。ちょっと誤魔化したりはするけど、でも私達を常に気にかけてくれている気配はする……本当に、変な人)
そんな風に思うものの、同時に愛されているという実感のようなものが頭の先からつま先、翼の先にまでじんわりと浸透していく。
見ず知らずの他人の筈なのに、晶子に出会えた事を弦の体が、心が、己が身の全てが喜んでいるのだ。
(このまま、この時間がずっと続いてくれたら……)
無意識の内に浮かんだ願いだが、それが叶う事は無かった。突然の襲撃によって平穏な時間は崩れ去り、晶子の技によって作り出された土壁の中届いたのは、憎しみに塗れた父の声。
「お前が、お前が死ねばよかったのだ」
面と向かって言われた事は無かった父の本心に、弦の心臓が今にも張り裂けんばかりに激しい痛みを訴える。そして気が付けば、弦は真っ暗闇の中を漂っていた。
(あ、れ……ここは……? 私は、晶子様を追って……)
弦達を守る為、身を挺して重傷を負った晶子。消失していく土鈴の隙間から垣間見たのは、新によって開かれた黄泉の門から現れた黒い手に引きずり込まれる血塗れの晶子。
考える前に勝手に体が動き後を追って闇の中に飛び込んだまでは良かったが、そこからの記憶がぽっかりと抜け落ちている。
(晶子様は……あの人はどうなったの? どこにいるの!?)
右も左も、上下すらも分からない。自身が人の姿を取っているのかすらも判別不能な中、弦に語り掛けてくる声があった。
((落ち着きなさい、灰色の子よ))
(!? だ、誰!?)
二重になって響いてくる男女の声に警戒していれば、声の主は小さく笑みを零した。
((ふふ、そう警戒しないで。我々は敵ではないよ))
(……たしかに、敵意は感じない。本当に、敵じゃ、ない?)
むしろ声の主から感じ取れるのは、こちらに向けた深い慈悲。一族の者達からは向けられた事の無い感情に困惑しつつ、悪いモノでは無いとだけ理解した弦は強張っていた体から力を抜いた。
(貴方達は……?)
((我々は、かつて鑪と共に女神に立ち向かった者。その……燃えカスのようなものだ))
そうして邂逅する事になったかつての英雄・黒羽と白雲から晶子の正体と、神樹で何が起きようとしているのかを聞き及ぶことになった弦は、あまりに壮大で恐ろしい話に震えが止まらなかった。
(世界に、そんな秘密が隠されていたなんて……でも、だからなのかな。晶子様と一緒にいると、なんだか泣きたくなるくらい安心するのは)
説明資料だと見せられた薄っぺらい本の内容は、どれもこれも弦や新、鑪達を描いたものばかり。見知らぬ男性と青年が出て来た時は誰だと首を傾げたものの、それがアルベートとその息子だと聞かされた時は流石に度肝を抜かれたが。
晶子が異世界で手掛けていた物だと解説されたが、その内容は皆一様に全ての人々が笑顔で幸せになる終わりばかりだ。
ページを一枚一枚捲る度に、晶子がどれだけ本に描かれた人物達を愛しているかが伝わってきて、弦は思わず泣きそうになってしまう。
(晶子様……晶子様! あぁ! どうしてこんなにも、心が歓喜しているの? 貴女に愛されているという事が、何よりも嬉しいと心が、体が、私の全てがそう叫んでいるようだわ!!)
どんなに恐ろしい事が起きても、きっと晶子が何とかしてくれる。新や満、そして族長すらも救ってくれると信じて、弦は抵抗する事無く《紛う者》に喰い殺されたのだ。
一般的な魔物と違いある程度の知恵があるらしい魔物を倒すには、今一つ決定打が足りない。それを補う為に弦が思いついたのは、《紛う者》の内側から晶子達を援護すると言う方法だった。
『根の間』にいた者の中で、唯一戦えないのは弦だけ。隙を見せれば必ず襲ってくると思い、それに乗じて体内へ入り込もうと画策。結果、魔物は想定通りの動きでこちらを襲い、魂だけの状態になった弦は無事に《紛う者》の内部へ侵入に成功した。
そうしてずっと《紛う者》の中から様子を窺っていた弦だが、《紛う者》に喰い殺された直後の晶子の荒れ様には、軽率な事をしてしまったと後悔もした。
(晶子様が思っていた以上に私を愛してくれていた事は、ちょっと予定外というか……まさか、あんなにも怒りで我を忘れた状態になってしまうなんて)
だが、それすらも乗り越えた晶子は見事《紛う者》を打ち倒し、淀みの精霊の妨害すら跳ねのけて弦達を再編してみせた。
(……黒羽様と白雲様は……逝ってしまわれたのね……)
認知しておらずとも、これまでずっと共にいた存在。そんな二人は弦へと残っていた力の全てを譲り、一切の迷いも無くあっさりと去ってしまった。
ずっと見守ってくれていた二人とまともに会話を交わす余裕も無かった事が、唯一の心残りだろうか。
(体の中で、光と闇の力が渦巻いてる。でも、しんどさも辛さもない。むしろ心地よくて、ホッとする)
恐らくだが弦が扱いやすいよう、晶子も気が付かぬ程ひっそりと再編の際に手を加えていたのだろう。
最初から弦の物だったかのように良く馴染む光と闇のマナに、弦は手を握り締めた。
(それに、お父さんとちゃんとお話が出来た……! やっと顔を見てくれて、それに抱きしめてくれた!! お母さんとも会えた!!)
晶子のおかげで、父親が自身を愛してくれようとしていたと知れた。自身の名を付けたのが父である事を知れた。何より、生まれたての頃の事で弦自身に記憶は無いが、亡くなった母親とも数日の時間を共に過ごせていた事を知れた。
親子らしいやり取りが出来る日をいつかいつかと待ち続けて、遂にそれが叶ったのだ。これ以上に嬉しい事はない。
(晶子様は、まるでもう一人のお母さんみたいだわ)
無条件に笑いかけてくれる晶子の笑顔が、父親の事を己に託し深い愛を告げて去って逝った母・得鳥の横顔と重なる。
出会ってからたった一日なのに、晶子は弦にとってもう一人の母親だと思ってしまうくらいかけがえのない人になっていた。
(それにしても晶子様、ぐっすり眠ってらっしゃるわ。……あれだけ、私達の為に命をかけて下さったんだから当然よね)
鑪の腕の中で穏やかな寝息を立てる晶子に、弦は微笑みかける。
「ったく、人騒がせな奴だぜ……」
「無理も無い。瀕死の重傷を負い、常世に落ちて戻ったかと思えば《紛う者》との連戦。我ですら疲労を感じているのであるから、晶子がこうなってしまうのも致し方ないだろう」
呆れたと肩を竦めるアルベートに対し、鑪がそうフォローを入れた。それもそうかと納得したアルベートに上層へ戻ろうと提案した新に賛成の意を告げようとした、その時。
「っ!!」
そう遠くない場所から放たれる殺気と醜悪なマナの気配に、弦の全身が粟立つ。脳内で警鐘が鳴り響き、この場にいる全員に危険が迫っているのだと本能が察知した。
⦅ダメ!!⦆
その瞬間、弦は《紛う者》の内から晶子へ語り掛けた時のように、魔法を放とうとした相手へ訴えかける。
(い、ま、私……あの時の……)
無意識に行った自身の行動に驚いて両手を見つめていた弦だが、相手へ伝わったらしいのを感じて顔を上げる。
一瞬の動揺と戸惑いの気配の後、禍々しいマナは溶けるように消えてしまった。
(今のマナ……未來様?)
ドッドッと激しく脈打つ心臓を抑えるように胸元を押さえながら、覚えのあるマナに黒髪の旅人の姿を思い出す。
「大丈夫か弦の嬢ちゃん!」
「弦、一体どうした? それに、今のマナは……」
只ならぬ様子の弦に気付いたアルベートが駆け寄ってきて、背中を擦ってくれる。遅れて敵性存在に気付いた満と鑪が周囲を警戒し始め、怯えを見せる弦に父親が問いかけた。
(晶子様……)
安らかに眠る晶子を一瞥して、心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
(ここまで、私は守られてばかりだった。だから、今度は私が貴女を守ります。今は安心して、ゆっくり休んでくださいね)
「……神樹から、少し離れた林の中から何者か……ううん、未來様がこちらに攻撃を仕掛けようとしていたみたいです」
(束の間の安寧であっても良い、僅かでもその心に安らぎを届けられるのであれば、この力を貴女の為に奮って見せましょう)
一人で背負うにはあまりにも重すぎる重責を背負いながら、命を懸けて弦達を守り戦い抜いてくれた『第二の母』のような晶子の為に弦は誓うのだった。
次回更新は、6/27(金)予定です。




