(もしかしたら、お母さんに重ねてたのかもね)
(なんで今の今まで気が付かなかったんだろう……弦ちゃんがいなくなったなら、『根の間』がこんなに明るいままのはずないのに!)
本来の『根の間』は、薄暗く天上から零れてくる光以外に明かりの無い広間だ。それがほとんど影という影もない程に明るくなっているのは、黒羽達が書き換え、弦が維持してくれていた魔法陣のおかげである。
それなのになぜ、そんな事にも気づけなかったのか。
(……弦ちゃんの事に動揺し過ぎだな、あたし……)
晶子は、自身が思っている以上に余裕がない事を痛感する。
それだけ弦が推しとしても、一人物としても愛すべき存在だったという事なのかもしれないが、些か冷静さを欠きすぎていた。
(いや、推し、というか大切だって思ってる子が死んで正気でいられる人なんていないと思うのよ!! 誰だってそうだと……けど、結局これも言い訳だ)
晶子にとって、弦は大切な推しであり、有翼族の中でも貴重な友好関係を築いた少女だ。現実世界のゲームで一方的に彼女の為人を知ってはいたが、この世界に来て直接交流を持った事で、より弦を愛おしく思うようになっていった。
だからこそ、晶子は弦が《紛う者》に喰い殺された瞬間に我を失い暴走状態になってしまったのだが、それが結果的に相手の進化を促す事になってしまい遣る瀬無かった。
(て言うか、帝都でアメジアモドキと戦った時もそうだったけど、淀みの魔物って必ず一回は進化と言うか変形と言うか、姿を変えないといけない決まりでもある訳?? 毎回まいかい、やめて欲しいんだけど?)
帝国と神樹、双方で現れた淀みの魔物は経緯の違いこそあれど、それぞれに力ある存在を喰らい新生した。
新たな姿を手にした魔物は必ずと言って良い程に厄介な特質や技を持っているため、二度と御免被りたいところではある。
なにより、前回と今回の二例を踏まえて考えれば、淀みの魔物の進化=主要キャラ及び重要キャラの死である事はまず間違い無い。
(こんな事は、これっきりよ。もう二度と、誰も死なせない)
新たな決意をした事で、幾分か困惑していた思考も落ち着いてくる。
(弦ちゃん達が残してくれた魔法陣がいつまでもつか分からないし、ここは鑪さん達と協力して、一気に畳みかければ……)
⦅……さま、……ぅこ、さま⦆
「!!」
魔法陣が存在している内に《紛う者》と決着をつけなければと考えていた晶子の耳に、どこかから囁くような声が聞こえた。
(この声……! それにこの感じ、アメジアさんの時の!)
「晶子、奴が動き出すぞ!」
鑪からの呼びかけにハッとして顔を上げれば、悶え苦しんでいた《紛う者》が怒りを露わにしてこちらを睨みつけていた。
しかし、その体は新の放ったホーリーアロ―の影響で所々が焼け爛れ、未だに煙が燻り上がっている。
更には美しく流れるような弦似の灰色の髪も、同じ色の翼もボロボロで、先程までの神々しさは何処にも感じられなかった。
「うわっ、思ったよりも酷い事になってる」
「魔法陣がなぜ作動しておるのか分からぬが、好都合というもの。ここは一気に畳みかけるべきであるぞ」
「うん。……鑪さん」
同じ事を考えていた鑪の言葉に頷きつつ、晶子は彼に今し方感じたものを話す事にした。
「なんだ?」
「さっき、声が聞こえたの。帝都でアメジアさんの声を聞いた時みたいな、ホントに微かなものだったけど、あれは間違いなく弦ちゃんだった」
「! ……ふむ。時間を稼げば良いのだな?」
そう問い返してきた鑪に驚きつつも、晶子は思わず苦笑を零す。
「さっすが鑪さん! 分かっちゃいましたか?」
「アメジアの時と同じだとお主が言うのだ、みなまで言われずとも察する」
そう言った瞬間、鑪は目にも留まらぬ速さで駆け抜け、こちらに向かって猛スピードでつっこんで来ていた《紛う者》とぶつかり合った。
怪物の薙ぎ払い攻撃を二本の刀で受け止め、反撃として白刃が閃いたかと思えば、床にべシャリと腕が落ちる。
「Kyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
「相も変わらず喧しいな……して、晶子!」
怒りに任せて残った腕を振り回す《紛う者》を往なしながら、鑪が振り返って晶子を見た。
「我はどれ程、こやつの相手をしておれば良いのだ?」
「あたし達の対話が終わるまで!!」
「承知仕った!!」
晶子の答えに即答すると、鑪は抜身の刀にマナを集めていく。黄金色に輝く四本の刀身を天に掲げて交差させると、一際強く輝いたタイミングで斬り払った。
「白刃技・黄金、魔を絶つが如し!!」
振り下ろされた刀身からXが二つ重なったような黄金色の斬撃が飛び出し、床を削りながら《紛う者》の体を押し下げていく。
《紛う者》も負けじとエネルギーの刃を掴んで抵抗しようとするも、斬撃は怪物の掌を焼くだけでビクともせず、あっという間に壁に叩きつけられた。
(おほぉ~! やっぱり白刃技は見た目も派手で威力も抜群! 見応えがあるよねぇ~!)
それを追いかけていく鑪の背中を見送った晶子は、内心彼の妙技は相も変わらず惚れ惚れする素晴らしさだと、うっとりとしていた。
「って、見とれてる場合じゃない。新くんは鑪さんの援護に回ってくれる? 現状、《紛う者》に対して一番の有効打持ってるのって新くんしかいないからさ」
「は、はい! お任せください!」
そう言うなり、新は翼を大きく羽ばたかせて飛び上がると、鑪の斜め上後方に付き従い、魔法で応戦し始める。
(ちょっと落ち着いたかな? まあ、冷静になろうと必死になってるだけかも知れないけども……ん?)
意気揚々といった様子の新を見て安堵するべきかを考えあぐねていると、ふと視界の端に映る満が気になった。
晶子の言葉に颯爽と飛び立っていった弟の背を見つめる眼差しはひどく凪いでいて、彼女の感情を推し量る事は出来ない。
「……心配?」
だが、きっとそうだろうと思い浮かんだ事を問いかければ、満は一瞬目を見開くと、すぐに自嘲した風に笑った。
「心配、もありんすが……一番は、寂しいでありんしょうか」
「寂しい? なんでまた」
「さぁ……なんででありんしょうねぇ」
目を細めて眩しいものを眺めるように呟いた満の本心は、晶子には分からない。けれども、寂しいと言った口元が緩く弧を描いているのを見て、それ以上は追及しない事にした。
「さて、あちきはどうすれば?」
「あ、うん。満ちゃんは、あたしの側で流れ弾の対処をして欲しいの」
次の瞬間には無表情に戻ってしまった満に苦笑しつつ、晶子は丁度こちらに流れてきた淀みの塊をバトルアックスで弾いた。
「済まぬ晶子!」
「だいじょーぶです!!」
鑪は手短に謝罪を口にすると、また《紛う者》に向かって行ってしまった。
「一体、何をしようと言うんでありんす?」
「実はさっき、ほんっとうに幽かにだけど、弦ちゃんの声が聞こえたの」
「それは誠でありんすか!?」
ここに来て晶子が弦の名前を出した事に、満が驚いた声を上げる。そうなってしまうのも分かると思いつつ、その反応をあえて無視して話を続けた。
「もしかしたら、何か伝えたい事があってあたしを呼んでるのかもしれないからさ、ちょっと精神集中させて、話してこようと思ってね」
「話って……そんな事が、本当に出来るんでありんすか? だって弦はもう……」
そう濁した満だったが、晶子もその後に続くものが何であるか理解している。けれども、晶子には『淀みの魔物に取り込まれたアメジアの意識と交信した』という前例があるのだ。
「声が聞こえたのは初めてじゃないし、コンタクトを取るのにも成功してる。だから大丈夫だと思うの」
「しかし……」
「なにより……あたしが、弦ちゃんの声を聞きたいんだ」
柔らかな優しい声色で、もう一度名前を呼んで欲しい。
「あたし、想像以上に弦ちゃんの事、引き摺ってるみたいでさ。ちょっとでもいいから、あの子の……弦ちゃんに背中を押して欲しいの」
弦を再編すると心に決めてはいる。それでも、絶対にそれが成功するかは分からない。アルベートの時のように、気持ちだけが先行して上手くいかない可能性もある。
(帝都でダイアナさん達を再編する時も、あたしだけじゃダメだった。例え女神から世界を救うための力を託されてても、元が唯の一般人だったあたしにはそれを使いこなせる技術も知識も無い。あたしが知ってる知識は、あくまでもゲームの中で見聞きしたあったかもしれない未来(最悪のシナリオ)ってだけなんだから)
救世主に選ばれ召喚されたと聞けば耳障りが良いが、実際は女神の不始末や世界に燻る厄介事を体よく押し付けられていると言っても過言ではない。
大好きなキャラを救うために意気込んで来た晶子だったが、一度ならず二度までも手を伸ばした存在を守れなかった。その事実が、晶子の心に重く鋭いトゲを突き立てる。
そんな自分の荒れた心を少しでも落ち着ける為にも、今すぐあの愛おしい推し(少女)の声が聞きたかった。
「こんな時に弱音とか言いたくないんだけど……ちょっとだけ、しんどくなっちゃって」
現実世界での自分とは違う金色の髪を指先で遊ばせながら、気の抜けた顔で笑う晶子。その表情に何を思ったのかは分からないが、満は心配そうにこちらを見つめていたかと思うと、すぐに表情を綻ばせて頷いた。
「わかりんした。晶子様の護衛は、このあちきが賜りんす」
(ん~、なんか気を遣わせてしまったかも……)
「ん、お願いします」
彼女の目の奥に決意のようなものを感じ取って苦笑を浮かべたものの、今はその好意に甘んじる事にした。
そうして満が《紛う者》を睨みつけるのを確認し、晶子は目を閉じて意識を集中し始める。
先に感じた僅かなマナを手繰り寄せ、切れないよう、解けないように自分の物と絡み合わせる。やがて細い糸のような繋がりは太く強くなり、晶子の脳裏にはっきりとした音として認識できるようになった。
⦅しょ……さま、しょうこ、様…………晶子、様?⦆
(うん、聞こえてるよ弦ちゃん)
ようやく鮮明に聞き取れた声に返事をすれば、声の主は何度も良かったと呟いて喜んだ。
⦅あぁ、あぁ! やっと……やっと声を届ける事が出来ました! ごめんなさい、ごめんなさい……! 私のせいで、晶子様があんなに傷ついてしまわれるなんて!⦆
(どうして弦ちゃんが謝るのさ? むしろ、謝るのはあたしの方なのに)
守ってくれなかったと責められる事はあれど、謝罪を受ける謂れは何もない。
あの場で晶子がしなければいけなかったのは、『鑪の静止を振り払ってでも弦を救う』ことだったはず。
けれども、身の危険を案じて引き戻してくれた鑪の腕の中で、晶子は弦が喰い殺されるのをただただ茫然と見つめる事しかしなかった。
(守れなくてごめん……救えなくて、ごめん……)
つぅっと閉じた瞼の隙間から零れ落ちた雫が、頬を流れ伝って落ちていく。
(沢山、怖い思いをさせてしまって……あたしは、何が何でも君を守らなければいけなかったのに。救わなければいけなかったのに)
止めどなく流れ落ちる涙を拭う事もせず、晶子はずっと弦に謝り続けた。
⦅……どうか、謝らないでください⦆
ふいに、誰かの手が頬を拭った気がした。
⦅確かに、怪物に喰われる時は恐ろしくて仕方ありませんでした。目の前を過ぎていく過去の記憶に、これが走馬灯なのかと思ったりもして……私の人生は、何だったんだろうって⦆
実の父との確執、翼の色による一族からの差別、他にも晶子の預かり知らぬところで色々な事があったのだろう。
どこか遠くを懐かしむように、しみじみと、淡々と語るその声色からは、弦の正確な感情は伝わってこなかった。
⦅結局、父には一度も認めてもらえませんでした。どれだけ魔法の腕を磨いても、新様から御役職を拝命しても、父は……私を見てくれませんでした⦆
唯一父親の事を話すときだけ、弦のマナがほんの些細な揺れを起こす。しかし、それも本当に瞬きをする間のような短さしか無く、それ以外には彼女が何を思っているのかさえ読み取れない。
⦅父は……心の底から母を愛していたんだと思います。だからこそ、私が許せなかった。父の気持ちを理解する事は残念ながら出来ませんでしたが……それでも、大切なものを失う怖さは分かる気がするんです。私の事を姉と慕ってくれる子供達と暮らして、彼らの大切さがこの身に刻まれていますから⦆
第三者である晶子から見て、弦の父親は決して良い親であったとは言えない。娘を無碍に扱い、罵倒し、しまいには常世への門を開く為の贄にしようとした男を、一体誰が父親だと思うだろうか。
⦅でも一度だけ……たった一度だけですが、父が私に贈り物をくれた事があったんです⦆
(贈り物?)
弦の言葉に、晶子はそんなまさかと驚いた。憎しみの籠った目で娘を見るあの父親が、本当にそんな事をしたのかと。
⦅一瞬だけ指先に光を点せた魔法でしたが、その日、私は初めて魔法を使う事が出来ました。初めは呆然と自分の指先を見ていて、次第に何が起きたのかを理解した私は、喜びのあまり父に抱き着いたんです⦆
そうして邪険にされる前にもう一度指の先に光を灯せば、父親は食い入るようにして弦を、正確には弦の指先の光を見つめていたという。
⦅その日の夜、眠ろうとしていた私の元に父が来て、小さなタペストリーをくれました。描かれていたのは、小さな子供と二人の大人。多分ですけど、父と母、そして私が描かれていたんだと思います⦆
彼の人が何を思って、そんなタペストリーを弦に渡したのか。ただの気まぐれか、はたまた何か打算があっての事なのか……それとも、父親として娘に何かをしようと初めて思っていたのか。
族長に対して悪印象しか持っていない晶子には、彼の行動理由が分からなかった。
⦅どうして、父があのタペストリーをくれたのか……私にもわかりません。けれど、私の指に光る輝きを見る父の目には、哀愁とも懐古ともとれるようなものがあった気がします⦆
(もしかしたら、お母さんに重ねてたのかもね)
黄泉の門が開かれる前に《紛う者》が模していた得鳥の姿は、正しく弦と瓜二つだった。だとすれば、族長が嫌う娘からの抱擁を跳ねのけず、初めて発現させた魔法に見入っていたのは、その輝きに照らされる弦の顔が愛する妻に見えたからだろうか。
⦅そう、だったら嬉しいです⦆
母のように見えていたのかもしれないと言われ、弦の声は少し恥ずかしそうに囁いた。
⦅……辛い事は沢山ありました。なんで、どうしてと自問自答して、結局答えは得られないまま。でも、きっとそれは皆同じなんです。私がこうして悩んでいるように、新様も満様も、お父さんだって。それに——貴女に会えた⦆
(あたし?)
思わず聞き返す晶子に、弦が頷き返したような気がした。
⦅何故だか分からないんですが、晶子様と初めてお会いした時、とても安心したんです。同時に、体中に喜びが溢れて、心のどこかで誰かが言うんです。『やっと会えた、来てくれた』って⦆
さっきまでの愁いを帯びたものとは違い、今の弦の声は至極嬉しそうで、恍惚としているようにも聞こえる。
⦅晶子様と出会えた事を喜びはしても、今回の事で責めたりなんてしません。だって、貴女はずっと、私達の事を想っていてくれたじゃないですか⦆
(それは、どういう……)
⦅黒羽様達が私の体を使っている間、私は確かに眠っていました。しかし、完全に意識がないという訳でも無く、皆様の行動の一部始終を夢見ているような感じだったのです⦆
「ちょっと待って」
つまるところ、常世にいる間から黒羽達を押しのけて表に出てくるまで、ずっと晶子達の話を聞いていた事になる。
⦅私の事を想って黒羽様達に啖呵を切ってくださった所は、とっても勇ましくて格好良かったです! その後の泣きじゃくるお二人を宥める時なんて、まるで本当に女神のように麗しくて……正直とても羨ましかったです。あ、でもまさか、晶子様が創世の女神によって召喚された使者だとは思いませんでした。それにしても、黒羽様達の記憶を覗き見る機会があったのですが、晶子様の故郷がこの世界と全然違っていてとっても驚きました! あ、晶子様が作られた御本もほんのちょっとですが拝見しましたよ!!⦆
(勘弁してくれ!!)
顔を覆ってしゃがみ込めば、隣に居る満がぎょっとしたように声をかけてくる。だがそれに返事が出来る程、晶子には余裕が無かった。
理由は言わずもがな、である。
(ほんっとあの駄目神まじでなんでわざわざ異世界産資料にあたしの本使ったんだマジ許さんからないつか生身で会う事あったら覚えてろよ!!)
⦅あの、晶子様?⦆
(弦ちゃん)
⦅ヒャイッ!!⦆
女神への恨み言を込めた低い声で弦を呼べば、即裏返った声が返ってきた。
(忘れなさい。あたしの本、なんて物は、無かった)
⦅え? でも⦆
(わ・す・れ・な・さ・い)
(ハイ)
念を押すような晶子からの圧に、弦は渋々といった感じで答える。不満気を隠さないその様子に思わず苦笑が零れるも、この世界においては黒歴史でしかないので絶対に譲れない晶子だった。
⦅……晶子様⦆
(なぁに? 言っとくけど、本の話はもうしないよ)
⦅私の事を、再編しようとしてくださっているんでしょう?⦆
茶化すように言った晶子に、弦が真面目なトーンで語り掛ける。
(そう。弦ちゃんは《紛う者》に取り込まれはしていても、まだ完全に吸収されてる訳じゃ無い。今ならまだ、あの怪物の体内に魂がそっくりそのまま残ってる筈だから、次の攻撃で《紛う者》を倒して取り戻そうって。でもその前に声が聞こえて、何か伝えたい事があるのかと思って精神を繋げたんだけど……?)
⦅……お願いが、あるんです⦆
僅かに首を傾げて見せた晶子に、弦は一瞬躊躇うような雰囲気を醸し出す。しかし、遂に意を決したように、晶子へ己の願いを告げた。
⦅私の——⦆
「ふぁっ!?」
願いの内容を聞いた晶子は、予想外の言葉に驚いて変な声を出してしまったのだった。
次回更新は、4/18(金)予定です。




