(……えぇい、女は度胸!!)
晶子は夢を見ていた。苔や草木が生い茂る森の中に佇み、堂々と聳え立つ一本の巨木を見上げる夢を。
(風も無いのに、葉っぱの騒めきが聞こえる。普通に考えたらこんな状況って不穏以外の何物でも無いはずなのに、怖いとか、しんどいとかは感じない。むしろ、なんか知らんけど安心するって言うか、ここは大丈夫って感じるんだよねぇ。夢だからかな?)
理由も定かでは無いのに、晶子は不可思議な夢の中が心地よいとすら思っていた。
(にしてもここ、なんか見覚えがあるような……ん? あれは……)
どこか既視感を覚えながらも首を捻っていると、不意に晶子の体をすり抜けて、四人の人影が走り抜けて行った。
正確には、黒いオーラを纏う者は黒髪の人物を横抱きにし、白いオーラを纏う者は白髪の人物を背負ってであったが。ぐったりとして身動ぎ一つしない様子を見るに、二人は気絶しているらしい。
(黒髪に白髪、黒と白のオーラ……もしかして、光の精霊に闇の精霊、背負われてるのが白雲で、お姫様抱っこされてるのは黒羽……?)
ぱっと見の外見から思い至った人物達に、晶子は驚きを隠せない。どうして、自分はこんな夢を見ているのか、そもそも何故彼らをそうだと思ったのか。それほどまでに彼らの事を考え、妄想していただろうかと悩む。
(いや、WtRsの事は四六時中考えてたわ)
自分がWtRs大好きなのを自覚している分、その結論に至るのは早かった。そして、巨木へ向かって行った四人が気にかかり、追いかけれるか試みる。
すると、足を動かしていないのに、晶子の体は滑るようにして進んだ。どうやら念じるだけで、自動的に動いてくれるらしい。
楽に移動できると喜んだ晶子は、さっそく四人の背中を追いかける。
晶子が四人に追いついた頃、彼らは巨木の前で何かを話し合っている様子だった。残念ながら声が聞こえないので肝心の内容までは分からなかったが、辛うじて揉めている、という事だけは理解出来た。
(……ん? 騒めきは聞こえるのに声は何で聞こえないの? 可笑しくない?)
唐突にその違和感に気付いた晶子がそんな事を考えていると、白雲を背負っている光の精霊が、相方の静止を振り切って前に出る。
彼、はたまた彼女が巨木の幹に手を当てると、触れた場所から光の脈動が起こり、木全体へと広がっていく。
(これは……マナを流し込んでる? この木に何かあるの……?)
晶子の疑問は、そう時間をかけずに解決した。マナを流し込んでいた精霊の手が離れると、木の表面がメキメキと音を立てながら蠢き出し、中から一枚の扉が現れたのだ。
ダークオークのような色味の扉は誰かが触れたわけでも無いのにひとりでに開き、闇の精霊は一瞬二の足を踏んだものの、先に入って行った光の精霊達を追いかけて行った。
(え、ぇぇぇえええええ!? 木の中から木の扉!? しかも、この木とは全く違う材質の扉なんだけど!? そこは材質揃えようよ!!)
なんて見当違いなツッコミをしつつ、晶子は驚きに固まってしまう。
(……あれ、閉まらない?)
呆然としていた晶子だが、目の前の戸が何時まで経っても閉じられない事に首を傾げた。
開かれたままの扉は、まるで誰かが入るのを待っているようで——。
(もしかして……あたし?)
心の声に応えるかのように、扉が少しだけ軋んだ音を立てた。誘い込まれるようなその音に警戒するものの、悪意も害意も感じない。
(……えぇい、女は度胸!!)
悩みはしたが、考えても答えは出ないと結論付けた晶子は、誘われるままに扉の中へと飛び込んだ。
(……ぁ)
室内に広がる光景に、晶子はここがどこであるかをようやく思い出した。
入り口から入ってすぐ正面にある無人の受付、右側の空間には大きめのテーブルと複数の椅子が用意されている。左側には二階へと続く階段が備え付けられていて、吹き抜けになっている二階には、良く見れば更に上層へと上がる為の階段も見受けられる。
何より圧巻なのは、受付より後ろにある沢山の本棚だ。円形に作られている部屋一面の本棚には、所狭しと多種多様な本が収められている。
(一階天井まで十段もある本棚に、長い長い専用の梯子……間違いない、ここ『大樹の図書館』だ! な~んですぐに気付かなかったのあたし!?)
頭を掻き毟りながら、なぜこんなにも大事な場所を忘れていたのかと自分を責める。
晶子の言う『大樹の図書館』とは、木の英雄ラブライラが管理する巨大な木の中に作られた命を持った図書館である。
神樹よりかは幾分小ぶりではあるものの、その巨木の中に集められている蔵書は軽く百万を超え、世界中のありとあらゆる知識が収められているとされている。
(現実世界の図書館の平均が十二万だから、約八倍の蔵書量。流石、ファンタジー世界の図書館って感じ!)
また、強い願いと知識欲を持つ者だけがこの図書館へと導かれ、本当に自分の欲しい知識を得る事が出来ると噂が広まり、今では世界中の人々が血眼になってこの場所を探し求めているのである。
(まあ実際、この図書館は英雄達の管轄の中で唯一、異次元空間にあるからね。普通にはまず見つけられないし、基本的にはラブライラに招かれないと来れないし)
WtRsにおいても、大樹の図書館に訪れる為には特定の手順を踏まなければいけない。
基本的に自由にシナリオを選んで進行する事が出来る本作だが、ラブライラだけは最低でもイグニス関連の物語を終わらせていなければ会えないのだ。
(異次元に存在するラブライラの元へは、普通の方法では行けない。だから、導き手としての力を持つイグニスの力が必要なのよねぇ)
当初、イグニスの元へ向かおうと話し合っていたのもこれが要因である。いくら女神から力を授かった晶子と言えど、異次元へ通じる道を開く事は不可能。
となれば必然と、行くべき道を知る人物に頼る他無かった。
(にしても、ラブライラはゲームの中でも積極的に主人公に協力してくれる英雄だった筈。向こうから話しかけてくれても良さそうなんだけどな……)
魔力放流の影響を受けた一人であるラブライラは、既に人の形をしていない。では、今現在ラブライラがどんな姿をしているかと言うと。
——「ドライアド!!」
「ひぇっ」
急に聞こえて来た自分のものでは無い声に、晶子の肩が大袈裟なくらいに跳ね上がった。
(なになになに!? 急に声聞こえるじゃん! なんで?? てかどこから……)
驚きつつも声が聞こえた方向を辿れば、受付の前で周囲を見回しながら、必死に同胞を呼ぶ精霊達の後ろ姿が見える。
——「ねぇ、聞こえているのでしょう? お願い、返事をして頂戴!」
——「ドライアド! 頼む、答えてくれ!!」
(ドライアド……って事は、木の精霊だよね? 精霊と黒羽と白雲が揃ってて、満身創痍状態。で、この図書館で呼ばれてるのがドライアドって事は……)
——“ごめんなさい。少し反応するのが遅くなってしまったわ”
精霊達の懇願に、答えを返す声が一つ。柔和でありながらも、どこか凛とした雰囲気も持ち合わせている女性の声は、しかして精霊達の望むものでは無かったようだ。
——「その声、ラブライラ?」
——「待て、我々はドライアドの気配を辿って来たのだぞ。何故お前が」
困惑した様子で狼狽える二体に、ラブライラは一瞬黙り込む。束の間の静寂の後、遣る瀬無さを纏った声でラブライラが彼らの疑問に答えた。
——“……ドライアドは、もういません。魔力放流によって存在消滅の危機に陥った私を救う為に……”
——「そ、んな……ドライアドが、犠牲になったというの……?」
同胞の訃報にショックを受けた光の精霊は、白雲を背負ったまま膝から崩れ落ちる。それをとっさに闇の精霊が支えようとするも、黒羽を横抱きにしている関係でバランスが取れず、彼も座り込む形になった。
——“正確には、私と彼女は一つになったのです”
——「一つにだと? では、今のお前は我々の同胞だという事か?」
——“それも、少し違います”
闇の精霊の問いかけにそう返すと、ラブライラは変質が起きたのだと告げる。
——“ドライアドは私の存在を消滅させない為、自らの中に私の魂を取り込みました。そして、世界に私という個を固定させる楔の代わりに己自身を掛け合わせた結果、私はこうして生ける図書館として存在が許され、本来あの場で消える筈だった私の代わりに、ドライアドという精霊が消失したのです”
その話を聞いて、晶子の脳裏に女神と初めて対面した夢の中での会話を思い出す。
(『魔力放流によって消滅しかけた英雄を存続させるために、自らの存在を賭した』……こう言う事だったの)
他者を救う為に己の存在全てを賭ける。果たして、それが出来る者がこの世にどれだけいるだろうか。
(精霊達が鑪さん達を生きながらえさせたのは、きっと女神封印後の世界に彼らが必要だと思ったから。だから、自分の存在が消失する事になっても、彼らを生かそうとしたんだわ)
晶子の考えが真実であるかどうか、答えを教えてくれる者は誰もいない。それでも、晶子の中には確信に近い予感があった。
女神という管理者を失った世界が混沌とする事無くあるのも、英雄達の尽力あってのものだろう。
(……あれ待てよ? ゲーム中のラブライラって、ここより奥の広間にある書見台にセットされた空白の本を通してしか会話出来なかったよね? なんでこのラブライラは念話みたいなので光の精霊達と会話してんの?)
WtRsでは肉声で会話をするシーンは無いラブライラ。しかし、どういう訳かこの夢の中の彼女は、女神の時と同じような念話を用いて精霊達と話をしているではないか。
(あたしの夢だから、こんな感じになってんの?? いや、それにしたって変だよね……それに)
夢にしては嫌に現実味を帯びている気がすると、目の前で狼狽え、絶句する精霊達の表情を見た晶子はそう思う。
——「……ラブライラ、存在を固定するやり方、私に教えてちょうだい!」
(えっ)
床板の木目を見つめて考え込んでいた晶子は、光の精霊の口から飛び出た言葉に目を丸くした。
先程までドライアドの消失に絶望していた彼女は、背負っていた白雲をゆっくりと下ろすと、俯けていた顔を上げる。その顔が無性に見たいと思った晶子は、受付の中に入る形で彼女達の前に移動すると。
(……わ、綺麗な銀灰色……)
至近距離で見つめる事になった精霊の瞳は、決意の火によって満月のような輝きを放っていた。そのあまりの美しさに見惚れ、晶子は感嘆の吐息を漏らした。
——「ウィプス!! 正気か!?」
突然の発言に、闇の精霊は驚きを隠せない様子で光の精霊、もといウィプスに詰め寄っていく。
——「えぇ、正気も正気よ、シェード。彼らの命を繋ぐにはこの方法しかないわ」
——「っ、だが! そんな事をすれば、お前という存在は、光の精霊ウィプスは消えて無くなってしまうのだぞ!?」
そう闇の精霊ことシェードが鬼気迫って問いかけるも、ウィプスの決心は硬いらしく、さらりと答えを返していた。
ドライアドは魔力放流に飲まれ消えるはずだったラブライラを守り、自らの犠牲を持ってその存在を世界に固定した。
ウィプスは今にも失われそうな命を救う為、同じ事をしようとしているようだ。
——「例えそうだとしても、こんな所でこの子達を死なせる訳にはいかないわ」
——「それは……」
(ん~?? その言い方、あとあと黒羽達が何かしないといけない役目があるようにも聞こえるけど??)
少なくとも、晶子の記憶の中に、黒羽と白雲が直接関与するシナリオやサブイベントは無かったはずである。
(淀みの精霊の妨害で削られたシナリオか? だとしたらあたしが知らなくても仕方ないけど……なぁんかモヤモヤすんな)
実は晶子、黒羽と白雲を一目見た時から言いようのない既視感に苛まれ続けていた。色だけを見れば新と満の事かと思えなくも無かったが、どうにも違う。
ただ直感が、『必ずどこかで出会っている』と告げているのだ。
——「女神が封じられてしまった今、淀みの精霊を抑える事が出来る者は誰もいない。もし仮にこの先、数百年後なんかに淀みの精霊が封印を破って解き放たれてしまえばどうなるか、貴方も分かるでしょう?」
——「……あぁ、分かってるさ。だが、それがこの二人を生きながらえさせる事とどう関係するのだ?」
——「託すのです。光と闇、我等の力を授けし者達が、女神に選ばれし者の助けになれるように」
ウィプスの目が、真っ直ぐに晶子を射抜く。まるでこちらに気が付いているような視線に、心臓が大きく脈打った。
(っ……え、今、目が合って……それに、託すって? まさかウィプスは、こうなるって)
——“ウィプス、貴女はそれで良いのですか?”
——「元はと言えば、あの子も女神に作られた兄弟姉妹のような存在。そんな子のやらかしを、母(女神)一人に押し付ける訳にはいかないわ」
白雲を受付カウンターに凭れかけさせて、ウィプスはラブライラに向かって嫋やかに笑って見せた。
——「この身と存在は、我等が創世の女神によって授けられたもの。女神の眷属として、そしてあの方から役目を与えられた者として、私は母が愛した人々の未来の為に、全てを捧げるわ」
——“……シェード、貴方はどうです?”
——「……俺は……」
ラブライラからの問いかけに、シェードは困ったように口籠る。彼は思い悩んでいるように見えたが、視線が腕の中の黒羽に向けられている事から、答えはほぼ決まっているのだろう。
——「……俺という存在が無くなってしまう事を、怖くないと言えば嘘になる。だが、そんな事がどうでも良いと思える程、俺はこの姉弟に入れ込んじまってるらしい」
——「シェード……」
——「何より、お前にばっかりかっこつけさせるわけにはいかないだろ? 俺とお前は表裏一体。互いが互いを引き立て、牽制し、時に強くする相棒なんだからな」
——「ふふ、なぁにそれ。そんな事言っても、次の勝負は負けてあげないんだから」
——「ふんっ、言ってろ」
気心の知れた相手だからこそ、こんな有事にも軽口が交わせるのだろう。
(てか、二人とも勝負なんかしてたんだ……シェードの方はまあ、分からんでもない気がするけど、ウィプスもなんて意外な感じ)
晶子の中では、光は厳格で規律正しく、闇は軽薄で好き勝手な存在というイメージが定着している。もちろん、全ての創作物がそうと言うでは無いが、晶子がこれまで見聞きして来た作品に登場するキャラクターや設定は大概がそうなっていた。
(今の会話から察するに、日常からそんな勝負をしては競い合ってたのかな? なんか良いなぁ、こういう関係)
現実ではそれほど親しい友人を持っていなかった晶子の目には、ウィプスとシェードの関係性が少しばかり羨ましかった。
——“……決意は、固いのですね”
そんな二体の会話を聞いて、ラブライラの苦しそうな声が館内に木霊した。
(あれ? そう言えば、女神の話題を出してるのに、どうしてラブライラの反応が薄いんだろう。それに精霊達と英雄達って、お互いに顔を合わせた事があったの? えらく自然に会話してるし、名前も知ってるみたいだけど……)
大分今更だったが、降って沸いた疑問に晶子は首を傾げる。精霊と英雄達の一体化については女神から聞いていたが、彼等に面識があるのかどうかについては言及が無かった。
(それに……やっぱこの夢、違和感が)
誘うように軋んだ入口扉、黒羽と白雲への既視感、ウィプスと交差した視線。まるで、晶子を導くように続いてく目の前の物語は、いやに現実味を帯びている気がした。
(これ、本当に夢?)
晶子の頬を、一筋の汗が流れ落ちる。
——“分かりました。私とドライアドが同化した方法をお教えしましょう。それは————”
何かが可笑しいと感じ始めた晶子を置き去りに、ラブライラがウィプス達にそう言った。さらに続けてその方法を告げたのだろうが、何故かノイズがかかったように不明瞭になる。
だが精霊達にははっきりと聞き取れたようで、彼らは決意した顔で頷くと、それぞれ黒羽と白雲の手を取った。
そうして、意識の無い二人の英雄に、二体の精霊はマナを流し始める。白と黒のマナは幾重にもなって黒羽達を包み込むと、やがて光り輝く繭となった。
(!! これ、もしかして再編!? え、まさかドライアドがラブライラを存続させた方法って、再編なの!?)
女神の眷属でもある精霊達ならば、確かに可能かもしれない。しかし——。
——「っぐ……、マナが、吸われて……!」
——「再編が、これほどに苦痛を伴うものだとは……っ!!」
二体は苦痛に顔を歪めながらも、懸命にマナを操り、姉弟を再編しようと試みる。だが、注がれたマナは暴れ牛のように荒れ狂い、繭をより輝かせた。雲行きが怪しくなってきた現状に、晶子の顔が青くなる。
自身がアルベートを再編した時よりも、更に不安定で高濃度なマナの揺らぎが見えていたからだ。
——“いけない!! このままではマナが暴発します!!”
焦りを滲ませたラブライラの声に、晶子は顔を青くする。
(ば、爆発する……!!)
膨らみ続けるマナに、思わず駆け寄りかけた晶子。
——「……シェード」
だが、それを制するようにして、ウィプスが相棒の名を呼んだ。
——「私達は表裏一体。互いが互いを引き立て、牽制し、時に強くする相棒。そうよね?」
——「……しゃーねぇ、乗ってやるよ。その大勝負!」
先程シェードが言った言葉を繰り返すウィプスに、彼女が何をしようとしているのか察したらしく、彼は強気に笑うと繭化した黒羽を抱えたまま相棒へ近づく。
そして白雲の繭の隣に並べると、ウィプスの側に跪いて額を合わせた。
——「光と闇、どちらか一つでは駄目ならば!!」
——「光と闇、二つを掛け合わせてみればどうだ!!」
(……ぁ、はいいろのひかり)
二体の掛け声と共に、まばゆい光が弾ける。白でも黒でも無く、灰色の輝きが図書館内を埋め尽くした瞬間、晶子の意識は急激に浮上していった。
次回更新は、1/31(金)予定です。




