「黒い翼は、常世に落とした忌み子を思い出させるからよ」
(……いやなげぇ!!)
あれから随分と長い間空中遊泳を続けている晶子達。
最初の内はキラキラと目を輝かせていたのだが、延々と続く同じ景色とゆったりとした上昇スピードに、段々と飽きが出始める。
(いやね、外見からしてもデカい樹だってのは分かってたよ? でもね、こんな時間かかるとは思わんじゃん?? てか、浮遊魔法おっそ!! え、これが標準速度なの!?)
(俺様も、随分と昔に古い本で読んだだけの知識しかねぇけどよ、まさかこんな遅ぇとはな。ま、浮かんじまってる以上はどうしようもねぇし、のんびり行こうぜ)
晶子の疑問に答えたのは、頭の後ろで腕を組み、仰向けになってベッドに寝ころぶような体勢で浮遊しているアルベートだった。
「いや、休日に家でゴロゴロしてる父親かあんた」
「その例えは分かんねぇよ……」
あまりにもリラックスしている姿に呆れて、晶子は思わず現実世界的な例えを出してしまった。が、彼の言うように空中で出来る事など限られているので、流れに身を任せるよりほかない。
「浮遊魔法は発動する為のマナが非常に少なく、かつかなり広範囲に展開可能な古代魔法である。反面、今我等がこうして体験しているように、上昇速度はかなり遅くなっておる故、少々利便性に欠けていてな」
胡坐をかいて瞑想している鑪が、古代魔法に詳しくない二人に浮遊魔法の簡易説明をした。そもそも、WtRsでは名前こそは出ていたものの、実際に発動している場面に出くわす事は無い。
資料集等にも過去に使われていた、等の記載はあれど、それ以上の事は何もかも分からない効果不明の魔法だったのだ。
辛うじて名前から大体の用途は推察されていたが、あくまでもファンの間で出された考察の域を出ない。
(結局、公式から正式な通達や情報公開も無いし、性能も使用方法も不明。まあ、ゲーム内じゃ転移魔法しか使われてなかったし、主人公達も女神の力とユニクラスフラワーでのワープばっかだったからね。どっかのゲーム雑誌かなんかのインタビュー記事で、何かしらの設定だけはあるとか書いてあった気もするけど……)
遠い昔に読み込んでいたゲーム雑誌の特集内容を思い出そうと頭を捻るも、残念ながら該当する記載についての記憶はこれっぽっちも出てこない。
(ここに来てド忘れかぁ~!? WtRsの古参ファンにあるまじき失態やぞ!? 世が世なら死刑になっても可笑しないで!?)
(それは言い過ぎじゃないか??)
自称WtRs一の古参ファンを名乗っているのもあって、晶子はWtRs関連の記憶が思い出せない事に酷くショックを受けた。
頭を抱え、髪を振り乱しながら声も無く荒ぶる晶子の様子に、繋がりがあるせいで心内が自然と分かるアルベートはドン引きしている。
「えっと……大丈夫、でしょうか……?」
激しい乱心っぷりに困惑しつつ、弦が心配げに声をかけてきた。そこでアルベート達以外にも人がいる事を思い出してハッと我に返り、慌てて大丈夫だと答えた。
そうして不意に見上げた弦の姿に、晶子は思わず息を呑んだ。
灰色の翼を羽ばたかせる度に、銀糸で装飾された煤色のローブが揺れ、着用している真っ白なズボンが顔を覗かせる。
翼の動きに合わせてふわふわと舞う軽いウェーブのかかったミディアムロングヘアは、釣り目で冷淡な印象を柔らかくしてくれていた。
そんな彼女を、上空からの差し込む光が後光のようになって照らしていて、新とは違った神々しさを醸し出している。
(……今更だけど、浮遊魔法維持するのにマナ使ってんのに、自力で飛んでるってすごすぎでは??)
晶子達よりも少し高い位置にいる弦は、魔法を発動している最中であるのを忘れてしまいそうなくらい、自然に空を飛んでいる。
(……って、見惚れてる場合じゃない!)
「これは、その……そう! 持病の発作なの!!」
「まぁ、なんて事!?」
(あ、これ不味ったかも……)
思わず口をついて出た言葉に、過剰な反応を見せた弦。そんな彼女を見た晶子は、答え方を間違えたかもしれないと思わずにはいられなかった。
「その持病とは、もう長いお付き合いになるのでしょうか? 体への御負担は? 一見しただけですと、激しい頭痛と心の乱れが起きるようですが、それ以外に症状は? 他に併発する状態異常などは……」
「え、っとぉ……」
(圧が! すごい!!)
器用に魔法を維持しながら詰め寄って来る弦のマシンガントークに、晶子は口元を引き攣らせて口籠る。
そもそもこの発作は正式な病気では無いのだから、彼女の問いかけに答えられる訳も無く、かと言って馬鹿正直に言うのもそれはそれで気が引ける。
(弦ちゃんって純真な子だから、なんかこう……変な所見られたくないんだよね……)
(いやぁ~、お前真面目ぶっててもすぐに粗が出るからどっちにしろ一緒だろ。スーフェ達の所でもそうだったじゃねぇか)
(しゃらぁっぷ!!)
痛い所をつかれてしまい、晶子はアルベートに近づいて赤銅製の頭を拳骨で殴った。カーンと良い音が空洞内に響き、同時にアルベートと晶子も痛みに悶える事になる。
「いっでぇー!! すぐ殴るのやめろ!!」
「いぃっだぁい!! アルベートがいらん事言うからやろ!!」
ぎゃいぎゃいと言い争いを始める晶子とアルベートを見て、鑪はまた始まったと言いたげに頭を抱えてしまった。
そうしてアルベートと口喧嘩していると、背後から肩に手を置かれる。眉を吊り上げたまま肩越しに振り返れば、こちらを心配そうに見ている弦と目が合った。
「あ、あのぉ……大丈夫、ですか?」
「あ」
アルベートに乗せられて、ついいつものノリでやり取りしてしまった晶子は焦ったが、弦は全く気にしていないようだ。
むしろ、晶子の病状が悪化したのではと案じているのが分かってしまい、晶子は何とも言えない表情を浮かべる事になる。
「うん、うん……だいじょうぶ……ちょっと、あの、情緒不安定になる持病だから……」
「それは……きっと苦労も多かった事でしょう。でも、もう大丈夫ですよ」
気まずいと顔を逸らした晶子を、持病のせいで辛い思いをしてきたと勘違いしたらしい。柔らかな微笑みを浮かべた弦は晶子の手を取り、安心させるように言葉を続けた。
「新様の御力は、不治の病すら癒してしまうのです。あの方ならきっと、貴女様の御病気も治す事が出来ます」
「万病も癒す神聖な力……かつての白雲と同じ、か」
もういない友を偲ぶように、ぼそりと呟いた鑪。
(……黒羽と白雲は、英雄達の中で唯一故人になっている二人だもんね)
WtRs内では、それらを証明する明確な描写が存在していない。だが、新と満が黒羽達の子孫であるというモブNPCの台詞や、英雄達との語らいなどから、彼らが随分と前に死亡している事が分かるようになっている。
(公式の資料と、ゲーム内で鑪さん達に話を聞いた感じ、黒羽と白雲は魔力放流の時に死んでるっぽいんだよね。あれ、でも女神が英雄達は精霊と一体化したって……)
(多分だけどよ、体が持たなかったんじゃねぇか?)
晶子のふとした疑問に、弦とのやり取りを静観していたアルベートが答えた。
(その魔力放流が起きた時の詳しい状況が分かんねぇから何とも言えねぇけどよ、少なくとも、女神との戦いの後だったんだろ? だったら英雄達もかなり消耗してただろうし、そんな状態でマナの塊とも言える精霊と融合するってなったら、常人じゃとてもじゃないけど耐えられ無いだろうよ)
そう言われて、晶子は確かにと納得した。
(今までゲームの事だからって深く考えた事無かったけど、そうだよね。普通の人ならそんな高エネルギー体と融合なんて、まともではいられないよね……)
人を人外へと作り変えるエネルギーを宿す存在と混ざり合うという行為には、きっと計り知れない程の危険が含まれていたに違いない。
けれど、そんな高リスクを乗り越えて、鑪達はかつてとは違う生命体として新生した。
(鑪さん含む英雄達が今こうして現存していられるのは、彼らに精神的・肉体的な強さがあったから。これが何の力も無い一般人だったなら、逆に悲惨な結果になってたかも)
女神に対峙出来うる力と強い意志を持った彼等だからこそ、人とは違う形に新生するだけで済んだ。
(でも……それならなんで、黒羽と白雲の二人は死んだの? 体が弱かったとか? いやでもそんな話……)
つらつらと考察をしていた晶子は、不意にある違和感に引っ掛かる。
(……待って。魔力放流の直後に亡くなったのなら、新くんと満ちゃんが子孫ってのは可笑しいんじゃない? あの二人に兄弟姉妹がいたって話も聞いた事無いし……そもそもこの世界の異種族、って……あ、れ?)
急に視界がブレるような感覚がして、晶子は顔を押さえた。
思い返せば、WtRsの中には異種族達についての詳しい記載は殆どなかった。唯一あるのは、魔力放流で変異した英雄達の事のみであり、他の異種族はいつから存在していたのかすら明確には分からない。
(仮に、もし仮にだけど、異種族……有翼族達が存在し始めたのが黒羽と白雲が死んだ後だったとしたら……)
新と満の姉弟どころか、有翼族すらも英雄とは全くの無関係となる。そうだった場合、英雄と同種であり、その子孫を崇める事を至上とする彼らにとって、この真実は受け入れがたいものになるだろう。
(もしかしたら、淀みの精霊はこれを使って新くんを唆してる? ……いや、まだ判断材料が少なすぎる。それに、この考えが実際に正しいとも限らないし、女神にも確かめてみないと……)
「光の御使いであり、真なる神となる新様の御力ならきっと貴女様の……あっ!」
あっと大きな声を出した弦により、深い思考の海を漂っていた晶子の意識が一瞬にして引き戻された。
「いけません。まだ皆様のお名前を聞いていませんでした!」
今までずっと新の事を話続けていたのだろう。弦は晶子が考え事をしていたのにも気付いていない様子で、こちらに名前を聞いてくる。
「あ、えっと、あたしは晶子。こっちのちっこいのがアルベートで、後ろの人は土の英雄と謳われてる鑪さん」
「俺様の紹介が雑ぅ!! 俺様は!! 偉大で勇敢で聡明で勇敢な冒険者だぞ!!」
「勇敢って二回も言いよった」
晶子自身も推しを前面に出したい気持ちから偏った言い方をしてしまったが、自分で自分を全力で持ち上げるような自己紹介をするアルベートに、思わず苦笑した。
「鑪様、晶子様、アルベート様。私は、この樹で陣番をしております、弦と申します」
一人ひとりの顔を見回した弦は、両手を胸の前で合わせて頭を下げる。祈るようにも見える彼女の動作は美しく、族長の娘という事もあって厳しくしつけられてきたのだろう事が伺い知れる。
(スーフェちゃんのカテーシーは、洗練された皇女様の所作が染みついててそれはそれは綺麗だったけど、弦ちゃんのお辞儀はなんかこう、東洋的な美麗さをかんじるよね)
ディグスター帝国皇女のスーフェと比べても、有翼族族長の娘である弦は身分も全体的な装いも地味だ。それを抜きにしても弦の所作は繊細かつ丁寧で、故郷たる日本を思い起こしすらする程。
(……色々考えた所で、判断材料になるようなもんもなんも無いのが現状だ。そんな状態でうだうだしたって、事態が好転する訳でもねぇ。ここは大人しく、この嬢ちゃんについて行って、探ってみようぜ)
ずっと一人で長考していたのを聞いていたらしいアルベートが、無言のまま視線を送って来る。悠長な事をしている場合では無いが、彼の言う通り今の晶子達には圧倒的に情報が足りていない。
焦った所で何も変わらないと自分に言い聞かせた晶子は、少し戸惑った後にひっそりと頷きを返すのだった。
「ところでよ、さっきから弦の嬢ちゃんや戦士の野郎が言ってた陣番ってのは、一体何なんだ?」
晶子との会話を切り上げたアルベートは、ずっと聞きたい事だったのか、首を傾げながら陣番と言う言葉の意味を弦へ問いかけた。
その言葉自体は、晶子の耳にも馴染みは無い。だが浮遊の魔法陣やら、新達の会話を聞いていれば、自ずと答えは出るというもの。
「いやいや、どう考えたってこの浮遊の魔法陣を管理してる役職の事でしょ」
当たり前の事を聞くんじゃないと嫌味っぽく言った晶子に対し、馬鹿にされたと思ったアルベートが頭部を真っ赤にして反論する。
「んなもん分かってんだよ!! 俺様が聞きてぇのは、何でそんな役職があんのかって事だ!!」
「なんでって、古代魔法だし、大事なお客様を御運びするんだから、それを管理する人が必要ってだけでしょ?」
怒るアルベートが何を言いたいのか分からず、晶子は肩を竦めた。
「……否、ただ管理者を選定するだけなのであれば、魔法やマナに詳しい老齢の魔術師が選ばれる所であろう。だが、この樹に置いて選別されたのは、まだ年若い弦殿と言う娘。アルベートが言いたいのは、なぜそのような若い女子が、命を運ぶ重大な役割を与えられたのかという事だろう」
そう言って今にも喧嘩が勃発しそうな二人の間に入ったのは、ずっと瞑想を続けていた鑪だった。
「そうそう!! それを言いたかったんだよ!!」
「……それって、弦ちゃんが若いからそんな役目をしてるのは可笑しいって言いたいの?」
自分の言いたい事を理解してもらえて喜ぶアルベートだが、その反応に晶子はほんの少しの不快感を覚える。
現実世界でバリバリのキャリアウーマンをしていた晶子にとって、女性蔑視に近い発言は聞き捨てならない。
彼女自身、社会人になってそれなりになった頃、女性の出世を良く思わない男性上司に当たり、嫌な思いをしていたからだ。
「え!? い、いや、そんなつもりじゃ……」
睨みつける晶子の視線に勢いを削がれ、慌てて弁明しようとするアルベート。しかし、上手く説明が出来ないようで、もごもごと口籠ってしまう。
当然だが、晶子も彼がそんな差別をする人物でない事は痛い程分かっている。だが、何事にも言って良い事と悪い事があり、言い方という物がある。
少なくとも晶子には、今の鑪の発言とそれに肯定的な態度を示すアルベートが、まるで弦が『若い女性のくせに役職についている』と言っているように聞こえた。
「……我もアルベートも、決して弦殿に差別的な事を言いたい訳では無い。が、言葉が足りず誤解させるような事を口走ったのは事実。不快な思いをさせて、誠に申し訳ない」
そう言って、鑪は浮かんだ状態で座したまま深々と頭を下げた。アルベートの方も、何度も目のライトをバツにしたり、悲しんだ顔に切り替えたりして、彼なりに反省の態度を表しているらしい。
「ぁ、ぁあああの!! 私は大丈夫ですので!!」
険悪な空気に気圧されて黙り込んでいた弦は、英雄と客人からの突然の謝罪に困惑しながら慌てふためいている。
(……うん、まぁ、鑪さんとアルベートがそんな事言う人だとは思ってないし、あたしも過剰反応しちゃったな……)
「うん、あたしも、なんか変な態度とっちゃってごめん……」
「あぁいや、俺様もちょっと考えが足りなかった。わりぃな、弦の嬢ちゃん」
「いえいえ!! 本当にお気になさらないでください! それに、お二人の疑問は最もだと思います」
弦は再度謝罪を口にするアルベートの顔を上げさせると、困ったように眉を下げた。
「鑪様の仰る通り、陣番は本来、魔法に長けた族長である私の父が就任する予定でした。しかし、新様きっての御指名もあって、私が勤めさせていただく事になったのです」
「ん? 指名? あの新ってのが弦の嬢ちゃんを指名したのか?」
思わずアルベートが聞き返せば、弦は小さく頷くとおもむろに昔話を始める。
「私は生まれた時から、黒に近い翼と、中途半端なマナしか持たない子供でした。何をやっても失敗ばかりで上手くいかず、戦える程の腕も無い。他の同年代と比べても劣っている私は、父からも『どうしてお前のような半端者が娘なのだ』と言われてきました」
「ふざけてんのか??」
実の父親として有るまじき台詞に、晶子より早くアルベートがキレる。一瞬にして冷静さを取り戻した晶子は、彼が暴れないようすぐさま体を捕まえると、動けないように抱え込んだ。
いつの間にか近くに寄って来ていた鑪も、アルベートがいつ暴れても良いように様子を窺っている。
「ごめん、続けて」
「え、えぇ……えっと、それで、そんな私でも、魔法の勉強をする事は好きでした。周りから馬鹿にされても、嫌がらせをされても、全然気にならなかったんです。でも、ある時、一生懸命まとめた古代魔法のノートを、父に取り上げられてしまって……」
弦の父親は彼女を褒める事もせず、むしろ努力の結晶を取り上げたばかりか、それを新に献上して自分の成果のように報告したのだと言う。
「そんな……」
「父から、愛されていない事は分かっていました。それでも、いつか認めてくれると信じていたかった。残念ながら、それは叶いませんでしたけど」
そうして、弦は悲し気な笑みを浮かべた。その表情があまりにも痛々しすぎて、晶子の胸がぎゅっと締め付けられる。
「でも、新様はそのノートが父の物では無いと見抜いたのです。そして、子を大事に出来ない者は神樹に必要無いと言って、父を追放しようと」
「ふんっ! そんな親、追い出されて当然だな!!」
やはり同じ子を持つ親として許せなかったのだろう、アルベートは弦の話を遮って野次を飛ばす。
「気持ちは分かるけど、話を最後まで聞いてあげなよ……で、お父さんは追放されたの?」
「いえ、父は今も族長として、一族のまとめ役をしております」
(だよね)
「はぁ!? なんでだよ!?」
弦の返答に、声を荒げたアルベート。腕の中で暴れはじめた彼を押さえつけながら、晶子は話を続けるよう目配せをした。
「あ、えっと、父を追放しないで欲しいとお願いしたのは、私なんです」
「なんでだ!? お前の親父はどう考えたって良い奴じゃねぇだろ!! 自分の子供を大事に出来ねぇ奴なんざ、いない方がマシに決まってらぁ!!」
怒りを露わにして叫ぶアルベートの言葉に弦は何も言わず、ただ胸の前で合わせていた両手を強く握り締め、困ったように笑った。
「それでも、父は私にとって、唯一の家族なんです」
「母親は?」
(あ……)
鑪からの問いかけに、晶子はある事を思い出す。一方の弦は、一瞬ひゅっと息を呑んで黙り込む。何かを堪えるように唇を噛みしめたかと思うと、やがて覚悟を決めたように答えた。
「……私を産んで、亡くなりました」
「!! ……それは、失礼な事を聞いてしまった。申し訳ない」
俯いて顔の見えなくなってしまった弦に、鑪はしまったと言わんばかりに触覚を垂らして頭を下げる。
一気に沈んでしまった空気を感じ、晶子は内心やっちまったと頭を抱えていた。
(ああああああああ……これシナリオの最中にもあった話だよぉおおおしんどいよぉおおお、弦ちゃんは悪くないじゃんかぁ!! ただちょっと、間が悪かったと言うか、弦ちゃんのお母さんが体の弱い人だったからどうしようも無かったんだよぉ!!)
WtRsで新ルートを進行していると、メインシナリオの間に有翼族絡みのサブイベントが幾つか挟まる。その中に弦と彼女の父親を中心とした話があり、母親の事もそこで語られるのだ。
「母は、生まれつき体内のマナと体の性質が噛み合わない病気を患っておりました。そのせいで、魔法を使うと酷い激痛に苛まれ、ただ暮らしていくだけでも相当な負担がかかっていたそうです」
「それって、『内外マナ乖離症候群』ってやつじゃねぇか」
内外マナ乖離症候群。弦の言っていたように体内に巡るマナと個人が持つ性質に齟齬が発生し、体に異常が出る先天性の病気の事である。
(現代風に言うなら、ファンタジー世界限定のアレルギー症状よね。体の中にあるマナは変えようが無いし、かと言って性質をどうにかする事も出来ない。この病気を発症したら、体内外問わず襲い来る痛みと一生付き合わないといけないっていうけど……想像しただけでゾッとしちゃう)
更にはこの病気、WtRsの世界でも珍しい部類に入るせいで研究が進んでおらず、治療法は皆無なのだ。
辛うじて薬で痛みの緩和が出来るものの、気休め程度の効果しか無い。
そんな難病を患っていた弦の母を心から愛し、献身的に支えていたのが弦の父だった。
「『内外マナ乖離症候群』……母の病は、外の世界だとそう呼ばれるのですね」
「ん? ここじゃ違うのか?」
アルベートは純粋な疑問を投げかけただけだったのだろう。だが、その答えは弦や有翼族にとって口に出すのも憚られるものだった。
「有翼族の間だと、その病気はこう言われてんのよ。『黒黴病』ってね」
「くろかびぃ? 何でそんな」
「病気にかかった有翼族の全員の翼が、黒く変色していくからよ」
晶子がそう言った瞬間、弦の肩がビクッと大きく跳ねた。
「有翼族では黒は禁忌、って言うか、忌み嫌われる色なのよ。理由は三つあって、一つは神子の新くんが純白の光を司る存在であること。二つ目は、単純に黒=禍々しいものの象徴って思い込み」
「三つ目はなんだよ」
アルベートを小脇に抱え直して一つずつ指を立てて説明していけば、大人しくなった彼がそう尋ねてくる。鑪も興味深そうに聞き耳を立てており、晶子の言葉の続きを待っているようだ。
その中で唯一、有翼族である弦だけは、なぜ余所者の晶子がそれらを知っているのかと、目を見開き驚いている。
「黒い翼は、常世に落とした忌み子を思い出させるからよ」
アルベートの質問に答え終わるのとほぼ同じタイミングで、晶子達は有翼族達の集落に辿り着いたのだった。
次回更新は、12/20(金)予定です。




