とあるスフェーンの北辰
炎の壁の前で出会った晶子に対し、スーフェが最初に抱いた印象は『輝く宝石のような人』だった。
「あたしがこの世界を救う理由は、大好きな推し(ひと)達にハッピーエンドを見せるため。そのためなら、何を敵に回しても構わない!」
そう鑪に言い切った晶子に戸惑いつつも、スーフェの心の内は安堵と喜びに溢れていた。
自身を庇い寝たきりになった兄の為、彼を目覚めさせる方法を探して早数年。腕の立つと噂の医者や治癒士を尋ねる度、憐れみと同情を向けられるばかりで一向に進展は無かった。
そんな中で出会った晶子という女性は話の悲痛さに顔を歪める事はしても、耳障りの良い言葉でただ慰めるだけの人々とは違っていた。
(私達の幸せを、こんなにも強く望んでくれる人がいるなんて。凄く……嬉しい)
晶子からすれば、正義感からくる何気ない一言だったのかもしれない。それでも、治療法も見つからず不安に駆られていたスーフェにとって、その言葉は暗がりに差し込む一条の光も同然だった。
(それに、何故かは分からないけれど……晶子様と共にあれるのを、私の中のマナが震える程に歓喜しているの)
晶子と出会ったあの時から、言葉に出来ない不思議な感覚がスーフェの体と心を満たし続けている。幼い頃に出会っていた訳でも、旅の何処かですれ違っていた記憶も無い筈。
面識の無い全くの赤の他人であるというのに、ずっと会いたくて仕方なかった人と邂逅したような気がして落ち着かなかった。
(どうして、見ず知らずのこの方をこんな風に思うのかしら?)
不思議だと首を傾げる割に、この感覚に満更でも無い己がいる。
(失礼な事を言ったアイオラにも寛容な対応をしてくださって……素敵)
幼子をあやすようにアイオラの頭を撫でる晶子の笑顔は、記憶も朧げな母親に似ている気がした。
「私、晶子お姉様の事を信じます」
こうしてスーフェとアイオラは、晶子と鑪、アルベート達と共に帝都へと帰還する事になった……が、そう易々と事が進む訳も無く。
王城の門番には追い返され、地下通路ではダイアナによる襲撃。逃げた先でも謎の黒い蛇型モンスターこと《潜む者》と連戦になるなど怒涛の一日だった。
(……私は、いつも守られてばかりだわ)
地下通路での戦闘で、スーフェは長兄アメジアから贈られた剣を折られた。原因となった行動は、晶子を守る為のものだったので後悔は無い。それでも、大好きな兄から貰った大切な剣が見るも無残な形になってしまい、放心するしかなかった。
そのせいでアイオラを危険な目に合わせ、ダイアナからも『無能の姫』と呼ばれる始末。結局、ハウスへ逃げ帰る瞬間までまともに戦う事も出来なければ、ただただ晶子達の背中に守られているしかできなかった。
(鑪様に諭された時も、私は反論出来なかった。全部……その通りだったから)
ダイアナの様子からして国に異変が起きていると確信したスーフェだが、鑪の正論に返す言葉も無く、彼の鋭い視線から逃げるようにして、宛がわれた部屋へと駆けこんだ。
背中に掛けられた晶子の声も無視して、ベッドに縋りついたスーフェは悔し涙を流しながら、気付いた時には泣き疲れて眠ってしまったのだった。
(まるで子供ね。これでは、鑪様が足手纏いだと仰られても仕方ないわ)
夜も更けた頃に目を覚まし、少しひりつく目元に触れて自嘲する。
翌朝になったらもう一度話をしようと考えていたが、兄・トパシオンからの手紙を携えたレイブグルンの到来により、事態は想像以上に急を要しているのだと判断した。
(私だけ逃げる訳にはいかない。今すぐ、帝都へ戻らなければ……!!)
荷物を手に飛び出そうとしたスーフェがドアノブに触れるよりも先に、部屋の扉が開かれる。
「え、アイオラ!?」
「しっ、声が大きいですよ」
頭に包帯を巻いた痛々しい姿をしたアイオラに、自分の不甲斐なさを見ているようで歯を食いしばった。
「帝都へ戻るのでしょう?」
「……止めても無駄よ」
「分かっています。だから、僕も行きます」
スーフェの返事など初めから分かっていたようなアイオラの返事に、驚き目を丸くする。
「僕はスーフェ様の従者です。貴女の歩む先なら、例え冥府の底だろうと煉獄の炎の中だろうとお供しますよ」
肩を竦めつつ苦笑するアイオラの顔が、遠い昔に見たアメジアと重なった。
「……ありがとう」
血の繋がりも無いのにアメジアとそっくりな顔をするアイオラに、スーフェは小さく感謝の言葉を告げる。
(……お姉様に、これ以上の御迷惑をかける訳にはいかないわ)
晶子へ感謝と謝罪を込めた手紙を書置き、ユニクラスフラワーを使って戻る事にしたスーフェ達。若干の不安はあったものの、晶子のやっていた事を思い出しながら花へマナを注げば、何とか帝国正門近くにワープする事が出来た。
ホッと胸を撫でおろしたスーフェは、ジャラジャラと崩壊を起こすユニクラスフラワーを見つめ、深呼吸をする。
(……もう、後戻りは出来ない)
アイオラと頷き合ったスーフェは正門を抜け、闇夜に包まれた帝都を城へ向かって駆け抜けた。
そうして静まり返った城下を過ぎ、誰もいない城門を突破して城内に入ったスーフェ達は、城を揺らした爆音と振動に誘われるようにして王の間に辿り着き、アメジアを抱えたダイアナと対峙する事になる。
「邪魔をする奴等は、皆等しく死ね!!」
そう言って、ダイアナは父やアラゴ達を守っていた兵士達を、一瞬の内に消し炭にしてしまった。当然、兵士達の中には見知った顔もおり……。
(そこからお姉様達が駆けつけてくれるまで、ほとんど記憶が無いわ……)
地下道の時と同じ凍えるようなダイアナの視線に泣きそうになるのを堪えながら、これ以上大切な者を失わないよう、死んだ兵士が使っていた剣を無我夢中で振るうしかなかった。だからこそ。
——「自分の大切なもん守るために命かける妹の前で、殺される方がマシとかクッソみたいな事は言うな!!」
——「剣の才能が無いから何さ、お姫ちゃんにはお姫ちゃんにしか出来ない事が必ずある! それは、その為の一歩を踏み出す靴の代わり!」
——「尊敬してる大好きなお兄ちゃんの役に立ちたい、そう思う事は何も悪くないよ。でもね、だからと言って、無理に形を決める必要は無いと思うの。さっきも言ったけど、お姫ちゃんはお姫ちゃんらしい方法で、お兄ちゃんを支えれば良いのよ」
晶子が発する言葉の輝きが、スーフェの目の前に立ち込める暗雲を掻き消した。
(あぁ……なんて、温かな輝きなのかしら)
晶子が手ずから打ち直した手甲を撫でながら、たった今トドメを刺したばかりの怪物が光の繭に包まれていくのを眺める。
一瞬の閃光の後、解けていく繭の中から現れたアメジアとダイアナは、互いを慈しみ合う二人に相応しいの姿を与えられていた。
(お姉様が兄様とダイアナに与えた、新しい生の形……お姉様は、兄様達とはほとんど面識が無い筈なのに、まるで昔から二人の事を知っているようだわ……)
アメジストとダイアモンド、名の由来である宝石を分かち合うような二人の新たな姿は、芸術品のように美しい。晶子は誰に指示されるでも無く、そんな風にアメジア達を再編した。
(どうしてこの姿形で兄様達を再編したのか聞いてみたいけど……お姉様の事だから、「これが一番綺麗で二人に似合ってると思ったから」って言いそうね)
脳裏に浮かんだ晶子が、星が煌めく夜空のような瞳をウィンクさせていたずらっぽく笑った気がした。不思議で不可思議で——スーフェの足元を照らしてくれる、星のような女性。
(お姉様は、最初から最後までずっと私を、私達を諦めないでいてくれた……真っ暗闇の道を、優しく眩く、導いてくれた)
贖罪の旅に出るというアメジアとダイアナを抱きしめ、旅の安全を願う晶子の声は、愛に溢れていた。ある意味、女神の祝福と言っても過言では無かっただろう。
別れの前に一人ひとりに投げる言葉の数々も、茶化しやからかいが混ざっていながら、それでも尚深い慈しみが宿っている。
晶子は出会った当初から、変わらずスーフェ達への愛を貫いてくれた。彼女から齎される慈悲深い愛は、暗い海を航海する船を導く極星のように明るく、道に迷う者達に進む先を示してくれている。
きっと、それはこれからも変わらない。
時に明るく活発な少女のようであり、時に勇ましく偉大な女戦士であり、時に無償の愛によって全てを包む聖母でもある。それがこの数日間で知った、晶子という女性なのだ。
(お姉様が母様になるのは、ちょっとだけ良いなって思いましたけど……)
晶子を困らせるヘリオに怒っては見せたものの、内心有りだなと考えていたのはここだけの話だ。
(でもまさか、鑪様が嫉妬などと俗物的な事を言うとは想像しませんでした。彼の英雄であれど、一人の殿方だったという事でしょうか。……当人様が反応するよりも先にお姉様が絶叫してしまったので、実際どう思っているのか聞けなかったのは残念ですわ)
恋の予感に乙女心がキュンキュンしたが、有耶無耶に終わってしまってひっそりと肩を落とす。
そして、真っ赤な顔でアルベートを抱えたまま走り去って行く晶子と、それを追う鑪の遠ざかっていく背中を見送り、スーフェはくすりと小さな笑いを零した。
(……これから先、やるべき事、やらなければいけない事は沢山ある。でも、きっと大丈夫)
何故、彼女の側にいて心地よさを覚えるのか、理由は未だに分からない。けれど、一つ確かな事がある。
(もしまた迷ったとしても……あの輝きが、私達に手を差し伸べてくれるだろうから)
絶望という泥濘から家族ごと救い上げられたスーフェにとって、晶子は女神の使者などでは無い。
天上で輝き方角を指し示す星、人々の歩みを導く『北極星』なのである。
※ 諸事情で今回から独白も各週に分けることになりました。
次回更新は、9/27(金)予定です。




