ネメシス
「······」
イザベラはゆっくりとペンを走らせ、文書を書き上げていった。その手の甲や、手首にはナイフによる切り傷が付けられていた。
「ああ、やっと終わる。この憎たらしい日々が」
窓際に立ち、外に広がる青空を眺めながらブライアンは呟くように言った。
「お前やあの地味女によって狂わされた僕の人生。それがまた元に戻る。あるべき姿に」
そして、勝ち誇った顔でイザベラに振り向いた。
「お前も最期は愛した男の手にかけられて死ねるんだ。嬉しいだろう?」
「······」
イザベラは何も答えなかった。
そして、静かにペンを置くと、無感情な目でブライアンを見上げて
「書き終わりました」
と告げた。
ブライアンが文書を手に取る。
「ふん、もう終わったか。どれ、ちゃんと書けてるか──」
そこまで言いかけてブライアンは口をつぐんだ。
文書には彼の望んだ旨の内容は一切書かれていなかった。
『私イザベラは神に誓って言えます。ブライアン公爵の悪行や失態は全て本当の事であり、彼がどのような言葉を重ねようとも真実が変わる事はありません。そして、彼の狂った妄想はジミーナさんという一人の女性の尊い命まで奪いました。どうか、この手紙を読んだ方は彼に正当なる裁きを与えてください。 イザベラ・コンウォール』
「私はもう貴方の事を愛してもなければ恐れてもいません」
固まったままのブライアンにイザベラは淡々とした言葉を投げかけた。
「私はリヒト殿下を愛してるのです。もう、貴方の思い通りにはなりません。例え死を迎えようとも、私の意志は最期まで私の物です」
ブライアンはしばらく何も言えずに立ち尽くしていたが、やがてみるみる内にその表情に凶暴な感情が宿っていった。
「一度ならず、二度まで僕をコケにするか······」
そして窓から入る光の中でナイフを光らせた。
「もういい。今お前を八つ裂きに出来ればそれでいい」
「······」
「終わりだイザベラ」
その時であった。
『のわあああああ!?』
「!?」
途端に外が騒がしくなり、ホール会場から歓声やら怒号やらが響きわたってきた。
「なんだ、騒々しい」
そしてブライアンがドアノブに手をかけた瞬間
──バアンッ──
「ぐわっ!?」
外から勢いよく扉が突き飛ばされるように開かれ、ブライアンはそのまま後方に吹き飛んでしまった。
「?!」
「はあっ、はあっ、はあ!イザベラ!?」
その開け放れたドアから中へ入ってきたのは、泥だらけの足、短すぎるスカート、乱れて崩れた髪を降りしきるジミーナ令嬢であった。
やはりというか、思った通りと言うか、最悪な状況が展開されていたようだ。
「ジミーナさん?!」
「イザベラ!」
イザベラは椅子に縛り付けられていた。しかも手や腕に怪我をしている。おおよその見当はついた。
ブライアン。クズだな。
「じ、ジミーナさん、その格好は······」
「は、話は後!ブライアンは?!」
「う、うぐぐ······」
当の黒幕ブライアンが机の裏から現れる。なんでそんな所に居るんだ?
「ぐ······?!お、お前は!?ば、バカな!お前は死んでるはずじゃ!?」
まるで幽霊でも見たかのようなブライアンの驚愕の表情。
やはり私を亡き者にするつもりだったのか。
「な、なぜここに?!」
「はんっ!舐めないでよね、こちとらただのモブキャラ令嬢じゃないのよ!あんたの策略なんて全部お見通しよ!」
嘘だけど。
「それにしてもブライアン!あんたそこまで墜ちてたのか!あ、いや、まあ墜ちてるんだろうけど!」
「何を訳の分からない事をゴチャゴチャと······」
ブライアンが怒りの形相で立ち上がる。手には凶器が握られていた。
「まあ、いい。ここに来たのが運の尽きだ。この手でお前も終わらせてやる」
「!!ジミーナさん逃げてっ!」
「逃がすか!」
ブライアンが猛然と突進してくる。
やれやれ。
もはやここまで来ると名悪役として満点だよブライアン。
お前が悪役だったなら、饗宴のネメシスも少しはマシなゲームだったろうな。そういう意味ではすごいよ。
だが、お前に慈悲はない。
「······」
私は懐に手を入れた。
「ブライアン。最期に一つだけ教えてやる」
「!?」
「私の名前はジミーナではない。私の本当の名は──」
「ぐ!?死ねぇ!!」
私は懐から、蓮の花を取り出した。
「私の名はネメシスだ。よく覚えておけ」
私は蓮の花をブライアンの顔のまん前に掲げた。
「!?!?!?!?」
ブライアンが硬直して止まる。そして、すぐにサアーっと顔を真っ青にしてガタガタ震え始めた。
「あ、あぁ、あばぁばあぁ······」
後ずさるブライアン。手からナイフが落ちた。
そう、ブライアンの弱点。
それは重度の集合体恐怖症。
ブライアンルートの中のレアイベントであったのだ。池の花を持ってきたエイミーから逃げ惑うブライアンの姿が。
きっと横柄クールキャラの意外な弱点ギャップとして用意された設定だったんだろう。
私は全く萌えなかったがな。
「ひっ、ひいいいぃ!!?」
ブルブル震えてブライアンが後ずさる。
追撃だ。
「さあ!よく見ろブライアン!これはお前の姿だ!心が穴だらけで、人の心にも突き刺すお前の心そのものだ!お前の人生は穴だらけだ!穴だらけのシナリオだー!!」
そのままブライアンに突進すると
「っ!?!?う、うわあああー!!」
ブライアンは悲鳴を上げて逃げだし、そのまま窓を突き破って外へと落ちていった。
「ぐわああああー!?」
そして、池の中に水しぶきを上げながら突っ込み、ほうほうの体で陸に上がり、そのままバタリと這いつくばった。
「······頭から水をかぶって這いつくばったのは自分だったな。ブライアン」
『なんの騒ぎだ!』
廊下からドカドカと足音が近づき、たくさんの衛兵と、リヒトが現れた。
「な!?ジ、ジミーナ?」
リヒトを始めとした衛兵達が唖然とする。
その視線が私の足に注がれていて恥ずかしい。
「······あのー、殿下。とりあえず状況説明いたしますので、何か羽織る物、頂けません?」
「そ、そうだな」
こうして私とイザベラはやっと脅威から解放され、落ちつくことになった。
ブライアンの事が心配になったリヒトが公爵家に来てみると、老兵が庭で衛兵達をバッタバッタ倒していたので、事情を聞く事となり、その後のホールの騒ぎなどを聞きつけてここに来たのだそうだ。
私はシーツにくるまってリヒトに事のあらましを話した。
「そうか······そんな事になっていたなんて」
リヒトは強いショックを受けていた。
彼としては最後までブライアンを信じてやりたかったのだろう。そんな甘い人だから。
でも、これでリヒトも分かったろう。
世の中には口で言っても分からない人間も居ると言う事を。
「ブライアンの爵位は剥奪する。そして然るべき裁判の後に処置をしよう。ジミーナ、イザベラ。それでいいかい?」
「良いもなにもこれは殿下が、いえ、殿下にしか裁けない事案です。私が口出す事ではありません」
「そうか。イザベラは?」
「私も同じくです」
「そうか······」
リヒトはそっとイザベラを抱きよせると、そのまま優しく包んだ。
「すまなかったイザベラ。私が甘かった。こんな事になるなんて。君に恐い思いをさせてしまった」
「リヒト様······私は大丈夫です。だって、私はもう前の私とは違いますから。私には味方がいるって信じてましたから」
「イザベラ······」
「それに──」
イザベラが私の方を向いた。今までで一番可愛い笑顔を見せてくれた。
「ジミーナさんという女神様が私にはついてますから」
「ふふ、そうだったな」
リヒトが姿勢を改めて私に向いた。
「ジミーナ。君には本当に世話になりっぱなしだ。どれほどの感謝の言葉を述べても足りないだろう。私に出来る限りのお礼をしたい。どんな事でも言ってくれ」
「······では、リヒト殿下。一つお願いがあります」
「なんだい?」
「実は──」
あれから数日。
私はとある地方に来ている。
湖と紅葉の林が美しい小さな田舎の地だ。
穏やかで美麗な絵画の一枚に入り込んだかのような、そんな場所。
でも、ここは悲しい場所でもある。
私は、湖のほとりに建つ古びた城へと向かった。
門兵や衛兵にリヒトからもらった許可証を見せると、すぐに退いたり、案内してくれた。
そして、陰湿で薄暗い石造りの廊下を歩き、一つの部屋の前で止まった。
「では、私はここで待機しておりますので、何かあったら呼んでください」
「ええ。ありがとう」
私は、その部屋のドアに鍵を差し込んだ。
鍵は錆びた音を軋ませて開いた。
ドアノブに手をかける。
私がこの世界に来た理由は分からない。
私の熱い想いが、この理不尽な世界のシナリオに物申すために魂を跳ばしたのか。
今となっては知る由もない。
でも、一つ言っておかなければならない事がある。
私はブライアンに復讐するために来たのではない。
イザベラに復讐をそそのかし、自分でやっときながら言っても説得力皆無かもしれんが本当だ。
もっと正確に言おう。
私はブライアンに復讐したかったのではなく、復讐により、彼の信用を失墜させたかったのだ。
そうする事で、ブライアンが裁いた人間の情状酌量が望めるからだ。
そう。まだだったんだよ。
彼の処刑はもう少し先だったんだ。
ドアが開く。
「······」
薄暗い部屋の中。鉄格子のかかった窓から入る弱々しい光を見上げていたその人物は私の方を見た。
ルビーのような瞳と、トパーズのような瞳の二つを揺らして、今にも消え入りそうな儚い表情を物憂げに傾けて。
「···············君は······誰だい?」
「······初めまして。そして、やっと会えましたね。ダルク様」
私は最愛の推し、ダルクの姿に思わず涙を流した。
さあ。饗宴のネメシスはここで終わり。
ここからは新しい物語が始まるのだ。
モブキャラじゃなくて、一人の女の子としての私の、私だけの人生が。
────おしまい────
これでおしまいです。大変お疲れ様でした。
よろしければ、最期に作品の評価をして頂けると今後の活動の大変な励みになります。
ぜひともよろしくお願いいたします。
長々と失礼いたしました。またどこかでお会い出来れば幸いです。