序章Ⅲ
秋ノ原と別れた後のこと、俺はふと近道を使ってみようと思いついた。それは普段は使わない近道だが、ここを突っ切って行けばそれなりに早く家に着く。というのも、この近道を普段使わないのにも理由がある。ここは嫌な噂が絶えない、曰くつきの小路になっている。なんでも、夜中に女性の悲鳴が聞こえたり、人の変死体が見つかったり、いるのは自分一人だけにも関わらず話し声が聞こえたりと、まさに心霊スポットと呼ばれていてもおかしくはない。
なのにも関わらず、何を魔が差したのか、俺はこの小路に足を踏み入れた。多分、初めてのデートに浮かれていたのだろう。日が暮れているときにここに訪れるのは初めてだ。
チカチカと路辺にある街灯が点灯している。何故か周囲がジメジメと澱んでいるように感じた。はっきり言って気持ちが悪い。
俺は早くここから抜け出そうと足を速める。すると後ろから声が聞こえた。俺はここでこの道を使ったことを後悔しながらさらに足を速めた。
「ちょっと……ちょっと!」
急かすような女性の声が耳にこだまする。ここは危険だ。こうなるなら普通に帰れば良かった。
「わざと無視してるなら、助けてあげないわよ」
俺は足を止めた。決死の思いで振り返る。そこにいたのは全身を黒に包んだ、悲哀のある女性がトランクケースを持って立っていた。
黒髪で肩上のショートカット。黒色のトレンチコート来て、黒色のハイヒールを履いている。どこか諦めたような黒い瞳は、彼女を大人びているがどこか幼い表情にさせていた。
「ずっと、観察していたのだけれど、まさか決行の今日日にずっと一人だったはずの君が、とっても可愛らしい女性とデートをするなんて、雀の涙ほども思っていなかったわ。それに、邪魔を入れたのだけど、あの子、やたらと君に会いたかったみたいね。それはそれとして、まくしたてるようだけど、君はこのままだと――死ぬわよ」
落ち着いた声音で淡々としゃべる姿は、とても絵になるなと思った。
しかし、なにがなんだか分からない。分かるのは目の前の人物が、何かを喋っているということだけ。訳が分からない。
「訳が分からないって顔をしているようだけど、端的に言えば、君はこのまま呑気に過ごしていると死ぬ――だから私が助けてあげる。だから君は、黙って私の言う通りに動きなさい。決して君にデメリットはないはずよ」
「あなたが……俺を騙しているということはないんですか?」
「ないわね、君を騙すメリットがないもの」
それだとおかしい。
「あなたが俺を助けるメリットもないと思いますが?」
「何か、勘違いをしているようだけれど、よくアニメや漫画に登場するヒーローが、何かの見返りを求めて人々を救っている描写なんて描かれていたのかしら? つまり、私はそういうことよ」
目の前の女性は、端正な装飾が施されたトランクケースを開けながら続けた。
「君に対する見返りなんて一切求めてはいないし、そんなものいらない。私はあくまで『目的』のために動いているに過ぎない。一つ違うのは、世にいるヒーローのように、黄色い声援などこれっぽっちも求めていないということ……君を助けるのも世界に対する反逆よ。君に分かりやすく例えるならば、返ってきた答案用紙に、本来であれば正解なのにも関わらず、間違いとしてバツをされている。それを正すのが私、というとこかしらね」
「あ、あの――」
取り付く島もなく、しゃべり続ける女性は、なにやら器用にトランクケースから何かを取り出し、組み立てていた。
「それより、君が人目に付かない場所に来るのを虎視眈々と待っていたけれども、まさかここを通るなんてね。まあ、君の体質には関係はないことだが――」
女性は、さっき組み立てた杖のようなものを上に掲げた。それと同時に呪文なのか分からないが、早口で唱えている。なにを言っているのかは一切分からなかった。するとたちまち澱んでいた空気が、洗浄されていくのを感じた。
「ここは街の穴ね。こういうところに怨念が集まり連鎖するものよ、王原宝道君、次からは気を付けるように」
そう言うと女性は杖をトランクケースに戻した。俺は今しかないと思い、目の前の女性に質問した。
「あの名前を……訊いてもいいですか?」
「名前を訊かれて答えるアホはいないわ」
んん? 頭に疑問符が浮かぶ。人間は常に初対面の人には初めに名前を訊く生き物じゃないんですか!? 俺が知らないだけで社会規範的にはエヌジーなの!?
「それとなんで俺の名前、知ってるんですか? どこかでお会いしました?」
「直接は会ってはいないわ、下準備みたいなものよ。まさか私の故郷がここまで君を中心に、異様な雰囲気になっているとは思いもよらなかったけどね」
「俺を中心に?」
女性は、ここでは話せないと言うようにそのまま歩き始めた。
「詳しくは、君の家で話そう。ああ大丈夫、今日、君の両親は夜遅くまで帰ってこない、なに、そういう問題じゃないって? ああ、心配はないわ。君より私の方が遥かに強いから」
それから会話はなかったが、女性はまた目的地まで、早口で呪文のようなものを唱えながら歩いていた。
しばらくして家に着いた。女性はためらいもなく一直線に玄関のドアを開けた。
「お邪魔します」
途中、スエキチに吠えられながらも、ずかずかと土間を通り過ぎ、まっすぐ二階にある俺の部屋に入った。
「ほんとに、俺のことを調べ上げてるみたいですね」
「当然よ――さっきの犬ころの名前がナンセンスなこともね」
女性は(俺の)ベッドに腰を下ろした。それとスエキチに名前を付けたのは俺だが、一言多い気がする。大凶とかよりは遥かにましだが、大吉だと俺より運が良いみたいで嫌だ。
「で、話ってなんですか?」
「まずは改めて自己紹介から、私は猫遊子昼。詳しく素性は明かせないけれど、君みたいな境遇の人間を追っているわ」
猫遊子昼……素性を明かさないところがさらに怪しさを醸し出しているけれども、悪い人ではなさそうだ。
「ここ最近、君に数々の幸運な出来事が舞い降りてきたんじゃない?」
それはそうだ。自分でもおかしいと思っていた。確率的に考えてもありえない。
「はい、そうですけど、それと何の関係が?」
「君は今、世界に目をつけられている。放っておくと危ないわよ。その幸運も、上げては落とす前準備、常套手段ね」
そう真面目な顔で話す猫遊さんは、本気で俺を助けようとしているらしい。
「世界っていうのは、この地球のことですか? そんなエスエフみたいなことが実際に――」
「ある――」
まっすぐな目で俺を見る。
「エスエフというよりはジャンルはファンタジーに近いんだけれどもね」
軽快に話す猫遊さんは、またトランクケースを開いた。
「そのトランクケースには何が入ってるんです? あの杖は一体……」
「七つ道具、説明するのもめんどくさいからスルーして」
猫遊さんはさっきの七つ道具と呼ばれた杖を取り出し組み立てた。
「一人、やっかいな輩がいるから、結界を張らせてもらうわよ」
そう言うと、杖を中心に黒い靄が広がっていき、家の外を覆いつくした。
「すごい……魔法みたいだ」
「勘違いも甚だしいわよ、この世に魔法なんてもの存在しない」
猫遊さんはそういうけれど、これを魔法みたいと言わずして何というのか。結界と呼ばれたそれは、窓から外が見えないぐらいに、黒い靄で覆いつくしていた。
「時間がないから、二度は言わないわ、よく聞きなさい。まず、君はこのままだと世界に絶望してしまう。君の周りで数々の不幸な出来事が起きるはずだけど、決して絶望はしないで。次に君は命を狙われる。絶望して不純物になってしまう前に始末されてしまうということよ。最後に、何があっても諦めないで……以上よ」
猫遊さんは言うだけ言って俺の部屋から出て行こうとした。
「え、いや、その――!」
「タイムオーバーみたいだわ。思ったよりも接触する時間がなかったけれど、君なら……大丈夫よ、私が絶対に死なせないわ。」
部屋に一人残される。それはいつものことでありながらも、以前の部屋とは全くの別物に感じた。猫遊さんがいなくなると、黒い靄は徐々に薄れてゆき、やがて消えた。
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