八
彼は見舞いの度に原稿を届けた。大した話はしなかった。ただ、頻繁に通った。彼女はやがて、彼がやってくると舌打ちをするようにまでなった。
「要らないよ」と言うが、彼は何を嘯いて、と片付けてしまう。
ある時、彼女は言う。
「葬式の準備はしているかい、財産はどうなるんだい、姉とは連絡ついたかい」
「母さんは死んだ後の事なんて考えなくて良いんだよ」
彼は顔色一つ変えずに言う。
「生きている間は、生きていることだけで良いじゃないか」
「死んでから死んだ時の用意ができるかい」
「いいんだよ。葬式も財産も、お母さんが気にかけることじゃないだろう? じゃあ、何、葬式が順風に行われなきゃ生きている母さんは困る? 一軒家と預金を叔母さんや父さんにとられて何か悪い? 全部、母さんが死ぬ後のことさ。関係ないだろう」
「まさか……本当に常識の分からない子だね。それにねえ、家も預金も大したものじゃないよ。争ってまで取る分も無いさ」
「じゃあ、お母さんが全部使ってしまえば良い。何か欲しいものある?」
「……本当はあんたにあげたいけど。だって、路頭に迷う一人息子だから」
「俺は大丈夫だよ。どうにでもなる。順境じゃあ無いけどね」
「あはは! そりゃあ、お前、今考えればどうだって良いことさ。生きて育ってくれさえすりゃあ——」
「へえ、本当にそれだけで良いの?」
彼はからかうように言う。
暫くの沈黙がある。
「私がいなくなれば、せいせいするとでも思っているかい?」
彼は答えられない。
「まあ、少なくとも寂しいとは思わんだろ」
彼は真剣な表情をする。
「死ぬのって……怖い?」
「別に……そうでもないよ」
母は、すこぶる冷静沈着である。従容を決め込んで、少しも動揺しない。彼は向きになって、彼女を問い詰める。後で、酷なことをしたと反省するが、彼は夢中になっている。何故か彼女を変節させようとする。彼女はそんな彼の猛攻を、取るに足らないものといなす。
「たくさん感情を持って生まれてきてしまったから。それが憎いと思うことがあった。死は、こういう感情の支配から、ずっと解放されることなのよ。そう思えば、悪くないでしょう?」
彼は頷く。けれども、心にぽっかり穴ができてしまった。
「さあさあ、私があんたをこの世に産み落とした、罪深い張本人だよ? どうだい、苦しいかい」
彼女は調子づいて、弄舌になっている。彼は不愉快を覚えながら、
「割と、最近はね」
「ほれ、どうだい。私がいなくなりゃあ、せいせいするだろ」
「どうだか」
彼女は一転、寂しそうにする。だから、慌てて付け足す。
「お話、読んでくれれば、分かるだろ?」
「……ははは。そうかい。面倒だねえ、本当に面倒なんだ。……『僕らには明日がある』かい」
「……そう、まだ明日はある」
彼はただそっぽを向く。彼女はそれから終始、窓外の浮雲を眩しそうにして見ている。




