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浮沈  作者: ラララルルル
3/13

 彼は布団の中で、呑気にも寝言を漏らした。薄い現実感のせいで、酷く遠くの方に聞こえたチャイムの音——染み渡るほどに波紋を広げて、彼の意識までようやく到達する。

 飛び起きて、目覚まし時計を手に取る。……まだアルバイトの時間までは、ある。もう一度、急かすように鳴った。どうやら、来客は彼が家に居ることを確信しているらしい。無精を体現する長く伸びた髪の毛の寝癖を掻き乱しながら、取り敢えずそこら辺にかけてあった上着を羽織り、玄関を映す画面を見つけて固まった。受話器を取るのを渋る。が、ややあってまた鳴る。画面を睥睨しながら、仕方なく取る。

「開けてー」

 相手は山路だと名乗らぬ。中から挙措を覗かれていると、知っているのだ。——山路は何度も彼の家を訪れたことがある。わざわざ受話器を取ること自体、不自然だったかもしれないと思い、彼は少し動揺した。

 彼にとって、山路は随分距離の遠くなった友人の気がしてならない。山路は、彼の親友だった男だ——そう、過去形で捉える。が、未だに山路が、彼の母親を精力的に見舞って、彼との繋がりを維持しているのは事実である。山路から見た彼は依然、等身大なのだ。

 彼は扉を徐に開いて、その気怠い姿を外界に曝した。すると、ちょっと照れくさくて頭を掻く。山路はスーツできちんと武装している。直に触れると痛い、外界を乗り切る為の装備である。無論、彼だって外へ出て行く際には、しばしばそれに身を包むことがある。

「よお」

 山路は図々しく憚らずに一歩を内に踏み出した。遮る理由も無い。彼は観念して道を譲る。

 山路はどんどん奥に上がり込む。アパートの一室である故、部屋らしい部屋は、先ほどまで布団を敷いて眠っていたもの一つである。この時間まで敷きっぱなしの布団は、ずぼらだとでも揶揄されるかも知れないと、咄嗟に思いを過ぎらせる。

 リビングは家事の営みを感じさせない。それは、彼が毎日の暮らしをインスタント食品で済ませている事の証拠である。作業机だけが真っさらな壁に向かって設置され、やたらとその存在感を示している。山路は、カーペットの上に広げられた寝具を見下げた。それから、西向きに備わった四角窓の方に寄る。一階だから、外には塀しか見えぬ。山路は臨むのを止めて、彼に向かい合う。その場に腰を下ろす。彼の方は、布団の端に膝を被せるように正座する。

「何で来たのかって、顔だな」

 彼は沈黙して居る。

「お前、どうせ仕事探してないんだろう」

 山路は叱咤の語調である。彼は俯き加減となる。

「お母さんのこと……」

 山路はそこでちょっと言葉を打ち止める。彼は山路の剣幕に恐々として居る。山路はあぐらを掻きながら陽光背に彼を睨めつける。

 もう一言重ねようと考えていた山路であったが、喉の奥の方でつっかえる。すると居心地悪そうに体勢をひっきりなしに変えている。彼は日脚に目を細めた。

「俺だって頑張っている」と、ふと月並みな言い逃れを漏らした。卑屈で、凡庸な返答である。平時ならばもっとましな受け答えも案出し得たろうが、何分寝起きで動転している。おそるおそる山路の様子を窺うと、目線ががちんと合う。

「俺はもう見てらんないな。君の母さん、大分まいってるぜ」

 無論、彼も認知するところである。が、だからと言って生き方をそう簡単に転換することもできない。

 この言及は彼の心理を掻き立てた。山路も手応えを得たか知らん。元気になって続きを言う。

「でも、お前のことを一番に心配してたよ。自分はどうでもいいから、あの子だけは……って風にな」

「そうかい」

 彼の応答はあっさりとし過ぎた。山路は前触れ無く紅潮し、「お前って奴は……」と声を絞り出す。

 山路は怒ったようだ、と彼も了解する。だが、その理由はいまいち判然としない。

 山路はどんどんと木製の床を踏み鳴らして立ち上がった。脇を通り抜けていくのを、首を旋回させながらその動きを追う。掛け布団の皮を握りしめる。玄関の方に消え入るそのあとを、遅ればせ追いかけた。間に合わず、閉まり際の扉を呆然、目にすることとなる。彼は、次第に怒りのような感情を巻き起こした。——何だ、何だ、奴の方から訪ねておいて、この仕打ちは一体どういうつもりだ。所詮、奴は赤の他人なのだ。友人の家庭事情にとやかくつけ込む権限はあるまい。有り難迷惑というものだ。

 彼は、山路との心的距離が膨大に空く感覚を覚える。今自分の居る場所とは、まるで別の所に山路は居座っているのだと、明らかに見破る。不愉快だ、不愉快だと呟きながら、布団に潜り込む。——違う! そうじゃない、起きろ! 規則正しい生活をするのだ!

 そんな自己嫌悪に苛まれながら、彼は頭まで潜る。……蒸し暑い。その居心地の悪さは、不思議と彼を安堵へと誘った。そのままで、生温い、穏やかな呼吸を心がける。そして、目を瞑る。

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