十二
初村の「会うぞ、会うぞ」の連呼を見かねた京堂は、勝手に話をつけて、初村と彼を会わせる算段を立てた。その旨を初村に連絡するところである。
「何だと?」
「だから、『会いたい、会いたい』と」
「覚えが無い」
「僕は、ちゃんと覚えていますから」
「覚えが無いし、そんなつもりもまさかあるまい。それに、君がそう果敢とは思わん」
「でも実際、果敢でした」
「無謀者め」
初村は、酒は危険だと、何十度目かの了解を得た。しかし人間、悪癖はなかなか抑えられるものでもない。特に歳を経ると、身体に染み付いて離れない。
対談は一週間後らしい。初村が、彼に会いに行く。面倒なら断れば良い、と京堂はもう知らん顔である。——初村は、断るつもりもない。興味があるのは、本心である。
一方の彼は、率爾の誘いを怪訝に思う。彼は今、日に日に塵事に食われている。食われた分、ものを書く機会は減る。彼にとって筆述が安易な憩いに零落し、遠い大人の夢と化す時、それはとうに塵事の仲間入りとなっている。暫くは彼も気付かない。けれども終いに思い至ったとき、彼は筆を置くだろう。
オオカミの話は、彼にとって、もはや懐古すべきものである。だが、今度の連絡で、急にまたその物語が現実味を帯び始めた。その境目において、チッと音がしたのは、彼の麻酔の切れたのに、何者かが舌打ちをしたものだろうか。
執筆時の熱情を、一宵の錯覚に変換、認識した彼は、店棚に並ぶ小説の筋を気にかけ出したし、自身の文章が陋劣だと思いを寄らすようになった。が、それらは全て、俗事のもたらす悪習である。体裁が大事になれば、もう芸術家として死んでいる。彼は麻痺から醒めた時、既に死にかけであった。
何故自分は一度会社を辞める無謀をやったのだろう、何故あの込み入った時期に小説を書き上げては療養中の母に押しつけたのだろう——改めて思い返してみると、それらが別人の所業のように思えてならない。が、確かにあの霧中にいたのは、彼自身である。彼は、記憶を取り戻しつつある。
もう再就職も決めたから、こちらから初村を訪問する暇は、なかなかとれない。それなら先方がわざわざ見えると言うのだから、彼も驚きである。——初村の拵えた本というものを読んでみたくなった。
血生臭い、故に哀愁漂わすノートを、彼は久方ぶりに開けてみた。それから、数ヶ月の間に奥の方に仕舞われていたかつての原稿まで引っ張り出してきた。なるほど、滾るものがある。彼は、やっと活動を再開する。同時に、見えぬ奥を探り探って、引きずり出さなくてはならない使命を思い出す——そう、確か真珠に喩えられていた、光輝を絶やさないという、あの宝である。その正体とは何か? 確か紛れもない、屈託の無い、混じりけの無い、純真の自己である。
初村との邂逅に、その一点が照らし出されるとも知れない。初村はなかなかどうして、並の作家ではないらしい。彼は今から楽しみにして待つ。




