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2話 花嫁のピルエット

 ハルカ・リコリコと出逢ったのは、ジャポニカ王国の王城近くにある、ある飲み屋だった。


 首都のど真ん中にあることもあって国際的な区域にあり、そのせいか、ヒューマンだけではなく、外国からの観光客や移民であろう、多くのデミヒューマンらも酒を楽しんでいた。


 そしてその場で、事件は起こる。


 リザードマンの連中が、酒場の柱に妖精のピクシーを縛り付け、それを的に、ダーツを始めたのだ。


「よしておくれよ! 僕は悪い妖精じゃないよ!」


「ンなこと、どうでもいいんだよ! 楽しけりゃあ、よう」


 リザードマンたちはゲラゲラと笑う。


 彼らの人数は6名。身につけている鎧から、冒険者だと分かった。


 ここ、ジャポニカ王国は別名「黄金の国」と呼ばれている。


 至る所にあるダンジョンには、魔石や貴重な宝石はもちろん、たくさんの黄金が隠されている。それをあさりに来た者たちだろう。


 リザードマンたちは次々とダーツの矢を投げる。


 だが酔っ払っているからか、それが一向に当たる気配はない。


 その間、妖精はずっと泣き続けていた。


 酒で少し酔っていた僕は、その光景にたまらず立ち上がった。そして、そいつらに文句を言おうとズカズカと歩き始めた時。


「あなたたち、やめなさいよ!」


 一瞬で酒場中が静まり返るほどの大声を上げたのが、ハルカ・リコリコだった。


 それで、教区麺は一変した。


 実はハルカは、ジャポニカ王国では割と名が知れた、アイドルグループのメンバーだったのだ。


 リザードマンたちは、ハルカが属するアイドルグループのファンだった。一度に酔いが覚めたのか、たった1人のこの小さな少女に、リザードマンたちは何度も頭をペコペコ下げ。


 その場は丸く収まった。


 妖精はお礼を言うと「おまじないを掛けてあげる」と、ハルカに何かの魔法をかけ。


 そして、星がまたたく夜空へと消えて行ったのだった。


 あの現状を見て、立ち上がったのはハルカ意外では僕1人。彼女はそれに気づいていた。


 気づくと、ハルカは僕の隣に来て酒を煽り始めた。彼女がアイドルだと知ったのはその時だ。


 僕は本の虫であり、書籍ばかりを読んで過ごしていた。活動写真も熱心に鑑賞しており、音楽もありったけ聞いていた。


 そんなオタク的な、よく言えば芸術的な知識をふんだんに持つ僕に、ハルカは興味を持ったようだった。


 ひとしきり話が盛り上がった後。僕たちは連絡先を交換して、ともに酒場を後にした。


 それからである。その酒場に行くたびに、ハルカもそこに。夜が来るたびに僕たちはいつも一緒に飲むようになった。


 そんなある日。


 僕はその日、その酒場に、自分の妻を横において飲んでいた。


 ちょうどその日は僕の誕生日であり、妻と祝杯を上げ、お店や他の客にも妻を紹介し、お店側でもサービスのぶどう酒を開けてくれたのだ。


 僕たちは楽しく飲んでいた。ワイワイと皆が祝杯を上げてくれ、僕も妻も上機嫌だった。


 その時だった。


 酒場の入り口で、ガシャーンと何かが割れる音が聞こえた。


 そこにいたのは、ハルカ。


 僕の誕生日だと知り、プレゼントに壺に入れた自家製高級酒を持ってお祝いしよう。そう思ってこの酒場に来たのだと、ハルカは後に語った。


 ハルカは僕に妻がいるとは知らなかった。確かに僕たちは結婚指輪をしておらず、それに毎晩飲み歩いている男が所帯持ちだとは、ハルカは思わなかったらしい。


 その晩、ハルカはすぐに酒場を逃げ出した。


 追いかけようにも追いかけられない。それはそうだ。僕は妻帯者であり、これ以上親しくなってしまうと、それは“不倫”という罪を背負うことになってしまう。妻は「あれ、誰?」と聞いてくる。僕はなんだかんだと誤魔化した。


 その時、僕とハルカに体の関係はなかった。何とでも言い逃れはできた。


 だが、その時、僕は気づいたのだ。


 ハルカが実は、僕に、本気で恋をしていたことを……。


     ※    ※    ※


 ――そして時は、ハルカが殺された後日にまで進む。


 その腹に、深くナイフを刺されたハルカは最初、自分を襲った暗闇の正体が、自分が目を閉じ続けているか、夢を見ているからだと思っていた。


 だがハルカの命はもう尽きており、彼女が亡霊であることはすでに変えられない。


 一向に光が現れないことに苛立っては、夜な夜な僕の部屋で皿やグラスを投げ飛ばし、夜を通して言い争いをしたりもした。


「お前のために離婚したのに、なんでそこまでののしるんだよ!」


「違うでしょ! それはノアくんが自分で決めて、離婚したんでしょ!」


「自殺をほのめかせて、離婚させようとしたのは、どこのどいつだよ!」


「でも決めたのは、ノアくんなの! 責任を私に押し付けないで!」


「もう、たくさんだ!!!」


 ハルカの独占欲は常軌を逸していた。


 でも、それは仕方なかったかもしれない。


 そもそもハルカとの関係は、まだ僕が離婚していない状況から始まっていた。彼女は彼女なりに、その状況に傷ついていたはずだ。


「私がいるんだから、他の女友達はいらないでしょ!」


 連絡先を書いてあった手帳はビリビリに破かれ、仕事の営業先での宴会にも、そこに女性がいないか不安になり、酒場まで乗り込んできたことまであった。


 そのハルカの嫉妬は、当然、別れた僕の妻にも向けられていた。


「ノアくんの記憶から、アイツの記憶を消し去りたい。全部、全部、私の想いで、埋め尽くしたい!」


 愛されている、という実感よりも、恐怖の方が先に立っていた。


 そんなハルカの僕の独り占め。やがて僕は友達を失い、孤立していった。


 だが、ハルカは、自由そのものだった。


 アイドルという商売もあったからだろう。


 毎晩、遅くまで飲みに出かけ、さまざまな人脈を作っては、それで仕事をもらって来たりしていた。


 ハルカを刺した、カシワギも、その1人だ。


 当然、僕にだって嫉妬の感情はあるし、自分の境遇が不満だし、ハルカだけ好き勝手していることに怒りもあった。


 だが、そんな大喧嘩をした夜は決まって、ハルカは僕に甘えてきた。


「ねえ」


「何?」


「私のこと……」


「うん」


「愛してる?」


「愛してる」


 そう言わなければ、ハルカは眠ってくれなかった。


「本当に?」


「本当」


「本当に本当?」


「本当に本当」


 毎日のように繰り返される同じ会話。


 でも僕の心の中ではその言葉はとても空虚に感じられていた。


 確かにハルカは可愛い。正義感も強いし、どこか放っておけない魅力もある。妻が実は大量の借金を抱えており、その名義をすべて僕の名にしてしまっていたのを知った時、慰めてくれたのもハルカだった。


 そして何より。何があっても。


 僕がどんなに。


「お前なんかいらない!」


 そう繰り返し叫んでも。


 それでも僕のことを愛し続けているという、妙に情の深いところがあった。


 だが彼女が生きていた頃から繰り返されてきたモラハラ。時にはDV。


 いつしか僕たちは互いに依存してしまっていた。共依存。そう言われても仕方がない。


 僕はダメな人間だ。自分が嫌いだ。


 でもそれと同じぐらいハルカのことも。


 嫌いだ。


 うっとうしい。


 自由になりたい。


 離婚は失敗だったかも知れない。


 いや離婚するなら。


 僕は完全に1人になるべきだったのだ。


 そう思いながらも。


 ハルカがいなくなってしまうことに、寂しさを感じていたのかも知れない。


 そして亡霊になってからも、僕の側を離れないハルカ。


 嫌悪感と安堵感。その境い目で僕の心は常に揺れ動いていた。


 そんな、まるで牡丹燈籠のような日々が何日も続き、彼女が死んで49日が過ぎた頃。


 僕は、天井から逆さ吊りにされている奇妙な夢を見た。


 どこかの倉庫。大きな換気扇が軋みを立てながら廻る暗いその中で、宙吊りにされている僕の前のソファーに、なぜか、“もう1人の僕”とハルカが座っていた。


 ハルカはもう一人の僕の方に甘えていた。抱きつき、肩に頭をもたれかけ、ぎゅっと、もう1人の僕を抱きしめていた。


「それは誰?」


 我ながら間抜けな質問だと思った。


「なんで、僕以外の男にそんなに媚びているんだ?」


 だが、ハルカは事も無げにこう答えた。


「これは“覚醒”したノアくんだよ」


「“覚醒”?」


「そう」


「僕?」


「そうだよ」


 ハルカは嬉しそうにもう1人の僕の腕に抱きついている。


 そのもう1人の僕の表情はちょうど影になって見えない。


 僕は宙吊りにされた足首の痛みを回避するために、片足一本で吊られている体のバランスを保つのに必死だった。


 やがて“覚醒”した僕の額にキスをしたハルカは、もう1人の僕に訊いた。


「奥さんとはハリラーン共和国で新婚生活を過ごしてたんだよね」


「そうだよ」


 と、もう1人の僕が答えた。


「どんな生活だった?」


「いろいろ」


 もう1人の僕は饒舌に、元妻と、ハリラーン共和国でどんな生活をしていたかを語り続ける。


「決めた」


 それを黙って聞いていたハルカはそう言った。


「私も、行く!」


 もう1人の僕は笑顔を見せる。


「だって、ノアくんの思い出を私の思い出に全部塗り替えたいんだもん。全部、全部、ノアくんと、あのブス女が行ったことのある場所で、いっぱいいっぱいキスをして、いっぱいいっぱい愛し合って、そこを私とノアくんだけの思い出で埋め尽くすの」


 そう言うと、ハルカは立ち上がった。


 アイドルの仕事の関係で練習をしていたクラシックバレエ。何度も爪先旋回をするピルエット。ハルカは不器用に舞いながら、それでも笑顔で、自身の決心に満足しているようだった。


 ピルエットを何回も失敗しては、もう1人の僕の体にぶつかって「いたたたた」と笑う。


 一方、僕と言えば、縄が足首に食い込み、体がゆれるたびに天井が軋み、倉庫の中の明かりがさらに弱まっていくのを感じていた。


 光を失ってぼんやりした視界の中で、踊り疲れたハルカの息を切らした笑い声がした。


 足首から体をつたって、眼に血が流れ込んでくる。痛い。苦しい。


 僕は苦痛を訴えたが、それは何かを期待するようなハルカの息づかいに飲み込まれてしまった。救いの声は、霧散して、ただただ僕は、痛みに耐えるしか、その場をしのぐ方法を持てなかった。


 ハルカによる破壊行為。僕の精神を壊しきるような、強すぎる愛。


 その愛が憎しみに変わり、再び愛へと新たな生命を得る僕の精神の真っただ中で、僕はハルカの「結婚したらハネムーンはハリラーン、結婚したらハネムーンはハリラーン」というハミングを聴いていた。


 当然、悪夢はやがて終結する。僕は目覚めた。ハルカの姿はそこにはないが、それでも僕はいまだ悪夢の中にいるようなひどい気分の悪さに嗚咽をしていた。


 その時。


 モゾモゾと布団の中で何かがうごめいている。


 僕は布団をめくって、中を覗き込んだ。


 そこには、満面の笑みを顔に浮かべたハルカの姿があった。


「一緒に、ハリラーン共和国で、ハネムーンしようね」


 ハルカの声はどこまでも優しく、そして慈愛に満ちていた。その“愛”の強さが、いまだ僕は、悪夢から目覚めていないんだということの証なんだ、と僕は思った──。

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