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1話 僕にしか見えない花嫁

 まるでおとぎ話のような、でも、ダークなラブストーリーです。

 死者とハネムーンをする主人公が、どんな人たちに出逢い、どんな出来事に遭遇するか。

 ぜひ、みなさまも一緒に主人公と、夢の中にいるかのような旅をしてみてください。

 セミダブルベッドの白いシーツの上にはリゾート気分を演出するためであろう一輪の南国の花・ハイビスカスが添えてあった。


 窓から入ってくる陽の光はすでに弱々しく、ベッドの天蓋からかかっている白いシルクの薄い布をようやくすり抜ける程度だ。


 僕は照明をつけ、それでも薄暗い光の中で、そのハイビスカスを指先で弄びながら部屋をぐるりと見渡した。


 ピカピカに磨き上げられた白いタイル。その床の上に中身が詰まっていないバックパックがうなだれていて、いかにも来訪者面をしている。


 宿屋のヴィラ内は6畳から8畳はあるだろうか。花壇が近いせいか、部屋中にさまざまな花の香りが残ったままで、まるで棺桶に入れられているような気持ちになった。


 バスルームはこの手の宿にしては凝っている。バスタブが寄せてある壁にこの国特有の彫刻がほどこされた両開きの窓があり、そこから寝室が覗ける造りになっていた。


 バスタブがあるのは宿を探す上で絶対に譲れない条件の1つだ。


 ハリラーン共和国。僕たちが住んでいたジャポニカ王国からはるか南の島国。


 ヒューマンが国を治めるジャポニカ王国とは違い、ハリラーン共和国では、エルフ、獣人、ゴブリン、ドワーフら、多数の民族が共存している。


 そのハリラーン王国の片隅にあるハロウ島。ここは、小さなタンクにたくわえられた水を桶ですくって体にかける水浴びが主流だ。


 水温は10度以上はあるのだろうが、僕は過去に4年もここに住んでいたにも拘わらず、どうにも水浴びに慣れる気にはなれない。


 たまに水浴びが嬉しい蒸し暑い夜もあったが、生活のすべてを現地の習慣の合わせようという気が僕にはなかった。


 念のために確認するとお湯はちゃんと出るようで、突然のボイラーの故障や時間制限などがない限り、ゆっくりと湯船につかれると分かった。


 ほっとし、何をしようかと思案した挙句、僕は、まず浴槽にお湯を張ることに決めた。


 ベッドルームに戻り、湯船にお湯が溜まる水音を聞きながらベッドによじのぼる。そして、長い船旅で縮み切った手足を思いきり伸ばした。


 遠くからは民族音楽のガランチェの音色が聞こえてきた。このホテルのガランチェのショーが始まるにはまだ時間がある。


 そう言えば、このあたりには公民館のようなものがあって、毎日、この時間になると、決まってあの雨音のような音楽がこのサーマル大通りを満たすのを思い出した。


 たくさんの金属と魔石を使って奏でられる音楽……。


 微妙に調律の狂った音色が観客にとって明確なコンダクターもいないままかき鳴らされるそのスタイルはとても音楽として饒舌で、ハロウ島の神々が降臨するという触れ込みは観光客を神秘的な気持ちに酔わせ、多くのリピーターを獲得するのに一役買っていた。


 以前、それらの楽譜をハリラーン大学に留学していた時のクラブ活動で見たことがあった。


 それは僕には魔術の処方書のように感じられたのだが、演奏しても何も僕の心に降臨してくれないことにすっかりがっかりし、それからクラブ活動から足が遠のいた。


 ──そんな、6年前の思い出に浸っているうちに、ガランチェの音が急速に太陽の力を奪っていくのを感じた。


 その時になって僕はようやくいつの間にか自分が眠りこんでしまっていることに気がついた。


 冷房魔術の効いたこの空間は外界とはまったくの無関心を貫いていた。


 ベッドのカーテンは霧のように室内灯の光を曖昧なものにしていて、それがちょうど、活動写真が始まる前のスクリーンのように見えた。


 耳にこもるように聞こえるヒソヒソ話。それらが、活動写真が始まる前の観客の期待の声のように高揚していく。そのヒソヒソ話は妄想なのか、それともこの国に巣食う亡霊たちが僕を見てクスクス笑っているのか。


 僕は自分の人生の活動写真の主人公となれるのだろうか。


 いや、僕はこの物語の本当の主人公なのか?


 そもそも、これは本当に。


 誰かの夢の中のお話じゃないと言い切れることが出来るのだろうか?


 その時だった。


 ベッドルームと浴室をつなぐ両開きの窓がいきなり。


 バタン! と勢いよく開かれた。


 浴室からびしょ濡れの顔を覗かせている少女。


 それは、ハルカ・リコリコだった。


「なんなの!? ヘドが出る! もう本当にヘドが出る!」


 ヒステリックにわめき立てるハルカ。そのストレスで僕の頸の筋肉が痙攣し、それが伝わったのか、ベッドがギシリときしんだ。


 ハルカは長いまつげから水滴をしたたらせている。


 顔にはりついた黒髪。


 ハルカ自慢の黒髪。それをハルカは指で押しあげた。


「何が気に入らないんだよ」


 僕はいつものようにとりあえず訳を訊いてみることにした。


「いつも言ってるでしょ! バスルームの壁のペンキがはがれているじゃない。水周りがキレイじゃないのって、魔術運的にも良くないんだよ」


 僕はなるべく冷静な声を出すよう心掛ける。


「でも、天蓋てんがいつきのベッドに寝たいって前から言っていただろ? ほら」


 そう言って、ベッドのカーテンを揺らした。


 ハルカはふうんと頬杖で頭を支え、そりゃそうだけど…とさらに文句を言いたげだったが、


「うん。確かにベッドはお姫様みたいね」とニコリと笑った。


「ベッドの彫刻も…そこそこかわいいかも」


 このように時々、ハルカの声は子供のような幼さを帯びる。


「お前がこういうベッドが好きだと思って……。一流ホテルでも良かったんだけれど、せっかくの南国ビーチのハリラーン王国だったら、トラディッショナルっぽい可愛い宿屋となると、ヴィラタイプもいいかなって」


「その“お前”って呼び方やめて」


 そうだった。僕は慌てて「悪い」と謝った。


「癖なんだ。友達にもつい言ってしまう」


「そんなことより」


 ハルカの話はコロコロと変わる。


「これからどこへ連れて行ってくれるの?」


 ハルカの大きな瞳が俄然いきいきしてきた。


「浜辺沿い、シンドゥービーチ」と僕は答えた。


「浜辺沿いにバーとかレストランが何十メートルも長屋みたいに並んでいる場所があるんだ。夜市とか屋台村のような雰囲気かな。そこに『2つの果実』という料理がうまいお店がある。本格的なんだよ。そこで、ある人と待ち合わせをしている」


「ふ~ん」


「とても素敵な場所だよ」


「そこが、元奥さんとの行きつけだったんだよね」


「行きつけだった」


「何回行ってた?」


「一週間に4日以上は」


「どんな料理があるの?」


「この国の名物は魔獣料理かな。たまにヤドカリがテーブルの上を這っていてかわいいよ」


「げっ。魔獣以外はないの?」


「あるにはある。魚介類も豊富だし、とにかくこの国は、歴史が古い王国の集合国だから」


「それでも魔獣料理をよく元奥さんと食べてたのね」


「なかなかジャポニカでは食べられなかったからね」


「何を食べてた?」


「お酒に合う何か…肉入り焼きそばや魔獣のテールスープかな。シーフード・バーベキューとなれば、アスラン海岸の方まで遠出していたけれど」


「そこにも、あのブスとしょっちゅう行ってたわけだ」


「ブスなんて言うな」


「うるさい」


「まあいい。あれは、そうだな……。日本からお客さんが来た時ぐらいだから、三か月に一回とか……」


「わかった。待ち合わせをしてるんだよね。滞在許可証や新居のこともあるし。シーフードはそのうちでいいよ」


 そう言うとハルカは「その前に、あの写真のこと、忘れないでね」と念を押してきた。


「それも連絡してある」


 そう答えるとハルカの声が急に明るくなった。

 

「ところでさ、ウミガメはいつ食べさせてくれるの?」


「いつか。ウミガメは世界的に保護されていて、ウミガメ売りも闇商売なんだ」


「貴重なのね」


「貴重」


「でも、食べられるのよね」


「食べられる」


「うれしい。ありがとう」


 それから、急に甘えた声になる。ハルカの扱いは本当に難しい。


「ねえ」


「何?」


「私のこと……」


「うん」


「愛してる?」


 僕は一瞬、返事にきゅうした。


 でも、ここでハルカの機嫌が悪くなってしまっては堪らない。


「愛してる」


 と、僕は答えた。嘘か、嘘でないか。それはこの際、どうでも良かった。


「本当に?」


「本当」


「本当に本当?」


「本当に本当」


 僕は軽く唇を噛んだ。


 だが、そう答えるとハルカは「やったー!」と子供のような歓声を上げた。


「約束、守ってね」


「守るよ」


「絶対ね」


「絶対」


「絶対の絶対ね!」


「絶対の絶対」


 僕は必死に笑顔を作った。


「うれしい楽しみにしてる!」


 ハルカははずんだ声を出すと、バスルームとベッドルームをつなぐ窓を閉じた。


 同時に。


 ブレーカーが落ちるようにバスルームの電気が。








「バチン!」









 と消え。


 シャワーの音も、ハルカの気配も。


 消え去った──。


     ※    ※    ※


 ハルカが殺されたのは半年ほど前だった。


 ジャポニカの住宅街、どこにでもあるような集合住宅地の一室。


 その血だまりを見た時、僕は以前に読んだカイラル教神秘主義者らの間で語り継がれている逸話を思い出していた。


 細かい話は忘れてしまったが、確か、ある敬虔なカイラル教徒が亡くなった時に、その口から聖書の一節の文字がキラキラと黄金色に輝きながら流れ出したというものだ。


 僕は倒れているハルカの口から流れ出している血を見て、いつも何を考えているか分からなかった彼女の、本心のような文字が、血だまりの中に転がっているのではないかと目をこらしたのだった。


 血の匂いの中にいるとむせて酔っ払うことを知ったのもその時だった。


 実は、“血”には、匂いがある。


 本能を刺激するような、“危険”を感じさせるような。


 それでいて甘美で、“死”というものが、どこか優しいものに感じてしまう、倒錯した想いになる不思議な香り。


 床に広がる血溜まり。


 そこは甘い、まるで生クリームのような“死”の匂いに満ちていた。


 現場はハルカのパトロンのマンション。


 カシワギというハルカをナイフで刺したその男は、ぬるぬるした血の池を避けるように部屋の隅にうずくまり、ベランダから射してくる陽の光にあぶられていた。


 かわいそうなぐらいガタガタと震えているカシワギを見ていると、強烈な生理的嫌悪感といくつものハルカと彼との淫らな夜の想像で頭の中がいっぱいになり、急に胃の中のものがこみ上げた。


 もっともハルカは、「体の関係は一切ない!」と、男の逢瀬がバレるたびに、言い張っていたものだ。


 だが、淫靡な妄想は止まらない。


 僕は嫉妬をこじらせ、汚らしい声を上げてフローリングの床の上に何度も何度も吐いた。


 後ろで女の悲鳴が聞こえた。


 だが、かまわず吐き続けた。


 ドアを開け放しにしていたから、きっと同じフロアに住んでいる主婦がこの光景を見たのだろう。


 それから数十分後。


 警備隊がなだれ込んできて、僕も取り押さえられ、無理やり護送馬車に乗せられた。


 後で警備隊から聞いた話だが、動機はカシワギの提示した月20万ゴールドの愛人額の少なさに、ハルカがひどく口汚くののしったかららしい。


「どうしてキミはあの現場にいたんだ?」


 何度も詰問されたが、僕は無言を貫き通した。


 ハルカと、その恋人である僕と、カシワギの3人で言い争いをした結果の悲劇というのが警察の見解だった。


 他にもハルカには5人ほどパトロンがいたことから、僕が彼女に殺意を持っていた可能性も示唆された。


 僕が彼女に強引に離婚をさせられたことも理由の一つだった。


「それも恨んでいるんじゃないのか」


 警備隊は厳しく僕を取り調べた。


 だが、カシワギがすべてを自供してくれた。


 僕は自由の身になったのだ。


 ようやく仰いだ太陽の光。


 どこにでも出かけられる自由。他の女の子たちと遊びに行っても、誰にも咎められることのない自由。


 だが実質、僕は自由とはまったく“逆”のところにいた。


 僕があの日、カシワギの集合住宅へ行ったのは、まぶたの奥にハルカが現れ、その住所を僕に伝えたからだった。


 ハルカを突如襲った暗闇は彼女のヴォルテージをあげる一方で、あれこれ状況を説明しようとするがうまく舌が回らず、とにかく自分の死の匂いをバカたちには嗅がせたくないから、一刻も早く血を拭きとって欲しいと泣き叫んだのだった。


 そのハルカの亡霊が告げた住所の場所へ赴くと。


 カシワギのマンションはすぐに見つかった。


 彼には妻がいたようだったが、ちょうど旅行に行っていたようで、その場にはいなかった。


 そして、あの惨劇の現場。


 僕はハルカの亡霊に導かれて、ハルカの死体と“邂逅”したのだ。


 その後、一度だけ警備隊の建物の中でカシワギの妻の姿を見かけた。だが、涙で目を腫らした彼女は僕に気づかないようだった。


 ハルカはそのカシワギの妻の姿を見て「ざまあみろ」と毒づいた。


「私って言うものがありながら、奥さんと別れない、その優柔不断さ、そんな男と連れ添おうとした、あんたがバカなんだ。せいぜい泣いていればいいよ。苦しめ。苦しめばいい。だって、私だって、刺されたんだから。すごくお腹が熱かったんだから。すごく、すごく、怖かったし、すごく、すごく、悔しかったんだから……」


 ――そう。つまり、僕の花嫁は。


 今から僕とともにこのハリラーン共和国をハネムーンで廻るハルカ・リコアールは。


 もう、死んでいる──。


 そして今、語っているこの僕は、ノア・エミリ。


 ハルカと大喧嘩をすることはあっても、結局ハルカの言うことを聞いてしまい、離婚までして、浮気もされて、そして愛されて、逃げようとしても、追いすがられて。


 何度も「別れたい」と言った。


 ハルカは「絶対、嫌」としか答えなかった。


 ちなみに僕の名前は、別の国では「罪」という意味を持つのだと外国人に教えてもらった。


 このお話は、そんな「罪」という名の僕と、「亡霊」のハルカの物語。


 ラブストーリーと言えば言えなくもないが、とてもいびつで、ときに邪悪で、ときにロマンティックな、すれ違いが生む残酷かつ裏切りに満ちた、“オトナ”の寓話ぐうわだ──。

同時連載:

閉ざされた街を舞台に、悪魔や神話以上の怪物らが暗躍する現代を舞台にしたダークファンタジー。

「ウジャトの方舟」

→https://ncode.syosetu.com/n6996hr/

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