声を出さないで!
車を降りたケンジは子供のようにはしゃいでいた。
「いいねいいね。雰囲気あるよ。いいのが撮れそう」
早速ゴープロの電源を入れて撮影を始めた。
「えー、今、僕はあの噂の○○トンネルに来ています。これから僕が行うのは、噂の、あの検証です」
ゴープロを自分に向けて話すケンジの横でユイカは目の前の古いトンネルを眺めていた。
周りは草木が生い茂り、外壁のブロックにはつる草が覆っている。
随分と使われていないのか、荒れ放題に伸びきった草木がこの使われなくなったこのトンネルの歴史を感じさせた。
大きな口を開けて闇を見せるその入り口の前には、人より高い金網のフェンスが張られている。上には有刺鉄線が張り巡らされ、人の侵入を塞ぐかのように『立ち入り禁止』という板の看板が網に貼りつけられてあった。
○○トンネルの中には何かがいる
明かりは絶対に絶やしてはいけない
もし暗闇になったとしても決して声は出すな
もし何かが起こったとしても絶対に声は出すな
誰から聞いたのか、そんなヘンテコな噂をケンジは聞いてきた。
「検証しに行こうぜ。まだ誰もアップしてないみたいだしさ」
ユーチューバーを始めてまだ半月になるケンジだったが、早くもネタ切れで投稿に苦戦していた。視聴数も登録者数も全く増えない。ユーチューバーはそんな甘くはなかった。
それでも始めたからには爪痕を残したかった。
そこで思いついたのが心霊スポットだった。
ただ、そういう動画はもう数多ある。
そこでケンジはより過激なものを撮る為に危険だと噂されるスポットに焦点を当ててネットや人伝に噂を収集していった。
思ったよりネタは集まった。どれも怪しいものばかりだが、その中のひとつにケンジは興味をそそられた。
それが、今いるこのトンネルだった。
このトンネルは昭和の終わり頃に廃道になったらしい。
入り口は車が入れないように金網が立てられている。恐らく反対側の出口もそうなっているだろう。
「このトンネルの中で暗闇にすると必ず何かが起こるという噂があります。果たして本当にそんな事は起こるのか。えーこの私、ケン坊が体当たり検証をしていきたいと思います」
静まり返る山の中で抑揚をつけたケンジの声だけが響く。
その横でユイカはケンジの撮影モードの姿に笑いをこらえている。
阿保らしいと思いつつも、こういう心霊スポットには少なからず興味があった。それに視聴数次第では色も付けるという約束だった。
ユイカの役目はアシスタント兼、幽霊役だった。何も起こらなかった時の為の保険だった。
画面の端に映り込んだ女。
そんな感じで後で撮るから、とケンジには言われていた。
「あ、ここですね。噂通り、ちゃんと人一人が入れるスペースがあります。それでは潜入したいと思いますっ」
ゴープロに向かって敬礼をしたケンジは意気揚々と金網を潜り抜けていった。
金網のフェンスには人一人が通れる隙間がある。恐らく噂を検証した者がペンチとかで網を切ったのだろう。二人は難なくフェンスを抜けてトンネルの前に立った。
「うわあ。真っ暗ですねえ。やべえ。どうしよう。恐いんですけど・・・」
白々しい声を出すケンジの横でユイカは生唾を飲み込んだ。
先は見えない。真っ暗闇だった。暗闇の壁が立ちはだかっているようだった。
「いや、でもここはケン坊、男を見せますよ。皆さん、僕の雄姿、とくとご覧ください」
ゴープロに決め顔をして見せたケンジはトンネルの中へと一歩踏み出していく。そこから距離を空けてユイカはついていく。恐怖心はあったが好奇心の方が勝った。
ヒヤッと冷気が二人を包み込む。空気の通る感触がする。その空気が冷たい。
「おおお。なんか寒気がします。ちょっと異様な空気と言うのか、只ならぬ何かがあるような、そんな空気を感じます」
ケンジの声が反響する。声が止んでも、おおおおお、と不気味な残響が聞こえる。それは口を開けたトンネルが呻いているようでもあった。
「もっと強力なライトを持ってきた方が良かったかも。ちょっと舐めてたな。めっちゃ怖いよ。うわ。見てください。ここ。苔がありますよ」
片手にはキャンプ用のランタン、もう片方にはゴープロを持って、自分に向けたり照らされた壁へ向けてはケンジはレポートを続けて進んでいく。ユイカはその動向を見守るようにして足音を立てないよう慎重に進んだ。
設定はケンジが一人で体当たり検証を行う企画。
ケンジの他に人がいてはいけないので、ユイカは極力ライトを足元にだけ向けてケンジから距離を空けて進んだ。
トンネルは緩やかなカーブが続いていた。少し進むと、後ろにあるはずの入口はもう見えなくなった。振り返っても光は見えない。明かりは二人の持つライトだけになった。
「今の所、これといて何も起こっておりません。静かなトンネルです。僕の声と足音以外、何も聞こえてきません」
噂では、暗闇になった時に決して声を出してはいけないとあった。
暗闇に潜む何か。
明かりは絶対に絶やしてはいけない。
もし絶やしたとしても静かにしていれば問題ない。
ケンジが立ち止まる。
キョロキョロと辺りを見回すと、
「さてと、もうここらへんでいいかな」と言ってランタンを地面に置いた。
「さあ、もうだいぶ中に入ってきました。うん。特に何も起こる気配はないです。という事で、そろそろ噂の検証をしてみたいと思います」
絞った声でもケンジの声はよく響いた。
ユイカとケンジはお互いを見合わせた。
目で合図を送ってくるケンジにユイカはうなずく。
それを見たケンジが一呼吸置いてからゴープロに向かって話し始める。
「それでは今からライトを消します。最後にもう一度だけ確認します。もし、何かが起こったとしてもライトはしばらく消したままにします。僕は何もしません。ずっと黙って静かに待ちます。これで声が聞こえたり、物音がしたりしたら、それは何かがいるという事です」
ケンジがまた目で合図を送ってくる。すぐにユイカは懐中電灯を消した。それを見たケンジは息を整えてから言った。
「それではいきます」
ケンジがランタンのライトを消した。
フッと辺りは真っ暗闇になった。
無限に広がる暗闇が二人の存在をいとも簡単に飲み込む。
暗闇の中で二人は息を押し殺した。
事前の打ち合わせでは十秒でケンジがランタンのライトを点ける段取りだった。
ユイカは心の中で時間を数える。尋常じゃなく拍動する心臓の音が聞こえていた。
途轍もない不安と恐怖に圧し潰されそうだった。
あまりの緊張に声を出しそうになった。ユイカはすぐに口を手で覆って唇をきつく噛みしめる。さらには目をギュッと瞑って暗闇の恐怖に耐え忍ぶ。
暗闇は圧倒的に深くて巨大だった。飲み込まれそうな錯覚を覚えた。
ユイカはしゃがんで膝を抱えた。ギュッと強く自分を抱きしめる。そうしないと耐えれそうになかった。
だけど、もう限界だった。
もう無理だ、とユイカは懐中電灯を触った。
──────と、その時、
「きゃああああああああああああああああ!!!!」
耳を抉る強烈な金切り声が暗闇にこだました。
ユイカは驚愕のあまり凍りついた。
その叫び声が女の声だったからだ。
しかもその声は自分のすぐ真横からした。
すぐそこに誰かがいる──────。
「ユイカ?ど、どうしたんだよ」
ケンジの声だった。
ハッとしたユイカはその声の方へと向いて叫んだ。
「声を出さないでええええ!」
おしまい