8-2 開けられる鍵
「――わけわかんねえ」
残りの四人を連れてきてすぐにデューイが発した一言が、強いて言うならこの場を表すにもっとも相応しい言葉だったのかもしれない。少なくともジルは、この光景を目にしたときにほとんど同じような感想を抱いていた。
水槽の部屋から通用路を抜けた先にあったのは、あまりにも広大なドーム状の空間だった。
今まで見たことのあるどの人工空間よりも巨大だったかもしれない。吹き抜けは上にも下にも広がって合わせて三十階分以上はあると思うが、両端は光が霞んでいてよく見えない。各階には壁を這う蔦のように回廊が巡らされ、見たことのない仕組みの扉が整然と立ち並ぶ。部屋はこの場所から見えるだけでも、三百、四百――あるいはその奥にある空間も含めれば、千も超えてしまうかもしれない。
目の前の光景に圧倒される時間が終われば。
やはり、当然の疑問が心に浮かんでくる。
「どこにあったんだよ、こんな空間。外から見えなかっただろ。気付いてねーだけでめっちゃ地下まで潜ってたわけか?」
途中から息切れを起こして、こちらの肩にしがみつくようにしていたデューイ。彼がそのままの姿勢で言うから、ジルは素直な所感を口にする。
「わからん」
「だろうな」
「確かに一部は地下に潜っているようですが、大部分は地表に出ていると思います。ちょうどこのひとつ上の通路が研究所の一階部分の標高になるんじゃないかと……」
すると、クラハが代わりに答えてくれた。
持つべきものは、とジルは思う。デューイが拍手するのに合わせて、一緒になってクラハの位置把握能力を称える。いえ、と慌てたように恐縮して、けれど彼女もまた、
「確かに、これだけの建物が発見されなかった理由がわかりませんね」
「他の遺跡と同じじゃないですか? 樹海の背の高い木に囲まれて、見えなかったとか」
ネイもようやく目の前の光景から戻ってきたらしい。それほど真剣な風でもなく、けれどある程度妥当らしい推測を口にするが、
「いえ、無理があるでしょうね。クラハさんの見立てどおりなら、この高さはいくらなんでも樹海の樹々では隠せません。仮に何とか頭まで埋まったとしても、先史時代からの数千年を誰にも見つからずにやり過ごすことは……」
今度はロイレンが、そうして答える。
再び、僅かな停滞と沈黙。
パンパン、と手を叩いてそれを破ったのは、ウィラエだった。
「何にせよ、ここで話をしているばかりでは何もわからなそうだな。ユニス。私たちを呼んだのはこの場所を調査するためだろう」
「うん。流石に四人だけじゃ厳しいと思ったんだけど……」
これじゃいずれにせよ、とユニスが見上げれば、デューイがその先を代弁するように、
「八人だろうが焼け石に水じゃねーか? 無理だろ、これ。全部終わるころにはジジイになって青春全部終わってるぜ」
「八人いればある程度手分けして捜索することはできそうですが、闇雲に探しても何も得られない――というより得られるものが多すぎて、上手く的を絞れそうにありませんね。何か、」
指標があるといいんですが、とロイレンがウィラエを見る。
すると彼女は少しだけ考える素振りを見せてから、人差し指を立てて、
「本格的な調査はもう少し人を入れるとして、必要なのは建物の概要の把握だな。そうなると、私の予想が正しければだが」
言葉とは裏腹に、ほとんど十割の自信すら覗かせるような落ち着きで、こう続けた。
「この中に『鍵のかかっていない』あるいは『魔法による封印を施されていない』扉があるはずだ。それを各自、探してほしい」
†
気絶しそうなくらい楽しい、というのがクラハの感想だった。
当然のことだと思う。南方樹海の奥に入って、きっと歴史がもう一度始まってから誰も入ったことのないだろうこんな大遺跡を発見して、一番最初に足を踏み入れるひとりになれたのだから。
壁が、床が、階段が、手すりが、目に映るもののひとつひとつが、言葉を失うくらいに魅力的に輝いて見えた。
あの下の階にあったのと同じデザインの扉は、ひょっとすると釣瓶のように上下に昇降するのだろうか。そうかもしれない。これだけの高さがある建物を行き来するのだから、移動のための道具があってもおかしくない。流石に年数が経ちすぎたためかこのドームにあるほとんどのものは魔力を失って動かない。魔力を注げばもう一度動き出すのだろうか? いや、もちろんそんなのはもっと安全を確保してから行うことだ。いま考えることじゃない。でもどうしても、見れば見るほど、いや見てしまっているからこそ視線も意識も注意も持っていかれてしまいそうになって――
「お、クラハ。何か見つけたのか?」
「――わえっ、はいっ!!」
背後からだった。
振り返れば、見慣れた顔がそこにいる。何手かに分かれて捜索しようと決まって、それぞれが割り当てられたフロアをひとつひとつ回っている最中。「魔力がどうのは上手く感知できないから、全員のフォローに回る」と申し出て上に下にとぴょんぴょん跳ねるようにして移動していた彼。
ジルが、こちらの反応に面食らったように両手を胸のあたりに挙げている。
「……すまん。びっくりさせたな」
「いえ、すみません。こちらこそ」
「いや、俺も邪魔にならないようにと思って気配を薄くしてたから」
それはやめてほしい、と素直に思った。
けれど、とクラハは跳ね上がった動悸を落ち着けて気を取り直す。良い機会だったかもしれない。さっきからつい視線が周囲に向いてしまっていた。魔獣も、それからあの人形の影も見える範囲にはないからと注意力が逸れていた。
きっかけをもらったと思って頑張り直そう、と。
次の扉に手をかけた、ちょうどそのときだった。
「あ」
「お」
「これ、魔法鍵じゃない……かもしれません」
触った感触が、今までと違った。
おお、とジルは素直な感心の声を上げてくれる。
「これだけあって、クラハが一番最初かもな。開けられそうなのか?」
「難しそうです。簡単な鍵開けならできるんですが、流石にここのものは」
自分ひとりなら、何としても粘りたい場面ではあった。何せ、この扉を開けた先に何があるのか、恐ろしいほどにクラハは気になっているから。
けれど他に七人もいる場なのだ。そんな意地も見栄も無駄なものだろう。素直に申告すれば、「そっか」とジルは頷いて、
「ちょっと待っててくれ」
ぴょん、と軽い調子でまた跳び立つ。
あの人の周りだけ重力が正常に働いていないんじゃないだろうか。そんな疑問を真剣に考え込む間もなく、本当に『ちょっと待った』だけでジルは戻ってきた。
「連れてきた」
「うぃす」
その肩に、べろんと垂れ下がるデューイを抱えて。
手を挙げて挨拶されたから、クラハも手を挙げ返す。「今のジャンプで金取れるぜ」と言いながらデューイはジルの肩から下りて、
「んで? どんなもんよ」
早速腕まくりをして、工具箱片手にその扉の前に屈み込んだ。
「はーん。あの小部屋とか水槽の部屋についてたのとは別のタイプだな」
「そうなのか」
「見りゃわかるだろ。ほら、あの箱みたいなやつがねーし」
ああ本当だ、とジルが言う。クラハも一応、それには気付いていた。操作盤がないこと。それから、あの回すようなハンドルがついていないこと。さらにそこから先をデューイは、鍵穴らしきところに工具を差し込んだり光を照らし込んだりしながら続ける。
「割と現代のに近い……逆か。現代に残ってるパターンに近いな。これなら開けられると思うぜ」
わりそれ取って、と。
デューイは鍵穴から目を逸らさないままで工具の名を呼ぶ。どれだよ、とジルが言うから、クラハが代わりにそれを取って手渡した。作業は続く。
「でも、不思議だな」
ぽつり、その途中でジルが呟いた。
「何が」
「鍵が複数あるのが。統一してた方が世話はなくないか。それこそ、俺たちみたいな侵入者に一部の鍵を開けられる危険だって出るわけだし」
ぴた、とデューイの手が止まる。
あ、それか、と呟いた。
「何が」
「オレもウィラエ先生が言ってたことがわかったわ。『開けられる鍵が必ずある』っつーことね」
デューイは納得した様子だが、ジルはまだ頭を捻っている。そのまま会話が続くかと思ったらデューイが作業にまた集中し始めてしまい、取り残された彼がこちらを見たので、
「ええと、」
どう話すのがわかりやすいだろうと頭を捻りながら、クラハは口を開いた。
「たとえば、すごく危険な場所に住むとしたとき、玄関の鍵はできるだけ厳重なものにしたいですよね」
まずは鍵のタイプを複数用意する理由から、と。
話し方はこれでいいのだろうかとか、偉そうに聞こえていないだろうかとか、そういうことを気にしながら、
「ああ、うん。わかる」
「ホントかよ。お前どこでも大の字で寝れるだろ」
「最近そうも言えなくなってきたな。……あ、悪い。続けてくれ」
「その、ではその鍵が開けるのに五分かかるとして、ジルさんはそれをキッチンや寝室、それから机の引き出しなんかにも付けようと思いますか?」
三秒、ジルは考えた。
それからゆっくり、彼は頷く。
「なるほどな。利便性と安全性のバランスが必要になってくるわけか」
思ったより的確な言語化に、かえってクラハの方が面食らってしまった。
そういうこった、とデューイは背中を向けたまま呟く。
「しょーもねえところに金庫みてーな錠をつけても仕方ねえしな。他にもたとえば、高層気味の建物だと転落防止に魔法鍵が付けられてたりするけど――」
「低層でそこまでする意味はない」
「そゆこと」
てことは、と。
ジルは、与えられた情報から妥当な推測に辿り着く。
「こうして開けられるところは、大した場所じゃないってことにならないか?」
「と思いきや、ってくだりが後に続くわけなんだけど――」
言葉が途中で切れた理由は、すぐにわかる。
ガチャリ、と音が続いてきたから。
「もう開けちった。天才でスマン」
「本当に天才的だな」
「はい。五分もかからずに。すごい技術です」
「キミらその褒め上手で金取っていくってのはどう?」
よいしょぉ、と勢いよく言ってデューイは立ち上がる。工具箱も一緒に持ち上げて、後ろに下がってくる。
「ま、この天才的な技術に免じて一番槍は遠慮させてくれ。心臓にワリーしな」
もちろん、そこから先は自分たちの仕事だろう。
クラハはジルと一緒に、彼を庇うようにして前に出た。
「これ、引くタイプか?」
「だな」
「了解。それじゃあクラハが引いてもらえるか。扉を盾にするような感じで」
俺が正面に、と立ち位置を調整する。できれば危険な役割は自分が引き受けたいところだけれど、まだまだそう申し出られるだけの頑強さは持ち得ていない。こうした些細な出来事を努力のための理由として覚えておきながら、クラハは位置に就く。
深呼吸。
三回。
「開けます。一、二の――」
それから彼女は、
「――三!!」
バン、と一息に扉を開く。
人形の群れだった。
「――っ」
「うお」
「……ちょっとゾッとすんな。これ」
動いているわけではない。止まっている。
けれど先ほど水槽の周りに見た人形が、びっしりと床を埋めるようにして整然と並び立っている光景を見れば、冷や汗のひとつくらいはどうしてもかいてしまう。
多少の埃が舞い上がるのに口元を押さえながら、クラハは一旦そこで立ち止まって、中に危険がないかを観察した。
「大丈夫そうか?」
「はい。見たところは」
了解、と言ってジルが先に入ってくれるから、後に続いてクラハも行く。
一度踏み入れば、あとはそれほど怖いものではなかった。
「これ、倉庫か?」
「そう見えますね。最初はジルさんが遭遇したように、警備のために人形がたくさん置いてあるのかと思いましたけど……」
それにしては多すぎる。
いくら警備のためといってもこれだけの数の人形をこの広さの場所に置く意味はないように思う。それに、この部屋に入ってきた自分たちに反応する気配もないから、
「この人形を集めておくための場所なんでしょうね。この建物全体を警備するにしては数が少ないので、他にもいくつかこういうところがあるのかもしれません」
「おーい。どうよ。オレ、入っても大丈夫そうか?」
推測を進めていれば、まだ部屋の外から様子を窺っていたらしいデューイが声をかけてきた。振り返る。大丈夫そうです、と返せば彼は肩を縮ませながら、周囲にきょろきょろと注意を向けつつ入ってくる。
「どっかにさ、レバーとかスイッチとか、そういうのねえ?」
「ん?」
ジルの陰に隠れるようにして、彼は言った。
「たぶん俺の、つかウィラエ大先生の予想が合ってりゃ、あると思うんだよな」
「そうですね。ここの部屋にあるとは限りませんが」
同調しながら、クラハもそれを探す。
が、いかんせん人形が邪魔だった。自分の身長がそれほどでもないということを差し引いたとしても、ジルよりも上背のあるような人形なのだ。こうして所狭しと置かれたのでは、視界を遮られることこの上ない。
だから実際に足を動かしながら、奥の方へと進んでいくけれど、
「なさそうだな」
分け入っても分け入っても、だった。
壁の端まで着いても、景色は変わらない。人形の山があって、それ以外は大して見るべきところもない。なかった。そのことを確認しただけ。
「ハズレか、ここは」
「そうみたいですね。また探してみて、デューイさんに鍵開けをお願いするかもしれません」
「いーよ。気軽に呼んでくれ」
な、と軽くデューイがジルの肩を叩く。ああ、と応じる彼を見て、クラハは思い出す。
「さっきのお話、途中になっちゃってましたね」
お、とジルが興味深げにこちらを見た。デューイから説明するかも、そっちから説明してもらった方が差し出がましくないかも、とクラハはそちらに視線を遣ろうとして、けれど先にジルが続けた。
「とりあえず、部屋を出てからにしないか。これだけ人形が並んでると、ぶつかって倒しそうで怖くて」
あれ、と。
その言葉で、思い浮かぶことがあった。
「これの足元、安定してなくはないんだけど、完全に転ばないかって言ったら微妙だろ。下手に壊すのも忍びないし」
「お前、下よく見てみ」
「ん? ……あ。これ、くっついてるのか」
「床の穴と足裏のパーツがぴっちり嵌るようにデザインされてんだろうな。これなら、別にぶつかったくらいじゃどうにもなんねーって。安心して歩け」
ふたりは覗き込んでいた。
床には等間隔で穴が空いている。人形の足裏から、そこに固定するための何かが飛び出す仕組みがあるのだろう。それらは二足で立っているにもかかわらず、デューイの言う通りぴったりと床に嵌り込んで安定しているらしかった。
それから。
寝かせて置いたりしないんだな、とか。
スペースの問題じゃねえの、重ね置きして重量でフレームが歪んだら元も子もねえし、とか。
いやでも縦置きって単純に重量を支える面積が減るわけだからそっちの方が力が一点に集中して歪みやすくないか、とか。
お前意外と人型についちゃ詳しいね、とか。
これでも剣士だからな、とか。
つっても実際大して歪んでねえわけだからなんかしら縦構造に強え秘密があんだろうな気になるぜ気になってるぜバラして確かめてえぜ、とか。
そんな会話をふたりが続けているのを聞きながら、それに混ざりたいなという思いを抑えながら、クラハはじっと周囲を見回して、
「あの、」
見つけた。
「あそこの穴、人形が対応していません」
「ん?」「お?」
足元だけを見ていればいいから、それほど歩き回らずとも、視線を低くすれば見つけることができた。
人形を固定するための穴。
それがひとつだけ、余っている。
「あれか? 水槽の方まで来た」
「かもな。一個だけ抜けてるっつーんなら……あん?」
なんかおかしくね、とデューイが気付く。
クラハもその場所へと歩みを進めながら、同じことを思っている。
抜けるなら、ひとつだけではないはずなのだ。水槽の部屋でジルが相手にしたのは四体。そのうちの一体が戻ってきているとしても、スペースは三つ余るはず。
他にも格納倉庫があるから、ここで空いているのはひとつだけと、そういうことなのか? 妥当な推論には思える。けれど、その妥当な推論でクラハを納得させない奇妙な状態が、目の前にある。
屈み込んだ先。埃を被ったこの部屋で、その穴の周りに一切、人形の足形がついていない。
ふたつの穴はどうも、人が両手を差し込むのに適したサイズに見える。
もちろんクラハは、そこに直接手を差し込むなんてことはしない。バッグに入った道具や魔法を用いて間接的に。
間接的に、
「――――開き、ました」
がこん、と。
それは、持ち上がった。