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8-1 いけちゃった



 どこが目的地なのかわかったのは、簡単な原理だ。

 向こうからずっと、音が響いてきていたのだから。



 まず、地下水路から、クラハが目の前にしていた滝が消えた。


 途中から流速が増したとは思っていたが、とうとう全く流れ出なくなり、排水用のパイプが空になった。ロープの切れ端に書かれたメッセージを受け取ってからそれほど間を置いたことではなかったから、ほとんど確信のようにこう思った。ジルが、何かを成し遂げたのだと。


 それから音が響き出す。凄まじい音量だった。水面が波立ち、もしもこのままエスカレートしていけば古い水路が崩落してしまうのではないかとすら、半ば本気で心配になってしまうような音。


 音がするなら、その元へと辿り着くだけでいい。


 クラハは言った。向こうで何かあったのかもしれません。ガイドをするので、迎えに行きませんか。


 ふたりは快諾した。それからユニスが言った。行き先が決まっているなら魔法で一気に進んだ方がいいかもしれないね。もっともな意見だったからクラハは頷いた。はい。さらにリリリアが言った。じゃあ私は濡れないように壁でも張ろうかな、丸い感じのやつ。


「はい?」

 よくわからなかったので、クラハは頷けなかった。


「いいね」

 よくわかったらしく、ユニスは頷いた。


 それからのことは恐らくとても貴重な経験で、一生だって思い返して微笑み続けられるようなものだったはずなのだけれど、必死だったからあまりよく覚えていない。



 排水パイプを、凄まじい勢いで逆流する水の魔法があり。

 それに押し出されるように高速で移動する、神聖魔法の結界で丸く守られた三人がいた。



 後は、勢いのまま。





「すごいところですね……」

 その勢いを忘れるくらいの壮観に、クラハは圧倒されるばかりだった。


 かつて水槽があったという部屋。今は水が抜けて、ユニスの青い魔法灯によって照らされている。視線は片方の壁から天井を伝って、もう片方の壁へ移っていく。


 夢を見ているんだろうか、と思う。

 でもきっと、そうではない。夢に見るにしては、自分の想像力を超えすぎている景色だから。


 ひとまず、状況は落ち着いていた。

 ジルが相対していた謎の存在も、鳴り響いていたあの音も、ユニスがここに着いてすぐさま止めてしまったから。


 今は静かな、それこそあの排水パイプの向こうから水の流れる音が遠く聞こえるような、そんな時間が流れている。


「色々、思うところはあるんだけど」

 そう言って、ユニスは切り出した


「ひとまず大きな指針を決めたいね」

「って言うと?」

「一旦ここから戻って向こうと合流するか、それともこっちに残りの四人も呼び出すか。あるいはもう少し僕たちだけで探索してみるか」

「ジルくんに詳しい話を聞いてから決めてもいいんじゃない?」


 それもそうかとユニスが頷けば、ジルは語り出した。

 ここに来てすぐに排水のための機構を発見したらしいこと。すると二階の金属戸が開いて、その奥からついさっきまで相対していた計四体の人形が出てきたこと。赤い光や黄色い光、それから何か、言葉らしきものを人形は発していたこと。


「ジルくん、よくあれが言葉だってわかったね。現代語も古語混じりではあるけど、他の言語を聞く機会なんてないでしょ?」

「言われてみるとそうだな。人の形をしてたから、その先入観かもしれない」


 素直に認めたジルに、しかし「あ、ううん」とリリリアは応えた。そうじゃなくて、と。


「古代言語なのは間違いないけど、よくわかったねすごいね、って話」

「……もしかして、わかったのか。何て言ってたのか」

「あんまり中身はなかったけどね。『退去しろ』とか『警告』とか、ジルくんのイメージ通りで、そんな感じ。ユニスくんは他に何か聞き取れた?」


 クラハもジルと一緒になってリリリアが古代言語を聞き取ったことに驚いていると、水を向けられたユニスも「いや、僕もそのくらいだな」と当たり前のように言ってのける。


「でも、少なくともこれだけ精巧な魔道具が警備のために使われていた施設ってことはわかるね」

「魔道具……この人形がですか?」

「専門じゃないから、断定は残りの四人と合流してからにしたいところだけどね。それより、この人形が出てきた扉の先が気になるな。確認しておきたい」


 ええと、とユニスが首を回す。あーっと、とその話をついさっきまでしていたはずのジルも、なぜか宙に視線をさまよわせる。リリリアに至っては「それは自分の仕事じゃない」とばかりに微動だにせず、だからまだ人形のことについて掘り下げたいと感じていたクラハが、誰よりも早くそれを発見することになる。


「あそこですね。少し遠いですが、あっちから階段が繋がっています」


 進む足音は、金属を叩いてカンカンカン、と高く響いた。あまりの床板の薄さと軽さに少し足元が寒くなるような心地がして、後ろからユニスの「空調……」という呟きも聞こえてくる。


「これかな。言ってた排水関係の操作盤」

「ああ。やたらに軽くてすぐ反応するみたいだから、あんまり触らない方がいいと思う」

「ちなみにジルくんが押したのってこれ?」


 リリリアが遠目に指差したのを見て、クラハもそれだろうな、と思う。一見して『水槽を空にする』というメッセージ性を含んだ絵が、そこに描かれていたから。どのくらいの強さでジルが押したのかはわからないけれど、本当に触れた程度で反応してしまうというなら自分も同じ状態を作っていたかもしれない。


「徹底した視覚化だな。となると、かなり……」

 ぽつり、またユニスが呟く。

 けれどその先までははっきりと言葉にしないままで、すぐにそこから視線を外してしまう。


「ジル。こっちの扉、開けられるかな」

「ユニスくん、また推理小説で死ぬ人のやつ出てるよ」

「え、あ。ほんとだ」

「さっき俺がやったときは……ダメだ。開かなくなってるな」


 ジルがすぐに、『開かない』を実演してくれた。

 扉についた円形のハンドルを両手で掴む。わかりやすく腕を曲げて、力を入れてもびくともしないことを教えてくれる。


「人形が出てきたときは開いたから、一応、構造的には力任せにねじ切れなくもないとは思うんだが」

「やめた方がいいだろうね。ドアノブが壊れた扉になるだけだよ。……そっか。そこが回ったのか」

「魔法鍵ではないんですか?」


 心当たりを口にすれば、ユニスが「見てみようか」と言って扉に手を付ける。ん、とすぐに難しい顔をして、


「面倒だな。魔法で閉じるタイプじゃなくて、魔法で開けるタイプだ」

「それ、何が違うんだ」

「ジルが相手にしてた人形とか警報と違って、物理的に閉じてるから魔法を無効化しても意味がないってこと。まあ、そうしないと魔導師がなんでもパカパカ開けられちゃうから、大抵はそうなってるんだけどね」


 でも意外だな、とユニスが言う。


 何が意外だったのだろうと考えるそのとき、同時にクラハの頭には、三つの選択肢が浮かんでいた。


 一つ目は、扉の破壊。自分はともかく、他の三人ならできるのではないかと思う。 

 二つ目は、デューイを呼んでくること。物理的に閉じているというなら、物理に強い人間を呼んでくれば解決するかもしれない。


 三つ目。


「あの人形が開けられたなら、あれが鍵の可能性はないですか?」


 ぴょん、とジルが二階の通用路から飛び降りた。

 うわ、とクラハは声に出しそうになる。ジルにとっては本当に軽い動きなのだろうが、人間があまり頻繁に取るとは思えない動作なので、いちいち驚いてしまう。けれど自分も位置取りのセンスを磨く上ではあのくらいの気軽さが必要なのだろうなと僅かな時間で学びを得ていると、カシャン、と音がする。


「試してみるか」


 戻ってきた。

 腕の中に、止まった人形を抱えて。


「たとえばこの腕を使って開けてみるとかか」

 言ってジルが、早速それをする。人形の手を上から握り込んで、ハンドルを回そうとする。


「違うみたいだね」

「魔道具だからね。やっぱり鍵の機能があるにしても魔力由来でアクティブになるんじゃないかな。ちょっと動かしてみようか」

「じゃあ固めるよー」


 言って、ユニスとリリリアは言ったとおりのことを行う。

 真っ赤な光が、人形の目に再び宿る。


「――――!」

「わ。声大き」

「耳が壊れるな。ちょっと一旦音消すね」


 造作もないことのようにユニスが言って、本当に音はほとんど聞こえなくなる。全く聞こえなくなったわけではないので、干渉した先は人形そのものではなく頭周りの空気なのだろうと思うけれど、それにしたってあまりにもやれることの範囲が多すぎる。


 恐ろしいのは、ここまでの旅路を見る限り、ユニス以外にウィラエも、ひょっとするとロイレンもそのくらいのことは容易くできてしまいそうなことで。


 改めてクラハは思う。すごいチームに、その一員として加えてもらっている、と。


 だから、すぐに自分のすべき仕事にも思いを巡らせることができた。


「もし時間がかかるようなら、今のうちにロイレンさんたちを呼んできましょうか」

「それなら俺も一緒に行くか。いてもそんなに役に立たないしな」

「そういえばユニスくん、結局大きな指針決めはどうすることにしたの?」

「できればこの先を見てから呼びたいんだよね。向こうにはデューイさんとネイさんがいるから、戦闘可能性をある程度こっちで把握してコントロールしたいなって。ちょっと待って。思い付いたこれだけやって、ダメだったらクラハさんにお願いする」


 ユニスが魔法の操作を加えて、音が少しだけ大きくなった。


 何かの言葉を話している、とジルから言われたことを思えば、確かに人形は知らないフレーズを繰り返し続けているようにも聞こえた。けれど音の調子や瞳から放たれる真っ赤な明かりが、それよりずっと直接的に不安感を煽る。


 その音に紛れて、


「――――」

 ユニスが、何かを唱えた。


 魔法の詠唱でも何でもない普通の、けれど知らない言葉。


 それで、瞳の色が変わる。


「お、」

「あれ、これでいけちゃうんだ」


 ゆっくりと人形が動き始めた。ぴた、とドアのハンドルに触れる。あまり自然界では聞かない種類の音がして、ハンドルと人形の腕の表面にかすかな光が走る。


 ガチャン、と音がする。


 ぐるぐるとハンドルが回って、扉が開いた。


「よし、ここで――」

「大丈夫」


 その扉を抑え込もうとしたジルを、ユニスが手で留める。代わりにクラハは、床の上をコップ一杯ほどの水が滑っていくのを見た。


 扉が閉まる。

 それからもう一度、扉が開いた。


「いけちゃった」

 ユニスは、自分でもあまり期待していなかったのに、という声色でそう言った。


 開けた先は、ほんの小さな部屋だった。しかし行き止まりではない。突き当たりにも扉がある。


 一応、とクラハはまず、開いている方の扉を抑えておくことにする。自分の重みで勝手に閉まるタイプのものではないようだけれど、やらないよりはやっておいた方が安全だろう。


 どうやったんだ、とジルが訊いた。

 お願いしてみたんだよ、とユニスが答えた。


「『こちらは入場資格を持っている』『確認されたし』みたいなことを言ってみたんだ。そうしたら警戒状態が解かれたし、普通に向こうに戻っていってくれた。で、向こうにも扉か」

「タイミングを逃したな。あの人形、もう一体持ってくるか?」

「クラハさん。壁を張って扉のつっかえ棒にしたから、もう押さえておかなくて大丈夫だよ」

「ありがとうございます」

「いや大丈夫。ほら、ここ。見てごらん」


 リリリアの保証があれば、閉じ込められる心配はないだろう。全員でその小部屋の中に入っていく。するとすぐにユニスが振り向いて、壁の一点を指差した。


 操作盤が、内側にもついている。

 開いた扉の絵と、閉じた扉の絵。開いている方に、わずかに水滴が残っていた。


「内鍵の一種だろうね。完全な閉じ込め防止のために、どっちかにはついてると思ったんだ。やっぱりこっちが内側の判定だったみたいだけど」

「だからさっき水が動いて……扉が閉じた後に、水の魔法で押したんですね」


 イエス、とユニスは親指と人差し指をくっつける。正解、の〇印。この状況に集中しているからだろうか。いつも垣間見えるちょっとしたぎこちなさがない。可愛い笑顔だ、とクラハは素直に思った。


「でも、不思議ですね。こんなに近い場所に物理的な開錠手段を置いておいたら、魔法鍵にした意味がないような」

「まあね。そこのところは色んな嚙み合わせの結果として現れた脆弱性のはず……で、ほら。同じのがこっちにもある」


 ユニスの言ったとおり、もう片方の扉の近くにも操作盤がある。

 一応、というようにジルが彼を庇うようにして前に出た。


「押してみていいんだろ? ちょっと下がっててくれ。何があるかわからないから」

「いや、ジルも下がってくれていいよ。僕が遠隔で押すから、いつでも退けるようにちょっと遠目から観察しよう」


 そっちの方がいいか、と納得してジルが引き下がる。学習だね、とリリリアが呟いて、小部屋の真ん中の辺りに壁を張る。その奥でユニスの水の魔法が、またそろそろと操作盤の近くを動いている。


 小部屋の少し外まで戻って、準備をする。


「たぶん施設の破壊が起こるレベルの攻撃がいきなり来たりはしないと思うけど。一応気を付けておいてね。最悪、扉を閉めて水路に退却しよう」

「わかりました。そのときは、私の方で退却ルートの指示をします」

「これガス漏れとかありそうかな? そっちも対策しておくね」

「いや、さっきの感じだと変な臭いはしなかった。でもまあ、一応警戒か」

「オッケー。それじゃあ行くよ。三、二、」


 一、でガチャンと鍵の開いた音がした。

 それからくるくると、水が舵を操って、扉が開いていく。


 その向こうには、真っ暗な空間が広がっていた。


「とりあえず、攻撃はなし。明かりを飛ばしてみるね」

 言って、ユニスの指先から光が放たれる。


 息することも忘れて、クラハはその光の行き先を見守っていた。あまり強烈なものではない。そのほんの周囲がぼんやり光るか、という程度のもの。おそらく最初は、その空間の奥行きを確かめようとしたのだと思う。


 それが、いつまでも進み止まらない。


「相当……」

「壁、出しながら進んでみようか」


 ジルが呟いて、リリリアが提案する。ちょっと待って、と少しだけユニスは目を閉じて、それから「うん」と目を開ける。


 小部屋の中に再び入る。リリリアが壁の位置を変えていくのに合わせて、じりじりと進んでいく。冷たい空気が向こうから流れ込んでくる。


「照らすね」


 言ってユニスが、そしてリリリアが、その手から光を放った。

 強いものではない。持続性のある、淡い光。それがいくつも別れていって、全体の像を照らし出していく。



 見えた。



 巨大なドームの底に、四人は立っている。



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