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7-1 賭けだな



「こりゃ吸ってんなあ、相当」

 試験管の中に入れた水を振りながら、デューイがぽつりと呟いた。


「わり。クラハさんもうちょい水上げてもらっていい? 舟の耐久性だけ先に見とくわ。素材と変な混じり方したら転覆しかねねーし」

「はい。さっきと違って、魔法で上げない方がいいですよね」

「うん。あ、んじゃ釣瓶になるもん作った方がいいか。ロープは持ってんだっけ。んじゃ瓶だけちょい待ち」


 がさこそとデューイが荷物を漁り始めるのを待っている僅かな時間にも、クラハの視線はほとんど意識することなく、そこに吸い込まれていく。


 水路。

 先史遺跡の底から現れてきた昏い――魔法で明かりを灯してなお、ただ黒く映る、どこへ繋がるとも知れぬ水の流れに。


「こんな感じで」

 おねしゃす、とデューイが渡してきたそれを、はい、と素直にクラハは投げ込んだ。


 とぷん、とどことなく粘ったような音が響く。

 引っ張り上げれば、思いのほか透明なそれが瓶の中に入って現れた。


「さーんきゅ。オレこういうの結構水面とか壁で割っちゃうんだよな~……って、これ壁あんの? 中」

「流石にある……と思いますけど。一応中の広さも確認しておきますね」

「マジ? よく見えんね」

「見えるわけではないんですが、感覚で何となくの当たりは付けられるので」


 ほほー、と感心の声を上げたデューイは瓶を片手に再び荷物に向き直り、クラハは穴の中を覗き込む。魔法をすぐに入れ込むのはリスクが大きいからと、近くにあった小石をひょい、と投げ込んだ。


 反響音を聞く。

 かなり広い、ように思えたけれど――、


「今のでわかるのか」

「わっ」


 すっ、と耳を澄ませていた横から現れたから、思わず声を上げてしまった。


「……悪い。驚かせたな」

「あっ、いえ、全然っ」


 そして思わず声を上げてしまったことを悔やむ暇もなく、その声をかけてきた本人――ジルが、己の行動を静かに悔やみ始めている。だからとにかく話を流そうと、そういう方向に意識が行って、


「空気の部分だけなら、反響で何となくはわかります。跳ね返ってくる音の遠さとか、そういうので。ただ、水路の方になってくると――」


「ユニスくんでも無理なんだ、じゃあ」

「そう言われると張り合いたくなってくるのが魔導師の性ではあるんだけど、高次方程式の解の個数をイメージしてもらうとわかりやすいかな。これだけだと候補が多くて、絞り切れないんだ」

「魔導師の性なんですか? ウィラエさん」

「いや……?」

「えっ」


 続きについては、向こうで話されているようだからと。

 クラハは口を噤む。視線だけで訴えかけることができるくらいには、共にいた時間も長くなってきたらしい。ジルも頷いて、ふたりで合流する。


 ユニスたち。

 下から汲み上げた水を試料として、この場所の解析を行っている魔導師組のチームに。


「ああ、クラハさん。どうですか、水路の方は」

「舟の耐久性は今、デューイさんが調べてくれています。それから広さについては、縦横は申し分ありませんが高さの問題があるので、搬出入に注意が必要だと思います」

「えー? そっちのジ――何さんでしたっけ」

「……ジルです」

「ちょっと信じられないんですが、ネイくんは今までジルさんの名前を覚えていなかったんですか?」

「それだけ腕力があるなら魔力なしでどうにかできるんじゃないですか?」


 まあそうだな、とジルは言う。

 まあそうなんだろうな、とクラハも思う。けれど、実際にそれを行った場合に発生する問題について具体的に検討するよりも先にユニスが、


「いや、魔力反応は問題ないし、搬出入はジルに頼らなくて大丈夫だよ。細かく揺すってみたけど、少なくとも入口付近は安定化してる。問題は――」

「魔力スポット付近ですか?」

「うん。特に新しいタイプのところはどう混ざってどう反応するかわからないからね。迷宮と違ってそっちの方が不安定だし」


 よくわからない、という顔を隣でジルがしていた。

 だからクラハは気遣って、


「浸透してるんだと思います」

「浸透?」

 はい、と彼に向かって頷いた。


「元々水路になっていたのかはわかりませんが、少なくとも今のこの地下道には水が張っていて――それが、周囲の魔力スポットから流れ出た魔力を保存してしまったんだと思います。つまり、魔力が流れる地下道になってしまっていると。ですよね、ユニスさん」


 びくっ、と採取した地下水に向き合っていたユニスの肩が震えた。

 邪魔してしまったかと申し訳なく思ったのも束の間。彼はこっちにちょっとだけ振り向いて、困り顔と笑顔の中間のような表情をしながら、こんなジェスチャーを返してくる。


 親指と人差し指をくっつけて、他の指は立てたままで。

 正解、の〇印。


「そうなると、この水路自体が震えの元ってことでいいのか? たとえば――的外れかもしれないけど、こう、溜まった魔力が爆発するとか」


 ガスみたいに、と。

 ジルが言うのに、クラハはいつものように少しだけ驚いた。


 剣を教えてもらうときにも、よく感じることだ。ジルには魔法の心得がない。ほとんど一切と言い切ってしまってもいいくらいに。けれど不思議なことに、魔法に関する様々な現象や使い方について、ときどき驚くくらいの理解を示すことがある。


 初めの頃は、流石に長く旅をしているだけあって、なんて納得していたけれど。

 ときどきこうも思う。ひょっとすると彼は単に――


「やっぱりジルって鋭いよね。確かにその可能性も十分にあるよ」

「……どうも」


 ユニスの言ったとおりなのかもしれない、と。


「ただ、断言はできないね。君が言うみたいにガス溜まりみたいなものができて爆発を起こしてる可能性もなくはないんだけど、地形や蒸発量、外部からの別の液体の流入なんかの事情がない限りは、基本的に魔力は水の中では均一に散らばっていくから。安定しやすいんだよね。だからたとえば、ロイレン博士が専門の魔法薬学なんかは――」

「液体の飲み薬から始まったようですね。もっとも今は、教会の方々との役割分担の観点から色々変わっていますが」


 ちらりとロイレンがリリリアを見る。

 いつもお世話になってますと言うように、お互いがふわりと微笑み合ったりする。


「というわけで、単純に『震え』の原因がこれだって言い切るのは難しい。ただ当然、僕たちがこれまで検討していた『震え』の伝播モデルでは、この魔力を帯びた人工の地下水路は計算に入れてなかったから。少なくとも、足止めの原因はこれだったってことがわかったってところかな」

「そうなると、次の一歩は?」

「見てみたいよね。どこに繋がってるのか」


 それが一番早いと思う、とユニスは言った。


「伝播モデルを考え直してもいいけど、結局『これだ!』って一本に絞るためには追加調査が必要になっちゃうからね。いかにも怪しい場所が出てきたことだし、これを調査しても損になることはないと思うよ」


 魔導師たるもの、と指を振って、


「時には机を離れて、その目と手で確かめてみなくちゃ」

「魔導師たるものなんですか? ウィラエさん」

「これはそのとおりだな」

 ふふん、とリリリアに向けて胸を張った。


 すると舟の方に取り掛かっていたデューイが、いつの間に移動していたのだろうか、彼を手伝っていたらしいネイとちょうど一緒に戻ってきて、


「こっちも問題ないぜ。魔力スポット用の対策がちゃんと機能してる。着水した瞬間に転覆ぶくぶくってことはなさそうだ」


 そうなると、と。

 ロイレンが、調査の主導者として話の続きを引き取った。


「ユニスくんの言うとおり、このまま水路の先を調査するのが今のところ最善手ですね。問題は調査メンバーですが……」

「パス1」「パス2」


 デューイとネイが立て続けに手を挙げるのに彼は苦笑して、


「クラハさん、どう思いますか」

 必要ならこのふたりも含めて、とさらりと言い放ちながら、こちらに意見を求めてくる。


 クラハは落ち着いて、


「先史遺跡の中に入るときと同じで、先入りと待機を組み分けするべきだと思います」

 いつもと同じように、提案した。


 古い地下構造内部では、崩落などの地形的なトラブルに見舞われる可能性が高い。最悪なのはここで手に入れた新たな情報を持ち帰れないことだから、これからの追加調査に失敗したとしても無事研究所まで帰還できるだけの余力を待機組に残すべきだ。そう考えるから、


「ロイレンさん。ウィラエさん。ネイさん。昼行動を想定するならユニスさん。それから私のうちのひとりは、帰還のガイド役としてひとりは待機組に入るべきだと思います」

「お、川渡りパズルみたいになってきたな」


 川渡りパズル、とユニスが小さな声で繰り返す。それにデューイが「パズル好きそ~」と反応する。クラハは「そこまで複雑にはならないと思いますが」と苦笑しながら付け足して、


「それから戦力ですね。比較的研究所と近い場所ですし、ここまでのクリアリングも丁寧に行ってきましたから、今挙げたガイド役になる方は、私とネイさん以外なら戦力も兼任できると思います。それからジルさんかリリリアさん。戦力役としては当然お二方も」

「そして戦力にもならなければガイド役にもなれない寂しい男がここにひとり……」

「いや、デューイは待機組で確定です」


 さっきのクラハさんの話からして、とロイレンが、


「待機組に必要なのは、いざというときに先入り組なしで帰還できる力ですからね。君は必要不可欠です」

「なんで?」

「舟も先入りするからですよ。帰還の足がなくなるでしょう」

「……ああ!」


 待ってそれっていざってときはオレがこの場で新しく舟を作るってこと、とデューイが訊ねて、それが仕事でしょ、とネイに脇腹を小突かれて、いや規定業務外、なんて返して、


「それか私が残るかだね。時間はかかるけど、帰還の成功率は高くなると思うよ」

「いや、リリリアは先入り組に欲しいな」


 そこでようやく、ジルが口を挟んだ。


「先史遺跡ってことは外典周りの可能性があるだろ。だったら万全を期したい。リリリアもユニスも……あ、俺が先入りするって前提で話しちゃってるけど」

「いえ、ジルさんに先入りしてもらえるのは純粋に助かりますよ。戦闘能力も生存能力も対応力も、この中で一番高い方ですので」


 そうなると、とロイレンは、


「ジルさんにリリリアさん、ユニスくんは先入りで確定しましょうか」

「んじゃ後はガイド役だな。オレは待機という崇高な使命を負ってしまったから無理として、ネイ。出番だぞ」

「無理」

「個人的には、私が行きたいところではあるんですが」


 ちらり、とロイレンがウィラエを見る。


「危険な仕事は年功序列で年上が引き受けるべき……と言いたいところだが」

 彼女は、肩のあたりに両手を挙げて、


「冒険心をそれで消してしまうのもな。待機組に入るよ。後は君たちで決めるといい」

「頂上決戦ですね、クラハさん」

「え、」


 一言も口にしてはいないのだけれど。

 そんなにわかりやすかっただろうか。ロイレンは「当然あなたもこの先に進みたいですよね」という顔で振り向いて、


「ここは恨みっこなし。じゃんけんで決めましょうか」

「あっ、いえ、ロイレンさんがもし先入りしたいようであれば――」

「じゃーんけーん」


 ぽん。





「勝因は石のように固い気持ちでしょうか。クラハ選手」

「はい……」


 リリリアからの勝利者インタビューを受けながら進む水路は、信じられないほど暗い。ユニスが周囲の環境に配慮してと強い安定度を意識して灯した明かりは指先の届く範囲程度しか照らさずに、響いているのは声。水の流れる音。たったそれだけだった。


 とぷん、とぷん、とジルの漕ぐオールが重たげな音を立てる。

 夜に焚火を囲んでいるような距離で、クラハは先入り組のひとりとしてこの舟の上に座っていた。


「申し訳ない気もするんですが。ずっと南方樹海を調査してきたのはロイレンさんですし」

「……い、いや。そんなに気にしなくてもいいと思うよ。ロイレン博士って、根本的に興味を向けてるのは薬学の方で、樹海自体に強いこだわりがあるわけじゃないって前に言ってたから」

「そうなんですか?」

「うん。まあ、長く研究してきた場所でもあるから愛着自体はあると思うけど、そんなに気にせずに……」


 気を遣ってくれたんだろうなと思うから、クラハはユニスに微笑みかける。それから「もしかしたらこの暗闇の中だと伝わらないかもしれない」と思い直して、小さく「ありがとうございます」と付け足す。その言葉すらこの広い空洞の中では大きく響いてしまって、場違いだったかもしれないと少し気恥ずかしくなる。


「でも魔導師の人って、全員じゃんけんでチョキから出すイメージあるよね」

 それを塗り潰すように、リリリアがすごいことを言い出した。


「えっ、何その偏見」

「ちなみに聖職者はみんなパーから出すよ。相手を包み込むような広い心を持とうという気持ちが発露して」

「僕、前にリリリアにじゃんけんで負けた記憶があるんだけど」

「じゃんけんってパーが一番強いから」

「ゲームとして成立してないよ」


 その気恥ずかしさが、ふたりの会話で流されていったところで、


「大丈夫か」

 小さくジルが、語りかけてくるのが聞こえた。


「道とか。頼りっぱなしになっちゃって申し訳ないけど」

「いえ。今のところずっと直進していますし、距離だけ覚えていれば問題ありませんから」

「ずっと直進してるのか?」

「え?」

「え?」

「ジルくん。クラハさんに不安を植え付ける仕事は楽しいかな?」


 はい、黙ります、とジルが言う。

 別に黙る必要はないけれど、確かにリリリアの言うとおりそれでクラハにも不安のスイッチが入った気がした。体感では本当に直進していると思う。驚くくらいに真っ直ぐに。


 けれど後ろを振り返ってみれば、何も見えない。

 この世の実在すら疑わせる、悪夢の中のような真っ暗闇だけだ。


「クラハさんに来てもらってよかったね」

 ぽつり、ユニスが溢した。


「暗いところは慣れてるつもりだけど、僕、屋内はやっぱり苦手だな。外から見るならともかく、中に入ると全然わからなくなっちゃうや」


 そう言ってもらえたことに、クラハは。

 実はひそかに、静かに――かなり強めの感動を覚えていたけれど、だからこそなおさら、自分の仕事を適切にこなさねばならないと気合を入れて、


「でも、どこまで続いているんでしょう」

 建設的なことを、口にする。


「樹海全域に水路が巡っているなら、それこそ一日程度では辿り着けないかもしれませんね」

「だねえ。でも、あんまり時間をかけすぎると食糧もなくなっちゃうしね。ユニスくん、水路の中って魚とかいそう?」

「うーん……どうだろう。この水が元からあるものだったら怪しいな。でもどこかから水が流入してこうなってるんだったら、魚が混じり込んでたりはするかもね」

「じゃあ俺が漕いでる間に釣りでもしておいてくれた方がありがたいかもしれないな。水だけだと三ヶ月くらいで流石に力が出なくなるし」

「力が出ないっていうか死んでるよ」

「私は多分一年くらいはいけるよ」

「えっ……? この流れで僕の方が少数派になるの……?」


 ちらり、とユニスがこちらを見てきたから、クラハは力強く頷いて返した。内功や神聖魔法で多少の誤魔化しは効くけれど、一般的に水だけで生きられるのは一ヶ月が限度だ、と。


 だよね、とほっとしたようにユニスが言った後、でも、と。


「そもそもそんなに時間をかけるつもりはないよ。加速しちゃおう。リリリア、神聖魔法をジルにかけてもらえるかな」

「あれ、いいの?」

「とりあえず神聖魔法は問題なさそうだね。他の魔法とは安定度が違うから、周りに干渉しにくいし。これだけ魔力があって迷宮の中みたいな微光がないのが気になると言えば気になるんだけど、そっちの解析ももう少し進められたら、僕も加速に参加するよ」


 何もしていないように見えて――いや、暗闇の中だから見えていなかったわけだけれど、周囲の分析を進めていたらしい。


「お互い何日もこんなに狭い舟の上っていうのもぞっとする話だろ。ね、ジル」

「……まあ、正直。気は遣うし、俺がいるのも嫌だろうし」

「泣かなくていいんだよ。私が色々誤魔化せるから」

「いや、泣いては――」

「実を言うと僕もちょっと……いや。明け透けに言うと、かなりプライベートの空間が欲しいタイプなんだ。だからこういう状況は結構嫌でね」


 というわけで、と彼は言って、


「さっさと済ませてしまおう。それに僕の予想が確かなら――『駅』だからね」


 そんなに移動に時間はかからないんじゃないかな、と。

 言ってから実際にその場所が見つかるまでの間は結局、ほんの数時間のことだった。





「なんだ、これ」

 水路の奥には、滝があった。


 オールを漕ぐ手を止める。ぐるり、と肩を回してはみたけれど、リリリアが神聖魔法をかなり強めにかけてくれていたおかげで、凝りも疲れもほとんどない。


 今、舟の周囲はユニスが安全と判断して灯された明かりによって照らされていた。

 灰色とも、土色ともつかない無機質な壁。汚れた天井。魔力を吸って粘りを得た水。その底までは、どこからか流れ込んできた土や砂に濁っていて見通せはしないけれど。


 目の前のそれは、はっきりと見える。

 どどど、と大きく音を立てて流れ込んでくる水。


 その水の通り道になっている、何らかの見慣れない資材で補強された、太い穴。


「当たりじゃない? ここが元っぽいよね」

「っぽいな」

 リリリアが言うのに、内心で安堵しながらジルは同意した。さっきユニスが代弁してくれたとおり。三人で迷宮の中でさまようのもクラハと旅するのも色々と緊張したり、気遣ったりすることが多いのに、まして狭い舟の上で――なんて。


 そういうことを考える必要がなくなった。

 とりあえず、それらしい場所が見つかったから。


「微妙なところだね」

「え」

 けれど、ユニスはそんなことを言う。


「駅だと思ってたけど、排水路なのかな。でも、それだと点在する遺跡の意味がわからないな」

「いやでも、とりあえずこの先に何かはあるんじゃないか?」

「あ、うん。それはそうだね。もうちょっと周りを調べてみて、大丈夫そうなら上がれる場所を探してみるのもいいと思うよ」


 だよな、とほっとする。

 それからも、ユニスの推理は続いた。


「うーん……? それとも移動路と排水路を混ぜてたのか? 普通はそんなことありえないと思うんだけど……」

「そもそも排水なんでしょうか。単に地形変化で海と接続されてしまっただけなのでは」

「それにしては塩分濃度が低いんだよね。水路の入り口では雨水が溜まったのかと思ってたんだけど」

「ああ……。それじゃあ、移動区画と排水区画の区切りが経年劣化でなくなってしまったのかもしれませんね。あのあたり、見えますか」

「うん?」

「水が天井付近まで溜まった跡があります。排水設備が不良を起こして、区画が満杯になってしまったんじゃないでしょうか。それで、移動区画の方に区切りを壊して流れ出たとか」

「ああ……なるほど。最初の頃は十分な光量が確保できてなかったし、決壊の跡を見落としたのかもしれないな。あ、クラハさん。道順は大丈夫?」

「はい。途中からは周りの観察もできましたし、マッピングもできています。普段の探索ルートと比べてすごく直線的な道になっていますね。速度もそうですが、単純にここまでの移動距離も短くなっていたと思います」


 助かるよ、とユニスが言って、クラハが、はい、と笑う。

 随分打ち解けたみたいだな、とジルは小さく頷いて、


「それで、どうする。逆走してみるか。この排水路」

 ひとつ、彼らに提案をした。


「ぎゃくそ……え、行けそう?」

「このくらいなら水流に逆らって泳げると思うぞ」

「シャケみたいだね、ジルくん」

「シャケには勝ったことがある」

「すご」

「ああ、でもそうか。確かに人ひとりくらいならこの排水路には入れるな。ちょっと待って。水が人体に有害じゃないか調べてみるよ」


 言えば、即座にクラハが瓶を取って水を採取する。ユニスはそれを受け取って、


「……うん。とりあえず大丈夫そうだね。ただ、この時点で多少の魔力を帯びてるのが気になるな」

「移動路と隣接していたとしたら、衛生面から考えて排水もそれほど有害性を持たないとは思いますが。排水元の状態が心配ですね」

「うん。何らかの処理を施してるとしたら、処理場に繋がっている可能性もある。どうしようかな。危ないと言えば危ないんだけど」

「ちょっと行ってダメそうなら戻ってくるか?」

「ていうか君、ちょっと行って戻ってこられるの?」

「……一本道なら」

「賭けだな……」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 がさこそと、一体何から何まで入っているのだろう、またもクラハが荷物を漁って、


「少し泳ぎにくくなるとは思いますが、このロープを身体のどこかに繋いでいくのはどうでしょうか」

 名案をくれた。


「いいな、それ。ロープを辿れば戻ってこられるし」

「はい。ある程度の長さを確保してはありますが、逆にロープが伸び切った時点で引き返しの判断がつきますし」

「だな。息が続く限り進もうとするとキリがなくなるし」

「なんでだよ。キリはあるだろ息は切れるんだから」

「クジラに勝ったことはあるの?」

「併走したことはある」


 よし、とジルはロープを受け取った。

 何となく見栄を張ってみたものの普通に自分では結べなかったので、クラハに手伝ってもらって、胴のあたりに繋いでもらった。無事に向こうに着けたらロープを三回引っ張ってください、と伝えられて、ああ、と頷く。


 それからリリリアが続けて、


「ちょっと時間をかけて防護壁も張っておこうか。不意討ちでまたやられちゃったら悲しいし」


 念入りに、神聖魔法をかけてくれる。

 五分、十分。胸の前のあたりに手を掲げられて、じんわりと身体が温かくなりだしたあたりで、


「とりあえずこれで、〈オーケストラ〉のあれでも三発くらいは無傷で耐えられると思うよ」

 驚くようなことを言って、手を下ろした。


「すごいな。腕、また上がったのか」

「それもあるし、そもそも神聖魔法って瞬発型じゃないからね。時間をかけた方が効果は強くなるよ。ただ、ジルくんの場合はあんまり強くかけすぎると動きが阻害されるって言ってたから、あのときは上手く噛み合ってなかっただけ」


 言われてジルは、腕を動かしてみる。

 確かに微妙な動きにくさはある。が、最高難度迷宮の頃と比べれば格段に快適になっている。三発も耐えられるというなら、多少の避けにくさを差し引いてもメリットの方が大きくなるだろう。


「あと明かりも点けて、一応毒性にも反応するようにしておいたよ。水が危なくなったらすごいことになるから、そうなったときも戻ってきてね」

「すごいこと……?」

「楽しみにしておいてね」


 怖いような、本当に楽しみなような。


 とにかくこれで準備は整った。ジルは軽く腰を左右に捻る。それから肩甲骨を広げたり閉じたりして、


「よし。それじゃ行ってくる」

 三つの「気を付けて」を背中に受けて。



 思い切り、滝に向かって飛び上がった。






 排水のパイプは人を数人飲み込むのも容易な太さをしている。

 それだけに水流は樹海に降り注ぐスコールと同じくらいの激しさで、しかしジルはその中を、槍のように素早く駆け泳いだ。


 手で掻く。足で蹴る。それほど難しくはない動きで、ジルはぐんぐんと進む。流れに逆らって進む。ひょっとすると、と途中で思ったのは、その流れの強さが場所によって違っていたこと。弱くなることもあれば、一瞬だけ妙に強くなることもあった。もしかすると一本道ではなかったのかもしれない。流入する元も、流出する先も。


 けれど、ロープがあればいくらでも戻れるから。

 胴に繋がれた命綱を頼りにずっと、流れに逆らうことだけを考えて、道なりに泳ぎ続けた。


 かなりの道のりだったようにジルには思えた。同行者がいないから速度を加減する必要もない。小さな街をたっぷり五周するくらいの距離を移動したような気がする。ロープの長さからすればどう考えてもそんなわけはなくて、ジルは自分で、己の体感のいい加減さに呆れるような気持ちになる。


 それでも最終的には、到着した。


 ものすごく、広い場所へ。


「…………?」

 海、とは思わなかった。


 パッと視界が開けて、自分が底にいることに気が付いた。どこかの底。それがわかったのはその排水のパイプを抜け出したからでもあったし、もうひとつ、明かりが増えたからでもあった。ロープがどこにあるかわかるようにとリリリアが付けてくれた、明かりの魔法によるものではない。妙に明るい。海ではない。海の底はこんなに明るくない。魚もいない。何もない。


 一体ここはどこなのだろうと。

 その答えを知るためにさらに上へと泳ぐ。


 水面から、顔を出す。




「――――水槽か? これ」


 奇妙なくらいに、巨大な。

 それこそクジラだって何匹も入れそうな、途方もない大きさの。




 水底から青白い人工灯が照らす水槽に、ジルは佇んでいた。



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