2-5 大船に乗ったつもりで
「普通、何回も行ってる部屋だって言うならもうちょっと簡単に辿り着けない?」
「いや、目印を一つも覚えられないから……」
「でも普通、道順とかさ」
「…………」
すみませんでした、と言いながら素直にジルは頭を下げた。
まあいいけど、とリリリアはそれを許して、
「ここが徒歩三時間の主部屋ですか」
それじゃあ、と彼女は、
「迷える男の子には魔法をかけてあげましょう~」
「……強化魔法か?」
「そうそう」
「いや、でも……」
少し忍びなく思いながらも、ジルは言う。
「たぶん、効かないと思うぞ」
「どうして?」
「これでもかなり内功は鍛えてるんだ。今さら外から身体強化をかけられても、たぶんほとんど効き目がない」
ふっ、と笑い声が聞こえて、
「まあ任せなさい。君を本物のゴリラにしてあげよう」
「あと、単純にそれをしても意味がないから」
へ、と彼女が言うのに、
「力自体は今でもかなりセーブしてるんだよ。問題は、こっちの剣――これが俺の力に耐えられないってことだ」
「安物?」
「正直」
ひょい、とジルはそれをリリリアに見えるように掲げる。
「なんでそんなの使ってるの?」
「いや、ちゃんと当てるところを選べば問題ないんだ。ただ、今は……」
「眼鏡がないから」
「そう。……それにどうせ、力任せにぶっ叩いたらどんな剣を使ってても同じだから。結局砕けるなら、すぐに替えの効くやつがいい……これも前の剣が折れた後、間に合わせに適当に買ったやつだし」
ふーん、とリリリアは言って、
「何回くらい?」
「え?」
「それ、何回くらい使えばその階層主っていうやつ、倒せる?」
ああ、とジルは頷いて、
「一回」
「え」
「全力で振っていいなら、それで終わる……そうすると武器がなくなるから、これから先の攻略が難しくなるんだけど」
「すっごい自信だね」
「何回か感触は確かめてるからな。単純に事実だ」
ほほう、と面白がるように彼女は言って、
「じゃあ、おまけで二回分ね。
――――〈強くてすごい、絶対折れない魔法の剣〉」
ぱあ、と剣が光った。
「――――え?」
「神聖魔法ですとも」
「……ラスティエ教の聖典に、そんな言葉あったんだっけ」
「子ども用読み聞かせ教室の本にはあるみたいだよ。私はそれで覚えちゃったから」
さあさあ、とリリリアはジルの背中を押す。
「最強の聖剣――とは言わないけど、なんちゃって聖剣くらいにはなったから。後はその宣言通り、一振りで決めちゃってくださいな、お兄さん」
確かに、とジルはその剣を握った。
旅の中で、聖職者と幾度か連携を行ったことはある。そのたびに、こうして神聖魔法によって武器強化をしてもらったことも。
その経験と、今この手の中にある感覚が告げている。
これは、別格だ。
自分の力にも耐えられる、と。
「――かたじけない。恩に着る」
「わはは。三百年前の騎士か君は」
若干嘲笑混じりの反応に顔を赤らめながら、ジルは扉を開く。
その瞬間、部屋の中から溢れ出る魔力が、ぶわりと二人の顔に吹き付ける。
「ゴアアアアアアッ!!」
四足の魔獣が、再び吼えた。
ジルを――この卓越した剣士を幾度も叩き返してきた大いなる魔獣。今だ彼はその正体すら知らない巨大な存在が、魔力を放ち、威圧していた。
「――え」
ジルの後ろ。
呆気に取られたようにリリリアは、声を上げていた。
「あれ、外典の〈ナイトメア〉――――?」
しかしその呟きを、ジルは聞かない。
魔獣の吼え声すらも、耳には入っていない。
剣の柄に手をかけながら、彼もまた、呟いている。
「……正攻法と言うには、まだ不格好だが」
いつまでも足踏みはしていられないからな、と。
彼は胸の前に、それを掲げて。
「叩き潰させてもらう――――!」
「ゴォオオオオアアアアアッ!!」
奔った。
風すらも彼には追い付けない。
フィールド上の凹凸の全てを、彼の脚力が平地に変えていく。
焦げ付いていく。
この迷宮を、一筋の稲妻が走っていく。
それは、巨蟹を屠ったときのような、鋭いそれとはまた異なる。
斬るのではなく、破壊する。刃筋を通すことを考えていない。切断に対する拘りが、まるで感じられない。
「己の未熟が、嫌になる――――!」
ただ。
叩いて殺すだけの、力業。
「未剣――――〈爆ぜる雷〉!」
一撃だった。
宣言、通りの。
目も眩むようなスパークが瞬間的に、数百度も明滅する。
魔獣の声は、声にならない。
断末魔の叫び――それもたった、数秒で止み。
攻撃を終えたジルが、上空から降ってきてごろごろと着地して――キン、と納刀した瞬間に。
ばしゅう、と。
魔獣の身体から、魔力が霧として、噴出した。
それは確かに、決着の合図。
「……修行が足りないな、俺も」
小さく、剣士はそう呟いた。
†○☆†○☆†○☆
「おぉおお~」
パチパチ、と拍手しながら、リリリアは近付いてきた。
「大丈夫だった? それ。ちょっと思った以上だったから、コーティング弱かったかも」
「いや、」
ぽんぽん、とジルは剣を叩いて、
「大丈夫そうだ。……びっくりした。あの技……技ってほどでもないけど、あれを使って剣が折れなかったのは、初めてだ」
「よかったー。私、口だけの人になっちゃうところだったよ」
いったい何者なのだろう、とジルは思っている。
これほどの強化魔法の使い手――並大抵の教会関係者ではあるまい。司祭というのでもまだ弱い。大司教、枢機卿……一度も会ったことはないが、目の前にいるのは、それくらいの相手なのではないか。
それほどの地位に就いている人物がここにいること、また、これほどの若さであるということには疑問がないでもないが――しかし、後者については実は、それなりに説明がつくとジルは思っていた。
彼女の言った『二十歳を超えている』というのは、下限を示したに過ぎないのだ。
実際には声と話し方が若くて可愛いだけの、年季の入った老婆という可能性だってありうる……んなわけないだろアホか俺は、と平時のジルだったら切って捨てるようなアホな考えだが、しかし今このとき、彼は本気でそんなことを思っていた。それほどリリリアのかけた強化魔法は熟達したものに思われたし、あとここで野性に帰っている間に彼はちょっとアホになっていた。
「それにしても、これ……」
そんなアホはそっちのけで、リリリアはたったいま討伐された魔獣の傍に寄って、何らかの観察を行っていた。
もう動き出すとも思えないが……一応、ジルは彼女をいつでも守れるように、傍に立つ。
「そもそもこれ、何の魔獣だったんだ? シルエットがぼやけて、結局最後までよくわからなかったんだが……」
「馬」
「馬?」
「そう。……でもこれは、それだけじゃないような……」
「……?」
何やらリリリアは悩むような素振りを見せていた。
ジルもその悩みに同調しようと試みたが、しかし魔獣の姿すらよく見えないのではいまいち効果も現れない。
結局、「まあ、とりあえずはいいか」とリリリアが言った。
「これで、先に進めるんだよね。あ、あの扉か」
「あ、ごめん。その前に」
歩き出そうとする彼女を、ジルが止めた。
言わなければならない、と思っていたのだ。
「ん?」
「俺、方向音痴なんだ」
はあ、と戸惑ったようにリリリアが首を傾げたらしいことが、ぼんやりとわかった。
「……それで?」
「結構この階層の中はよく探したし……多分この先の扉を出たところが上層への階層通路だと思うんだが」
「ふんふん」
「……正直に言うと、あんまり自信がない」
だから、ちょっと助けてくれないか、と。
素直に彼は、お願いした。
「道が間違ってそうだったら、言ってほしいんだ」
「なんだ。そんなこと?」
あっけらかんと、彼女は応えた。
「もちろんいいですとも。これからはふたりで進路決めね。任せておきなさい。お姉さん、地図帳とか見るの結構好きだったんですから」
「そうか。助か……地図帳?」
ええ、と彼女は頷いて、
「私、あんまり家から出ない……年に二回とか出ればいい方なんだけど。あ、これ別に、変な話じゃないからね? 単に私が上げ膳据え膳でだらだらするのが好きで、それを許す環境も周りに整っているからとか、純粋に家の中にいるのが好きなインドア派だとか、そういうのなだけの話で……」
「……はあ……そうなんですか」
「でも、人より旅行記とか、ガイドブックとか見るの好きだから。大丈夫大丈夫。イメトレ上手なんだよ!」
あの、とジルは不安になって、
「本当に大丈夫なのか?」
「平気平気~。本当は旅行とかお出かけとか結構苦手だったんだけど、ここは人がいないし静かだから、そんなに大変なこともないしね。広いのと見慣れない場所ばかりなのはちょっと嫌だけど……。どーんと大船に乗ったつもりでいなさい!」
ジルはかつて、師匠に騙されて乗った豪華客船の道行きの途中で、馬鹿みたいな数の巨大イカ魔獣と死に物狂いで戦わされたことがある。
不安になってきた。
しかし不安になったところで、彼が安心を覚えるための手段はたった一つしかないのだ!
「……そうか! なら大丈夫そうだな!」
「そうそう! 大丈夫!」
人はその手段を一般的に、『開き直る』と呼んでいる。
そうして剣士と聖女は部屋を出て行く。十字路の分かれ目で、二人は立ち止まって、
「どっちだと思う?」
「俺の勘だと……左かな!」
「おお! 私もちょうどそう思ってたんだよ! 私たち、結構気が合うのかもね!」
そうして二人はドスドスドス、と己が道を爆走していく。
戦闘力は二倍。
馬力も二倍。
よって彼と彼女はそれから一月の間に――なんと五十階層分を下ることができた!
下ることができた。
下った。
冒険はまだまだ続く。