4-2 箱
「違うよ、もうちょっと右。……そう、それ。結ぶと竜の形に見えるだろ?」
「無理がないか」
「僕もそう思う」
前の日の、夜な夜なのことだった。
樹海の夜は、日が落ちてからは驚くほど静かになる。夕食の賑わいも遠のけば、後は水のせせらぎと、火のいつまでも絶え間なくぱちぱちと弾ける音。そして夜更かしふたりの話し声だけが、細々と響くばかり。
焚火の前に、ふたりは座っている。
随分気温も落ちてきたから、一枚の毛布を膝にかけている。肩を寄せ合うようにして、同じ場所を見ていた。
空。
眩いくらいにきらきらと輝く、星の夜を。
「ユニスでもそう思うのか」
「思うよ。だって何も竜には見えないだろ、あれ。僕も最初に聞いたときは『は?』と思ったよ」
「今は?」
「『は?』と思いながら教えてる」
最初にこれを考えた人はよっぽどやることがなかったんだろうね、とユニスが言う。
そしてそれを今になって学び直し、教え直しているふたりは、よっぽどやることのないふたりだった。
始まりは、「まだ今日を終わらせたくない」とユニスがぐずついたことだった。
初日の夜。食事も終えて、不寝番要らずの結界を張ったリリリアが早速眠りに就いて、そのあともちらほらと、焚火を囲む輪から即席の寝台へと抜けていく。そんな流れの中、最後に残ったのがジルとユニス。さて、と腰を上げようとするたびに悲しそうな顔をされるものだから、結局、そうして随分遅くまで一緒に過ごすのが日常になってしまった。
語ることには困らなかった。
旅のこと。魔法のこと。その日に見たもの、見なかったもの。夜の会話は昼のそれよりもゆったりと流れるものだから、明日のことを考えなければ朝までだって苦ではない。
この日はふと、話が空に及んだ。
あとは自然の成り行き。星のことを、〈星の大魔導師〉が教えてくれている。
「星座は魔法的に何の影響もないからね。本当に暇な人が本当に適当につけたんじゃないかな」
「そもそもいつからあるんだ。星座って」
「古いよ。先史からなのは間違いないと思う。具体的には……が言えないのは、古い話の常だね。たとえば僕らがよく知っているような昔話だって――」
そこまで言ったところで不意に、ばさっと数羽の鳥の群れが、森から飛び立った。
「お」
一応ジルは、傍らにある剣の柄に手をかける。
それほど大きなものではない。けれど向かってこないとも限らない。そう思っての一応の警戒だったけれど、鳥たちがまるでこちらに注意を払わず離れていくのを見届けて、それを解く。
鳥は、星を目掛けて飛んでいくようだった。
けれどすぐに、その鮮やかな体色すらも夜の闇に溶け込んで、見えなくなっていく。大したことじゃなかったな、とジルはユニスに声をかける。会話、再び始めようとする。
しかし、彼は、
「ユニス?」
「――え、ああ」
そうして名前を呼ばれるまで、ずっと。
ずっと、その闇の中に吸い込まれるように、星に瞳を向けていたから。
「流石に疲れてきただろ。そろそろ休むか」
声をかける。いつもならイヤイヤ言い始めてさらにしばらくの間を揉める場面だったけれど、しかし今日だけは不思議と、
「……うん。そうしようかな」
そんな風に、素直にユニスが頷くものだから。
何かあったのかな、と少しだけ心配をしたりもした。
†
「さて。それではいよいよ、遺跡の探索と行きましょうか」
結果として言うなら、そうして昨日の晩に早めに寝たことは良いことだったように思う。
朝食を終えて、それから三ヶ所。昼食を終えてさらに二ヶ所を巡って、舟を降りる。八人が揃って立って、ロイレンが言った。
「初回の探索も大詰めです。ここさえ済ませてしまえば、後は帰還するだけ……と言えば聞こえが良いんですが」
ちらり、と彼がクラハに目線を送る。すると心得たように彼女も頷いて、
「初めて訪れるタイミングが、一番危険になりやすいタイミングです。ここ七日の探索である程度慣れも出てきてしまっていると思いますから、皆さん、改めて注意しながら進むようにしてください」
いいことを言うな、とジルは思った。脳裏には最高難度迷宮での一幕が過っており、本当にそのとおりだ、としみじみする。一応隣のふたりに目線を送ってみる。ユニスは「わかっているよ」と言いたげに、苦笑気味に頷く。リリリアはそのユニスに半分くらい寄りかかっている。身長差で言うとリリリアの方がやや大きいので、ちょっとアンバランスに見える。目が合うとウインクされた。そういう話ではないがラッキーだった、と思った直後、そういう話ではない、という気持ちが強く出る。
「陣形は?」
気持ちのままに、そう訊ねると、
「基本的には、ジルさんとクラハさんに先にお願いしたいと思っています。安全が確認でき次第、私たちが続くという形でお願いできれば」
ごく妥当な応答が、ロイレンから返ってくる。異論はないから、「了解」と短く答えて、
「それじゃあ、行くか」
「どこへですか?」
早速歩き出した裾をクラハに摘ままれたりしながら、歩き出した。
そこから先も、少しばかりの距離があった。長旅というほどの距離ではない。ジルにとっては汗をかくには足らない距離。だいぶ後ろの方のデューイとネイが「今日はもうやめにしよう」と泣き言を口にし始める程度の距離。泥の重たい、もうすっかり馴染みになった土の上をだぱだぱと歩いて、やがて。
パッと視界が開ける。
眼の前に、樹海に不似合いな、異様な雰囲気の建物が現れた。
「うお。これか」
「で――です、ね」
誰に言われずとも、見た瞬間にわかった。
これが〈先史遺跡〉なのだと。
砂色だった。元は何色だったのか、想像が付かない。白く作られていたのが薄汚れてこの色になったのか、それとも黒く作られていたのが日に褪せてこの色になったのか。何にせよ元よりこの色で塗ろうと思う者はいまい、という調子の色。そしてその色に染まる、奇妙なくらいに整然とした直方体。
壁に、継ぎ目が見当たらなかった。
どういう建て方をしたのだろう。元々この形として存在したものを、そっくりそのままこの場所まで運んできたように見えた。材質は石くれのように思えるが、しかし石くれはこんなに綺麗な形を取らない……とそれほど知識に明るくないジルは思う。
うお、と思わず口にするくらいにはぎょっとした。
樹海の豊かで複雑な植生の中に唐突に現れたこの建物は、たとえば料理の中に一粒紛れた、それこそ真四角の石ころのように異質なものだった。
隣でクラハも、目を丸くして足を止めている。
だからここはとジルは率先して後ろに目を遣って、
「ロイレン、入り口は――」
そのときとうとう、起こるべきことが起こった。
ばん、と何かが衝突するような音とともに、地面が揺れた。
今度は、「うお」なんて言葉を口にするだけの余裕を保てなかった。剣柄に手をかける。何者かの襲撃かと備える。周囲の状況を確認する。樹々がしなっている。泥の土が傾いて流れる。森から一斉に鳥が飛び立つ。ごうん、と揺れる音が空まで届いたように思える。反響。
しかしそれでも、目にも耳にも、敵の――魔獣の姿は、どこにも届かなかった。
クラハが少し遅れて剣を取る。最後列ではユニスの肩をリリリアが掴まえている。その少し前では半ばすっ転びかけた格好のネイが片手で樹の幹を、もう片手で同じく大きく体勢を崩したデューイを掴んでいる。共倒れしそうなのを、落ち着いて樹の幹に身体を預けたウィラエが魔法で助ける。
ロイレンだけが平然として、しかしどこか厳しい表情で、空を睨んでいた。
「――今のが、そうです」
揺れは長くは続かず、余韻だけを残してどこかへと消えていった。
剣から手を離す。鼓動が早くなっている。率直な感想を口にすることで、それを鎮めようとする。
「なるほどな。確かにこれを魔獣が起こしたんだったら……」
信じられないほど巨大か、命を燃やし切るほど暴れているかだろうとジルは思う。
随分と遠くから、その『震え』は響いてきたように思えた。
「……確かに、嫌な感じがしたな。雪崩とか、地震とかともまた違う」
呟けば、おや、とロイレンが眉を上げた。地震に遭われたことがあるんですか、と。一応数回、と答えれば「珍しい」と返される。確かに、あまり多く見舞われる現象ではないとジルも思う。街中では一度も遭ったことがないし、街の外でも、一体どこに自分がいるのだかわからないようなときに限って見舞われた。
「今にして思うと、あれはあれで何か別の原因があったのかもな。って、それはともかく。いいのか? 何か調べたりしなくて」
「ええ。ここまで散々差し込んできた魔道具が、今も忙しなく記録を取ってくれていますから。後のことは、研究所に戻ってからで」
「了解。そうなると――」
目を遣れば、隣でクラハがこくりと頷いた。
「そうですね。建物の倒壊に注意しながら、遺跡の中に入りましょう」
ぐるりと建物を周れば、簡単に入り口は見つかった。
扉のない、暗い穴。それじゃあ、とジルはクラハと一緒になって、残る六人へ振り向く。
「そっちも気を付けて。しばらく経っても戻ってこなかったら、取り決め通りに」
「ええ。つらいところばかりお任せしてしまって申し訳ない限りですが」
どうぞよろしくお願いします、とロイレンが頭を下げる。
頷いて、覚悟を決めてジルは、遺跡の中に入っていく。
†
「全員、もう入っても大丈夫だぞ」
だから、拍子抜けするような気持ちでその知らせを口にすることになった。
入ってからすぐに気付いたことだった。クラハが魔法の明かりで照らしてくれた遺跡の中。そこは、驚くほどのがらんどうだったのだ。
外壁と似た質感の床は、泥や浸水、風に吹き込んだ砂埃に汚れている。獣の足跡。こういうものを追うくらいのことはできるので追ってみれば、小型の魔獣が拠点としていた痕跡が見つかった。
さらに周囲を探れば、二、三匹と対峙する。
けれどそれも、樹海の中で遭遇するのと大して変わらない。クラハが危うげなく抑え込んで、ひととおりその一連の動きにおけるよかったところと、これからさらに改善できるところを指摘しながら周囲を巡れば、後は何のこともない。
ただの、屋根のある建物だった。
屋根以外には大して何もない、とすら言い切れる。
「もっと、仰々しいものかと思ってたけど――」
呼び込めば、そこからのロイレンたちの動きは速やかなものだった。
遺跡の中、初めに踏み入った先にあったのは大広間。ロイレン、ウィラエ、ネイにデューイ。クラハの案内の下で、四人が地図と床の素材を突き合わせながら計測用の魔道具を手に歩き回る。床を剥がすだのいや剥がさずに装置の方を改造しようだの、地形変化のバッファを取るためにはこちらよりそちらの方がいいだの、難しい話をしている。
だからジルは、その輪には加わらない。
その広間のそれほど高くもない天井を見上げながら、ひんやりとした空気の中、傍らのふたりに独り言のように語りかける。
「――そうでもないんだな」
「ね。僕も実際に中に入ったのは初めてだけど、材質以外はほとんどただの廃墟だね」
「これ、元々こうだったのかな。それとも、色々持ち去られたからこうなの?」
リリリアが訊ねる。ユニスが「さあ」と肩を竦める。そしてさらりと、これまでの道中で一度語ってくれたようなことを、もう一度言葉にしてくれる。
先史遺跡とは、本来はもっとありふれたものだったはずだ、と。
ラスティエと滅王の決戦。その後の混乱。
その中で、先史文明の遺物はどんどん人々の生活に吸収されていった。今でも自分たちの暮らしにはその技術を生かしたものがいくらでも残っている。技術の発達経路から見ればちぐはぐな――たとえば、製鉄技術がないのに鉄剣だけが存在しているような――ものだって、多数ある。
だから、ここは。
「今でもこうして残っているということは、アクセス性の問題からその『取り込み』を逃れたとも考えられるし、反対に、誰かが何かの『取り込み』を行ったのに、誰にもそのことを知られないまま、箱だけがこうして残った可能性もある」
そしてずっと昔に中身が持ち去られてしまったのなら、もはや真相は闇の中、と。
もう一度ユニスは、肩を竦めた。
ふうん、とそれを聞きながらもう一度、ジルはあたりに目を凝らしてみる。
作業のために、最初に入ったときよりもずっと明るく遺跡の中は照らされている。のっぺりとした天井、壁。確かに、ここにあったものが全て持ち去られてしまっていたのだとしても、どこかに何かが置いてあったとしても、少なくとも自分の目にはその痕跡を見つけることはできないだろう。
「もし初めから何もなかったなら、」
すると自然、思考はもうひとつの、もう少し推測の余地がありそうな方へ向かった。
「何のために作られた場所だったんだろうな」
「お。大喜利バトル?」
「なんでだよ」
「やぶさかじゃないね」
なんでやぶさかじゃないんだよと律儀にユニスに突っ込んで、ユニスがえへへと笑う間にも、大喜利を始める気満々の人間はひとり「うーん……」と天井を見上げ、長考の姿勢に入っている。
「……箱っぽいし、実際に箱だったんじゃない?」
「いや――」
なんでだよ、とジルは言おうとした。
しかしその直前で止まる。案外、ありうる話なのかもしれないと思ったから。
「そうか。たとえば何かの集会場に使うとか、そういうことか」
「いやそこまでは考えてなかったね」
「……? 先史文明人が?」
「いや何もボケを思いつかなくて安直なことを言ってしまった私が」
ああ、とユニスが頷いた。「その発想、面白いね」と言ってジルを照れさせてから、
「箱の中に何も残ってないなら、物じゃなくて人を入れるためのものだったんじゃないかって考えだろ? それなら自分の足で勝手に出ていくわけだし。もっとも、僕は古びた大きめの建物で『人』と言われると、自分の足で勝手に出ていけない方が先に心当たるけど」
「……死体か?」
「ああ。墳墓だね」
「何もボケを思いつかなくて安直なことを言ってしまう人用の?」
「何もボケを思いつかなくて安直なことを言ってしまうのはそこまで罪じゃ……」
ないだろ、と言いかけてさらにジルは止まる。罪かどうかの話なのだろうか。むしろ巨大な墓というのは栄誉を称えるものなのではないだろうか。そうなるとこの箱が墓としてどの程度立派なものなのかについて考える必要がある。しょうもないことを考えている間に、ユニスはさらに話を進めてくれる。
「一番嫌なのは、滅王みたいな存在が実はわんさかいて、それを封印するための最高難度迷宮みたいな箱……という想像だけど」
うわ、と思わず声が出る。それが思ったとおりの反応だったのか、ユニスは軽く笑って、
「流石にそれはないかな。魔法的な封印は、構造物の複雑さでカバーするところもあるから。もし封印だとしても、滅王よりはかなり劣ると思うよ」
「へえ。じゃあ、最高難度迷宮が複雑だったのは、そういうことなのか」
「だね。でも、そうなると後は何があるかな。箱……」
「宝石とか、そういうのは? ……いや、こんな殺風景なところに置かないか。樹海の中だしな」
「そうかな。ありうるかもよ。樹海の成立時期もわからないし。あ、広間があるから美術館とか、そういうのもありうるのか。ちょっとこれはジルの『人を入れてた』って発想とも近いかもね」
ああ、とジルは頷く。
いつもの調子だった。夜、ふたりになるとこんな話ばかりをしている。樹海の成立時期について詳しく掘るか、それとも美術館ってあんまり行ったことないんだよなと話を振るか、どちらにしようかなんて迷ったり、
「はい」
していると、リリリアがぴんと手を伸ばした。
「はい、リリリアくん」
「持ち運び用の箱、というのはどうでしょうか」
「というと?」
「中に物や人をたくさん入れて、持ち運ぶんです。よいしょよいしょと」
誰が、とジルは横から訊ねようとした。
しかしすでにリリリアの目は自分を捉えていた。期待されると応えたくなる性質ではあるが、無理なものは無理なのでジルは言った。
「無理だぞ」
「巨大化すれば……?」
「できる前提で話を進めないでくれるか」
「巨人が運ぶのはともかくとして、ありうるとしたら船に積み込んだとかかなあ」
え、と思わずジルは、リリリアと一緒になってユニスを見る。
「ありうるのか、それ」
「うーん……。正直、あんまりない気はするけどね。でも、大きなものを運ぶなら水路っていうのは、結構ありふれた発想じゃないかな。全く窓がないのとか、そのあたりを考慮すると確かに納得のいくデザインではあるんだよね」
「ユニスくん」
「何?」
「よく考えてほしいんだけど、このサイズのものを箱には使わないと思うよ」
「ひどくない?」
まあでも、とジルも思った。
流石にそれはないように思う。というより、箱というスタート地点自体が少しずれているようにも。結局は中に人なり物なり何かが入っていたという形で話を進めることになってしまっているし、前提自体が無意味になり始めている。
今のところこの場所の真の用途を見極める必要もないわけだから、いくらでも益体のない話をしてもよくはあるけれど。
ここは初心に戻って、と。
もう一度ジルは、壁に目をやる。こんな機会でもなければと思うから、そっと、怒られない程度に手で触れてもみる。
土埃が落ちた。
「あ、」
すると、何かが見えた。
「ん?」「どしたの、ジルくん」
「なんか、これ……」
白っぽい、線のように見える。
上から土埃を被ったのと、隅々まで照らし上げるほどの明かりは用意されていなかったのとで、見えなくなっていたらしい。何かが壁に描かれている。溝がある。
触っていいものだろうかと迷っていると、ひょいと横から二本の手が伸びてきて、それをぱっぱと払ってしまう。
リリリアとユニス。
ふたりと一緒になって、ジルはそれを覗き込む。
「……竜?」
そんな風に、それは見えた。
翼がある。
けれど、手足もある。牙も、爪も。禍々しくはない。ただ、何かのシンボルのように。壁にマークが刻まれている。
「これは――」
「おーい。ジールっ」
がっ、と。
その図柄に集中していると、後ろからひとりの男が飛びかかってきた。
うお、と言ってジルはそれを受け止める。デューイ。彼が汗ばんだまま、勢いよく肩を組んできて、
「もうちょい場所探りてーからさ、奥の方まで着いてきてくんね――って何だこれ。世紀の大発見?」
そして同じものを見て、同じように疑問符を浮かべる。
さあ、とジルは答えた。素直に。ただ壁に描かれていたものを今見つけただけだ、と。ふうんとそれを聞いているのか聞いていないのか、そんな軽い相槌をデューイが打って、
「別にただの絵っぽいけど、なんかこれ見てるとあれ思い出すな。あれ」
「どれ――ああ、東の?」
「そうそう。お前が斬ったあの竜な。知ってるか? あれ、もう四年も前のことなんだぜ」
「そうだな。勝手に現地に銅像を建てられてもう四年も建つ」
「記憶にねえな……酔ってたから」
「証拠が残ってるんだよ堂々と」
「僕、ちょっと向こうの方を見てくるね」
ん、と振り向いた。
しかしすでに、呟いた彼の背中は遠い。
「ん。どした?」
肩を組んだまま、至近距離でデューイが言う。いや、とジルは何を意味するのかもわからないまま、そんな風に言葉を切り出して、それ以降を紡げない。
大丈夫だろうか、と思った。その足でユニスがウィラエのところに向かったのを見れば、それをリリリアが追いかけたのを見れば、少なくとも迷ったり、危ない目に遭ったりする心配はないのだろうけど。
「すみません、ジルさん。デューイに聞いたと思いますが、少し向こうにお願いできますか」
「お。宗旨替えか? わかっただろ、ぜーったいその床の傾斜じゃ無理だって」
「いや、いけますよ。ただもっと手間が少なく済みそうな方を選んだだけです」
「強がっちゃって」
「黙らせますよ。ジルさん、いいですか?」
「ん、ああ」
けれど、と。
「了解」
思いながらも一周目の探索は無事に終わり、彼らは研究所に戻っていく。