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3-3 百七十九捨百八十入



 正直なところ、自分も行きたかった。

 と思いながらクラハはジルの背中を見送り、しかし自分に与えられた役割を思い出す。遊びにきたわけではないのだ。これは調査目的の冒険。


 しっかりと、自分のできることで貢献していかなくては。


「調査計画、修正が必要ですか」

「ええ。正直なところ彼が――ジルさんがあれだけ動けるとは、思っていませんでした」


 森の奥へ、ユニスとともに進んでいったジル。

 すでに背中は見えなくなったが、しかしロイレンの目はいまだ、その方向に向けられている。


「この地点に着くのも、想定していたより遥かに早い。言い訳になりますが、デューイとネイくんの体力も、ここに来るころには多少戻っているだろうという見込みで組んでいたんです」


 いいや、と後ろの方で声がした。

 デューイ。彼が寝転がったまま言う。


「最初から全てが間違ってるぜ。なぜならオレは後何時間休んだとしても、指一本動かせないからな……」

「そこで問題になるのは、持ち込める計測用魔道具の数にも限りがあるということなんですが……」


 ロイレンは綺麗に無視して話を進めた。

 クラハもまた、ああいう軽口が出てくるうちは大丈夫なのではないかと思ったので、そのまま取り合うことはなく、


「事前に聞いた限りですが、ある程度継続して魔道具から調査記録を回収することも、計画の内に入るんですよね」

「ええ。震源地を探すためには、ある程度『震え』たときのデータを見る必要がありますから。設置してしばらくは、その形で」

「でしたら、各周回を素早く終えて、小まめにインターバルを取るというのも手だと思います。短期間での探索なら、樹海の構造変化の影響も大きくは受けにくいですし」


 そうですか、と思案する顔で彼は、


「計測具を多量に持ち込んで、一周回ごとの期間を長めに、一度に大幅に進捗を挙げていくというのも考えたんですが」


 後ろの方で「やめて~」と悲痛な声がした。ネイのもの。ロイレンは気にも留めずに「どうでしょう」と続ける。


「単純に、帰還分の道のりを行く必要がなくなりますから。こちらの方が効率的なのではないかと」


 それに同情したからというわけではないが、クラハは、


「ジルさんが動けなくなった場合のことも、想定しておくべきだと思います」

 あまり愉快ではないことを、義務としてきっぱり告げた。


 驚いた顔のロイレンに、更に続けていく。


「今回の調査が外典に纏わることなら、十分有り得る想定だとは思います。リリリアさんがいる以上、特定の誰かが行動不能のままでいることは考えにくくはありますが――」

「そのときは私もダメになってるかもしれないもんね」


 言いにくいことをリリリアが補ってくれたから、続けて、


「もちろん、ユニスさんとウィラエさんの水の魔法で推進力を代わってもらうことはできると思います。ですが、その時点で――」

「残っているメンバーに期待する役割が大きくなりすぎますか」


 そもそもジルさんに役割を持ってもらいすぎていますね、と。

 ロイレンが納得したように言うから、締めくくりとして、


「今回は迷宮ではなく〈魔力スポット〉絡みの探索ですから、踏破転移も使えません。最後の震源地へのロングアタックとそこからの帰還も見据えて、余裕を持った計画組みを推奨します」

「……うん。仰る通りですね。すみません、私も少し焦っていました」

「いえ! ロイレンさんの方がこの地帯にはずっと詳しいと思うんですが……」

「いえいえ。これだけ深くまで、大掛かりに潜ることはそうありませんし、私はロングアタックの経験にも乏しいですから。相談相手になっていただけて助かります。これからもぜひご意見いただければ」


 本心からの言葉のように聞こえたから、クラハはほっと息を吐いた。


 とりあえずのところ、最初の役目は果たせたはずだ。しかしひとつが上手く行けばもうひとつのことが心配になるというのも彼女の性分で、だからクラハは、方向感覚に明るくない彼が踏み入った森の奥に改めて目を遣る。大丈夫だろうか。迷っていないだろうか。


 その視線の滑る途中で、目に付いた。


「波紋――?」


 それは、なんだか。

 自分たちの乗る舟や、風が作ったものとは何か、違う気がして。


 その直後。

 ずうん、と大きく、水面が揺れた。





「ふたりっきりだね……」

 だから何だと言うのか。


 森の中は一層濃い。何が濃いと言って、緑。色もそうだが、匂いも濃い。草の葉の吐く息が辺り一面に漂って、ただ歩いているだけで濡れるような、溺れるような心地がする。数百、数千年が作り上げた複雑さ。目の前のシダの葉を手で避けながら、しかしその奥から出てきた枝の名前は、ジルにはわからない。そのうえ植物は迷路のように入り組み生い茂り、目に映るものの形全てを掴むことはとても難しい。


 木の根に足を掬われないように、腿を引き上げて歩こうとする。

 すると重たい泥が靴の裏に吸い付いていることを、嫌でも確かめる羽目になる。


 端的に言って、これは、


「――かなり、歩きにくいな」

「ちょっと待ちなよ。僕の発言を拾わずに捨てたね?」

「いや……拾われても困るだろ」

「拾われなかった方が困るよ」


 言いながら、しかしユニスは言葉にすることもなく魔法を使ってくれる。

 土を乾かして、凹凸を均す魔法。それだけで随分と歩むのが楽になる。ならそこから先は自分の仕事だろうとジルは腰から剣を抜いて、立ち塞がる蔓草をばっさばっさと勢いよく除けていく。棘が飛ぶから気を付けてな、の言葉に「ん」とユニスが頷いて、


「さっきの発言がそのまま通っちゃったら、僕が『集団からふたりきりで離れた途端に急に湿っぽい声で誘いをかける人』になっちゃうじゃないか」

「…………」

「――――えっ!? もしかして本当にそう思ってたの!?」


 別に。

 別に、そういうわけではないのだけれど。


「え、ちょ――ジルのことは、本当に良い人だと思うんだけど」

「なんで俺は急に振られてるんだ」

「いや待ちなよ。まだわからない。耳を澄ませて最後まで聞いてみよう」

「わからないわけがないだろ。『良い人だと思う』の後に『けど』が来てたら」

「『本当に良い人だと思うんだ。――ケドニアスの弓、朝に見る星』」

「良い人を相手に何かの詠唱をするな」


 ふふ、と声がした。

 振り向くと、ユニスがふわふわした表情で笑っている。目が合うと、ん、とその煌めく瞳をぱちりと開く。


「ごめん。緊張感がなかったかな。悪癖だよね、これ」

「いや。どうせあんまりこのあたりは――」


 言いながらふと、改めて気付く。


「……想像してたのと違うな」

「何が」

「魔獣。全然出ないだろ。これなら普通の、って言うとあれだけど、戦闘系に自信がない冒険者だって、いくらでも探索できるんじゃないか」


 はたと足を止めた。

 目の前に、ちょうどジルの腕が届くか届かないかという程度の高さの、切り立った地形が現れたから。


 崖というほどではない。小規模な断層。ふっ、と地面を蹴れば容易くその上に飛び乗れたから、周囲の安全を確認して、それからユニスに手を貸す。


 差し伸べた手をそっと取りながら、ユニスが答えた。


「実はこれも、『震え』と関係してるんじゃないかと思われるね」

「魔獣が少ないのが?」

「そう。〈魔力スポット〉がそこら中にあるのがこの樹海の特徴だからね。本当はもっと色んなものがうろついていて、端的に言って最悪の土地らしい」


 最悪って、と。

 あまりの言い方に呆れながらユニスを引っ張れば、しかし「よっ」の後に続いたのが「ロイレン博士が言ってた」との言葉だから、妙に信憑性がある。


「独特の環境で、動植物と魔獣の区別も付けにくいようなところだからね。探索する側としては非常に厄介だ。が、ジルの言う通り、ここ最近はこんな風に魔獣の出現数が少なくなっている」


 そうなのか、と頷く。ラッキーだな、と言い切ってしまっていいかは、よくわからない。探索しやすくなっていることは確かだと思うが。


「地元の冒険者たちは不吉だと言って、一旦潜るのを止めているそうだよ。大きな地形変化がある前後なんかは、やはり樹海の様子がおかしくなるらしい」

「……また、滅王か」


 どうだろう、と。

 しかしユニスは、意外にも軽い調子で肩を竦めた。


「実を言うと僕は、そうではない可能性もあるんじゃないかと思ってる」

「って言うと?」

「『大きな地形変化がある前後なんかは』って言っただろ。今のところ外典魔法陣が出てきたわけでもないから、そっちの可能性をいきなり排除することもないんじゃないかな。点と点を線にするのは楽しいけど、楽しいものは間違えやすいからね」

「…………」


 なるほど、と。

 彼の言葉をジルは聞いていた。直近の事件や最近の情勢、『震え』の発生タイミングから考えて、これは滅王に関わるはずだと頭から決め込んでいた。が、そうではない見方もある。


 であるならしかし、自分とユニス、そしてリリリアまでが集合した意味は果たして――と。


「あ、ここだね」

 思ったところで、くい、とユニスに服の裾を引かれた。


 いつの間にか、目的地に着いていた。いや、実のところ初めからどこが目的地だったかなど知らないが。しかしとにかく、ユニスは足を止めて、膝を抱え込むようにして地面の上に屈む。そして懐から、先ほど預かってきたものを取り出す。


 細い瓶のような形をしていた。


「差し込むだけでいいのか?」

「らしいよ。お手並み拝見」


 それを、ずぶりと地面に差し込む。

 するとカシャコン、と音がして、その瓶から細い手足が突き出した。


 蜘蛛の足が地面を掴むように、瓶の手足が地面に食い込む。それからぎゅるるるる、と瓶の部分が回り出し、地中の中へと埋まっていく。


 ぽん、と。

 止まればユニスが、その瓶の頭を指でつついた。


「これで完了だって」

「すごい……けど、大丈夫なのか。このへんの土、ゆるいだろ」

「そのあたりはロイレン博士が上手いこと事前に魔法で仕込んでくれてるみたいだよ。魔法の仕組みは理解できてるけど、樹海の知識自体は博士の方が上だから、僕からは何とも」


 ふうん、とジルは驚きを持って頷いた。ユニスよりも上の魔導師。あまり聞いていてすぐに想像できるような存在ではない。だから素直にその思いを口に出せば、ユニスは少し笑ってこう応えた。


「流石に僕だって、何でもかんでも誰よりも上ってほどすごくはないよ。総合力に関しては自信があるけど、ウィラエ先生の門下生は特に能力も専門性も高いしね。同じ領域で競うには、それなりに準備が要る」


 まあ、とユニスは腰を上げる。


「そう思ってくれるのは、すごく嬉しいけど。さ、戻ろう。この場所は比較的研究所と近いし、今後も共通して通ることのあるルートだ。問題があれば、また直しにくればいいさ」

「ルート」

「僕はわかるからね」


 見ていたまえ、と彼は言う。その大胆不敵な発言を証明するかのように天を仰ぐ。釣られてジルも、大きく顎を上げた。


 そこには真っ青な夏の空が……と言ってしまうと誇張になる。実際にはあの、茫然とするほどの広大な青はそこにはない。


 樹木は我先にと日の光を求めるように枝と葉を伸ばし、天に蓋をしていた。

 地表は樹木の手の中にそっと包み込まれていて、だから、見えているのはほんの僅かだけ。


 樹々の隙間から、微かに空が覗いている。


「……うん。星並びは正しい。場所はしっかり合っているね」


 驚くべきことに、彼には。

〈星の大魔導師〉には、その明るい空の向こうに、星の形が見えるのだという。


「よく見えるな。眼鏡をかけてても俺にはさっぱりだ」

「そりゃあ、魔力の繋がりがなければ僕だって見えないよ」


 視線を戻せば、ユニスが木洩れ日を浴びて微笑んでいる。


「そこにあるってわかるから見えるんだ。見るよりも、わかる方が先」

「……今日のユニス、なんか魔導師っぽいな」

「えっ」

「ん?」

「いつもは?」


 この夏は、とジルは思う。

 こういうことをたくさん聞けそうだ。「ねえちょっと」南方樹海という馴染みのない複雑な土地の、「聞いてる?」それも魔法を使った調査の旅なのだから。


 もう少し今の言葉も深く聞いてみたい気が「なに今日はって。いつもは?」したが、なにせ人を待たせ「そんなに変な手紙ばっかり送ってないでしょ?」ている。あまり盛り上がって遅れてしま「ねえ、ちょっと」っては申し訳ない。そう思うから、今はとりあえずみんなの「ちゅーしていい?」


「いいわけないだろ。何を言ってるんだ」

「いいわけないってわかってるよ。何を言わせてるんだ」

「俺のせいか……?」

「そうだよ。そして今君が向かおうとしてる方向は全然帰り道じゃないからね」

「――誤差が出たな」

「そうだね。百七十九捨百八十入の立場を取るとするなら、誤差の範囲内だ」


 でもそっちに行ったら星を一周したって舟には着かないぜ、なんて。

 流石に海に着いたら気付くだろ、なんて。


 お互いに軽口を言い合いながら、ふたりは並んでその場を後に――


「――!」

「おっと」

 ずうん、と大きく音がした。


 咄嗟にジルは身構える。森ごと揺れた。隣のユニスを庇って、音のした方に立つ。剣の柄に手を掛ける。けれど、すぐさま行うべきはそれではないということに、その体勢を取った瞬間には気付いている。


「今のは――」

「リリリアたちの方だね。彼女がいるなら心配ないと思うけど」



 ここは、とふたりは顔を合わせる。

 ジルはユニスを抱えると、一目散に駆け出した。





 その先で、ジルは納得することになる。


 ユニスの言ったこと。ひょっとすると今回の南方樹海の異変は、滅王とは無関係かもしれないという推測。

 そしてそれに伴う、自分たち――最高難度迷宮を攻略した三人までを、わざわざ招集する必要があったのかという疑問に、



「んなっ、」

「おお、」



 答えるように。

 見上げた先には、大蛇がいた。




 川そのものが身体を得たかのような巨体だった。雲を食らわんとするようにその背を大きく天へと伸ばす。


 Aランクの迷宮でもなかなか見ないような、大いなる魔獣。

 それがその身を夏風に晒している姿を、ジルは目にする。


 こんなのがいたらそれは、と。

 だから納得して、剣を抜きかけて、


「う、わ――っ!」 

 さらに驚くべきことが起こった。



 宙に放り捨てられたような勢いで、その魔獣に飛び掛かった冒険者がいたのだ。



 ものすごい勢いの風を纏って。夏の太陽にも負けないくらいに光る剣を握って。

 与えられた力の奔流を必死で抑え込もうとして、しかしそれを本当に乗りこなしてしまったような凄まじい勢いで。


 その冒険者は大蛇の首を目掛けて、一直線に迷いなく、飛び込んでいった。


 それは、思いの外よく知っている顔の持ち主で。

 だからジルは、その人の名前がわかる。



「〈追い、かぜ〉――!」



 クラハ。


 彼女がものすごく大きな魔獣を、一刀両断した。



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