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3-2 舟



「舟だったのか」

「そう。舟だったのさ」

 舟だった。

 


 時は進んで、南方樹海。

 ロイレンの口からこの樹海が樹『の』海ではなく樹『と』海であると聞いて――それを己の眼でも確かめて。それから。


 では一体この先をどうやって進むのか、という話になった後。

 ユニスの言っていた『着いてからのお楽しみ』はとうとうその本領を発揮した。



 舟。

 森を貫く海を渡る一艘の舟が、そこにはあった。



 日差しの少し強くなり始めた時間帯のことだった。

 朝の早くに出たとはいえ、夏の日は進みが早い。そして日差しの『少し強く』とは言っても、冬のそれとはとても比べ物にならない。爛々と瞳を刺すような鮮やかさで、この濃く鮮やかな森と海の青を、白く照らしている。広がる海の水すらも浅瀬では湯のように温められていて、鳥と虫はその水面に賑やかに羽音を立てる。夏。命の溢れる季節の真ん中に、八人はいた。


 そして、ジルは舟を漕いでいる。


 穏やかな長い海を行く一艘の、魔獣の皮を空気で膨らませた舟。長いオールを前に後ろに。波紋を立てながら、ぐんぐんと強い力でそれを進めていた。


「にしても君、大丈夫かい? 僕とウィラエ先生がいれば、魔法で推進力は賄えるんだぜ」

「それはわかるけど、さっきまでユニス、この舟運んでただろ。ちょっと休んだ方がいいかと思って。別に大して疲れるものでもないしな」

「そうなんだ。僕、生まれてこの方乗ったことのある乗り物の中で、これが一番速いと思ってるけど」


 大袈裟だな、とジルはちょっと笑った。

 ユニスは笑わなかった。ちょい、と手のひらで、その舟に乗る八人の中の誰か一人を指し示した。だから振り返って、そっちを見る。


 まずリリリアが目に入った。気持ち良さそうにぐーぐー寝ていた。これはこれで舟を漕いでいる。よくこの暑いところで寝られるな、疲れが溜まっているのだろうかとは思ったが、ユニスが指しているのはこの人ではなかろうとジルは視線を次へと移す。


 クラハが目に入った。彼女は珍しくこちらの視線に気付くこともなく、落ち着きのない様子で周囲をきょろきょろと見回していた。きらきらとその瞳が輝いて見えるのは、何も周囲の夏の光の反射だけが理由ではあるまい。楽しそうで良かったと思うが、変にこっちを意識させてそれに水を差してもいけないと思うので、さらに視線は次へ。


 ロイレンが真剣な顔で、こちらを見ながら考え込んでいた。


「……ジルさん。この速度で、どのくらい漕げますか」


 そしてそんなことを問い掛けてくるから、少し考えてから、正直なところを。


「このくらいなら、一日中でも漕げるぞ。接敵があればまた話が違ってくるとは思うが」

「……プランの再考が必要だな……」


 さらにロイレンは深刻な顔になった。

 いつまでも振り向いていると体勢が不自然なのが気になってきたから、とりあえずジルは視線を前に戻す。


 余裕を持って、およそ十人乗りの舟だった。

 前方に四人が、後方にさらに四人が乗るスペースがある。そして真ん中に、向かい合って二人が。ジルは進行方向の逆を向きながらオールを操っていて、そして向かいにはユニスがいる。


 というわけで、ユニスと目が合った。


「ね?」

 何がだ、とジルは思った。


 思ったが、しかしこの話題の深掘りをしていくと最終的に何らかの止めを刺されて終わる気がしたので、一旦話を逸らすことにした。


「にしても、よく考えたよな。樹海の『海』の部分を利用して舟で移動……こういう冒険の仕方って一般的なのか?」

「どうだろう。僕もよくは知らないな。というか君が知っているべきことな気がするけど」


 こういうのに一番詳しいのはクラハだろうな、とジルは思った。

 が、振り向いて訊ねることはしなかった。折角あれだけ楽しそうだったのだから。すると代わりに、ユニスが振り向きながら訊いてくれる。


「先生は知ってる?」

「ん? ああ、そうだな。生活環境下での水路利用はよくあるものだから、それを冒険に転用するというのは昔から試されてきた手法ではある」


 舟の後方。

 自分の目線の先にいる三人のうちの一人。ウィラエに、そう言って。


「ただ、実用に耐えたのは数例だけだな。根本的に、水上移動で効率化が図れる冒険対象領域はそこまで多くはない。それに、戦闘になるとやはり海中生物を相手にするのは難しい面があるからな」

「そっか。水の扱いに長けた魔導師がいれば、ってところなのかな」

「そうだな。その数例の全てに、そうした者の存在が確認されている。しかし『水の魔導師がいたから水上移動に踏み切った』のか、『水上移動をするパーティに居場所を求めて水の魔導師が来た』のかは、どちらともわからないところだが」


 随分と淀みなく話すな、とその語り口にジルは思う。

 突然の質問に対して、思い出す素振りもなくさらりと解説が返ってきた。流石、と思うのは、あらかじめ彼女がユニスの師だと聞いていたから。


 実を言うと実際に会ってみるまでは、図書館に住む知識の精とか、そういう存在がユニスの師なのではないかと想像していた。


 が、こうして顔を合わせてみても、案外とそこまで大きく外れていない気がする。彼女は何でも知っているように見えた。そんなわけはないと、わかってはいても。


「海に出ていく冒険者もいたことにはいたが、芳しい成果は上がっていないな。案外、水中にはまだまだたくさんの迷宮が埋まっているのかもしれないぞ」

「え、」


 思わずジルは声を上げて、それから、ああ、と。


「そうか。迷宮は魔力の淀みだから、地上だけじゃないのか。真面目に考えたことがなかったな」

「理論上はそう、という程度の話だ。深海については探索が非常に難しく、ほとんど人類にとっては手付かずの領域だからな。言い切るのは難しい」

「この星は陸地に対して海洋が広すぎるんだよ。この星の外と同じくらいには、海の底は僕たちに知られていない世界と言っていいだろうね」


 ほう、と。

 思いのほか興味を惹かれる話題が出てきて、前のめりになる。なりつつしかし、それよりも先にウィラエがこちらとの会話を切った。


「ところで、大丈夫か。デューイさんに、ネイさん。ふたりとも先ほどから、気分が悪そうだが」


 それは彼女の隣でへたばっているふたりを、心配してのことだ。


 見れば、確かにそのとおりだった。というかずっと視界に入っていたから、ジルも気が付いていた。

 金髪の魔道具師・デューイ。そしてロイレンの助手・ネイ。ふたりはこの舟に乗ってから、一言も喋っていない。そしてそれは前方にいるリリリアのように寝こけているからでも、クラハのように周囲の景色に目を奪われているからでも、ロイレンのようにこれからの道のりに思いを馳せているからでもない。


 それは単純に、


「いや……ごめんなさい。私、無理っす……」

「……オレ、これでインドア派なんだよなあ……」


 この舟に乗るまでの道のりで、体力が切れているから。


 特段の驚きは、ジルにはなかった。デューイの体力は以前一緒に住んでいたこともあるから、大体のところは知っていた。そしてネイについても、自分をデューイと同列に置いたことから、また道中の様子から、何となく察することができていた。


 当たり前の話だ。

 夏の遠征は、辛い。


 会話を聞いて、ユニスも後ろを振り向いていた。横顔に、少し心配の顔が浮かんでいる。だからジルも、後ろを振り返って声をかけた。


「リリリア」

「……いや、寝てないよ」

 別にそこは疑っていなかった。

 間違いなく寝ていたので。


 しかし驚くべきことに、リリリアはたったの一声で起きた。眠りが浅かったのだろうか。その浅さではかえって疲れるのではないだろうか。それでもとりあえず瞼は綺麗に開いていて、あと瞳も綺麗に輝いていて、そのきらきらした瞳でこちらを見ていたので、どきどきする前に用件から。


「あのふたりの体力、戻してやれないか。神聖魔法でそういうのあっただろ」


 最高難度迷宮で使ってくれたのを覚えている。

 特に最終盤。あの大急ぎで最終地点まで攻略した信じられないような激動の時間。自分もユニスも、かなりその魔法には世話になった。


 覚えていたから、声を掛けたのだけど、


「やめておいた方がいいかな。あれ、かえって体力持っていかれちゃうこともあるし」

「……それは、どういう?」

「疲れてるときはちゃんと疲れておいた方がいいよ、ってこと。たとえば私、やろうと思えばずっと寝ないで動けるけど、それを見てジルくん、どう思う?」

「……身体に悪そうだな、と思う」


 そんな感じ、とリリリアは言った。


「元々の身体の使い方から外れると、全然意識できてないところで不調が出たりするから。使わないで済むなら使わないでいた方がいいと思うよ。ふたりとも、熱中症ってわけじゃなさそうだし」


 そうなってたらもう私が治してるし、と言われれば。

 それはそうなのだろうとジルは思う。全幅の信頼がある。そして案外、自分は自分の身体のことをよく知らないのかもな、も思う。


 今度機会があったら、そのあたりのことも詳しく訊いてみよう。

 何せ自分も身体が武器なのだし。そしてまた、クラハが神聖魔法を使う関係上、自分もある程度知識を持っていた方が望ましいだろうし……と。


「おっと。ジルさん、このあたりで止まってもらえますか」

 思っていれば、声がした。


 言われたとおりに、ぴたりとジルはオールを止めた。けれど舟は流れに沿って動くものだから、当然それだけでは止まらない。ゆるやかに動く。ちゃんと止めようか、と訊ねかけるより先に、ロイレンが唱えた。


「〈伸びろ(グロウ)〉」

 岸の向こうから、幾筋かの蔦が伸びてくる。


 そのままぐるぐると絡みつくようにして舟を繋ぎ止めたそれは、南方樹海の森の中に生きるひとつの植物が持つものだったのだと思う。あの長い坂の入り口に立ったときに見た覚えがあった。植物を操る魔法。まさにこの地で研究する魔導師に相応しい手札のひとつに思える。


 頼もしい、と感じると同時。

 止めたということは、とこの後に待ち受ける展開が予想できてしまう。


「最初の調査ポイントは、このあたりです」


 静かに。

 ウィラエに介抱されているふたりに、緊張が走るのが見えた。


「というわけで、早速舟から降りたいところなんですが……無理そうですか。そっちのふたりは」

「…………この命の限りを懸ければ、何とか」

「…………懸ける気がないので、無理です」

「こんな序盤で懸けられても困るので、どちらでもいいんですが」


 参ったな、とロイレンは言う。

 そこにすかさずリリリアが、


「じゃあ、私がふたりと舟で待ってましょうか。ものすごいのが出てこない限り、皆が帰ってくるまでは保つと思いますよ」


 座って待ってる方が楽ですし、といかにも本心らしく付け加えながら言う。実際に本心なのかどうかはそれなりに文通を重ねてきたジルを以てしてもわからないが、それにロイレンは、


「助かります。では、それで――」

「ちょっと待って。ロイレン博士」


 方針を決めようとしたところを、ユニスに止められる。

 前後に挟み込まれる形の会話になるので、ジルはどっちを見ていいものかよくわからなかった。とりあえずふたりの邪魔をしないように、右の方にずれこんでおく。


「逆の方がいいんじゃないかな。大人数でぞろぞろと連れ立っていくこともないだろう。ふたりで行くよ」


 ふたり、と。

 頭の中でジルはその言葉を繰り返し、そして候補の組み合わせを考える。


「僕とジルで」

 その途中で、ユニスがそれを決定する。


 え、と言いかけた。

 その組み合わせじゃ無理だろ、と。しかしそれよりも先に、思い出したこともある。


 ユニスの方向音痴は、そういえば屋内限定だった、と。


「ウィラエ先生も、顔には出さないけど疲れてるみたいだし。ロイレン博士もさっき、舟の移動速度を見て戸惑っていただろう。少し落ち着いて、クラハさんとこれからの調整をした方がいいんじゃないかな」


 一応ジルは、ウィラエの顔色を窺った。

 目が合う。少しの間だけウィラエはいつもの落ち着いた顔付きのままで、それからふ、と微笑んだ。まあね、と。


「……そうですね。それをやってもらえるならそれが一番良いですが、大丈夫ですか。魔道具の設置方法等は」

「問題ないよ。そのために今朝、チェックに同席させてもらったわけだからね。マニュアルも頭に入っている」


 それでも問題が生じるようなら持って帰ってくるよ、ふたりなら早い、と。

 言えばロイレンは、少しの間だけ考えてから、


「では、お言葉に甘えることとしましょう。ユニスくん、ジルさん。よろしくお願いします」

「されるとも。任せておいてくれ」

「ああ、了解」


 特に異論はなく、ジルも頷いた。体力は有り余っている。適任だろう。強いて言えばクラハにここの探索を経験させたかったけれど、


「ジルさん。お気を付けて」

「ああ。こっちはこっちで、近接要員がクラハだけになるから、気を付けてな」


 これからいくらでもその機会はあるだろうと、そう思ったから。


「リリリアも留守番、よろしくね」

「任せなさい。私は年中留守番女。居留守まで使いこなす」

「できてないじゃないか」


 じゃあ行ってくる、と言い残して。

 ロイレンの作り出した蔦の橋を渡って、海から森へ、ユニスとふたりで入っていった。



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