2-2 明日からのこと
始まりは昨年の冬。
ちょうど、あの最高難度迷宮が攻略され始めた頃だったそうである。
南の国には、〈先史大遺跡〉と呼ばれる遺跡群が存在する。
滅王により打ち滅ぼされた古き文明、その遺構。魔力の淀みから自然発生する迷宮とは異なり、人工物ながら、しかしあるいは最高難度迷宮すらも凌駕するほどの複雑性を持つと評される、現文明に生きる人々にとっての未踏破地帯。
そのほとりに拠点を置く魔導師が、異変の兆候を捉えた。
大遺跡周辺に広がる南方樹海。そこで植物にまつわる魔法を研究していた魔導師。彼はそこでの生活の中で、たびたび訪れる『震え』に気が付いた。
かたかたと、棚に並べた薬品が震える。
あるいはビーカーに淹れたコーヒーに、波紋が立つ。
初めの頃は風か、それともこの研究室の建付けが悪くなっているのか。そのくらいの些細な答えを、そこに見出していた。
けれど遺跡周辺のフィールドワークを行う中で、「ひょっとするとそれは、安易な決めつけだったのかもしれない」と疑い始めた。研究所の外にも『震え』は存在し、むしろより強く感じられる場面すらあったからだ。
魔導師は計器を持ち出して、詳細な記録を始めた。
震えが計測された時間。その程度。位置。それらを複数のグラフとマップに取りまとめ、検討を行った。
その結果、発覚したことは三つ。
明らかに異常な頻度で、『震え』が発生していること。
その震えの程度は、樹海の深部に行くにつれて増大する傾向があること。
そして頻度も振幅も、日を追うにつれて烈しくなってきているということ……。
奇しくもそれを魔導師が確信し、魔法連盟に報告書を提出したその時期は、滅王の再封印の直後。『震え』の起こる『大遺跡』という場所の特殊性は、ふたつの点の間にある線の存在を連盟に推測させた。
つまり。
この『震え』もまた、滅王と関連した何かの事象なのではないか、と。
しかしながら再封印直後から各地で頻発し始めた魔獣災害……これらの対応に追われた魔法連盟は、なかなかその調査に乗り出すこともできず。
あれから数ヶ月が過ぎて、ようやく。
ようやく、調査のための人員を揃えることができた。
滅王の再封印の立役者となった、剣士、聖職者、魔導師の三人。
それに加えて、その剣士の弟子であり、東国では外典魔装の仕掛けを見破った冒険者。その魔導師の師であり、先史文明に関する知識を持つ大図書館の副館長。
つまりは、彼らが。
†
「俺たち、ってことか」
「と、いう形で私は理解しました」
「ああ、そのとおりだ。クラハさんにもよく伝えられたようで安心したよ」
部屋の中は今、三人から五人へと変わっている。
真夏の日差しの差し込む部屋。元からいたのが、ジル、リリリア、ユニス。
新たに来たのが、クラハとウィラエ。
そして今の説明をしてくれたのはもちろん、ウィラエから一部始終を聞き取ってまとめてくれた、クラハだった。
「そっか。なるほどな。……一応訊くけど、俺はそこまで調査役として期待されてるわけじゃないよな?」
「もちろん。お願いしたいのは、僕ら魔導師組の護衛だね」
だよな、とジルは、窓の桟に浅く背中を預けるような体勢で頷いた。
滅王関連、ということはあらかじめ聞いていた。
そしてそこに戦闘が関わるであろうことも、それを聞いた時点で……というか、ユニスからの依頼文の頭に目を通した段階で、予測できていた。
剣を振るしか能がない。
それはしばしば自ら口にすることでもあるけれど、単に事実でもある。
だから一瞬、クラハが話してくれるのを聞きながら「もしかして俺も何らかの解読とか計測とかそういうのをすることになるのか……?」という一抹の不安に襲われていたものの、どうやらそういうわけでもなさそうだとわかれば、後は得意分野の話になるわけで。
だから、そこは全然いいのだけれど。
「……よかったのか?」
ちょっとだけ、思うところがあった。
「ん?」「何がだい?」
「ユニスと、それから特にリリリア。忙しくしてたみたいだし、ここに、」
ほんの少しだけ、躊躇った。
それを自分で言ってしまっていいものだろうか、という逡巡。けれどそのとき、つい先日まで剣を交わして切磋琢磨していたライバルの顔が浮かんだりもしたから、
「ここに俺たちを揃えるのって、危なくないか。外典魔獣が出没したときに前線を張れる戦力って、全体で見てもそこまで多くないだろ」
純粋な戦力評価を元に、その懸念を口にした。
一人でもある程度外典魔獣に対応できる人員を、三人も集中投入することの是非。そのことについて、ジルは訊ねた。
ああ、とユニスが頷いて、
「確かにそのとおり。というか、僕らが春にジルの救援に向かえなかったのもそれが理由だしね。あのときは本当にすまないことをしたよ」
「いや。そっちは別にいいんだが……あ、」
むしろ、と思い出す。
このあたりのことは落ち着いてから散々文通でやり取りしたことではあるけれど、面と向かってからも一回くらいは言っておこう、と。
「ふたりとも、あのときは助かった。おかげで〈十三門鬼〉も〈門の獣〉も外典魔鏡も全て対処することができた。改めて礼を言うよ。ありがとう」
「いやいや。あのくらいは当然の助力さ。いつでも頼ってくれていいんだよ。友達なんだからね」
「そう言ってもらえると助かる。リリリアも」
ありがとうな、と言おうとすれば。
しかし彼女は、どこか考え込むような、真剣な表情をしていたものだから。
「どうかしたか?」
「あ、ううん。ちょっと順番を考えてて」
「順番? 何の」
「お話の順番。……うん。こっちから行こうかな」
まず、とリリリアは。
ポケットから、細い糸を取り出した。
「魔獣災害の対応は、一旦落ち着いたから大丈夫。何かあればすぐに戻るけど、とりあえず〈網〉の量産体制は整えたから」
「え、」
思わずジルが、変な声を上げてしまったのは。
それに、見覚えがあったから。
「それ、師匠が持ってた……」
「うん。ちょうど東国でこれを使って〈十三門鬼〉を討伐してくれたから、各国行政府も積極的に資金援助してくれるようになったんだ」
〈網〉。
以前にヴァルドフリードが旅の途中で聖職者から譲り受けたという、対魔獣索敵用魔道具。
ものすごく便利だ、ということは。
ヴァルドフリードとのふたり旅の途中で、それから東の町での決戦で、ジルは身を以て実感している。
「で、おばあちゃんたち……他の三聖女がパイプを繋いで、国際条約の締結まで持っていったから。外典魔獣が出現した場合には、各国の治安組織はもちろん、教会、魔法連盟、冒険者ギルドが一体になって防衛活動を行えるように体制を整備しました」
「リリリアもそれを見越して、教会本部の舵取りと並行させながら、〈網〉や聖域符の量産に向けた組織整備をしていたんだろう?」
「……どこから聞いたの、ユニスくん」
「風の噂さ」
すごいな、とジルは感心した。
自分が外典魔獣と対峙している間に、リリリアは大局的な部分で状況を好転させていた。ユニスだって魔獣討伐の傍ら、魔鏡からヒントを得て新たな魔法を開発しているし……。
負けていられないな、と思うと同時。
頭が下がるな、と素直な気持ちもある。
「とりあえず〈網〉と聖域符があれば、急に全部ぺしゃんこになっちゃうことはないからね。だからジルくんも、呼び出されるまではしばらく安心してここで調査してて大丈夫だよ。……で、」
そこからなんだけど、と。
リリリアは、席を立った。
ついさっきまで、部屋内の人間配置はこんな感じだった……その場に椅子が三脚しかなかったので、「俺はいいよ」とジルがまず辞退して、当然のようにクラハもその隣に立って、なんだかんだと譲り合いが発生しかけたところでウィラエが「お言葉に甘えよう」「ほら、そちらのふたりも。疲れているだろう」と場を収めた。
するとクラハの解説をジルが隣で、リリリア、ユニス、ウィラエの三人が扇状に取り囲むようにして聞く形になり。
だからリリリアが席を立つということはつまり、こちらに向かってきた、ということでもある。
「ジル殿。クラハ殿」
「え、」
殿、なんて呼び方と。
真剣な声音と、表情と。
「先日は、東国に出現した外典魔獣〈十三門鬼〉及び〈門の獣〉の討伐、加えて外典魔鏡の破壊にご尽力いただき、誠にありがとうございました。
すでに地区教会を通じて御礼は差し上げているところですが、こうして再びお会いする機会にも恵まれましたので、教会を代表し、改めて深く御礼申し上げます」
頭を下げた、その誠実な所作を見れば。
彼女が本当に、心からの言葉を口にしていることがわかったから。
ジルも、
「――こちらこそ。教会の助力がなければ救えなかった人と、町がありました。改めて感謝します。ありがとうございました」
「ありがとう、ございました」
応えなければならない、という強い気持ちが湧き上がる。
同じくらいの誠実さで以てジルは、クラハとともに頭を下げた。
ゆっくりと、それが上がっていく。
顔を合わせれば、少しだけぎこちなくリリリアは微笑んで、
「……ちなみにこれ、ユニスくんには不評だった」
「だって何か、よそよそしい感じじゃないか。ジル、どう思う?」
ユニスの言うこともわからないでもないな、とジルも苦笑した。
が、自分がリリリアの立場だったら――なんて想像をすること自体も畏れ多い気がするけれど、こういうきっぱりとした一幕は、どうしてもどこかで用意したくなるだろうと思ったから。
「どっちでも。あったら応えるし、尊重されてる感じがして嬉しい。なければないでも……信頼されているっていうか、親しいっていうか、そんな感じで」
「ジルってバランスを取ろうとする傾向があるよね」
「さっき宙吊りにしたときもすごい持ちやすかったよ」
それ関係ないだろ、とジルが笑って言えば。
リリリアもユニスも、ふふ、と笑った。
「――さて、」
と、ウィラエが立ち上がる。
「当面の説明は伝わったようだから、一旦解散としよう。改めてジルさん、クラハさん。魔法連盟の一員として、今回の調査協力に感謝する。これからしばらくは同じチームとして、どうぞよろしく」
「いえ、こちらこそ」「よろしくお願いします」
お互いに、軽く頭を下げ合って、
「攻略は早速、明日早朝からを予定している。と言ってもそれほど本格的なものではなく、今後の道行きを早めに理解してもらった方が予定も立てやすいだろうということで、軽めのオリエンテーションをするつもりだ。移動の疲れもあるだろうし、今日は早めに休んでおくことをお勧めするよ。……旅暮らしの長いジルさんと冒険者のクラハさんには不要な助言だろうが、特にリリリアさんと、ユニス」
そちらのふたりは、と彼女が言うので。
ふとジルは、まだひとつ訊いていないことがあったな、と思い出した。
「ふたりは結構早めにこっちに来てたのか?」
「いや、今日着いた。ギリギリまで仕事で……実は今、ものすごく眠いね」
「私も昼ごろ着いたばっかり。今にも寝そうです」
「それでいきなりあんなはしゃいだ悪戯を……」
「別腹みたいなものだね」「はしゃいでる間は楽しいんだよねえ」
言っている傍からふたりの瞼が重くなり始めていることに気付いて、「寝ろ、寝ろ。身体に悪いから」と促せば、「うん……」「はーい」とふたりも大人しくそれを受け入れる。
だから、ウィラエが、
「一旦、私はこのふたりを個室に送り届けてくるよ。廊下で倒れてしまいかねないからな」
「先生。そんな、子どもじゃないんだから……」
「この間も机で寝ていた子が何を言っても説得力はないよ、ユニス。その後でもしジルさんとクラハさんに余裕があれば、他のメンバーとの顔合わせまで案内するが。どうだろう」
「他のメンバー?」
首を傾げれば、「あ、」とクラハが隣で声を上げた。
「すみません、伝え忘れました。今回の調査はここにいる五人の他に、報告を上げてくれた魔導師の方と、その助手をされている方。さらにご友人である外部協力者の方も加えて、計三名が参加される予定です」
先ほどの説明から漏れてしまいました、とクラハが言うのに、いやいや全然ありがとう、とジルは返して。
「クラハはどうだ? 旅疲れとかは……この訊き方、疲れてても申告しにくいな」
「あ、いえ! 全然今日は大丈夫です。むしろ船旅では運動が足りていないので、後で追加の稽古をつけていただけないかと思っていたくらいで」
「お、いいぞ。もちろん。じゃあ、そうだな。明日の朝からってことなら……やっぱり今日のうちに挨拶しておきたいな」
はい、とクラハは頷く。
それから、ウィラエを見た。
「あの、ユニスさんのご到着が今日ということなら、ウィラエさんもお疲れなのではないですか」
「ああ、いや。大した手間では……」
「先ほど建物の見取り図もいただきましたから、ジルさんと私のふたりだけでもご挨拶には伺えます。もし差し支えなければ、ふたりと一緒にお休みになってください」
そんなことを、控えめながらしっかりとした口調でクラハが言う。
むむ、とジルは、それを横目で見ていた。
ほんの少しだけ、ウィラエは考えるような素振りを見せた後、
「では、お言葉に甘えさせてもらおうかな。三人とも一階突き当たりの実験室にいるはずだ。わかるかな」
「はい。大丈夫です」
「では、その形でお願いしよう。何かわからないことがあれば、二階の個室を尋ねてくれ」
はい、とジルもクラハも頷けば、ウィラエは今にも舟を漕ぎ始めかねない様子のふたりに、「さあ、部屋までは眠らないようにな」と声をかけて、立ち上がらせる。
部屋を出るまでの、最後のひとときのこと。
「――ジル」
「ん?」
ユニスが振り向く。
にーっ、と彼は不思議な笑い方をして、
「明日からのこと、僕は楽しみにしているよ。すごーくね」