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0-0 君のことを決める時間




 たぶん、夏の日だった。




 すごく大きな窓だったと思うけれど、今となっては流石にユニスも自信がない。

 子どもの頃は……背丈のもっとずっと小さくて、髪の長かった頃は、身の回りにある何もかもがやけに大きく見えた。椅子に座ればまだ地面に踵が着かなくて、本棚の高いところには背が届かなくて、両親に連れられてきた見知らぬ場所は、名前もわからない生き物が秘密で建てたお城のように思えた。


 けれど、少なくとも当時の彼にとっては、その窓はこの星を覆う空の丸々半分だって映し込んでしまうような、ものすごく大きなもので。

 その空のあまりにも青かったことと、陽射しの白かったことを思えば。


 やはりそれは夏の日だったのではないかと、そう思う。



「…………」

 ただ黙って、ユニスは足先を揺らしながら、窓越しの空を見つめていた。


 鳥が飛んでいる。白か、それか空の色を映して青。群れで、それほど大きさは変わるようには見えなくて、だからユニスにとってはそれらは家族の集まりではなく、友人の集まりのように思える。


 自分には、いないもの。



「――それじゃあ――この学校――無理って――」

「大変――――しかしユニスさんに――当校では――」

「…………」


 うっすらと聞こえてくるのは、ついさっき両親が入っていった部屋からの声だった。

 知っているのは父と母の声で、これは間違いようもない。もうひとりいるのは、たぶんさっき自分たちをこの部屋のあたりまで案内してくれた、白髪の男の人なのだろうと思う。


 また、あまりよくないことになっている。


 何を話しているのかは、ユニスにはわからない。けれど両親がこういう声のトーンになっているときはほとんど間違いなく何かしらの問題が発生していて、しかも大抵、自分がその元凶になっている。そのことはもう、嫌になるほどよくわかっていた。経験の積み重ねは幼い彼をいつも容易く結論まで運んでしまって、そしてほとんどの場合、そこは間違った場所でも何でもない。


 両親も、年の離れた姉兄たちも、いつも「気にするな」と言ってくれる。

 それでも『鈍感さ』にも限度というものがあって、しかもそれは身体や心が成長を重ねるにつれて、どんどんその天井を低くする。


 迷惑をかけているということは、わかっていた。

 しかしそれをどうすれば止められるのかについては、まだ。


 まだ、知らなくて。




「――あまり太陽を、直接見つめない方がいい」

「――え、」




 だから、不意に投げかけられたその声も単なる叱責のように思えて。

 ユニスは肩をびくりと震わせて、恐る恐る、いつの間にか自分の隣に立っていたその人を見た。


 深い藍色の髪の、女の人だった。

 ユニスはその頃、人の顔を見て年を推し量るということが全くできなかったから、その年齢はのちに本人から聞くことで知ることになる。当時の彼女は、三十代のほんの前半だった。


 落ち着いた雰囲気は、それでも今とほとんど変わりがないように思えたけれど、あるいはその頃、自分があまりにも幼なすぎたから、彼女が本来以上に大人に見えたのかもしれない。今になればユニスは、そうしてこの時のことを思い返す。


「目を痛めてしまう。長く使うつもりなら、大事に取っておいた方がいい」

「あ、え……ごめ、んなさい」


 反射的に謝ったのは、家族以外の人と話すとき、あまりその先に良い結果が待っていることがなかったから。


 何を言っているかわからないとか、人を馬鹿にしているとか……笑われるか、怒られるか。大抵は、そのどちらかの結果が待っていたから。そもそも、知らない人と話すことが苦手になっていたから。


「怒っているわけではないよ」

 けれど、彼女は。


「ただ、心配をしただけだ。……隣に座っても構わないかな」

「は、はい」

「ありがとう。それでは、失礼させてもらおう」


 そんな風に落ち着いた低い声で言って、ユニスの隣にゆっくりと腰を下ろした。


 初め、彼女は何も言わなかった。

 ただこちらがしていたのと同じように窓の外を眺めるばかりで……だから、唐突に現れた見知らぬ人物に緊張していたユニスも、やがてその人がそこにいることを受け入れ始めて、少しずつ、肩の力が抜けていって。


 その頃になって、彼女はようやく口を開いた。


「『竜の空』」

「え、」

「好きだろう。違うかな」


 なんで、と。

 思わずユニスは、茫然と呟く。


「なんで、知ってるんです、か」

「ただの手品さ。心を読んだわけでもなければ、魔法でもない。私は、君が私のことを知るよりも少しだけ、君のことを知っている。そこから推測しただけだ」


『竜の空』。

 それは、童話の名前だ。


 きっと、少しでも文字が読める人間ならほとんどが知っている。子どもたちは絵本の中でそれに出会う。そんな、有名な童話。


 ユニスもそれを、何度も何度も繰り返し読んでいる。

 しかしどうして彼女はそのことを……手品と言うなら、少し考えれば自分でも辿り着ける答えがあるのだろうか。そんな風に考えている間に、


「試験の成績は、大変優秀なものだった」

「え、」


 話題が飛んで、


「ご両親は、君のことをよく理解している。あらかじめ『すでに一度の〈体験〉を終えていること』と『飛び級の可能性』を相談してくれた。おかげで君の力を測るために学校長も様々な問題を用意できたわけだが――」


 しかし、と彼女は指を弾いて、それこそ手品のように手のひらから一枚の紙を取り出した。


「一応訊こうか。何点だったと思う」

「……満点」

「自信があるか」


 自信、というわけではないけれど。

 目の前の人物――おそらく先生なのだろう――に対して、テストの結果で何かを言うことは、あまり良い結果をもたらさないと、ユニスは知っていたけれど。


 訊かれたことに答えなければ、呆れられるだけだということも知っていたから。


「……わかんないとこ、なかった」

「そうだな。あとは名前さえ書いておけば完璧だ」


 言って彼女は、ぺらり、とその紙をこちらに渡してくれる。


 答案用紙。

 ついさっき、部屋の中で三時間で解けと言われて、その十分の一の時間で解き終わったそれ。


 名前の空欄だけが赤く囲われて、しかしその隣には『100』の数字と、花丸が添えられている。


「名前は、」

「うん?」

「書かなくていいと、思いました。他に受けてる人、いなかったから」


 誰のテストかわからなくなることがないと思って、と。

 後半はごにょごにょと誤魔化すような声になって、ユニスは言う。


 自分の思っていることを言うと、たとえそれが自分にとってどれだけ正しいと思えることであっても、怒られる。そのことはいつもわかっていた。


 けれど、やはり、


「……一理あるな」

 彼女は、


「答案の記名は、多くは解答者の判別のためだ。確かに受験者がひとりなら、そもそも記名の必要がないと判断する余地もある。すまない、訂正しよう。『これで完璧だ』」


 真面目な口調でそんなことを言うから、かえってこちらが目を見張って、驚いてしまう。


 その間に、さらに彼女は話を続ける。


「そして残念ながら、『このレベルの問題を二十分弱で完答でき』、かつ『魔力暴走が起こる程度に魔法の習熟度が浅い』人間を集団授業に組み込むことを、この魔法学校は想定していない」

「…………それって」


 つまり、と。

 ユニスは、その意味を理解する。


「この学校には、入れないってこと、ですよね」

「ああ。だから『私のところに来るか』と訊くつもりでここまで来たんだ」

「え、」


 まじまじと。

 見つめれば、彼女は落ち着いた顔のままで、


「自己紹介が遅れて失礼したな。私はウィラエ。大図書館で司書長をしている……と言ってもあまり伝わらないだろう。わかりやすいところで言うなら、かつてこの魔法学校と、いくつかの大学校で魔法に関する講師を務めたことがある」

「先生……です、か」

「かつては。そしてひょっとすると、これからは」


 それはどういう意味なのか、と訊ねることをユニスはしなかった。

 だって、提示された情報だけで十分わかる。この人の言いたいことが何なのか。これから自分に、何が言い渡されようとしているのか。


 それはきっと、つまり――


「さて、そろそろ行くとしよう」

「え、」

「話し合いだよ。君のことを決める時間だ。君も一緒に来るといい」


 言われるがまま。

 彼女が立ち上がるのに釣られて、ユニスもまた、立ち上がる。


 背丈はずっと違って、見上げるようにすれば逆光に遮られて、彼女の顔は、彼の瞳に映らない。


 けれど、声だけは、




「竜が、その翼を広げるかどうかを選ぶんだ」




 打ち寄せる波のように、穏やかで。

 だからユニスは、彼女の揺れる手を追いかけて、歩いたのだと思う。




 一度だけ振り向く。


 夏の窓にはもう、鳥の姿はなくなっていた。



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