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エピローグ-3(終) よかったです




 ずびずび泣いている。

 イッカが。



「ぐ……くらバさぁん……ずっといればいいじゃあん……」

「ごめんなさいね、クラハさん。なんかこの子、いざ時間が迫ってきたら、急に泣けてきちゃったみたいで」


 あはは、とクラハとジルが苦笑いするのは、とうとう馬車屋の前。

 この町を出るための、馬車に乗るために。


「ぼくのこ、こと、わすれないで、ね」

「忘れません、もちろん! 色々と、お世話になりました」

「ジルってあれ、前やられてましたっけ?」

「いや全然。俺のときはクワガタ捕まえに行ってて来なかったぞ」


 クワガタはもう追っかけてないし、とイッカが言う。

 今の時代は犬、と。


 相変わらず、夏の日照りがきつかった。

 空ばかり青くて、湿気を帯びた風は、まるで体温を奪っていってはくれない。じりじりと……セミの鳴く声が飽和して、熱い水溜まりの底にいるような、夏だった。


「まあ、このへんは夏死ぬほど暑いですからね。もうちょっと涼しい地方に行くっていうのも全然アリだと思いますよ。……で、どこ行くんでしたっけ」

「南」

「馬鹿じゃん?」

「俺もちょっとそう思う」


 ふふ、とチカノは笑って、


「ま、クラハさんと一緒にいるなら、次はいつでも来れるでしょう。誰かに負けたくて負けたくてしょうがない、という気になったら、また来なさい。その期待、叶えてあげますよ」

「〈体験〉を重ねて差が付いたという確信が得られたら、そのタイミングでまた来るよ」

「恥ずかしくないんですか、自分が勝てるときだけ都合よく……」

「そっちはそっちで俺のこと都合よく使って気持ちよくなろうとしてるだろ」

「歪んだ友情です」

「自分で言うな」


 怪しい会話を、ジルたちがしている横で。

 イッカはクラハに。


「……あのさ、まじめな話、していい?」

「はい。なんでしょう」

「すっっっっごく正直な話、僕最初、クラハさんのことナメてた」


 ん、と。

 流石にクラハも、正面からの言葉に動揺するけれど。


「でもね、」


 しかし当然、その続きがあって。


「その……助けてもらったことも、そうだけど。一緒に戦ってくれたことも、そうだけど。その……なんていうか、全然、上手く言えないんだけど」

「……はい」

「今はすごく、尊敬してるんだと思う」


 ありがとうございました、と。

 深く彼は、頭を下げるから。


「――こちらこそ。イッカさんにはたくさんの勇気をもらいました」


 ありがとうございました、と。

 クラハも、頭を深く下げ返して。


 たっぷり三秒。


 それを起こせば、おずおずと。


 イッカは顔の前に、両手を掲げた。


「……あの、あれ。ジル先輩と、よくやってるやつ。いい?」

「――もちろんです!」


 それは当然、ハイタッチのサイン。


「……いえい!」

「いえい!」


 その光景を、ジルと一緒に微笑んで見ていたチカノは、ふと、


「――私たちも、やりますか」

「いいけど……全力でやるなよ。喧嘩になるから」

「一石二鳥じゃん」

「やめろよ」


 わーってますって、と。 

 本当にわーってるんだかわーってないんだか、よくわからないような相槌を、チカノは打って。


「いえーい!」

「いっ……おい!」


 凄まじい音にクラハが驚いて、イッカが笑って。

 なんだかんだで、チカノもジルも笑って。


 そんな調子の、旅立ちだった。






「お、」

「あ、」


 馬車の中。

 がたごとと揺れる車内で、それが取り出されるところを見て、声を上げれば。


 おずおずと……クラハは顔を隠すようにしてそれを持ち上げて、タイトルを見せてくれる。



『よかったことリスト』



「早速か」

「早速です。……その、今日は。すごく嬉しいことを、たくさん言ってもらえたので」

「よかったな」

「はい。本当に、よかったです」


 しばらくジルは、クラハがそれを書き留める間、自分の視線を彼女が気にしないで済むようにと、窓の外の風景に目をやっていた。

 かつて〈呼応深山〉として戦闘領域にされていた山の中……しかし今は、その面影もなく。ただただ、濃い夏の匂いだけが、肺一杯に流れ込んでくる。


 ペンの音が止まったので。

 そろそろかな、とジルが顔を戻せば。


「あ……」


 彼女は、二冊目を取り出していて。

 そこには、こう書いてある。



『ダメだったことリスト』



「……そっちも、早速だな」

「はい。あの……チカノさんからは、やめた方がいいと言われたんですが、でも、」


 クラハは少し伏し目がちになって、


「これに助けられたことも、たくさんあるので……」

「……実はそれ、俺も昔、作ったことがある」


 え、と驚いた声を上げる、クラハに。

 すぐになくしちゃったんだけどな、とジルは照れ笑いをして。


「でも、なんだろうな。俺の場合はたぶん、ストレス発散で……書いてる間は、楽になった気がする。だから、全部をいきなり変えたりする必要は、ないんじゃないかな。傷つくために書いてるってわけじゃないなら、それで」

「…………はい。ありがとう、ございます」


 うん、とジルは頷いて再び視線は、窓の外。

 今度はペンの音は、さっきより少しだけ、短く終わる。


 ひょっとすると三冊目も出てくるかもしれないから――としばらくそのまま顔を背けていれば。


「ん――」

 ふと。

 後ろ髪に風を感じて。


 振り向けば。


「あ、暑いのかなと思いまして……」


 クラハが。

『ダメだったことリスト』を団扇代わりにして、扇いでくれていた。


 ふ、と笑ってしまって。

 そういえば自分も紙なら持ってるな、と思ったから。


 ジルは、バッグの中に手を突っ込んで、これから手紙になるはずの束を掴んで。


「わっぷ……!」


 勢いよく、クラハに風を送った。


「ありがとな。お返しだ」

「あの、釣り合いが全然――」


 前髪がばさばさと乱れ始めたから、流石に悪いかとジルが止めれば。

 さっさ、とクラハもすぐさまそれを直して。


 それから、ふふ、と。

 お互いに顔を見合って、笑い合った。


「これから行くのは、南の国なんですよね」


 それを契機に、クラハが言った。


「行ったことがないので……楽しみです! その、やっぱり暑いところなんでしょうか」

「どうだろうな。人によっては東の国の夏の方がきついって言う人もいるし……ああ、ただ、陽射しがきついかも。長袖着てた方がいいぞ、暑くても」

「あ、でも私、日焼けはそんなに……」

「いや、ほとんど火傷みたいになる。西の砂漠とかもそうなんだけど」

「あ、それ。本で読んだことがあります!」


 流石物知り、とジルが言えば。

 あ、でもそんなに、全然、とクラハは焦ったように言って。


 ところで、と話を逸らし始める。


「南行きのきっかけになった……」

「ユニスからの手紙か?」

「はい。あのお返事って、まだ出していないのではと……あ、すみません。余計なお世話ですね……」


 そんなそんな、とジルは言う。

 いつも出してもらってるんだから、むしろこっちこそありがとうだ、と。


「でも、あれは別に、出さなくてもいいんだ」

「そうなんですか?」

「ああ。すぐに会うことになるから、それまでお互いに話すことを溜めておこうって、一旦文通はストップ中。だからちょっとこの手紙用紙もどうしようかって――あれ、」

「? どうか……あ、」


 落ちてますね、とクラハが背を丸めて拾ってくれるより先に、ジルは自分で拾い上げる。


 それは、小さな紙だった。

 手紙の用紙サイズには、程遠い。


「切れ端ですか?」

「ああ。どっか破け……」


 ちゃったのかな、と言い切るには。

 あまりにもよく見た筆跡が、そこに載っている。




『泣きそうになったら、助けにいってあげますよ。お返しにね。

 ありがと。』




「……あのときか」

「……?」


 器用なことするやつ、とジルは苦笑する。

 ハイタッチの間際に袖に入れ込まれて、今、大きく動いたからそこから零れ落ちたのだろうと、わかったから。


「あの、ジルさん」

「ああ。何でもないよ。ただのメモ――」

「あ、すみません。裏側にも何か書いてあるなと思って、気になってしまって」

「え、」


 そっちにもあるのか、と裏返せば。

 そこには、こう書いてある。



『追伸:今言え』



「……ど、どうかされましたか。急に顔色が……」

「……クラハ、あのさ」


 とうとうジルは、ここに来て観念した。

 たぶん今を逃したら、一生言うタイミングはない。そう思ったから……チカノからのメッセージに背中を押してもらった気になって、そう決めた。


 今言おうと。

 今伝えようと。


 そう、決めた。


「……実は、大事な話があるんだ」

「――は、はい! 大丈夫です! 準備、できてます!」


 え、と思わず。

 口から洩れ出たのは、意外か、それとも安堵の息か。


「聞いてましたから。いつでも、大丈夫です!」

「聞いてた?」

「あ、はい。ヴァルドフリードさんから、一応……」


 なんだ、と。

 なんだ、なんだ、なんだ、と。ジルは。


 なんだ師匠はあれだけ「マトモな神経じゃない」とか「自分で言え」とか「理屈を捏ねる前に自分の異常さを省みろ」とか……そんなことばかり言っていたけれど。


 なんだ、実は裏で。

 こっそりクラハに、伝えてくれていたのか、と。


 本当に良くないことだと思うけれど……それでも、肩の力が抜けてしまう。師匠に対する感謝の念が生まれてしまう。


「そっか。じゃあ、平気だな。今まで、俺の口からは伝えてなかったんだけど、改めて」

「はい!」


 だから、ジルはとてもリラックスして。

 こんなことを、口にする羽目になる。







「俺の目に罹ってる呪いは、竜のと狼のとで、二つあって。


 狼の方を解かないと――再来年くらいに、死ぬんだ」







「え゛、」


 あれ、と。

 クラハの反応に気付いたときにはもう遅く。



 ところで馬車の外の空は、途方もなく青かった。


 あまりにも青い――夏の光と合わせれば、その空の奥にある宇宙まで見通せてしまいそうなくらいの、透明な青が、ずっと広がっている。


 葉擦れ、木洩れ日、セミの声。

 陽光眩しい季節彩るそれぞれを、世にも珍しい驚愕少女の大絶叫が、一際大きく揺らめかせ。


 それからその青空に。

 光のように吸い込まれて、消えていってしまう。



 夏の街道を、馬車がゆっくりと、遠ざかっていく。

 そしてそれに乗る、焦りまくりの一人の青年――彼のバッグの中には、こんな手紙が、入っている。






『ジル   へ

 リリリア へ



 魔法連盟からの要請です!

 僕と一緒に、先史大遺跡で大冒険!

 早く来てね、待っているよ!!



 ユニスより』






(二章・了)

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