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エピローグ-1 行きましょう




 無事でよかった、おめでとう、と。

 その言葉と宛名のほかには、何も書いていない。


 すごく急いで書いたらしい手紙が、二通だけ。







 セミの声の煩い季節になってきた。



「十戦四勝~!? 惜しい! あと一息!」

「……なんか、勝ったのに落ち込んできた」

「もっかいやりましょ。そろそろ勝ち越します」

「嫌だ。旅立ちのときくらい俺は清々しい気分でいたい。たとえギリギリでも」


 えー、と拗ねたふりをするチカノを。

 絶対やらないぞ、とジルが突っぱねている。



 それは、道場の敷地の中。

 東の国の小さな町……魔獣の脅威に晒されていたのも、もう二ヶ月前の話で、今はすっかり平和になった町の中。


 日照りを少し避けて、一番大きな庭木の、濃い影の下。

 ジルとチカノは、ついさっきまで刃を合わせていて。


 今やっと、決着がついた。


「いいじゃないですか、もう一回くらい」

「一日一回の約束だったろ」

「そうですけど、ほら。最後の日ですし。記念に……」

「記念に?」

「十戦やって十戦負けるという希少な体験をお贈りますよ」

「旅の思い出として最悪すぎる」


 いいじゃん、とか。

 嫌だ、とか。


 そんな話を……ふたりはこの暑い季節に、お互いに汗をだらだらかきながら、楽しんでいて。


「でも、毎日の勝負のおかげで随分強くなれた。それには礼を言うよ、ありがとな。絶対強度が上がる一方で相対強度が下がっているのは釈然としないが」

「話をシメにかかるってことは、首をシメられる覚悟も……」

「あるわけないだろ」


 なんだかすっかり、懐かしい気持ちになりながら。

 ああそうそう、チカノって最初の頃はこんなんだった……そう思いながら、それはそれとしてどう逃げるかの算段を、ジルが立て始めたところで、



「うぎゃー!!」



 すごい声が響いた。

 ので、それを口実に逃げ出すことにした。


「事件だ!!」

「逃げるな!」


 だっ、と走り出せば、流石にジルの方が速いけれど。

 しかし途中で普通に全然違う道を行き出して――「アホか」とチカノに首根っこを掴まれて、本来の目的地まで連れて行ってもらうことになる。


 すると、そこには。

 網に捕えられて、庭木に吊り下げられた、イッカの姿があった。


「本当に事件だな」

「イッカ……一体何をしでかしたんですか」

「何もしてないよ! ……いや、してたけど!」

「してたのか」

「してたんじゃないですか」

「ちがうー! そういうのじゃなくて……あーもー! クラハさんに最後、一本取られたー!」


 へえ、とジルが眉を上げれば。

 とことこと遠くから、クラハがやってくる。


「か、勝ちました……!」

「やったなクラハ! いえい」

「いえい!」


 ぱちり、とちょっとだけ様になり始めたハイタッチを、ふたりはして。

 その一方で、チカノとイッカは。


「イッカ、何という……知略で負けるとは、うちの流派の風上にも置けません」

「えーっ!? うちってみんな押せ押せ単細胞じゃん! 魔鏡の仕組みを解けたのも戻ってきた組含めてサミナト先生しかいないし!」

「じゃあ風上に置いておきます」

「えっ……ちょ、ちょっと荷が重い……」


 さらにその一方で、ジルとクラハは。


「なるほどな。行動経路を予測して罠を張ったのか」

「はい。できれば未剣を使って一本をと思ったんですが、それより今の自分にできることはなんだろうと考えて、ちょっと卑怯な手ですけど……」

「いや、そんなことはない。イッカの方が単純に戦闘技能では格上だからな。正面からじゃなく自分の得意な面を当てていく……それも秘剣を引き出すためには有効なアプローチだ。たくさん考えて、たくさん試してみよう」

「はい! ……でも実は、未剣で勝つのもやってみたかったので、心残りで。よければ少し、相談に乗ってもらえると……」

「もちろん。そうだな、今のところ〈装填〉に時間がかかるから……」


「……チカノ先輩。僕、あっちがいい」

「ジル。私とあと三回やるなら、クラハさんとイッカの試合もう二回組んであげますよ」

「平然と売られてるし」

「価値のないものは売りに出されませんよ」

「……確かに!」


 騙されてるぞ、とジルが言えば。

 騙されてるんじゃん、とイッカがチカノに噛みついて。



 ところでその一方、また屋敷のどこかで、どごぉん、と震えるような音がする。



「…………なんか悪いな、うちのおっさんが」

「…………いや、うちのおじじでしょ、どうせ。ああはなりたくないもんですね」

「まったくだ」

「えっ? この二人はもうなってるよね? クラハさん」

「えっ…………」


 戸惑いの隙間。

 普通に口を滑らせたイッカだけが、チカノにシメられかけて、しかしどうにかその手から逃れようとひゅんひゅん逃げ回っていると、不意に。


「お、四人ともいる。ご飯の時間だよー!」

 かけられた声は、ちょうど縁側を歩いてこちらを探していたらしい、門下生のもの。


 はーい!とこれ幸いとばかりにイッカは逃げ出して。

 行こ行こ、と手招きをされれば、クラハもすぐに、それに続いていく。


 少しだけ、ジルとチカノのふたりは遅れて。

 何をするでもなしに、その少しだけ遠ざかっていく姿を見つめながら――。


「あ、そういえば」

「ん?」

「結局、どうでしたか。うちに来て」


 問題は解決しましたか、と。

 しゅんしゅんと鳴くセミの声に紛れて真夏、今にも水に変わって零れてしまいそうな湿度の空気に伝えて、チカノが囁いた。


 それに、うぅん、と悩まし気な声で、


「最初に考えてたような形で解決はしなかった……けど」

「けど?」

「……ふたりきりでいるよりはずっと、お互いが何を考えてるかってことに気付けたと思う。解決とか、そういう単純なことじゃなくて。もっと話をして、色々な場面の中で、お互いが居心地のいい形を探していければいいと――」


 今は思ってる、とジルが言えば。


 ふうん、とチカノが頷いて。

 ありがとう、と言葉が紡がれる前に。


「ねー! ふたりとも、先に食べちゃうよ!?」

「ジルさん、食堂までの道って……あ、チカノさんがいるから大丈夫ですよね」


 イッカが、消えていったはずの廊下の向こうから再び現れた。

 それから控えめに、その後ろから、クラハも顔を出して。


 しばらく、ジルとチカノは。

 まじまじとそれを見つめてから――ちらりとお互いに、視線を交換して。


 ふにゃり、とふたりで笑い合う。




「いま行くよ」

「行きましょう。一緒に」




 そうして四人は、ゆっくりと屋敷の中へ入っていく。



 真っ青な空に、入道雲がもくもくと立っていた。



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