8-3 ありがとう
どぉん、と。
凄まじい地響き――物見台の上に立っていたクラハが一瞬、この高台が倒壊するのではないかと不安になるほどの衝撃。
そこから、町中での戦闘は始まった。
「戦闘通信、開始します!」
叫べば、その物見台の上――クラハよりも優れた聖職者や魔導士が、同じく〈通信〉魔法による補助を始めてくれる。
戦闘領域は、東北東と西南西。それが交互に。
より、自分が伝えるべきは――、
「常に対称位置情報を伝え続けます! ヴァルドフリードさんは、迎撃の準備を!」
返事の代わり、とばかりに撃音が響いてきて。
〈門の獣〉――虎は今、ヴァルドフリードのいない方。集団戦闘の渦の中、再び姿を現すことになる。
クラハは当然、決戦までの日々を何もせずに過ごしていたわけではない。
大きく分けて、やったことは二つ。
その一つ……教会や魔法連盟の面々と取り組んだことが今、活きている。
それは町の中心地――つまりこの見張り台から見た、位置対称の感覚の習得。
今のクラハはほとんど小指の長さ程の狂いもなく、東北東の虎が、西南西に〈魔鏡転移〉した場合の出現位置を予測することができる。
常にそれを、ヴァルドフリードに伝えること。
それはすなわち、西南西における実質的な『必殺』を意味しているから――。
バチリ、と。
東北東で、稲妻が光った。
「――東北東戦闘班は、できるだけ中心地に〈門の獣〉を追い込んでください! ヴァルドフリードさんの秘剣の間合いに両方が入れば、自動的に勝利です!」
了解、とは向こうにいる送信役の魔導士からの声。
「左二歩、前三歩――赤屋根まで移動! 数秒後、出現可能性があります、構えて!」
じりじりと――。
虎は確かに、町の中心地まで前進を続けている。
一見、魔獣に攻め込まれているように見えるこの状況。しかし攻めているのは、追い込んでいるのは、むしろ人間の側で。
〈門の獣〉は強力だ。
現存する種は〈十三門鬼〉とは比べ物にならないとジルは言うけれど――しかしそれはやはり、決して脅威ならざることを意味するわけではなく。
町の第四番目の戦力を持つイッカすら、まともには組み合えない。
そんな魔獣を……しかし今、道場も、教会も、魔法連盟も。誰もが力を合わせながら。
少しずつ――決着の場所へと、追い詰めている。
クラハは剣を、握り締めている。
それが決戦の日までの、もう一つ。
†
第一段階はクリア、と。
再び己の持ち場――〈呼応深山〉北東部に〈十三門鬼〉が姿を現すのを目にして、ジルは。
南西部でチカノが鬼を相手に致命となるはずの一閃を放ったことを理解して……思わず、複雑な気持ちになっていた。
こっちはこの地を出てから、さらに数年。
最高難度迷宮を踏破するという凄まじい荒行まで成し遂げた末に、今の強さがあるというのに。
「平然とやるよな、あいつ――!」
しかし足らないセンスを嘆いても詮のないことで。
ジルは再び、それを唱える。
秘剣。
「――流石に、二回目じゃまだダメか!」
ザン、と一閃。
されどそれはやはり、〈魔鏡転移〉の発動を妨げられないまま。
ジルはさらに、辺りに視線を巡らす。そこに存在する魔法陣。その光るのを見ながら、追いかけながら――ずっと、狙い続けて。
「――そこだッ!」
〈十三門鬼〉が再び現れた瞬間に。
剣撃一閃。
やはりそれも、まだ捉えるには至らない。
けれど――、
「それでいつまで――」
「――逃げられますかね」
居合一閃。
〈呼応深山〉南西部。チカノの刀が、やはり鬼を追い詰めて。
流石にジルのように一撃とは言わない――ギン、と鬼の爪に、刀を防がれる。それは純粋に、チカノが彼に比べ、膂力と速度に劣るからであるけれど。
「一手、」
剣術とは。
単に膂力と速度だけが、その強さを決めるものではない。
くるり、刀は鬼の腕を巻き込んで、圧し折らんとして曲がり。
「二手、」
それを嫌がった鬼が後方に跳ぶ――それにやはり、チカノは音もなく追い討ちの突きを伸ばして、
「三手……」
それを掴んで防ごうとした鬼の手を――花が幼子の手から逃れるように、ふらりと刀は、抜け出でて。
首狩りの一閃が。
再び〈十三門鬼〉の下へ。
「そら、交代――」
「――甘いんだよ」
〈魔鏡転移〉と同時の、鬼の不意打ち。
魔法陣の光から出現位置を予測していたジルは、難なく防いで。
「はッ――!」
袈裟から斬り掛かって、防がれれば回って、胴を払う。それを相手が無茶な姿勢で躱そうとすれば――、
「――遅い!」
その振り抜きの途中で剣を下ろしながら、さらに一回転、間合いを一歩分詰めて。
どう、と鬼の腹を、蹴り抜いた。
とうとう入った一撃は、致命際以外での〈魔鏡転移〉を〈十三門鬼〉がリスクと思い始めた証拠――多少の傷を負ってでもどちらか片方を先に撃破することで、最終的な両獲りを鬼が狙い始めたことの証左で。
それ自体は、賢いことだと思うけれど。
「片方だけでも倒せると――」
「――思っているなら、お笑いです」
一撃。
三手。
遠い場所にいるはずの二人の剣士――その呼吸は、〈呼応深山〉の恩恵の中、どんどんと重なり始め。
一撃、三手。一撃、三手。一撃、三手――。
応酬は、加速し。
決着が、近付いている。
†
もしもあるとするなら、と。
クラハはあらかじめ、考えていた。
「もう少しです――もう少しで、秘剣の射程内です!」
一見、作戦は完璧なように見えた。
ヴァルドフリードの常時牽制。それによって着実に、集団戦で中心部へと虎を追い込む。そして最終的には、ヴァルドフリードが一気にそれを片付ける。
理想的で、確実性も高い。そんな作戦。
けれど――。
「うわあっ!!」
「グォオオオオッ!!」
その声は、もう通信を使わなくても、聞こえてくる。
ほとんど見張り台のすぐ下まで来ている――〈門の獣〉の立ち位置の両方が、ヴァルドフリードの秘剣の射程に、もうすぐで収まる。
その間際のこと。
虎が、吼えた。
「マズ――下がれ!」
「だけどもう少しで――」
「馬鹿! 作戦通りだろ、遠間から弓主体に切り替えろ!!」
やはり、とクラハはそれを見た。
予想していたとおりだった。虎が、魔獣が、そう上手く動いてくれるわけもない。
ヴァルドフリードに一撃されて終わることがわかっているなら――とにかく、〈魔鏡転移〉など度外視して、集団戦の側で、後先考えずに闇雲に暴れてやればいい。
もうそこには、傷を負うことへの忌避も、立ち回りに対する知性も、何もない。
単なる暴威――それだけが、そこにある全て。
だからこそ。
「クラハ! 俺が行くか!?」
「ダメです! まだ秘剣の射程圏にありません!」
ヴァルドフリードが、そちら側に駆けつけることは無意味だ。
その移動の隙に〈門の獣〉は〈魔鏡転移〉を行えば、むしろ西南西の側は防衛人数も少なくほとんどガラ空き――ここまで追い詰めたのが無駄になって、山へと逃げ帰ってしまう。ひょっとすると、鬼と交戦中のチカノに対し、挟撃を許してしまうかもしれない。
だから――、
「――私が、行きます」
心臓が、強く脈打っている。
けれどまた、このことも作戦通り――事前に想定していたことだから。
色々な人と、相談して。
自分で決めた、ことだから。
クラハは、見張り台の縁の上に、両足で立つ。
それから、通信の呪文を唱え、イッカに作戦開始の合図を送る。
「…………! 了解!」
彼は、こちらを一度、振り仰ぎ。
それから頷いて――その両腕の魔紋に力を溜め始める。
虎の暴走は続く。けれど道場、教会、魔法連盟――三機関の人々がまだ、持ちこたえてくれているから。
「――――〈装填〉開始」
クラハは、そう。
瞑目し、集中しながら、唱え始めた。
まだこの技を使いこなすことは、できていない。
十二日の特訓――必要な材料はすでに揃ってはいたけれど、それを実戦の一瞬で咄嗟に発動するには、まだ至らない。
だから。
あらかじめ、入念な準備を。
「――〈吹け、強く〉――〈力なきものには、鋼の腕を〉――」
風が舞い上がる。
全身の身体能力が、底上げされる。
さらにクラハは、唱え続ける。
サポーターとして専任していた頃に覚えた、汎用性の高い魔法。武器の強化。それからジルに教えてもらった、呪文に頼らない、内功による身体強化。
決して自分は、強くない。
そのことは誰より、自分自身が、よくわかっている。
けれどこの技は。その強くない人間が、ほんの一瞬だけ。
『強いところ』だけを複合して、混合して、爆発させる技だから。
だから、きっと――
「――え?」
不意に、クラハは気付く。
この事前準備――〈装填〉。その量がどうにも、自分の力を超えている。稽古でやったときよりも、随分大きい。そう思って。
振り向けば。
物見台に一緒にいた聖職者と、魔導師が。
「頑張ってきて、クラハさん!」
「お願いします!」
補助に、入ってくれていて。
ああ、とクラハは、思う。
そうか。
「――――ありがとう。行ってきます!」
誰かに支えられることは、こんなにも。
勢いよく、彼女は飛び出した。
†
奇しくもそれらは――同じ瞬間の出来事だった。
つまり、四箇所での戦闘。それらの結末は同じ速度で、やってきた。
「これで終わりだ――っ!」
「そら、終いです――」
〈呼応深山〉の北東部と南西部。
ジルとチカノ。同時戦闘の中で二人の呼吸が完全に合致し、お互いがお互いの足運び、剣捌き、そして一撃を放つタイミングを完全に理解した瞬間と。
「――やるじゃねえの、ガキども」
小さな町の、中心からやや南南西に外れた場所。
ヴァルドフリードが物見台からの伝達魔法を受け、決着を予感した瞬間と。
そして――、
「クラハさん!」
「イッカさん!」
町の中心、やや北北西に外れた地点。
〈装填〉を終えたクラハが物見台から落下、〈門の獣〉の頭上から強襲し、一方 地上、間合いを詰めて踊り出たイッカが、魔紋を限界まで励起させる瞬間が。
重なって。
「秘剣――!」
「〈花々――」
ジルが剣を構え、チカノが刀を握る。
「秘剣!」
ヴァルドフリードが、大剣を担ぐ。
そして――、
「未剣――」
「〈摩訶――」
クラハが風の勢いに乗って、夜を真っ二つに割って、落ちてくる。
〈門の獣〉がそれに勘付いて、迎え撃たんと首をもたげる姿を、彼女は見ながら。
ひどく当然のように。
虎の牙と爪の届かない後ろ脚の側へと――空中で軌道を変更し。
叫んだ。
「――〈追い風〉!」
だから彼女のそれだけが、一瞬だけ早い。
全力の一撃だった。自分の持てるもの、引き出してもらったもの、そして支えてくれる人の力まで最大限を、最も有利になる角度から、叩き込む。
それでも今の彼女には、〈門の獣〉の後ろ脚の腱に傷を付けて、一瞬、体勢を崩させるのが精一杯で。
もしもその一瞬の後があったとするなら、彼女の命は、奪われていたはずだけれど。
その一瞬の後は、存在しない。
〈呼応深山〉で。
「――〈月の夢〉」
「――流転葬〉」
ジルとチカノが、終幕の剣撃を放ち。
町の西南西地点で。
「〈天蓋落とし〉!」
ヴァルドフリードが逃げ場を塞ぐため、その大剣を振り下ろし。
そして、東北東地点。
状況はシンプル。かつて牛型の〈門の獣〉を相手に病み上がりの疲弊した状態で、真正面から取っ組み合って投げ飛ばしたイッカが、今。
その場にいる、多数の応援の力を受けて。
クラハが体勢を崩した虎……それが、最も無防備になる角度から。
無鉄砲な少年にありがちな、信じられないほどの全力で――。
「――雷天双〉!!」
雷光は凄まじい音ともに、宵闇を引き裂いて。
だから、そう。
決着は、全て同時で。
結末も全て、同じだった。