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7-2 思ってること全部言え



「…………どうする」

「…………いやマジ、どうしましょうね」


 縁側で。

 ジルとチカノのふたりは、屈みこんで、額を突き合わせて、話していた。


 こんなときに限って雨は上がってしまっている――だから、すぐ傍の部屋で待っているクラハとイッカのふたりのところにまで響いてしまわないよう、小声で。


「ていうか、本当にふたり一緒に行くのか? 別々の部屋に分けた方がいいだろ」

「でも、ヴァルドフリード先生がそうしろって言ってたんじゃないですか」

「いや、あいつ普通に適当吐くぞ。俺はエビがセミの仲間だとかいうのを二年くらい信じ込まされてた」

「いやエビはセミの親戚でしょ」

「え?」


 一瞬、会話は止まったけれど。

 しかしそこは本質的なことではないので、流されて。


「でも、嫌だろ。人前で叱られるの」

「そうですけど……でも正直、私はジルにいてもらった方が助かりますよ」

「なんで」

「叱るとかじゃなく、ただ怒るだけになっちゃいますから」


 だいたいね、とチカノは言う。


「あなたたちと違って、私とイッカって精々姉弟弟子くらいの関係なんですよ。真向から行ったらブチギレてひっ叩いて終わりじゃないですか」

「怖い怖い怖い。やめてやれよ」

「ってなるでしょ。だから止めてくれる人が要るわけじゃないですか。あなた無限に甘いし適任でしょう」


 まあじゃあ、とジルはその発言を受け入れてから、


「でもそっちは上下関係みたいなのがあるだけいいだろ。先輩後輩でもなんでも」

「そっちだってあるでしょ。クラハさんの態度見れば」

「俺の中にはないんだよ。……叱るどころか、怒るところまでいかないかもしれないぞ」

「うわ薄情」

「……薄情かな。本当に、怒る理由すら思いついてないんだが」


 いやそれは、とチカノが顔を顰めた。


「……じゃあやっぱり、私が横ついてた方がいいですよ」

「……そうかなあ」

「てかもう、私はどうせやらなくちゃいけないんで、悩むならとりあえず私の方のだけ見といてください。イッカも別に、あなたに見られたところでどうってことないでしょ。あの子が壺割ったときに一緒にお父さんに謝ってやってたじゃないですか」

「そういう次元の話じゃ――、」


 かたり、と。

 部屋の中から音がして、びくり、とジルとチカノは、そちらを見る。


 朝日が障子紙を、これ以上ないくらいの真っ白に照らしている――その向こうで、何かが動いた。続けて何の動きもなければ、ただの身じろぎか何かだったのだろう、とわかるけれど。


 気持ちの上では、焦ってしまったから。


「――よし、行きましょう」

 すっく、とチカノが立ち上がる。


 おいマジか、と座ったままジルは、彼女の袖を引いて、


「もっと綿密な作戦を立ててからだな……」

「五年くらい?」

「最大三時間で切ろう」

「行くぞおら」


 ぐい、とチカノから反対に引っ張られて。

 そこは流石に彼女も力の使い方が上手い。特段の勢いはつけず、体重差だってある状態でも、頑とした抵抗の意志がないだけで容易くジルは立たされてしまって。


 しかしここは確かに、彼女言うとおり覚悟を決めていくしかないか――そう、瞑目しながら考えて。


 あ、と一言。


「アドバイスの紙」

「あ、」


 同じくだったらしい。

 チカノもまた、ジルと同じように緊張して、そのことを忘れていたようだった――ヴァルドフリードから渡されたアドバイス。それが書かれた、小さな紙。


 お互いに、一切れずつ貰っていたから。

 せーのでふたりは、それを開いて。


「……なんて書いてある?」

「たぶん同じ」


 再びせーので見せ合えば、こう書いてある。




『隣にいるやつを信じて、思ってること全部言え』






 すう、と静かに戸は開かれた。



 びくり、と隣のイッカの肩が跳ねるのが、クラハの目に入る。

 気持ちはよくわかった。自分だって、感情表現を表に出すなら、そういう形を取る。


 自分が悪いというのは、わかっていても。

 怖いものは、怖いから。


 ジルとチカノ。

 ふたりが並んで入ってくれば、怯えるような気持ちは、出てしまう。


 先にチカノが座る。その横に、ジルも腰を下ろして。

 さて、と。少しだけ、躊躇うような間の後に。


「――これから、説教をします」

 チカノがそう、宣言した。


「イッカ」

「――っ」


 呼びかけれれば、やはり。

 イッカは大きく、俯いて。


「私が何に怒ってるか、わかりますか」

「おい、待て待て待て」


 しかし。


 クラハは一瞬目を見開いた――ジルがすぐさま、少し焦ったような顔で、チカノの言葉を止めに入ったから。


 対照的に、止められたチカノは、やや不機嫌そうな顔で。


「なんですか、早すぎでしょ」

「いや、その怒り方はやめてやれよ。何かやらかした後なんて、いくらでも自分のダメなところが思いつくんだから」


 確かにそうだ――と。

 クラハは思う。自分だってそうだから。失敗したあとは、ずっと自分の至らなかった点ばかりが目に付くようになる。毎分毎秒、何かしらの間違いを犯し続けているような、陰鬱な気持ちになる。


「ちゃんと『自分が何を問題として見ているか』は明示してから話を始めた方がいい」

「でも、失敗に対する理解度を測るのも大切なことです」

「それはそうだけど……この雰囲気でやったってただの粗探しになるだけ――」



「ごめんなさい!!」



 大きな声で。

 ジルとチカノが言い争っているのを……間に割って入って、止めるように。


 イッカは、その言葉を口にした。


「すみま、せんでした。勝手な行動を取りました」

「……勝手な行動っていうのは?」

「対魔獣戦の作戦が決められているのを無視して、自分の感情を抑えきれず、飛び出したことです」

「その結果どうなりましたか?」

「……迎えに来てくれたクラハさんの命を、危険に晒しました」


「あ、あの、」

 思わず、クラハは口を挟んだ。


 だってそれは、と。

 思うところが、あったから。


「それは、イッカさんの問題ではないと思います。私が『やる』と言ったことですから。その部分の責任は、力の足りなかった私にあります」

「いや、クラハさんは悪く――」

「当然です」


 イッカの言葉の途中で、チカノはきっぱりと。


「あなたが山に出て行かなければ、クラハさんが危険な目に遭うことはありませんでした。その部分は明確に、あなたの責任です」

「……はい。そうです」

「でも、その追跡をクラハさんに任せたのは……指揮する私の見通しの甘さが原因です。申し訳ありませんでした。クラハさん」

「え、」


 深々と。

 チカノがこちらに頭を下げてくるのに――どうしたらいいのかわからず、クラハは咄嗟に、同じくらい頭を下げて返す。


 それからようやく頭が追い付いて、「いやそんなことは」と反論しようとしたときにはすでに、会話は再始動を終えている。


「でも、そこはイッカの失敗の、本当の部分ではありません」


 今度は、え、と声を上げるのはイッカの番。


「はっきり言ってしまいますけど、あなたが勝手にどこかに出て行ったって、放っておいてしまえば何の問題もないんです。別に、あなたが死ぬだけで終わりなんですから」


 一瞬、クラハは。

 胸の締め付けられるような気持ちになる。誰かが死ぬだけで終わりなんて言葉、自分に向けられたものならいいけれど、しかし、だから――


「ま、待ってください」

 思わず、声を出していた。


「イッカさんが出て行ったのは、〈十三門鬼〉を討伐するためです」

「ちょ、ちょっと――」

「自分のせいで、サミナトさんが死んでしまうと思ったから……何とかしたいと思って、危険な夜の山に、ひとりで戦いに行ったんです」


 どの口が、と自分で思う。

 理由があるから許してあげてください、なんて。自分が彼をちゃんと引き連れて帰ってくることができれば、きっと言わなくて済んだ言葉なのに。それをどの口で、どういうつもりで言っているのだろうと、自分で自分を軽蔑する気持ちになる。


 けれど、嫌だったから。


「だから、その、死ねば終わりとか、そういうことは――」

「クラハ」


 びくり、と。

 その声を聞けば怯えてしまいそうになって、クラハは無理矢理、感情表現を内心に抑え込む。


 その人自身が怖いわけではない――ただ、自分の方が、強い負い目を持っているだけだから。そんな気持ちを表に出して相手を不快にさせてしまわないようにと、そう誓って。


 自分の名前を呼んだジルを、見れば。

 彼は優しい表情で、こちらを見ている。


「大丈夫。そういう話じゃないんだ。……チカノ。だから言ったろ。ちゃんと怒っている理由を、最初に出してやれって」

「…………でも、イッカがこういうことを考えてるってわからないままなのも、厄介でしょう」


 そりゃそうだけど、とジルは返し。

 でもまあ一理あります、とチカノも返し。


 言う。



「あなたの本当の失敗というのは、勝手な行動を取ったことそれ自体ではありません。


 ……あのねえ。『勝手に死ぬだけだからいいや』なんて考えであなたを放っておく人が、道場にどれくらいいると思いますか?」



 え、と。

 顔を上げたイッカの目は、やはり赤く。


 左に括った髪の毛が、ようやく夜を抜けて乾き切って、さらりと揺れた。


「はっきり言うけど、いません」

「そんなこと――」

「いや本当に、全くいません。なんだかお父さんが自分のせいでとか言ってましたけど、そんなのあなた以外、だーれも気にしてません」

「そんなわけないよ!」


 ざっ、と思わず立ち上がったイッカを。

 チカノは、座ったままで見上げながら。


「いません」


 きっぱり、そう言った。


「あなたは、実戦に出た回数が少ないからあまり実感がないんでしょうけど……戦闘において誰かが傷つくなんて、当たり前のことです」

「…………」

「師匠が弟子を守った。それだけの話です。何も不思議なことはありません。誰もあなたを責めません。だから――あなたがそういうことをしていると、みんなが心配するんです。それを、あなたはわかっていなかった」


 それがあなたの本当の失敗です、と。

 チカノがそこで言葉を切れば、ジルが引き継いだ。


「俺はイッカのやったこと、結果としてはよかったと思うぞ」

「え――?」

「俺とチカノが逆方向に飛び出してたんだ。あのまま〈門の獣〉が攻め入ってきてたら町の崩壊まであった。そこを足止めしてくれて、しかも戦闘音と魔紋の光のおかげで町に危険は伝わったし、師匠を呼び出す目印にもなってくれた。結果だけ見れば、イッカはすごくいい働きをしてくれたと思う」

「甘やかさないでください」

「事実は正しく認識されるべきだ」


 言い合いは、軽いもので。

 だからこそ、とジルは続ける。


「その結果に至るまでの過程を、しっかりやるべきだったんじゃないかな。それさえできていれば、イッカが今感じてる罪悪感のほとんどは、なくせたものだと思う」

「……過程を、しっかりやるっていうのは」

「ちゃんと話せ、ってことです」


 イッカの呟きに、チカノが応える。


「私はあなたにああしろこうしろって言います。この場で采配を振る必要がありますから。でも、それに対してどんな気持ちになったかとか、こんな理由があるからこうしたいとか、そういうことに聞く耳を持たないってわけじゃ、当然ありません」

「……うん」

「だから、会話をしましょう。あなたの言いたいことを聞く準備が、私にはあります」


 しばらくの、沈黙があって。

 ゆっくりとイッカが、口を開いた。


「……先生のこと、どうしても、自分のせいに思える」

「そんなことはないと、私は思います。……でも、あなたがそう思っていることは、理解しました」

「だから、戦いたい。ちゃんと、納得できるように」

「今すぐには、難しいと思います。昨日の傷もまだ残っていますから。……でも、あなたがそうしたいということは理解しましたし、」


 気持ちも多少、安定したみたいですから、と。


「もう少し傷が良くなったら、少しずつ、仕事を任せます。また相談しましょう」

「……はい。あの、チカノ先輩」


 はい、とチカノは頷く。

 イッカはその彼女に、初めて真っ直ぐ、目線を向けて。


「心配をかけて、すみませんでした」

「――よし! 説教終わり!」


 はぁああ、と。

 露骨にチカノは、力を抜いた。


 へなへなと、そのまま畳の上に倒れ伏してしまいそうになりながら……しかし、途中で肘を突っ張って、身体を止めて。


「まあじゃあ、こっちは終わりなんで、あとはそっちですね。始めてください。見てるんで」

「適当すぎるだろ」


 来た、とクラハは身構えた。

 何となく、この流れは想定していたから。イッカが先で、自分が後。彼の番が終われば、次は自分の番だと。


 そして、きっと。

 イッカに下されたような判断は自分には訪れないはずだと――そう思って。


 何を言われても、自業自得だから。

 つらく思うような素振りだけは見せないようにしようと、そう、心の中で誓って。


「……お願い、します」


 自分からジルに向かって。

 頭を、下げた。


 けれど。


 一秒、二秒――七秒が経っても。

 まるで、ジルからの言葉はなくて。


 代わりに聞こえてきたのは、チカノの声。


「……人に頭をずっと下げさせてんじゃないですよ」

「あ、いや。そうだな。クラハ、頭上げてくれ。全然、そんなのいいから」


 そんなの、という言葉。

 確かに自分の頭なんて下げられても何の価値もないだろう……そう思いながら、言われたとおりにすれば。


 ジルは。

 困ったような顔で。


「あー……、ええっとな、」


 こう言った。




「何も怒るところが思いつかないから、褒めようかな」




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