7-1 楽しくなってきちまうなあ、おい
『ジルへ
大型補強、リリリアがどうにかしてくれたみたいだ。
取り急ぎ、その連絡だけ。
ユニスより』
†
ジルは――竜殺しで、再封印者で、特記戦力で、ひとたび剣を振るえば万魔一切死魂と化す、と全然知らないところで勝手に噂されている剣士ではあるけれど。
何も、ひとりでここまで強くなったわけではない。
というよりむしろその逆――誰かに剣を教わることがない限り、少なくとも今の水準の強さは決して手に入らなかったと、少なくとも本人は、強く思っている。
そして、それを教えてくれた人は、ヴァルドフリード、という名で。
率直に言ってしまえば……当てもなく放浪していた自分を拾い上げてくれた彼を、ジルは強く、深く、尊敬している。
「おぉ、サミナトの野郎、本当に寝てやがる。ぐーすかぴーでいいご身分だなあ、おい」
「――お前はもっと気遣いができないのか!!」
離れて旅している限りは特に、あんまり怒るようなこともないので。
三人で、サミナトの部屋に来ていた――この三人というのは、ジル、ヴァルドフリード、それからチカノ……彼女は、部屋に入った途端のヴァルドフリードの発言に顔を引きつらせながら、
「ぐーすかぴー、ですか……。流石にこの状態のお父さんにそう言った人、初めて見ました……」
「そのうちどうせ起きんだろ。寝てんのとそんな変わんねえよ」
まあその間に俺はさらに強くなり、こいつは寝てる分弱くなり、力の差がさらに開いていくわけだが……と。
どこまで本気だかわからないような口調で言うのを聞きながら、ジルは。
そうだった、と思っている。
そういえば、このくらいいい加減なおっさんだった、と。
なんだか離れている間に思い出が美化されて、ものすごく尊敬してしまっていたけれど……本質的には本当にいい加減で、雑で、すごく雑で、いい加減な中年だったと――今更ながらに、思い出している。
真夜中の死闘。その始末を終えて、ようやく自由になった朝。
全ての説明を聞き終えたヴァルドフリードは「なるほどなあ」と頷いて、サミナトの部屋まで行くからついてこい、と一方的にこちらに言ってのけ。
そして今は。
サミナトの額に、大きな手のひらを、乗せている。
「内功活性か。その年でよくこんなん使えんな。特に理屈小僧。お前、こういう細かいの死ぬほど苦手だろ」
「前にチカノと練習したんだよ。あれば便利だと思って」
「生意気な……」
「弟子の成長を素直に喜べ」
へっ、とヴァルドフリードは鼻で笑って。
それから、何かを探るように、視線をぼやかして。
「……三週間は保つ」
ジルはその言葉に、チカノを横目で見つめた。
三週間。自分とチカノのふたりなら二週間と思っていたところから、一週間伸びた。
それを、一週間もと捉えるか。
それとも、たったの一週間と捉えるか。
「……そう、ですか」
どちらかだった、というよりも。
おそらく、どちらもと言うべきだろう表情で、チカノは応えた。
「ありがとうございます。先生」
「気にすんな。昔からよくあるこった。……まあ、そんでも。七日やそこら寿命が延びたところで、それまでに片が付かねえんだったら同じことだ」
言われて、ジルは。
少し眼鏡を上げて、眉間を押さえるほかない――頭の痛い問題だった。
「毒、寿命、防衛、外典魔獣に鬼に……あとなんつった?」
「『すり抜け』だ」
「そうそれ。やることが山積みで楽しくなってきちまうなあ、おい」
いまだ『すり抜け』の謎は掴めていない。
どういうわけかヴァルドフリードはその『すり抜け』が発動しない状況で〈門の獣〉に秘剣を当て、討伐したらしいが……それでもいまだ、その当てた本人が「なんのこっちゃ」と言う以上、秘密の解明からは程遠い。
正直に言って。
ジルは――ヴァルドフリードが来てくれたと知った時点で、かなり気分が楽になってしまってはいたけれど。
実際のところは。
「先生、『すり抜け』の心当たりは何かありませんか」
「ねえな。俺に頭は期待すんな」
この調子だし。
はぁあああ、とジルは深く溜息を吐くほかなかった。
どうも、今回は自分の剣もなかなか役を得られない。不発ばかり、遅延ばかり、ただ力で勝るだけが戦闘の根幹ではないということが改めて実感できる。これもまた、未熟のひとつだ。
改めて考え直すことから始めなければ――そう、思っていたところで。
「だけどな、こっから何をすべきなのかは、きっちりわかってんぜ」
ヴァルドフリードが、急にそんなことを言うので。
思わずジルは、目を見開いてしまった。
「本当か」
「俺が嘘を吐いたことが、一度でもあったか?」
「あった」
「忘れろ。……よし。クイズ形式にしてやる。俺らよかよっぽど出来の良い、賢い若手ども。こういうとき、最初にすべきことはなんだ?」
ちっ、ちっ、ちっ、と。
時間制限のように、ヴァルドフリードが口で言い始め。
ジルは咄嗟に、チカノと顔を見合わせる――しかし、どちらも何も、言うべきことは見当たらなかったから。
「ブー」
ヴァルドフリードがそう言って、太い指でバツ印を作る方が、早い。
「よかったな、お前ら。俺からまだ学ぶことがあって」
ヴァルドフリードは、彼の剣式に似合わない、軽い調子の言い方で。
こう、言ってのけた。
「こういうときはな、とにかくできることから片付けていくんだよ。
ちっとばっかしアドバイスもやるし、時間も作ってやっから――ガキどものこと、ちゃんと叱ってこい」
†
真夜中、しばらくの介抱を受けて。
当分無理はしないように、と治療に当たってくれた聖職者たちに背中を押され、再び道場まで戻ってきて。
それから、ヴァルドフリードに……自分たちの命を救ってくれた剣士に、ふたりで礼を言おうとすると。
彼は、こちらの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、その言葉を遮ったあと。
「――孫可愛さみたいなのが、出ちまうな」
ぽつり、そう呟いて。
「疲れてるだろうが、こっちの部屋でしばらく待ってろ。眠けりゃ寝ててもいいが……人を寄越すから、それまでな」
優しい声音で、そう、こちらに伝えてきたから。
だからクラハは、今――イッカと並んで小さな部屋に、座り込んでいる。
「…………」
「…………」
ふたりとも、無言のままで。
気まずくないと言えば、嘘になるけれど。
何があっても、とクラハは思う。
ジルから何を言われても、受け入れようと。
勝手な行動……できもしない仕事を自ら引き受けて、失敗し、イッカの命を危険に晒したこと。
その責任を、取ろうと。
もう、こんなに使えない人間は要らないと言われても。
事実だから、素直に受け入れようと。
そう、思っている。