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2-2 骨の一つでも



 地上には秋が来ていた。


「ん……」

 クラハが薄く目を開けた先、いまだカーテンの奥は青黒い、真夜中の気配を残している。時計を見れば、しかしそれでもルーティンワークを始めるいつもの時間。目元を擦りながら、彼女は起き上がる。


 眠たい身体を動かして、ゆらゆらと頭を振りながらキッチンへ。やかんに水を入れて、熱魔法石を起動させる。その間に二週間前に市場で買ってきた、どこの国から来たのだかもよくわからない安い茶葉をティーポットに入れる。


 ぼこぼこ、と湯が沸騰するのもいつものこと。

 そんなに細かく到達温度を指定できるような高級品は使っていない。


 しばらく冷めるのを待つ。それから、とぽとぽとティーポットに注ぎ込む。少しだけ蒸らしてから、ティーカップに注ぐ。


「うえ……」

 一口唇を付ければ、その異様な風味に百年の眠りも醒めてしまう。


 いったいどこの茶葉なのだろう……改めて彼女は目を開いて、茶筒の中身を覗きこむ。何かしらのスパイスに向いていそうな香りだ。できれば次もこれを買いたい。これさえあれば、朝の弱い自分でもすぐに動き出すことができる。そう思うから。


 ベーコンと目玉焼き、トーストにバナナ一本。

 冒険者は身体が資本……とはよく聞く話だが、どうしても朝は入らない。まずはこのくらいを摂っておいて、昼と朝の間にもう一食を摂るつもりで、軽く。


 窓の外には真っ青な街。

 ついこの間までは、こんな時間でもうんざりするような暑さに苛まれていたというのに。


「……ごちそうさまでした」

 食器を片付けて、彼女は着替えて動き出す。


 パーティの仕事は、今日は一日オフの予定。

 自主訓練の時間だった。




†○☆†○☆†○☆




「お。感心だねえ、若人」

「ホランドさん」 

 ランニング中に公園を通りかかったときのことだった。


 ベンチに座っていた男が、ひょいと片手を挙げてこちらに声をかけてきた。幸いクラハは目が良いので、遠くからでもそれが誰だかわかる。


 自身の所属するパーティ、〈次の頂点〉に所属するベテランの弓士、ホランド。


「自主トレですか」

 駆け寄って、クラハは訊く。


 いいや、とホランドは首を横に振って、

「そんな大したもんじゃねえよ。うちのガキどもが最近太ったとかなんとか言ってるから、ちょっとばかし付き合ってるだけだ。……ああ、近くにはいない、いない。途中で脱落してんのに気付かなくてよ、置いてきちまったんだ」


 んで今は待ちぼうけ中、と。

 彼は笑って言った。


「結構汗かいてんな。どんくらい走ってる?」

「毎日最低、一時間は」

「短距離は?」

「ターン有りで十本ダッシュを、距離を変えて五セットやってからいつも始めてます。あ、あと身体強化系を使わずに坂道も十本」


 うん、とホランドは頷いた。

「いいな。足が動く冒険者はいい冒険者だ……って、俺なんかに言われても嬉しかねえかもしらんが」

「いえ、そんなこと!」

「身体は壊さねえようにな。大抵は教会にかかれば治ることには治るが、それでも一回どっかやっちまうと、どうしても腕のいいのにかからないと再発が……っと、噂をすればだ」

「え?」


 ホランドが指さした方を、クラハは振り向いて見る。


「教会の馬車……」

「だな。しかもかなり位が高い……枢機卿でも乗ってんのか?」


 真っ白な馬車だった。

 それを見れば、この国に住んでいる人間なら誰でもわかる。どこに所属する人間が乗っているのか、何の団体が所持するものなのか。


 国教である、ラスティエ教の目印だからだ。


 そして二人の視線の先にあるのは、しかしいつも街で見かけるような司祭の乗り物とは違う。金の飾りを施され、明らかにその中にいる人物の高位であることを窺わせている。


「どうしたんでしょうね。こんな朝から」

「まあ、教会信徒の朝が早いのは今に始まったことじゃねえが……嫌だね。なんだか厄介事の香りでよ」


 ああいや、とホランドは思い直したように、


「――ひょっとすると、とうとうバレちまったのかもな」


 そう、不安の混じるような声で、呟いた。


「……そのときは、教会じゃなくて騎士団が来るんじゃないですか」

「教会だって聖騎士団は持ってるさ」

「でも、あれは滅多なことでは動かないんじゃ……」

「どうだかな。滅王の復活を防ぐだとか、そんな名目で遠い昔に作られたらしいが、今となっちゃ……」


 そのとき、ふとクラハの視界に、ふたりの人間が入り込んだ。

 驚いてその方向を見る――が、何ら不思議なことはない。それは、若い男女。どことなく今、目の前にいるホランドの面影を残している、自分と同じくらいの年の姉弟だった。


「言う通りだな」

 そう言って、ホランドは立ち上がる。


 へとへとの状態で顎を上げて走ってくる二人に、「遅えぞー。運動不足どもー」と手を口の横に当てて声掛けをする。


「いや、パパが、速、すぎっ、」

「てか、なんで僕、まで……」


「最近よ、」

 クラハにしか聞こえないような声で、低く、微かに、ホランドは言った。


「綺麗で正しいものが、怖くて仕方ねえ……。いつか、何もかもが台無しになる気がすんのさ」


 クラハは。

 その言葉に対する応え方を、知らなかった。


「……変なこと言っちまったな」

 くしゃり、と泣きそうな顔でホランドは笑って、


「自主トレ、頑張れよ。お前ならなれるさ。……少なくとも、俺よりずっと、上等な冒険者に」


 ホランドさん、とクラハが呼び掛けるのを待たなかった。


 彼はふたりの子どものところへと駆けていく。

 そして姉弟は、父の姿に安堵して、前のめりに倒れていく。


 その二人を抱きかかえたホランドは、背中だけでも、笑っていることがわかる。


 だからクラハは――何も言えず、その三人に背を向けて、また走り出した。




†○☆†○☆†○☆




「……ん?」

 おかしい、と気が付いた。


 走り込みを終えて辿り着いた、いつもの自主練の場所……そこに、いつもはないはずの人の気配を感じる。


 それも、一人や二人ではない。

 たくさんの。


 そんなはずはない。そう思いながら、しかしクラハはその身を隠した。周辺一帯は鬱蒼とした森である。夏の濃い匂いはすでに風に浚われてしまったが、しかしいくらでも彼女の細身を誤魔化すだけの木々は残っていた。


 通りすがりがそのあたりにたむろしているわけでは、絶対にない。

 そう、彼女は断言できる。


 だって、街外れのこの場所にあるものなんて、名前を挙げるとすれば一つしか――、


「これが最高難度迷宮ですか……」

「――!」

 遠くから聞こえてきたその声は、確かに『通りすがった』人間の出すニュアンスのものではなかった。


 クラハは息を潜める。

 話の続きが聞こえてくる。いくつもの声が混じって。


「ああ。〈二度と空には出会えない〉――Sランクの冒険者だけに攻略の許された、この国最後にして最大の秘境だ」

「傍から見るとそれほどじゃあなさそうですけどね」

「おい、油断なんかするなよ。これまでの冒険者たちが三層より先に進めなかったほどの場所だ」

「冒険者たちが弱かっただけでは?」

「聖騎士の位に慢心するようなら、見習いからやり直せ。新人」


 聖騎士?

 彼らの会話に、大きな疑問をクラハは覚えている。


 聖騎士団――教会が保持している武力部隊。そのくらいのことはクラハも知っている。そして彼らが、ひどく限定的な使い方をされることも。


 ありえないのだ。

 聖騎士団が、迷宮攻略に出張ってくることなど、絶対に。


 何が起こっているのかはわからない。

 しかし、何かが起こっていることは、確かにわかる。


 これまで〈二度と空には出会えない〉に聖騎士団が来ていたなどという話は、一度も聞いたことがない。そしておそらく、実際に一度もそうしたことはないはずだ。もしそれがあったとしたら――自分たち〈次の頂点〉が踏み込んだとき、欠片でも人間の通った跡を見つけることができたはずだから。


 いったいなぜ、と

 思考を巡らしている、途中のこと。



「聖女様!」

 そう、声が聞こえた。



 思わず、クラハは木陰から僅かに身を乗り出した。

 だって、信じられない。


 ラスティエ教の組織図上は枢機卿と同格――権威上はそれに勝る存在。国を跨いで教会全体にたったの四人しか名乗ることを許されていないその称号。


 聖女。

 顔すら、一度も見たことがないその人が。



「あ、いいですよー。全然、楽にしてもらって。私、そういう感じの人じゃありませんから」



 確かにそこに、いた。


 あまりにも美しい、とクラハは思った。

 ほっそりとした長身。それに見合うだけの長さを持つ髪は、陽の光を受ければ陽の色に染まって、白金めいた輝きを放っている。


 顔は知らない。

 けれど、その姿だけで、これがその人なのだろうとクラハにもわかる。


「細かいことはアーちゃ……隊長さんに任せますから。私のことは便利な傷薬とでも思ってもらえれば」

「聖女様、そのような……」

「まあまあ。気楽に、気楽に」


「あ、あの!」

 思わず、だった。


 クラハは、完全にその木の影から、飛び出してしまっていた。


 聖騎士団の動きは、速かった。

 何者だ、の誰何もない。馬車の周りにいた一人が、矢をつがえた。もう一人が、呪文の詠唱を始めた。


「こらこら」

 それを、聖女が止めた。


「やめましょうよ。ただ話しかけてきただけの女の子にそんな大げさな……」

「し、しかし!」

「余裕を持って生きましょう。のんびり、のんびり」

「……だ、そうだ。お前たち」


 彼女の声は、場違いに思えるくらいに穏やかなものだった。

 しかしそれで毒気を抜かれたのか……あるいは、彼女の言葉に従うように言ったのが、彼らのうちの隊長格なのか、すでに戦闘態勢に入っていた聖騎士たちも弓を収め始める。


 それで、と聖女は、クラハを見た。


「どうされました?」


 ひょっとすると、とクラハは思っていた。


 あれから〈次の頂点〉は、この迷宮への再挑戦の気配をまるで見せなくなっていた。三ヶ月が過ぎて、クラハもうっすら理解しつつある。


 あのパーティは、きっともう、この迷宮に入らない。

 あの日下層に落ちていったあの人は、きっとずっと、その場所で遺骸を晒し続ける。


 だから。

 それでも。


「な、仲間が……」

 クラハは、言った。


「仲間が、その迷宮の中で、死んでしまったんです。下層の方に、落ちていって……」


 ゴダッハの糾弾をすることは、できない。

 たとえ目の前の聖女にそれを訴えかけたところで、自分の他にそうと証言する者がいないなら……役職も何もない見習いの自分と、Sランクパーティを率いる彼の言い分のどちらが信憑性を高く評価されるか、そのことを想像できないはずがない。


 でも、このことだけは。

 誰かに、託したかったのだ。


「もし、それができるなら――骨の一つでも、拾ってきてはいただけませんか。お墓だけでも……作って、あげたくて」

「貴様、聞いていれば勝手な――」

「構いません」

 前に出ようとした若い聖騎士を、再び聖女が押し留めた。


「大切な人だったんですか?」

「……話したのは、ほんの短い間だけでした。でも、あんな風に、死んでいい人じゃなくて……」


 希薄な縁だ、と自分でもわかっている。

 彼がゴダッハの故意によって殺されたこと……それを伏せて伝えれば、死のリスクを常に背負って活動するはずの冒険者にしては、甘えた考えだと見られることもあるはずだと、知っていた。


 それでも、クラハは深く、頭を下げた。


「お願い、します」


 そのくらいのことしか、できないから。


 そして聖女は、それに応えた。


「約束はできませんけど……見つけたら、確かにそのとおりにしましょう」

 そんな、真っ直ぐな、偽りのない言葉で。


「聖女様!」

「いいじゃありませんか。大した手間がかかるわけでもありません」

「しかし……!」

「……仕方のない方ですね」

「まあまあまあ。人の望みは、できるだけたくさん叶った方がいいじゃありませんか」


 はいはいはい、と聖女はそれで話を切り上げてしまう。

 それじゃあ張り切っていきましょう、と聖騎士たちに声をかける。そして彼ら彼女らも、聖女の声に押されるがままに、迷宮の入口へと向かっていく。


 一度だけ、聖女は振り向いた。


 それじゃあ、と呟いて、クラハの目を見て。

 そして、こう言った。


「行ってきます」


 だから、クラハも大きな声で応えた。


「き、気を付けて……、無事に、帰ってきてください!」


 ありがとう、と聖女は言う。

 ごく普通の平民のように、軽く頭を下げてみることすらもする。


 しかし、彼女は最後、その穏やかな口調のままで、こうも言い残した。




「大丈夫ですよ。お姉さん、結構強いらしいですから」




 ところで実はその澄まし顔の聖女も想像を絶するほどの方向音痴であり、その三時間後――いや、これ以上は言うまい。


 攻略は続く。




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