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4-3 ダメだ




 魔獣の姿は千差万別、せいぜい動植物に似ている程度しか共通点はない。

 それが一般的かつ基礎的で、あるいは現在人類が掴んでいる情報のほとんどでもある。


 けれど、ひとつ。

 前線で魔獣と戦う者たちが、体感として知っている知識がある。


 それは、『何に似ているか』でおおよその危険度を測ることができる、というもの。


 もちろん、単純にそれだけで測れるものではないということも、彼らは重々承知している。けれど、ある程度の目安として――たとえば、草食獣と肉食獣、それぞれに似た魔獣が同時に出現した際、肉食獣により重点した警戒を施した方がよい、というくらいの指針を持っている。


 そして、その中でも。

 冒険者たちの間で言い伝えられる、『最も危険な魔獣の型』が、ふたつある。


 ひとつは、竜。

 地上に似た生き物の見当たらない――獣の強所だけを合成したかのような、大いなる災い。この百年の間に、ジルとその師による討伐記録をたった一つを残すだけの、圧倒的な脅威。


 そして、もうひとつ。


 それは、人に似て人ならざる魔獣――爪と牙、そして角。二足で歩む、怪力剛腕の暴威の化身。


 討伐記録や冒険譚。

 それらにまるで姿を見せず、代わりに悲劇の舞台の中心で、黒い光を浴びるそれの名を、こう伝えられている。



 鬼。







 誰も、動けずにいた。

 伝承だけでならきっと、誰もが聞いたことがあったから――けれど、それが自分の目の前に現れるとは、夢に見たこともなかったから。


 だって、下手をすれば竜よりも珍しい。

 もしも出くわすことがあるならば……なんて、笑い話でも使われはしない。


 でも、確かにそれはそこにいて。

 ただじっと、重圧を放っている。


 それが本物であるということを、知らせている。


「――あ、」

 気付いて、クラハは小さく呟いた。


 その鬼の、右目。

 そこに魔法陣が刻まれていること――そしてそれに、見覚えがあること。


 外典魔法陣。


「滅王の――」


 だとするなら。

 ひょっとするとこれはあの〈インスト〉と同格の、いや下手をするともっと――、




「ダメだ!!」

 イッカが叫んで、飛び出す瞬間。




 まだその場で、目の前の鬼の危険性を認識できていたのは。


 きっと、クラハとイッカ。

 そのふたりしか、いなかったのだと思う。


 イッカは走った。

 この一瞬の停滞を破った者――当然、鬼の顔は彼へと向いた。


 それとどちらが早いかと言ったら、きっと初めから動き出していた物見台の上の彼の方が、早かった。


 間違った判断ではなかったはずである――門下生の彼は、その時点での配置と距離の問題から、もっとも鬼からの反撃を受けにくい。


 それを認識しているなら――まずは矢を射て鬼を牽制しようという彼の行動は、決して間違ったものではなかったはずである。


 けれど、正しくもなかった。


「あぁあアアアアっ!!!」


 イッカが叫んだのは、その短い距離を、何としてでも最速で駆け抜ける必要があると知っていたからだったのだろう。


 まだ、その必死さの理由はクラハにすらわからない――他の門下生も、聖職者たちも当然同じく。目の前の鬼がどれほどの力を持っているのか、実感としてわかっていなかったから。


 門下生が、矢を放つ。

 イッカは駆けながら双剣を抜き放ち、しかし鬼はまだ、彼を見つめたまま動いていなかった。


 放たれた矢が、鬼の脳天を目掛けて一直線に風を切っていく。

 イッカの魔紋が励起する。稲妻がバチリと弾ける。鬼は、左の手を上げた。


 矢が、鬼の肌に触れる。


「〈摩訶――」

 イッカは叫ぶ。


 鬼は、左の手で、飛来した矢を掴んで。


「――雷天双〉!!」

 ほんの僅かな動作で、投げ返す。




 轟音は、地上よりも空中で起こった。




 イッカの放った魔技が、微かに鬼の左の手を動かした――たったそれだけのことが、物見台の上にいた門下生の命を救った。


 その代わりに起こったことは。

 激しい崩壊音とともに、物見台の屋根が破壊され、地上へと落下していったこと。


 まるで力の入っていない鬼の動作ひとつで――簡素とはいえひとつの建物が、半壊させられたということ。


「――イッカさん!!」

 ほとんど無意識のことだったのだと思う。


 ただ、目の前で崖から落ちて行こうとする赤子を見たとき、反射的に手を差し伸べるのと同じ――理屈や計算があったわけではない。


 ただクラハは、そして他の聖職者たちは、鬼に双剣を叩きつけたイッカに向かって、防護の魔法を唱え。


 やはりそれが、彼の命を救った。



「ぁがっ」



 空気の抜けたような音だった。

 声を出そうとして出したのではなく、ただ音の出るところを押されたために鳴ったような――そんな音。


 それとともに。

 イッカは投げ捨てられた毬のように地面を数度弾んだ末に、家屋に叩きつけられた。


「大丈夫ですか!」

 クラハは叫んで駆け寄る――そして目にしたのは、口から血を吐く彼の姿。


「ぁ、おぇっ」

「今治療しますから!」


 本職には敵わない。

 けれど、応急処置に使えるくらいの治癒魔法の心得はあるから――と。


 クラハはイッカにそれを行使して、見た目よりかはダメージがないこと、彼がおそらく自ら勢いよく飛んだこと、攻撃を身体の中で留め置かず、受け身を取ったのだということを推し量って、僅かに安堵しながら、


 しかし同時に。

 今この時が、最大の危難であるということにも、気付いていた。


「ダメ、手、出し、ちゃ……」


 イッカが呟いた言葉に、何の嘘もない。

 手を出してはいけない。彼がこの有様とあっては、この場にいる誰も、この鬼を相手することはできない。仕留めることは叶わない。どころか、ほんの一時対抗することも。


 あるいは、生き残ることすらも。


「どう――」

 すれば、と。

 そこまでは掠れて、クラハは声にできない。


 撤退するしかない、と思う。

 あまりにも強すぎる。格上すぎて正確な脅威度を測ることができない――けれど、最低限の見積もりくらいはできる。


〈インスト〉よりも上。

 あのとき……自分が〈次の頂点〉の一員として死力を尽くし、ようやく一体を仕留めた魔獣よりも、まだ上。


 それを相手に交戦することは、死を意味していて。

 だから、撤退しかない。


 けれど、撤退とは。

 この鬼をこの場に留め置けなくなるということも、当然意味し。

 そして、この鬼が解き放たれてしまえば――、


「誰か、ジルさんを」

 伝達の魔法は、そう呟いた。


 相手はその場にいる人間、誰が相手でもよかった。

 離脱して、ジルを呼べる人間であるなら、誰でも。


 勝てはしない。

 この場にいる人間では。けれど、放置していていい魔獣ではないということも、見ればわかる。


 だから。


「どうにかして、足止めします。その間に、ジルさんを――」


 馬鹿げた嘘だ、とクラハは自分でも思う。

 これほどの相手に、自分の小手先の技が通じるはずもない。イッカがこれほど軽くあしらわれる相手、一秒も保たずに殺されて終わりだと、やる前からわかり切っている。

 

 でも。

 この鬼を殺せるだろうジルがこの場所に来てくれるまで、誰かが――。


 誰かが、それを成さねばならないと思うからこそ。


「む、りだよ……」

 イッカが、正しい言葉を口にするのを聞きながら。


 クラハは立って、向かい合う。


「一瞬だけでも、気を逸らします。その間に、この場から離脱してください」


 どうする、と自分で自分に問いかける。

 どうすればいい。手札は僅か。それでも何かできることがあるんじゃないか。あるはずだ。なければならない。だってそうできなければ死ぬだけだから、無駄死にして、周囲の人々も一緒になって死んで、それだけになってしまうから。そんなのは嫌だからと、そう思って、頭を動かして動かして動かして、一歩二歩、近付いて、近付いて近付いて近付いて近付いて、


「――――ぁ」


 タイミングが、来てしまったから。


 駆け出そうと準備をしてくれていた門下生――そのうちのひとりが、自分がある角度で鬼に攻撃を仕掛けることで、完全に鬼の死角に入ると、その瞬間が来てしまったと、気付いてしまったから。


 クラハは、考えなしに、鬼に向かって剣を振って。

 そして、考えなしの代償がやってくる。


 ぺき、と剣が折れるのを見た。

 その瞬間に、ようやく鬼が攻撃を繰り出してきたということを理解した。


 けれどその攻撃が何によって行われたのかは肉眼では確認できなくて――だから爪が腹に触れてから、これなのか、とようやく認知できた。


 そして。





 ああ、死ぬのだな、と。

 理解した。





「〈双蒼掌〉」

 その瞬間のことだった。





 クラハには、何が起きたのかわからない。

 ただ、目の前にいたはずの鬼が、いなくなっている。自分の命を奪うはずだった鬼の爪が、間合いから姿を消している。


 その代わり、自分はどういうわけか、生きていて。

 目の前に、長髪の男が立っている。


「――御伽話の怪物が、今さら何をしに来たか知らんが」


 そしてその男の名を、クラハは知っている。




「戦いたいなら、精々相手になるとしよう」




 東の町の、道場の主。

 サミナトが、そこに立っていた。




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